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燃え尽きた恋の果てに

燃え尽きた恋の果てに

By:  霧島柳乃Completed
Language: Japanese
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「お義母さん。 三年の約束の期限が、もうすぐ終わるわ。 私、もう出ていく」 朝倉梨央(あさくら りお)は床に膝をつき、血の流れる手首を伏し目がちに見つめながら、苦さと寂しさの滲む声で言った。 電話の向こうの義母は、たちまち慌てた。 「梨央、理玖(りく)はあなたを愛していないわけじゃないの。 ただ、自分の気持ちに気づいていないだけよ。 もう一度、あの子に機会をあげて。 もう少し待ってあげられない?」 梨央は苦笑いを浮かべた。 「お義母さん。 私はこの三年、理玖の妻でありながら、ずっと彼に憎まれてきたわ。 もう、本当に疲れたの」 彼女は一瞬言葉をつぐまず、どうにか平静な口調で続けた。 「彼が愛している人も、もうすぐ帰国する。 私も、もう身を引くべきなのよ」

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Chapter 1

第1話

「お義母さん。三年の約束の期限が、もうすぐ終わるわ。

私、もう出ていく」

梨央は床に膝をつき、血の流れる手首を伏し目がちに見つめながら、苦さと寂しさの滲む声で言った。

電話の向こうの義母は、たちまち慌てた。

「梨央、理玖はあなたを愛していないわけじゃないの。

ただ、自分の気持ちに気づいていないだけよ。

もう一度、あの子に機会をあげて。

もう少し待ってあげられない?」

梨央は苦笑いを浮かべた。

「お義母さん。私はこの三年、理玖の妻でありながら、ずっと彼に憎まれてきたわ。

もう、本当に疲れたの」

彼女は一瞬言葉をつぐまず、どうにか平静な口調で続けた。

「彼が愛している人も、もうすぐ帰国する。

私も、もう身を引くべきなのよ」

義母の引き留める言葉は、その一言で力を失い、途切れた。

梨央が六歳のとき、両親は離婚し、それぞれ別の家庭を築いた。

けれど、どちらも梨央を重荷にしか思わず、引き取ろうとはしなかった。

そんな彼女を篠原家が引き取り、育ててくれたのが、心優しい義母の篠原志保子(しのはら しほこ)だった。

そして梨央は、同じ家で育った篠原理玖(しのはら りく)を好きになった。

三年前、理玖の誕生日。

彼は恋人だった水原悠月(みずはら ゆづき)にプロポーズするつもりでいた。

だがその日、理玖は何者かに薬を盛られ、梨央と同じ部屋に閉じ込められてしまう。

そこで二人は、過ちを犯したのだ。

その場を目撃した悠月は深く傷つき、翌日には国外へ去った。

そして志保子に迫られるまま、理玖は梨央と結婚した。

けれどその日から、彼は彼女を激しく憎むようになった。

梨央は立ち上がって部屋を出た。

隣の部屋の前を通りかかったとき、思わず足が止まった。

ドアの隙間から、女の甘ったるい声がかすかに漏れてきた。

「理玖、会いたい。まだ迎えに来てくれないの?

理玖、これ、私が選んだおそろいのアイコンなの。早く変えて。

やだ、これがいいの。子どもっぽいなんて言わないで。

私のこと、愛してる?どれくらい?

私が理玖を想ってる以上に、私をもっと愛してほしいの……

理玖……理玖……」

その艶めいた声に混じるように、男の荒い息遣いが聞こえた。

押し殺し、懸命に耐えるような熱を帯びた声で、彼は何度も女の名を呼んでいた。

「……悠月」

こういう場面を見てしまったのは、これが初めてではない。

それでも胸には、錐で抉られるような痛みが走り、目には涙が滲んだ。

男の声に滲む、ほかの女への想い。

それは蔓のように伸びて、少しずつ、彼女の中に残っていた愛を締め殺していく。

両親に見捨てられたことから、長く安心感を得られずにいた梨央は、人肌をとても恋しく思っていた。

しかもそれを和らげられるのは、理玖だけだった。

けれど彼は、あの日のことを梨央の企みだと思い込み、彼女に対してだけひどい潔癖症をこじらせるようになった。

結婚して三年。

彼は梨央を嫌い、憎み、無視し続けた。

結婚したその夜でさえ、そのまま飛行機に乗って海外へ渡り、悠月に会いに行ったほどだった。

この家でいちばん多い日用品は、消毒液だ。

うっかり梨央が使った物に触れてしまっただけでも、彼はすぐに消毒した。

元恋人の声を聞いて欲を紛らわせても、妻である彼女に指一本触れようとはしない。

そして梨央は、発作が起きるたびに、自分の肌を何度も傷つけるしかなかった。

痛みで意識をつなぎとめ、胸の奥で募る彼への渇望を、必死に抑え込むために。

本当は、理玖が悪いわけではない。

ただ、彼は彼女を愛していない――それだけなのだ。

梨央はドアの隙間越しに、欲情に沈んだ理玖の横顔を見つめ、かすかに呟いた。

「あと七日で、あなたは自由になれるわ」

自分が去ること。

それが、彼に贈る誕生日プレゼントだ。

今度こそ、きっと彼は喜ぶのだろう。

梨央は一睡もできないまま朝を迎え、翌朝、パスポートを手にして階下へ降りた。

担当の精神科医からは、生活環境を変えることが、この病気の回復には有効だと勧められていた。

彼女はもう行き先を決めている。

ラセア島に移り住むつもりだった。

玄関まで来たところで、ちょうど理玖も外出しようとしていた。
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第1話
「お義母さん。三年の約束の期限が、もうすぐ終わるわ。私、もう出ていく」梨央は床に膝をつき、血の流れる手首を伏し目がちに見つめながら、苦さと寂しさの滲む声で言った。電話の向こうの義母は、たちまち慌てた。「梨央、理玖はあなたを愛していないわけじゃないの。ただ、自分の気持ちに気づいていないだけよ。もう一度、あの子に機会をあげて。もう少し待ってあげられない?」梨央は苦笑いを浮かべた。「お義母さん。私はこの三年、理玖の妻でありながら、ずっと彼に憎まれてきたわ。もう、本当に疲れたの」彼女は一瞬言葉をつぐまず、どうにか平静な口調で続けた。「彼が愛している人も、もうすぐ帰国する。私も、もう身を引くべきなのよ」義母の引き留める言葉は、その一言で力を失い、途切れた。梨央が六歳のとき、両親は離婚し、それぞれ別の家庭を築いた。けれど、どちらも梨央を重荷にしか思わず、引き取ろうとはしなかった。そんな彼女を篠原家が引き取り、育ててくれたのが、心優しい義母の篠原志保子(しのはら しほこ)だった。そして梨央は、同じ家で育った篠原理玖(しのはら りく)を好きになった。三年前、理玖の誕生日。彼は恋人だった水原悠月(みずはら ゆづき)にプロポーズするつもりでいた。だがその日、理玖は何者かに薬を盛られ、梨央と同じ部屋に閉じ込められてしまう。そこで二人は、過ちを犯したのだ。その場を目撃した悠月は深く傷つき、翌日には国外へ去った。そして志保子に迫られるまま、理玖は梨央と結婚した。けれどその日から、彼は彼女を激しく憎むようになった。梨央は立ち上がって部屋を出た。隣の部屋の前を通りかかったとき、思わず足が止まった。ドアの隙間から、女の甘ったるい声がかすかに漏れてきた。「理玖、会いたい。まだ迎えに来てくれないの?理玖、これ、私が選んだおそろいのアイコンなの。早く変えて。やだ、これがいいの。子どもっぽいなんて言わないで。私のこと、愛してる?どれくらい?私が理玖を想ってる以上に、私をもっと愛してほしいの……理玖……理玖……」その艶めいた声に混じるように、男の荒い息遣いが聞こえた。押し殺し、懸命に耐えるような熱を帯びた声で、彼は何度も女の名を呼んでいた。「……悠月」こうい
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第2話
彼は黒のスーツに身を包み、襟元をわずかに開けたまま、ゆっくりと袖を直していた。端整な顔立ちは、相変わらず冷たく近寄りがたい。ふと視界の端に彼女の姿が入ると、切れ長の目をわずかに上げ、その鋭い眼差しが、血の気が失った彼女の顔の上で一瞬止まった。二人が玄関先まで来て距離が近づくと、理玖は彼女の身体から、かすかに血と薬の匂いがするのに気づいた。彼の表情がわずかに変わる。「怪我でもしたのか?」梨央の手首の傷は、すでに手当てをして薬も塗ってあり、そのうえ長袖まで着て隠していた。そう聞かれて、彼女はとっさに手を背中に隠した。「してないわよ」理玖はそれ以上その匂いを感じ取れず、気のせいだったのだろうと思った。よほど機嫌がよかったのか、その日は珍しく自分から口を開いた。「どこへ行くんだ。送るよ」梨央が断る間もなく、彼は早足で先に歩き出していた。梨央は黙ってそのあとについていき、車に乗り込んでから小さな声で言った。「出入国在留管理局まで」彼女はバッグの持ち手をぎゅっと握りしめ、隠しきれない期待を胸に彼を見つめた。けれど理玖は何も聞かず、ただ目を伏せて行き先を入力しただけだった。梨央の瞳に浮かんだ期待は、行き場を失った。ほっとした気持ちと、失望と、どちらが大きいのか自分でもわからなかった。彼は彼女がどこへ行こうと、少しも気にかけていないのだ。車は管理局へ向かって走り出した。梨央は顔を横に向け、彼を見つめる。骨格の整ったその横顔は、息をのむほど端正だった。彼女はためらいがちに口を開いた。「理玖。実は三年前、私たち……」そのとき、彼のスマホが突然鳴った。彼は画面をひと目見るなり、すぐに電話に出た。声は驚くほどやさしい。「もう着いたのか?待ってて。すぐ行く」梨央は表示された画面を見た。悠月からの着信だとわかっていた。理玖が口を開くより先に、彼女は空気を読んで自分から言った。「用事があるなら先に行って。私は自分でタクシーを呼んで、管理局に行くから」理玖は彼女をひと目見て、やがて路肩にゆっくり車を寄せた。梨央がドアノブに手をかけたとき、彼がふいに尋ねる。「さっき、何を言いかけたんだ?」梨央は首を横に振った。「ううん、何でもない。先に行って」彼
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第3話
理玖は、梨央の視線に気づいたように、不意に顔を上げてこちらを見た。二人の視線がぶつかる。彼は目を細めた。梨央は胸がざわつき、もう見ていられず、慌てて背を向けてその場を離れた。本当は、聞く必要もない言葉だった。答えなんて、最初から決まっていたのだから。店を飛び出して、外に出たところで、いつの間にか雨がしとしと降り始めていることに気づいた。振り返れば、理玖たちと鉢合わせしかねない。ほんの数秒ためらった末、彼女はそのまま雨の中へ飛び込んだ。あっという間に全身がずぶ濡れになる。降りしきる雨を見上げながら、理玖が悠月へ向けていたあの優しい眼差しを思い出し、胸が痛んで身体の芯まで震えた。篠原家に引き取られたばかりのころ、梨央はまだ六歳だった。幼かったけれど、もう十分すぎるほど物わかりがよく、人の家に身を寄せて生きるしかないこともわかっていた。志保子にからかわれれば、彼女もつられてぎこちなく笑った。明るく元気でいてほしいと望まれれば、人前では懸命にそう振る舞った。そうしなければ、恥をかかせてしまう気がしたからだ。転んでも泣けなかった。つらい思いをしても、わがままひとつ言えなかった。いつか志保子にも見捨てられるのが、怖かったから。そんな彼女の気持ちに、最初に気づいてくれたのが理玖だった。彼はそっと彼女の手を取ってくれた。「梨央、怖がらなくていい。今日から俺がお前の家族だから。俺がいる。絶対に、お前をひとりにはしない」「なんでこんなところで一人で泣いてるんだ?うちの梨央をいじめたのは誰だ。言ってみろ、俺が仕返ししてやる」「ちゃんと手をつないでいろ。俺は絶対に、お前を置いていかない」彼を愛していると気づいたときには、もう彼には悠月がいた。彼たち二人の関係を壊したくなくて、梨央は必死に距離を取ろうとした。けれど理玖は彼女の様子がおかしいことに気づき、あの手この手で機嫌を取ろうとした。そのたびに、彼が気を遣って自分をなだめようとする姿を見るのがつらくて、梨央はとうとう、想いを口にしてしまった。あのとき理玖が見せた、驚きに満ちた表情を、彼女は今でも忘れられない。翌日の彼の誕生日。梨央はこっそり誕生日パーティーへ向かった。本当は贈り物だけ置いて帰るつもりだ
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第4話
結婚後、志保子の勧めで、梨央は理玖の住むこの邸宅に移り住んだ。けれど、彼が梨央の部屋に足を踏み入れたことは、一度もない。彼女が買ったものには見向きもせず、使うなどもちろんありえなかった。食器ですら、彼のものと一緒に置くことは許されなかった。同じ家で三年を過ごしても、梨央はずっと、目に見えない境界線のこちら側に閉じ込められたままだ。彼の心に踏み込むことなど、ついに一度もできなかった。その一方で、悠月は三年前にこの家を去ったあとも、変わらず彼の心のいちばん大切な場所にいた。梨央は無意識のうちに手首の傷を触っていた。指先が血で滲んでいることに気づいて、ようやく我に返り、逃げるように自分の部屋へ戻る。ドアに鍵をかけると、そのまま扉にもたれ、力なく床に座り込んで、スマホを開いた。待ち受けは、三年前に理玖と一緒に撮った写真のままだった。あの頃は、まだ嫌われていなかった。肩を並べて写真に収まった彼の目には、たしかにやわらかな笑みが浮かんでいた。梨央は震える手を伸ばし、画面の中の理玖の顔にそっと指先当てた。十六で恋を知り、二十六になった今まで。この十年で、彼女は恋の甘さも苦さも、ひととおり味わい尽くしてきた。ぽたり、と涙が画面に落ちる。梨央は声を震わせながら、かすかにつぶやいた。「理玖……もう、あなたを好きでいるのはやめるわ」震える指で待ち受けを変え、スマホの中に大切に残していた彼の写真も、ひとつ残らず削除していく。長く胸の奥に抱え込んできた想いを、無理やり引き剥がすようにして、少しずつ捨てていった。昼間に雨に打たれたうえに、気持ちも張りつめていたせいで、その夜、梨央は熱を出した。意識はぼんやりとかすみ、布団にくるまったまま、無意識に「理玖」と呼んでいた。熱と脱水症状で喉はからからに渇き、身体にも力が入らない。それでもどうにか起き上がり、解熱剤を飲もうと階下へ向かった。部屋を出たところで、隣で悠月が使っている部屋から明かりが漏れているのが見えた。悠月は理玖の首に腕を巻きつけ、しなやかな身体を彼の胸に預けていた。甘くやわらかな声が、夜気に溶ける。「理玖、この三年、毎日あなたのことを考えてたわ。三年前のことがあなたのせいじゃないって、ちゃんとわかってる。あのとき意地を
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第5話
「梨央、それ……?」梨央は腕の中の箱を抱きしめたまま答えた。「もう要らないものよ。捨ててくるわ」悠月はにこにこと笑った。「どうせ捨てるなら、ちょうど私の部屋に収納箱がひとつ欲しかったの。中身はこっちで捨てるから、その箱、もらってもいい?」そう言って手を伸ばしてきた。梨央は慌ててその手を避けた。緊張のせいで、声が少し固くなる。「結構よ」差し出した手が宙に浮き、空気が気まずく張りつめた。理玖は箱に目をやり、そのまま冷えた視線を向ける。「それ、もう古いだろ。あとで新しいのをいくつか持ってこさせるよ」それでようやく悠月もまた笑みを浮かべ、今度は明るい声で梨央を声をかけた。「梨央、明日、友達を何人か呼んで家で食事するの。あなたも一緒に、食べましょう?」その口ぶりは自然で、まるでこの家の主人のようだった。梨央は唇を噛み、どう断ろうか迷った。すると理玖が口を開いた。「悠月は帰国したばかりだ。お前も手伝ってやれ」「……わかったわ」三年前のことは、たとえ自分の仕業ではなかったとしても、結果として悠月を傷つけたのは事実だ。あまりに冷たく突き放すことはできなかった。梨央は結局うなずき、うつむいたまま箱を抱えて外へ出ると、ゴミ捨て場へ向かった。その背中に注がれていた悠月の含みのある視線には、まるで気づかなかった。気づけば翌日になっていた。悠月が招いた友人は多く、二十人を優に超えていた。梨央は朝早くから起きて手伝いに回ったが、悠月はこの家の主人のような顔で、彼女や使用人たちに次々と指図した。使用人たちは何度か口を開きかけたものの、理玖が何も言わずに許しているのを見て、梨央も黙っている以上、最後にはため息をついて引き下がるしかなかった。宴が始まってから、梨央も付き合いで二杯ほど口をつけた。だがほどなくして、身体に妙な違和感が走る。理玖は悠月とその友人たちに囲まれ、談笑しながら接待に追われていた。梨央の胸に、ふいに嫌な予感がよぎる。彼女は足早に部屋へ向かった。けれど、身体の異変はみるみるはっきりしていった。下腹の奥に、理由のわからない熱がこみ上げてくる。全身から力が抜け、脚まで頼りなくなる。頬は赤く染まり、こめかみには細かな汗が浮かび始め
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第6話
梨央は地面に叩きつけられ、右脚に刺すような激痛が走った。目の前が真っ暗になり、そのまま意識を失う。次に目を覚ましたときには、もう病室の中だった。ベッドの脇には理玖が座っていた。彼は彼女を見下ろしながら、冷えた声に複雑な色を滲ませる。「梨央、お前はそんなに欲求不満だったのか?」梨央の顔から、みるみる血の気が引いていった。理玖の目つきはさらに冷たくなる。「それとも、ああいうことをしてでも悠月の宴会をぶち壊したかったのか?あんな汚いやり方で、自分の立場を誇示したかったのか?」彼の瞳に浮かぶ冷たさと嫌悪を見ているうちに、どんな言い訳も口にする気力を失っていく。「違う……私は……」けれど理玖は、三年前と同じように、やはり彼女の言葉を信じなかった。ただ低く言う。「梨央、お前はどうして、こんなふうになったんだ」梨央は虚ろな目で彼を見た。「私が、どんなふうになったっていうの?腹の底で何を考えてるかわからない女?手段を選ばない女?恥も外聞もない女?」理玖の目には失望が浮かび、そのまま立ち上がった。「悠月はお前に刺激されて、うつがぶり返した。泣いて、そのまま気を失った。だが、目を覚まして最初に、お前のことを心配してた。あとでちゃんと、本人に謝れ」遠ざかっていくその背中を見つめながら、梨央は苦しそうに目を閉じた。薬の効き目が切れるにつれ、意識も少しずつはっきりしてくる。そしてようやく、自分が誰かに薬を盛られたのだと気づいた。恥をかかせるために。理玖に、もっと嫌われるよう仕向けるために。梨央の脳裏に、悠月の顔がよぎる。三年前、自分と理玖があの夜を迎えてしまったときも、誰もが梨央を責めた。計算高い女だと。悠月を裏切ったのだと。潔白を証明したくて、梨央は必死に黒幕を探した。たったひとつだけ辿り着いた手がかりが、悠月だった。けれどあのときの彼女は、どこかで何かが食い違っているのだと思っただけで、まさか本当に彼女だとは考えもしなかった。だって理玖はあれほど彼女を愛していて、妻に迎えるつもりでいたのだから。しかも悠月は、あの出来事のあと深く傷つき、被害者として国外へ去っていった。自分の恋人を、ほかの女と同じベッドに送り込むような真似をする人間が、
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第7話
理玖と悠月は、その声に振り向いた。悠月はたちまち顔色を失い、悲鳴を上げる。「いやっ!」「悠月!」梨央が理玖の前に駆け込んだ、その瞬間だった。彼は反射的に、悠月を自分の背後へと引き寄せた。だが、取り乱した悠月は、理玖をかばおうとして最前列に立った梨央を、思わず突き飛ばしてしまった。もともと右足を傷めていた梨央は、とても踏ん張れなかった。身体は大きくよろめき、そのまま狂気に駆られた男の足元へ倒れ込む。梨央は目を見開き、信じられない思いで悠月を見た。だが次の瞬間、男は果物ナイフを握りしめ、ためらいなく彼女の背中へ突き立てた。鈍い音とともに、刃が深く沈む。まるで身体を真っ二つに裂かれたような痛みに、梨央は悲鳴を上げた。それでも男はナイフを引き抜き、さらにもう一度振り下ろそうとする。そのとき、理玖が飛び出した。鋭い蹴りが男を吹き飛ばし、手からナイフが離れる。男は床に叩きつけられた瞬間、すぐさま数人がかりで取り押さえられた。梨央は痛みに全身を震わせ、意識ももう朦朧としていた。それでも、視界の端に映った。理玖が慌てた様子で彼女のそばに膝をつき、背中の傷口を強く押さえていた。その目には、焦りと心配が滲み、声まで震えていた。「梨央……大丈夫だ。怖がるな。何ともない、絶対に何ともないから……」ああ、もう自分は死ぬのだろう。だからこんな幻まで見えるのだ。理玖が自分をあれほど憎んでいるのに、心配するはずがない。まして、彼が自分のために涙を流すなんて。彼女の血が、彼の掌いっぱいに広がっていく。意識を失う直前、梨央の頭に浮かんだのは、ただひとつだけだった。――また、汚してしまったと嫌がられるんだろうな。まさか病院を出る前に、もう一度自分が救命室へ運ばれることになるなんて、梨央は思ってもみなかった。再び目を覚ましたとき、彼女はまた、さっきまでいたあの病室に戻っていた。耳元が騒がしい。ゆっくり目を開けると、ちょうど悠月が傍らで泣いているところだった。「ごめんなさい……本当に、わざとじゃなかったの。あのときは怖くて、何が何だかわからなくて……まさか梨央がこんな大怪我をするなんて思ってなかった。こんなことになるなら、いっそ怪我をしたのが私だったらよかっ
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第8話
梨央は、病床に横たわったまま、静かに彼を見つめていた。彼の短い言葉のひとつひとつが、梨央の心と身体をずたずたに傷つけていく。その痛みは、無数の矢となって全身に突き刺さるようで、身体の隅々までが悲鳴を上げた。そして同時に、その痛みは彼を少しずつ、自分の世界から引き剥がしていく。ふいに思い出したのは、十五歳のころのことだった。盗みを働いたと濡れ衣を着せられ、突き飛ばされて足まで挫き、ひとり隠れて泣いていたあの日。それを知った理玖は真っ先に駆けつけ、彼女の手を引いて相手のもとへ戻ると、相手が頭から血を流すほど容赦なく殴り倒した。あのとき彼は梨央を抱きしめ、揺るぎない声で言った。「誰かにいじめられたら、すぐ俺に言え。俺が守ってやる」梨央が不思議そうに尋ねたことがある。「私が本当に盗ったとは思わないの?」そのときも彼は、ためらいなく言い切った。「思うわけないだろ。たとえお前が本当に盗ってたとしても、他人にとやかく言われる筋合いはない。誰にも、お前に指一本触れさせない」そうして少年だった彼は、月明かりの下、彼女を背負って家まで連れて帰った。あの頃、まっすぐに自分だけを守ると言ってくれた少年と、今、冷えきった声でチャラにしろと言い放つ男の姿が、目の前で重なって見えた。あんなに優しかった彼と、どうして自分はこんなところまで来てしまったのだろう。もしかしたら、自分が間違っていたのかもしれない。欲張りすぎたのだ。彼を完全に自分のものにしたいと願ったからこそ、永遠に失うことになったのかもしれない。最初から、家族という場所にとどまっているべきだったのだ。そうすれば、お互いを自由にしてあげられたのに。梨央は理玖を見つめたまま、チャラにするかどうかには答えず、嗚咽をこらえるように言った。「理玖……最後に一度だけでいいから……抱きしめてくれない?……すごく痛いの」たった一度でよかった。幼いころみたいに、温かく抱きしめてもらって、それで終われるなら、それでよかった。理玖の表情が、わずかに揺らぐ。青白く弱々しい梨央の顔を見つめるその目に、一瞬だけ痛みをにじませて、彼は立ち上がった。そしてそっと手を伸ばし、彼女を抱き起こそうとする。だが、指先が首筋に触れ、身体をわずかに支えた
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第9話
理玖が病室を飛び出すと、そこで初めて、悠月がただ転んで足をひねっただけだとわかった。このところ悠月は、こうした小細工で彼の気を引こうとすることが、一度や二度ではなかった。今回もきっと、彼がもう少しで梨央を抱きしめそうになったのを見て、わざとやったのだろう。あまりにもあからさまだ。胸の奥にかすかによぎった不快感を押し込み、彼は悠月を支え起した。「大丈夫か?」悠月は目を赤くしたまま、小さく首を振る。うつむきながら、おずおずと彼の袖をつかんだ。「理玖、私、本当にわざとじゃなかったの。信じて……」理玖は、信じるとも信じないとも言わず、ただ静かに口を開いた。「ひとまず帰れ。梨央も今は気が立ってる。お前を狙ってやったわけじゃない」悠月は、彼の目の奥に冷えた色を見て取ると、指先を掌に食い込ませた。悔しさを押し隠すようにうなずき、身を翻して立ち去ろうとする。だが、一歩踏み出した途端、身体がぐらりと傾いた。「きゃっ……」床に倒れ込む前に、腕をつかまれる。悠月は慌てて身を離しながら、震える声で言った。「ごめんなさい……ちょっと、うまく立てなくて……私……」言葉と一緒に涙が次々とこぼれ落ち、その姿はいかにもか弱く痛々しい。理玖はそんな彼女を見下ろし、かすかに息をつくと、そのまま腰をかがめて抱き上げた。「ひとまず足を診てもらおう」悠月は唇を噛み、彼を見上げたまましばらく視線を重ねる。そして、そのまま彼の胸に身を預けた。「理玖……足、すごく痛い……」「ああ」短く応じて、理玖は彼女を抱いたまま整形外科へ向かった。検査の最中、彼はスマホを取り出して画面を見る。病室を出てからというもの、梨央からは何の連絡も入っていなかった。結婚してから、ずっとそうだった。昔のように、他愛もないことを次々と送ってくることはなくなった。たまに届くとしても、「今日は帰ってくる?」とか、「お義母さんが実家で食事をって言ってる」とか、そんな慎重な文面ばかりだった。たまに彼が早く帰宅すると、彼女がひとりでソファに座ったまま、ぼんやりしていることもあった。彼女の目は、もう昔みたいにまっすぐ彼だけを追ってはいなかった。帰ってきた彼に飛びついて、何を買ってきてくれたのかと嬉しそうにせがむこ
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第10話
理玖は病室の中を見回したが、どこにも梨央の姿はなかった。思わず病室に付属したシャワールームまで確かめに行ったが、そこにもいない。胸の奥がざわつき、得体の知れない焦りが込み上げる。彼は足早に病室を出ると、目に入った看護師に声をかけた。「すみません、VIP003号室の患者はどこへ行きましたか?検査にでも行っているんですか?」看護師はカルテを確認し、それから答えた。「朝倉梨央さんですか?もう退院されましたよ」理玖の表情が変わる。「そんなはずないです。あれだけの怪我をして、退院できる状態じゃないだろう」看護師は困ったように眉を下げた。「そうなんですけどね。主治医も、少なくともあと三日は入院して様子を見たほうがいいって止めたんです。でも、ご本人がどうしてもっておっしゃって……私たちにも引き止めきれませんでした」梨央の無茶な行動に、理玖の目に怒りが滲む。あの状態で退院するなんて、何を考えているんだ。外へ出てすぐ、道端で倒れていてもおかしくない。彼はすぐにスマホを取り出した。さっき送ったメッセージには、やはり返信がない。今度は直接、彼女に電話をかける。だが、呼び出し音すら鳴らず、電源が切れているという案内が流れた。理玖の焦りは一気に強まった。病院の中を探し回りながら、彼は同時に悠月へ電話をかける。着信を見た悠月は、声を弾ませた。「理玖?どうしたの、私に会いたくなった?」だが理玖は、その言葉をまるで聞いていないように切り捨てる。「梨央は家に戻ってるか?」悠月は驚いたふりをした。「え?戻ってないけど。だって、まだ入院中なんじゃないの?」口ではそう言いながら、胸の奥では抑えきれない歓喜が膨らんでいた。もしかして――いなくなったの?だが、その問いに返事はなかった。理玖は何も答えず、そのまま通話を切った。悠月の顔が一瞬、醜く歪む。けれど次の瞬間には、満足そうな笑みが浮かんでいた。梨央がいなくなったなんて、これ以上ない朗報だ。どうせなら、そのままどこかで死んでいてくれればいい。理玖は、梨央が家にも戻っていないと知り、いっそう不安を募らせた。人を連れて病院の内外をくまなく探し回り、その足で病院の出入口の監視カメラ映像も確認した。
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