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第6話

Author: 醸し屋
結局、盛遠に向かった愛菜が社長室のドアを開けると、裕也は彼女に背を向けて、大きな窓の前に立っていた。

たった3日会わなかっただけなのに、彼の後ろ姿はすっかり別人のように見えた。

愛菜は落ち着いた声で切り出した。「社長、退職の手続きをしに来ました」

裕也がゆっくりと振り返る。その視線は、突き刺すように彼女に鋭く向けられた。

彼が一歩ずつ近づいてくる。革靴がカーペットを踏む音は、重苦しく空気を押しつぶすようだった。

「退職だと?」裕也は鼻で笑った。「愛菜、言ったはずだぞ。ここから逃げられるなんて思うなよ」

その憎しみに満ちた視線を受けて、愛菜は息が詰まった。

「3年間」彼女の声は震えていた。「あなたは私に復讐し続けた。まだ足りないの?」

「たかが3年しか経っていないじゃないか!」裕也はこめかみに血管を浮き上がらせると、いきなり愛菜の顎を掴んだ。「お前は3年苦しんだだけだ。でも杏は、永遠に帰ってこないんだぞ!」

愛菜には、もう彼と言い争う気力も残っていなかった。

裕也は頑なに彼女が犯人だと信じ込んでいる。たとえ百回説明したって、聞き入れてはくれないだろう。

「どうすれば、あなたは私を許してくれるの?」愛菜は顔を上げ、彼の憎悪に満ちた視線と向き合った。

その瞳には、もう何の光も宿っていなかった。「私が死なないと、あなたの気は済まないの?」

裕也は、愛菜がこんな表情をするのを今まで見たことがなかった。

それは生気を失った、どんよりしている沈んだ表情だった。

その瞬間、彼の心臓は何か鋭いもので抉られたかのような痛みに襲われ、愛菜の顎を掴む手から、思わず力が抜けたのだった。

裕也の脳裏に、病室のベッドで死にかけていた愛菜の姿がよぎった。

医師は言っていた。愛菜にこれ以上、強いストレスを与えてはいけないんだ。

そう思うと裕也の心は理由もなくかき乱された。彼は無意識に手を放すと、その指先は微かに震えていた。

「考えが変わった」裕也は震える指先を隠し、氷のような視線で愛菜を見つめた。「このままお前を死なせるのは、あまりに生ぬるい。

お前が杏にしたことは、一生かかっても償いきれない。

たった3年ぽっちで足りるわけがないだろ。俺はこれからもお前を苦しめ続ける。お前は残りの人生、ずっと俺の傍で杏のために罪を償い続けろ!」

そう言われて愛菜は、盛遠ビルを出るまでずっと生きた心地がしなかった。

この3年間で育んだ甘い思い出のすべてが鋭い矢に変わり、一本、また一本と彼女の胸に突き刺さる。その痛みで、彼女は息をすることさえ苦しかった。

自分が意識を失っていた間、裕也は一時も離れずそばにいてくれたと聞いた。

だから、彼にはまだ少しでも愛情が残っているのかもしれない、と期待してしまったのだ。

それなのに、さっきの裕也は何の感情もこもらない瞳で、これからもずっと苦しめ続けると言い放った。

痛みに耐えながら、愛菜はふと、自分が馬鹿らしく思えてきた。

もう裕也への気持ちは断ち切ったはずだった。なのに心のどこかで、まだ彼に期待している自分がいたのだ。

そうやってぼんやりと考え事にふけっていて、一台の車が猛スピードで歩道に突っ込んでくることに全く気づかなかった。

「愛菜!」

すると、焦りと驚きを含んだ声が、すぐ後ろから聞こえた。

次の瞬間、強い力で腕を引かれ、たくましい胸の中にすっぽりと抱きしめられた。

片や裕也は肩で息をしていて、胸が激しく上下していた。

彼は愛菜の手首を強く掴んだまま、抑えきれない怒りを声ににじませた。「前を見て歩け!

また車に轢かれそうになったじゃないか!」

そう言われて、愛菜はようやく我に返った。

呆然と顔を上げると、動揺を隠せない裕也の目と視線がぶつかった。

なぜ、裕也がそんなに慌てる必要があるの?

こうなることこそ、彼が望んでいたはずなのに。

彼女は口の端を歪めた。死にかけた恐怖など微塵も感じさせない様子で言った。「ずっと私に償いを求めているんでしょ?私が死ねば、あなたの望み通りじゃないか?」

その言葉に、裕也は息をのんだ。まるで心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。

ついさっき、社長室で愛菜が背を向けて去っていく姿を見送ったとき、彼は今まで感じたことのない恐怖に襲われていた。

だから追いかけてきたのに、目にしたのは彼女が車に轢かれそうになる瞬間だった。

裕也がさらに何か言おうとした時、二人の背後から明るい女の声が聞こえた。

「裕也さん、こんな所で何をしているの?」

裕也は視界の隅に莉子を捉えると、まるで厄介払いをでもするかのように、愛菜を乱暴に突き放した。

愛菜は無防備に地面に倒れ込み、ざらついたアスファルトで肘を擦りむいて、生々しい血がにじんだ。

それを見て裕也ははっとした顔で、思わず手を差し伸べようとした。

だが、すぐにその腕を莉子に絡め取られた。

莉子は二人を値踏みするように見渡すと、愛菜には目もくれず、愛らしい笑顔で言った。「裕也さん、そろそろ取締役会が始まるよ。

どうでもいいことで時間を使わないで。みんな、あなたを待ってるから」

一方で、愛菜の目は、固く組まれた二人の腕に釘付けになった。

そして、どうしようもなく、胸に苦いものがこみ上げてくるのを感じた。

裕也、もう莉子と付き合い始めたんだ。

それもそうか。

莉子は彼たちに大切にされていて、二人は幼馴染で、とてもお似合いのカップルだから、元々結ばれるべきだった。

そう思っていると裕也は、一度も振り返ることなく去っていった。

しばらくして、愛菜はよろよろと立ち上がると、足を引きずりながら通りまで出てタクシーを捕まえた。

病院に戻ると、珍しく智子の意識がはっきりしていた。

彼女は心配そうに愛菜を見つめ、そっと尋ねた。「愛菜、裕也さんはここ数日ずっと顔を見せないけど、お仕事が忙しいのかしら?」

すると、りんごの皮をむいていた愛菜の手が、ぴたりと止まって、彼女は顔を上げ、にっこりと笑って見せた。

「うん。彼の会社、今が一番大変な時期みたい。だから、私と一緒に海外に行く時間は取れないんだって。

お母さん、今はそんなこと考えないで。ちゃんと病気を治すことだけ考えて。

元気になって、孫が生まれたら一緒に遊べるようにもなるでしょ」

すると、闘病生活ですっかり生気を失いかけていた智子の顔に、ふと期待の色が浮かんだ。「そうね、あなたの言う通りにするわ。

あなたと裕也さんは美男美女だから、生まれてくる子どもはきっと、もっと可愛いでしょ」

子ども、か。

そう思って、愛菜は心の中で嘲笑いをを浮かべた。

自分と裕也との間に、子どもが生まれることなんて永遠にないのに。

その時、スマホにメッセージの受信があったから、愛菜はそれを取り出して画面を確認すると、彼女の表情がさっと変わった。慌てて智子に布団をかけ直すと、愛菜は優しく声をかけた。

「お母さん、会社の同僚から連絡があって。少しだけ外に出てくるね」
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