LOGIN三年前、恋人の須藤悠真(すどう ゆうま)は国内有数の富豪の令嬢に取り入り、私、芳賀結希(はが ゆうき)を捨てた。 帰宅途中に暴漢に襲われ、凌辱された末に荒れ野に捨てられて死を待っていた私を救い出してくれたのは、黒川湊斗(くろかわ みなと)だった。 故郷を離れ、格安アパートで同棲した三年間の平穏な生活は、私に未来への希望を抱かせてくれた。 一生妊娠できないと宣告されていた私が、妊娠検査薬を手に湊斗へこの吉報を伝えようとした時、彼が誰かと話している声が聞こえてきた。 「お坊ちゃま、お嬢様がそろそろ遊びを切り上げて戻るようにとおっしゃっております」 「……もう少し、待て」 「まさか……あの芳賀結希とかいう身寄りのない女を本気で好きになったわけではありませんよね? 彼女の男を奪い、さらに暴漢に襲われるよう仕向けたのがあなたの実の姉だと知ったら、恐らく……」 「黙れ!俺がこんな下賤な女を好きになるわけがないだろう。ただの遊びだ。なるべく早く帰ると姉さんに伝えておけ」 私が救済だと思っていたものは、またしても運命が仕掛けた残酷な悪戯に過ぎなかった。
View More真相はこうだ。あの日、彼は決して私と別れたかったわけではなかった。どんな大金を積まれようと彼はなびかなかったし、私たちの二十年という歳月が揺らぐことなどなかったのだ。私の身の安全を盾に咲希に脅迫され、彼は別れを告げるしかなかった。だが、咲希はすぐさま裏でゴロツキを雇い、私を凌辱させた。彼はそのことをずっと知らされず、蚊帳の外に置かれていた。つい先日、咲希と湊斗が言い争っているのを偶然耳にするまで、彼は残酷な真実を何一つ知らなかった。湊斗を前にした時の半狂乱とは対照的に、悠真と向き合う私の心はひどく凪いでいた。なにしろ二十年である。私たちの間の絆は、とうの昔に男女の愛情という枠を超越していた。「もう、すべて終わったことよ。私は今、娘と一緒に静かに暮らしていきたいだけ。だから……もう私の日常を掻き乱さないで」悠真は湊斗よりもずっと分別があった。彼は静かに立ち上がり、別れを告げた。「分かってる。俺がこれから何をしようと、起きてしまった事実は覆せない。結希、この一生をかけても、俺は君に返しきれない借りを作ってしまった」彼が立ち去るのを見送りながら、そのひどく孤独な背中を見つめていると、どうしても胸のざわつきが収まらなかった。数日後、再び湊斗が姿を見せた。彼は「実家に戻らなければならないから、もう逃げ隠れしなくていい。俺からは距離を置く」と告げた。足早に立ち去る彼の切羽詰まった様子に、私は微かな違和感を覚えた。何か、取り返しのつかないことが起きようとしているような……その予感は、間もなく一本のニュースとして現実のものとなった。【地元財閥の令嬢・黒川咲希、夫である須藤悠真の手により惨殺。二十箇所以上を刺され、いずれも致命傷――】ニュースの映像には、一切の抵抗を放棄し、虚ろな目で警察に連行されていく悠真の姿が映っていた。堰を切ったように涙が溢れ出し、私は声を上げて泣き続けた。再び湊斗と会ったのは、それから三ヶ月後のことだった。隙のないオーダーメイドのスーツに身を包んだ彼は、ひどく陰鬱な気配を纏っており、想像を絶するような修羅場を潜り抜けてきたことが窺えた。彼がどんな地獄を見てきたのか、私には痛いほど分かっていた。だが、彼が口を開いて最初に放った言葉が、悠真に関するものだとは思いもしなかった。「悠真の命は助
「琴音、旦那さんが帰ってきたわよ!この子、彼にすっかり懐いちゃって!」事情を知らない、いつも子守りをしてくれている近所のおばあさんが笑った。湊斗と娘が睦まじく遊んでいる光景が視界に入った瞬間、手に持っていた買い物袋が床に崩れ落ちた。耳鳴りがして、頭の中が真っ白になる。私はなりふり構わず駆け寄り、娘をひったくるように抱き寄せた。「出てって……!全員、今すぐここから出て行ってよ!」おばあさんはひどく驚いた様子だったが、夫婦喧嘩でも始まったと思ったのか、そそくさと帰っていった。湊斗は数人のボディガードを外へ下がらせると、私の腕の中にいる娘を食い入るように見つめた。「名前は、なんて言うんだ?」私は恐怖のあまり、全身が震えていた。「あなたには関係ない……!湊斗、一体何が目的なの?」彼は潔白を主張するように両手を挙げてみせた。「結希、そんなに怖がらないで。別に、何かしようってわけじゃない。ただ、俺たちの子は俺にそっくりだ。鑑定なんてするまでもない。この子は俺の娘――そうだろ?」彼の瞳の奥に、勝利の確信と異様な興奮が渦巻いていた。「違うわ!」私がいくら否定しても、湊斗が揺らぐことはなかった。彼は勝手に床に散らばった野菜を拾い集めると、夕食の支度をするためにキッチンへと向かった。ドアの外には数人のボディガードが控え、逃げ場などどこにもなかった。私はただ娘を強く抱きしめたまま、針のむしろに座らされているような思いでソファに身を縮めていた。この子はまだ一歳を過ぎたばかりで、足取りもおぼつかないというのに。湊斗が強引に教え込んだせいで、「パパ」という言葉を覚えてしまっていた。娘の舌足らずな「パパ」という声を聞くたび、私の胸はひどく抉られた。私の世界が、再び絶望の灰色に塗り潰されてしまった。二年ぶりに見る湊斗の料理の腕は、落ちるどころか以前にも増して冴えわたっていた。あっという間に、完璧な一汁三菜が食卓に並ぶ。娘のために、わざわざ茶碗蒸しまで用意されていた。私は一口たりとも喉を通らなかった。湊斗はすっかり慈愛に満ちた父親の顔をして、娘に食事を口に運んでいる。しばらくして、彼はようやく私に視線を向けた。「もう俺たち二人だけの問題じゃないんだ。この子にまで、こんな惨めな思いをさせ続けるつもりか?」私は何も答えなかっ
湊斗の元を離れ、私は遠く離れた辺境の小さな街に身を寄せた。結城琴音という新しい名前と身分で、ここで新たな生活を始めていた。この先一生、湊斗と再会することなどないと思っていた。まさかある夏の昼下がり、私の働くショッピングモールに彼が姿を現すなんて。彼を目にした瞬間、幻覚かと思った。彼が真っ直ぐこちらへ歩み寄ってくるのを見て、私は我に返り、なりふり構わずその場から逃げ出した。モールの裏口で、ついに彼に捕まった。彼は取り憑かれたような形相で私を壁に押しつけ、しがみついて離そうとしない。「俺を……捨てるつもりか?」私は顔を伏せて答えた。「人違いよ!離して。じゃないと、警察呼ぶから!」湊斗は理性を失ったように叫んだ。「結希!丸二年だ……丸二年、君を捜し続けていたんだぞ!」込み上げてくるのは、反吐が出るほどの嫌悪感だけだった。「何?三年遊び倒して、今度は二年間の捜索ごっこ?あなたは随分とお暇なのね。それとも、私がこの世界のどこかで息をしていること自体、あなたたち姉弟には目障りなのかしら?私が一体何をしたっていうの?咲希が悠真を欲しがったから、私は綺麗さっぱり身を引いてあげた。それなのに、あなたたちは私に何をしたのよ?」二年間、無理やり凪かせていた感情が堰を切って溢れ出し、私は狂ったように湊斗の頬を何度も張り飛ばした。透き通るような彼の白い肌が、衝撃でみるみるうちに赤く腫れ上がっていく。私が感情をぶちまけ終わると、彼はひどく打ちひしがれた顔で私を見つめた。その瞳は濡れそぼっていた。「ごめん……俺の一生をかけて、君に償わせてくれないか?」償う……もし、真実を知ったあの瞬間に、彼がこうして頭を下げていたなら、私は彼の謝罪を受け入れていたかもしれない。けれど、彼は私を「ただの遊び相手」だと言い放ち、その口で私のことを「下賤な女」と蔑んだのだ。今更私が頷いたところで、彼は次の瞬間には仮面を剥ぎ取り、私の愚かさを嘲笑うに違いない。そう確信していた。事ここに至って、私はもう誰も信じない。彼を突き飛ばして逃げ出した。だが、彼はしつこく私の後ろを付いてくる。これでは仕事に戻ることも、ましてや家に帰ることもできない。家で待つ我が子の存在を彼に知られるわけにはいかないのだ。あの子を産んだ時、確かに私の胸の内にあったの
会社にいても、湊斗はどうにも心がざわついて落ち着かなかった。この街に来てからの三年間、彼は密かに小さな会社を買収し、社畜を装って毎日出勤するふりをし続けていた。結希はそのことを一切知らない。昼が近づく頃、彼は狂わんばかりの焦燥感に突き動かされ、そのまま会社を出て家へと引き返した。二十平米にも満たない狭苦しい格安アパートの部屋に、結希の姿はなかった。彼は血相を変え、部屋の隅々まで探し回った。クローゼットに服は残されたままだったが、ただ一つ、彼女の身分証明書だけが忽然と姿を消していた。何度かけても電源が入っていないという無機質なアナウンスが繰り返され、彼の心は音を立てて底なしの淵へと沈んでいく。ある最悪の予感が脳裏を過り、彼はすぐさま咲希に電話をかけた。通話が繋がるなり、彼は感情を抑えきれずに怒鳴りつけた。「お前か?結希に会ったのか!彼女に会って何をしたんだ、どこへやった!」咲希は不快感を露わにして声を荒らげた。「湊斗、正気なの?私はあなたの姉よ。あの下賤な女のために、私に声を荒らげる気?」湊斗はその言葉を遮った。「結希は一体どこにいるんだ?」「会ってなんてないわよ!私がわざわざあんな女に会いに行くわけないでしょ?悠真が彼女に未練たらたらだって分かってるのに、また関わりを持つなんて御免だわ!」咲希はさらに声を張り上げた。「そもそも、彼女が警察に泣きついて私に累が及ぶのを防ぐために、あなたが『お遊びで相手をしてやる』って言い出したんじゃない。何よ、本気にでもなったの?湊斗、いい加減にしなさい。あなたならどんな女だって選び放題でしょう?結希なんてただの傷物じゃない。彼女が凌辱されるところを、あなたもその目で直接見てたはずでしょ?」咲希の言葉が終わるのを待たずに、湊斗は一方的に電話を叩き切った。確かにその通りだ。三年前、結希を暴行した酔っ払いどもを差し向けたのは咲希だが、湊斗もその現場にいた。結希がその事実を知らないだけなのだ。激しい雨の中、死を待つばかりだった彼女の姿に、彼はどうしようもなく心を揺さぶられた。だからこそ、彼は彼女を救い出した。しかし、彼は最初から最後まで事の顛末をすべて知っていた。彼も決して無実ではなかった。最初は確かに咲希を守るための口実であり、ただの遊びのつもりだった。だが、三年
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