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第8話

Auteur: 霧島柳乃
梨央は、病床に横たわったまま、静かに彼を見つめていた。

彼の短い言葉のひとつひとつが、梨央の心と身体をずたずたに傷つけていく。

その痛みは、無数の矢となって全身に突き刺さるようで、身体の隅々までが悲鳴を上げた。

そして同時に、その痛みは彼を少しずつ、自分の世界から引き剥がしていく。

ふいに思い出したのは、十五歳のころのことだった。

盗みを働いたと濡れ衣を着せられ、突き飛ばされて足まで挫き、ひとり隠れて泣いていたあの日。

それを知った理玖は真っ先に駆けつけ、彼女の手を引いて相手のもとへ戻ると、相手が頭から血を流すほど容赦なく殴り倒した。

あのとき彼は梨央を抱きしめ、揺るぎない声で言った。

「誰かにいじめられたら、すぐ俺に言え。

俺が守ってやる」

梨央が不思議そうに尋ねたことがある。

「私が本当に盗ったとは思わないの?」

そのときも彼は、ためらいなく言い切った。

「思うわけないだろ。

たとえお前が本当に盗ってたとしても、他人にとやかく言われる筋合いはない。

誰にも、お前に指一本触れさせない」

そうして少年だった彼は、月明かりの下、彼女を背負って家まで連れて帰った。

あの頃、まっすぐに自分だけを守ると言ってくれた少年と、今、冷えきった声でチャラにしろと言い放つ男の姿が、目の前で重なって見えた。

あんなに優しかった彼と、どうして自分はこんなところまで来てしまったのだろう。

もしかしたら、自分が間違っていたのかもしれない。

欲張りすぎたのだ。

彼を完全に自分のものにしたいと願ったからこそ、永遠に失うことになったのかもしれない。

最初から、家族という場所にとどまっているべきだったのだ。

そうすれば、お互いを自由にしてあげられたのに。

梨央は理玖を見つめたまま、チャラにするかどうかには答えず、嗚咽をこらえるように言った。

「理玖……最後に一度だけでいいから……抱きしめてくれない?

……すごく痛いの」

たった一度でよかった。

幼いころみたいに、温かく抱きしめてもらって、それで終われるなら、それでよかった。

理玖の表情が、わずかに揺らぐ。

青白く弱々しい梨央の顔を見つめるその目に、一瞬だけ痛みをにじませて、彼は立ち上がった。

そしてそっと手を伸ばし、彼女を抱き起こそうとする。

だが、指先が首筋に触れ、身体をわずかに支えた、そのときだった。

病室の外から、悠月の悲鳴が響いた。

理玖は反射的に梨央から手を離し、そのまま病室の外へ駆け出していく。

梨央はベッドの上に戻るように倒れ込み、傷口が引きつり、顔が白くなるほど痛んだ。

思わず手を伸ばし、彼を引き留めようとしたけれど、指先をかすめたのは、離れていく服の裾だけだった。

――最後のぬくもりさえ、叶わない願いなのだ。

梨央は苦く笑い、脇に置かれていたスマホを手に取った。

そこに届いていたメッセージを見た瞬間、彼女の顔に、ふっと力の抜けたような安堵の色が浮かんだ。

届いていたのは、三通。

一通目はメールだった。

開いてみると、そこには悠月が海外でしてきたことが、細かく記されていた。

複数の男とだらしない関係を重ねていたことまで、すべて。

さらに添付されていたのは音声データだった。

海外で酒に酔った悠月が、誰かとの会話の中で自ら口にしたものだ。

「理玖、私が留学するのを認めなくて、結婚で縛ろうとしてきたのよ。

そんなの、受け入れるわけないじゃない。

海外には行きたい。

でも、あんな都合のいい男を手放すのも惜しかった。

だから薬を盛って、別の女と関係を持たせたの。

そうすれば、向こうから手を放すしかないでしょ。

男ってさ、後ろめたさを持ったら、こっちの言うこと何でも聞くようになるのよ。

あの人は私に悪いと思ってるから、あとで私が戻りたくなったら、ちょっと手を伸ばすだけでまた私のものになるんだから」

二通目はカレンダーの通知だった。

明日は、理玖の誕生日。

三通目は、出入国在留管理局からの通知だった。

申請はすでに通っていて、いつでも出国できる。

梨央はその日の便を取った。

痛みに耐えながら服を着替え、そのまま退院の手続きを済ませて家へ戻る。

そしてスーツケースを押して、飛行機に乗り込んだ。

機内モードに切り替える前、彼女は受け取ったそのメールを、午前零時に届くよう設定して理玖へ転送した。

【理玖、お誕生日おめでとう。

どうか幸せに】

これで、自分の潔白は彼に示せる。

そして彼には、自由を返せる。

梨央はようやく、手放すことを覚えたのだった。

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