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第4話

Author: ノーベル
陽平は思わず「どうしたんだ」と尋ねようとした。その時、受話器の向こうからカーナビの音声が聞こえてきた。

病院にいるのではなかったのか?

次の瞬間、陽平は気づいた。十中八九、自分が付き添わないことへの腹いせで、嘘をついたのだと。

彼は、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「愛莉、俺は今忙しいんだ。終わったら会いに行くから、いいだろ?もし具合が悪いなら、先に病院へ行ってくれ。何かあれば、まず君のお父さんに頼んでくれないか?」

愛莉が何かを言う前に、電話は切られてしまった。

涙がぽたぽたとスマートフォンの画面に落ちる。愛莉は暗くなった画面を見つめ、息もできないほど泣いた。

分かっているくせに。私がお父さんとは、とっくに連絡を絶っていることを。

救急外来に入って、愛莉は自分が急性虫垂炎で、すぐに手術が必要だと知った。

医師に、サインをして付き添える保護者はいるかと尋ねられ、愛莉はしばらく黙り込んだ後、自分で自分の書類にサインをした。

手術台の上で少しずつ意識が遠のいていく中、愛莉の、陽平へ向けられた変わることのない愛情も、まるで少しずつ静寂に沈んでいくかのようだった。

手術は無事に終わり、真夜中に一度目が覚めたが、すぐにまた眠りに落ちた。

翌日になって、親友が大慌てで駆けつけ、こんな大事をなぜ教えてくれなかったのかと愛莉を責めた。

その瞬間、愛莉は悔し涙をもう堪えきれず、顔中を濡らした。

そう、あなたのことを気にかけてくれる人にとっては、あなたのことはどんな些細なことでも大事なのだ。あなたを気にかけない人にとっては、あなたの生死さえどうでもいいのだ。

十時、陽平から電話がかかってきた。開口一番、詰問だった。

「もう十時だぞ。今日は出勤しないのか?」

愛莉は、泣きながら訴えてしまうだろうと思っていた。しかし、涙は一滴も出ず、とても穏やかな声で言った。

「坂井社長、休暇をいただきました。何か御用でしたら、他の秘書にお願いします」

陽平は不機嫌そうに言った。「体はもうほとんど良くなったんじゃないのか?どうしてまた休むんだ。会社は今忙しいんだから、なるべく早く出勤してくれ」

愛莉は鏡に映る青白い自分の顔を見て、自嘲気味に微笑むと、電話を切った。

その翌日、陽平は慌ててやって来た。部屋に入るなり、謝罪の言葉を口にした。

「愛莉、すまない。そんなにひどいとは思わなかったんだ。そうでなければ、絶対にすべての仕事を放り出してでも君のそばにいただろう。今は、少しは良くなったかい?」

陽平の言い訳を聞いて、愛莉はその瞬間、なぜか笑いたくなった。

陽平は、愛莉を車椅子に乗せて散歩に行こうと、甲斐甲斐しく言った。

部屋を出ようとした時、医師が陽平を呼び、術後の注意点を説明し始めた。

愛莉はその場で彼を待つことにした。

ほどなくして、聞き覚えのある、しかし意外な声が響いた。

「あなた達、どうしてそんなに融通が利かないのよ。うちは、木崎先生の親戚だって言ってるでしょ。木崎先生の顔を潰す気?」

愛莉は由恵の不満そうな声を聞いて、心臓が跳ね上がり、慌てて車椅子を動かして外へ出た。

由恵はすぐに彼女に気づき、目を輝かせると、忙しなく愛莉を指差した。

「ほら、見て。私の息子の彼女よ。木崎先生の実の娘、木崎愛莉。あなたからこの看護師さん達に言ってちょうだい。早くおじさんの手術を手配するようにって」

愛莉は申し訳なさそうに看護師たちに微笑みかけ、先に行ってくださいと促した。

由恵はそれを見て、不満を露わにし、愛莉に詰め寄ろうとした。

「私の言ってること、聞こえないの?」

愛莉は胸の内の怒りを抑えつけ、できるだけ穏やかに言った。

「おば様、申し上げた通り、私は父とはもう何年も連絡を取っていません。それに、父はただの一介の医師で、そこまで大きな権限はありません」

由恵は腹を立て、愛莉をケチで自己中心的だと罵った。

「なんてケチなの。陽平がこの件で走り回ってるのに、あなたはどうして少しも手伝ってあげようとしないの。毎日お金を使うことばっかり。あなたみたいな人が坂井家に入ったら、それこそ大変なことになるわ!」

愛莉は、うんざりして言い返した。

「別に、私が坂井家に入りたいなんて言った覚えはないわ」

由恵は怒りで言葉も出なかった。ちょうどその時、陽平が戻ってきた。

息子を見るなり、由恵は青ざめた顔で、愛莉を指差して告げ口した。

「陽平、見てみなさい、あなたの選んだいい女を!手伝ってくれと頼んでも断るし、私に無礼な口をきくし、坂井家には入りたくないですって。私がいる限り、あの子が坂井家に嫁ぐなんて、絶対に許さないから!」

陽平は不機嫌そうに愛莉を一瞥すると、由恵を支えて背を向けて去って行った。

愛莉は一人、ぽつんと廊下に残り、陽平の背中を見つめながら、目の縁を赤くした。

三十分後、陽平はようやく戻ってきた。

愛莉はベッドに横たわり、彼を視界に入れないようにした。

「愛莉、今日、母さんにあんな口の利き方をするべきじゃなかった」

愛莉は目を上げ、陽平のわずかに疲れた目を見た。

「私が何をしたって言うの。彼女が勝手に父の名前を使って、看護師さん達を困らせていたんでしょう。年長者じゃなかったら、容赦しなかったわ」

陽平は両者の間で板挟みになり、ただでさえ疲れていた。その言葉を聞いて、途端に腹が立った。

「愛莉、君が手伝おうとしないから、母さんが自分で頼みに行くしかなかったんだろう?今日あんな態度を取るなんて、君はもう坂井家に嫁ぎたくないのか?」

愛莉は、何か冗談でも聞いたかのように思った。

付き合って九年、愛莉は数え切れないほど、陽平と結婚することを夢見てきた。

一度目は、陽平が会社を立ち上げたばかりの頃。非常に重要な大口契約があり、それを取れれば、会社は安泰だった。

陽平は愛莉に、もしこの契約を取れたら結婚しようと言った。

愛莉は胃から出血するまで飲み、ついに契約を勝ち取った。

病院で目が覚めると、陽平は言った。今は会社の成長期だから、会社が軌道に乗ったら、必ず君を娶る、と。

二度目は、陽平が他社と入札を競っていた時。プロジェクトを勝ち取るため、彼は愛莉に入札の担当者と二人きりで食事をさせた。

担当者が愛莉に手を出してくるかもしれないことは、お互いに分かっていた。陽平は目に涙を浮かべて、もし落札できたら、必ず君を娶ると約束した。

愛莉はウィスキーを三本空け、ついに担当者を酔い潰し、無事にプロジェクトを勝ち取った。祝賀会で、愛莉は胸をときめかせ、陽平がいつサプライズでプロポーズしてくれるかと待っていた。

しかし、宴会が終わるまで、陽平はまるでそんなことを一度も言わなかったかのように振る舞った。

去年、会社が危機に陥り、資金繰りがつかなくなった。愛莉は自分の貯金をすべて陽平に渡し、陽平は彼女にローンまで組ませた。

彼は愛莉の手を取り、会社が危機を乗り越えたら結婚しようと、真剣に約束した。

しかし、待てど暮らせど、愛莉はローンを返済しながら陽平と共に困難を乗り越えたが、最後に待っていたのは、由恵が彼女の嫁入りに反対しているという一言だけだった。

そんな約束を、陽平は何度も何度もしてきた。そして、愛莉も、一年また一年と、彼と付き合い続けてきた。

陽平は彼女の手を取った。その顔にはまた、見慣れた一途な表情が浮かんでいる。

「愛莉、三十歳は男が一番頑張る時期なんだ。あと二年だけ待ってくれないか。俺が成功したら、結婚しよう。いいだろ?」

愛莉の心臓はじくじくと痛み、その顔にはすべてを見透かしたような穏やかさが浮かんでいた。彼女は陽平の手を振り払った。

「陽平、でも、私はもう待ちたくないの。私も、もう三十歳なのよ」
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