Mag-log in「じいちゃん!
婚約者って、どういうことだよ!」 帰宅するなり、僕は祖父の部屋に突撃した。 ちょうどお茶を飲んでいた祖父は、思いきりむせる。 「な、なんでその話を……!」 明らかに動揺している。 「今日、狗飼来人っていう 超・俺様クソ男が、学園に来たんだよ!」 怒りに任せて言うと、祖父は目を見開いた。 「なに!? 春馬、何もされなかったか!」 「されたに決まってるだろ! いきなりキスされたんだ!」 「なんじゃと!? うちの可愛い春馬に……チッスじゃと!?」 「いや、じいちゃん。 チッスじゃなくて、キスな」 驚きすぎたのか、祖父は入れ歯を飛ばしかけながら叫んだ。 「何なんだよ、あのクソ男……」 吐き捨てるように呟いた僕に、 「あらあら、春馬。 言葉が男言葉になってるわよ」 そう言って、母さんがひょいと顔を出す。 「また熱が出ても、知らないからね?」 どこが心配してる態度だ。 「それでね、その“クソ男”なら…… 今、離れの応接室でお待ちよ」 母さんの言葉に、祖父が深く溜め息をついた。 「約束は、春馬が学園を卒業してからのはずだったがな……」 そう言って立ち上がる。 「春馬、制服姿はまずい。 着替えてから、離れに来なさい」 じいちゃんはそう言い残し、部屋を出て行った。 渋々、自室へ向かおうとすると、母さんがこそこそ声を落とす。 「ねぇ春ちゃん。 やっぱり、狗飼家の人って嫌な感じ?」 「……は?」 意味が分からず見返すと、母さんはにっこり笑って言った。 「実はね、ママが本当は 嫁がされる予定だったのよ、狗飼家に」 「え……?」 「でもね、怖くて嫌でさ。 だから春ちゃんのパパと、駆け落ちしちゃった♡」 ……さらっと爆弾を投下しないでほしい。 「じゃあ何。 僕が母さんの尻拭いってこと?」 「え~? 春ちゃん、ママが可哀想じゃなかったの?」 「じゃあ母さん。 僕は可哀想じゃないわけ?」 しかも、性別詐称までしてるんだけど。 「大丈夫よ。 女子校に三年間、完璧に通えたじゃない」 両手を合わせて、小首を傾げる母さん。 「それに春ちゃん、 パパとママの良いとこ取りで、顔は超かわいいし♡」 ……神様。 なぜ僕は、 こんな母親から生まれてしまったのでしょうか? 自分の人生を、 心の底から恨まずにはいられない夜だった。外では冬の花火が、美しく夜空に咲いていた。夜の帳が静かに部屋を包み込み、人には言えない関係にある私たちを、そっと隠してくれている。窓の外では、様々な色に彩られた花火が次々と打ち上がっていた。夜空に広がる光が、静かなホテルの部屋の窓ガラスにも淡く映り込んでいる。その光景を並んで見つめている私の手に、彼の大きな手がそっと重なった。お互いの薬指にはめられた、デザインの違うプラチナの指輪。私たちは無言のまま、それを外し合う。それが、私たちの決まり事だった。ベッドサイドのテーブルには、彼が外した私の指輪が、静かに重ねて置かれている。黙ったまま窓の外を見つめていた私の頬に、彼の温かく大きな手がそっと触れた。まるで外の景色を忘れさせるかのように、彼の手が私の顔をゆっくりと彼の方へ向ける。もう……今日が最後。そう思うと、胸の奥が静かに締め付けられた。零してはいけない涙を瞼の奥に押し込み、私はゆっくりと瞳を閉じる。閉じた瞼の向こうで、一際大きな打ち上げ花火が夜空を彩ったのだろう。窓の向こう側から差し込んだ光が、閉じた瞼の裏を淡く染めた。その瞬間、光を遮る影が落ちる。そして、彼の温かく柔らかな唇が触れた。次の瞬間、私は静かにベッドへと押し倒されていた──。
「ライト」「わん!」明るい笑い声が聞こえる。「来人、ライトのご飯早く」「分かってるよ。ほら、ライト、待て」ライトと名付けられた犬が、尻尾を振りながら大人しく待っている。「来人! 早く、良ししてあげなよ」「春馬、世の厳しさをライトにも教えないとな」「ライト、良し!」「あぁ! 春馬!」二人の楽しそうな声が響いた。ライトは勢いよくご飯に飛びつき、尻尾を大きく振っている。そんな様子を見て、春馬が嬉しそうに笑った。その笑顔を見つめながら、来人も穏やかに微笑んでいる。……幸せそうな笑顔。あそこは、ちょっと前まで僕の場所だった。胸の奥が、じくりと痛む。許さない。僕から居場所を奪った猫柳春馬も。僕を裏切った来人も。「きみ、大丈夫?」幼かったあの日。僕に差し出された、優しい手。泣いていた僕に、何の躊躇もなく差し伸べられた温かな手。それだけを支えに、僕はここまで生きてきた。……来人は、きっと覚えていないんだろう。ダークグレーのフードを目深に被る。あの日──呪詛を浄化された時、僕の右腕には火傷の跡のような痣が残った。その痣が、じくりと痛む。この傷が疼く度、僕の憎しみは蘇る。精々……今は幸せを噛み締めているがいい。その笑顔が、いつまで続くか。僕は気配を消すと、再び人混みの中へと姿を隠した。
「春馬、これでも飲んで落ち着け」 来人はそう言って、はちみつホットミルクを差し出した。 僕はそれを受け取り、ゆっくりと口に含む。 少し甘いホットミルクに、ほっと息を吐いた。 「ありがとう」隣に座る来人に凭れると、肩を抱き寄せられる。 「何があった?」そう聞かれて、身体がびくりと震えた。正直、竜ヶ峰の話をするのは怖い。まだ来人の中に竜ヶ峰がいたら……そう思うと、身が縮む。それでも、安心させるように肩を抱いてくれる来人を──信じたい気持ちもあった。マグカップを包む手に、力がこもる。僕は意を決して来人を見上げた。 「来人……あの垣根の向こうに、竜ヶ峰がいた」その瞬間、来人の身体がビクリと強ばる。そして立ち上がると、そのまま外へ飛び出した。 「来人!」制止する間もなく、来人は外へ走り出し、辺りを見回していた。僕は急に消えた来人の温もりを求めるように手を宙へ伸ばす。制止しようと差し出した手を、ゆっくりと下ろした。俯いていると、玄関のドアが開閉し、施錠する音が響く。ぺたぺたと素足の足音が近づき、僕の隣で止まった。ギシッとソファーが沈む音と同時に、頭ごと抱き締められる。 (え……?)驚く僕に、来人が言った。 「なんつー顔してんだよ。俺が祐希のところに行くとでも思ってるのか?」少し呆れた声だった。 「さっき見に行ったのはな、春馬の呼吸が止まったのが祐希のせいなら捕まえなきゃと思っただけだ。他に理由なんてねぇよ」その言葉に、僕はゆっくりと顔を上げる。来人は僕の首に腕を回し、額をコツンと当てた。 「そんなに傷付けてたんだな。ごめん」そして静かに言った。 「でもな、春馬。俺が愛してるのは、お前だけだよ」真っ直ぐ見つめられて、そう言われる。もう一度抱き締
明け方、悪夢で目が覚めた。僕を抱き締めて眠る来人の腕からそっとすり抜け、ガウンを羽織ってリビングへ向かう。ライトはいつもの場所で、大人しく眠っている。冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、グラスに注いでソファーに腰掛けた。「はぁ……」あの日から、悪夢を見る回数が増えた。それはいつも、来人が竜ヶ峰の手を取り、僕から離れていく夢。走っても、走っても追いつかない。手を伸ばしても届かない。『来人、待って! 行かないで!』叫んでも……声は届かない。いつも、そこで目が覚める。ソファーの背もたれに身体を預け、手の甲で瞼を覆った。あの日、フードを被った男を見てから、もう半年が過ぎた。それでも……胸の奥で、不安が渦を巻いている。その時、腰のあたりに温かい感触が触れた。見下ろすと、ライトが僕の隣に来て座っている。「ごめん、ライト。起こしちゃった?」そっと頭を撫でると、ライトは幸せそうに目を細めた。薄暗い室内の窓の外には、月明かりに照らされた小さな庭。穏やかで、幸せな日々。来人が愛してくれている実感はある。それでも……。僕の中で、春菜だった頃に受けた傷は、まだ癒えていないのだと――思い知らされる。竜ヶ峰は、本当に綺麗な人だった。それに比べて……僕は、ちんちくりんだ。番だから――来人に選ばれただけ。ふと、そんな思いが頭をよぎり、僕は小さく首を振った。「くぅ~ん」ライトが心配そうに鼻を鳴らすと、僕の頬をぺろりと舐めた。「あはは、ライト。くすぐったいよ」その時、リビングの明かりが灯った。「春馬、どうした?」隣にいない僕を心配したのだろう。お揃いのガウンを羽織った来人が立っていた。「あ……ごめんね。ちょっと夢見が悪くて」苦笑いを浮かべると、来人はライトの反対側に腰掛け、僕を抱き寄せた。「大丈夫だ。俺が傍にいる」「来人……」見つめ合い、唇が重なる。それを見届けたライトは、静かに自分のクッションへ戻っていった。唇が首筋を辿り、ガウンの合わせから手が差し込まれる。「来人、ちょっと待って……」「待たない。安心しろ、悪夢なんか見せないようにしてやる」そう囁かれ、「待って……明るい部屋は、恥ずかしいよ……」頬を染めて呟くと、来人は天を仰いだ。リモコンを手に取り、部屋の明かりを落とす。そしてガウンの紐を解き、前を
「春馬、ちゃんとご飯食べてる?」「食べてるよ!」「まぁ、この態度! 来人君、甘やかしてない?」「春馬はよくしてくれていますよ、お義母さん」「まぁ、来人君って本当に良い子」和やかに話す二人。母さんと狗飼家のご当主が結婚してから、毎月一度、家族揃って食事をするようになった。最初こそ、ご当主は居心地が悪そうにしていたが、今ではこんなやり取りを穏やかに見守っている。「春馬君は、不便なことはないか?」ふいに話しかけられ、「はい、大丈夫です」思わず背筋を伸ばしてしまう。「春馬……まだ慣れないのかよ」呆れ顔の来人に、(お前が馴染みすぎなんだよ!)と、心の中で毒づきながら、必死に作り笑いを浮かべる。……ご当主には、春菜が僕だということを母さんから話してもらった。どう話したのかは知らないが、ご当主は安心した顔をして涙したらしい。そして、来人がかなり強引に話を進めたことも伝えたらしく、ご当主は頭を抱えていたという。でも母さんが、「今は春馬が一緒にいるから、大丈夫よ」と言い切ったらしい。(何が大丈夫なんだろう?)そんなこんなで、僕たちは穏やかな日常を過ごしていた。「ライトも、春馬をよろしくね」「ワン!」母さんの言葉に、ライトが尻尾を振りながら元気よく吠えた。猫柳家の当主だった母さんには、予知の能力がある。はっきり見える時もあれば、断片的に見えることもあるらしい。でも母さんは、そのことを本人に決して伝えない。母さん曰く、「未来は変えられるから、余計な不安を与えたくないの」らしい。……けれど、僕は多分、面倒くさいだけだと思っている。でもこの後、母さんのこの言葉の意味を知ることになるなんて――この時の僕は、まだ想像もしていなかった。
「え? どういうこと?」事情が掴めず、来人と顔を見合わせたその時──インターフォンが鳴った。慌てて玄関へ向かうと、「はぁ~い、春馬」母さんが手を振って立っていた。その隣には、なぜか狗飼家のご当主様。「お、親父?」驚く来人に、ご当主様は気まずそうに頭をかきながら、「やぁ……げ、元気そうだな」と、どこか照れくさそうに言う。……なんだ、この甘酸っぱい空気は。「と、とりあえず中へ」二人を招き入れると、相変わらず自由な母さんと、落ち着かない様子のご当主様。お茶を用意しながら様子を窺っていると、来人が隣に来て小声で呟いた。「親父も、ようやく新しい幸せを手に入れたみたいだな」「え?」「え?って……」顔を見合わせる僕たち。すると、「あらあら。本当に仲良しなのね」ソファに座った母さんが、生暖かい視線を向けてきた。なんでそこで僕らを見るんだ。お茶と菓子を並べ、向かい合って座る。その時、母さんがご当主様を見上げた。優しく、自然に。……ああ。親の恋愛って、こんなにもむずがゆいものなのか。「あー、なんだ。その……実はな」ご当主様が咳払いをして、「咲月さんと再婚することになった」僕は思わず仰け反りそうになった。「さ、再婚!?」「そうなの。それでね、亮二さんの奥様と、春馬のパパのお墓参りに行ってきたの」自然に握り合う二人の手。それが、すべてを語っていた。「いつから?」来人が落ち着いた声で尋ねる。「来人君が病院に運ばれた日。本当に久しぶりに再会したの。不思議ね。止まっていた時間が、また動き出したみたいで」母さんの言葉に、来人が小さく微笑んだ。「そっか……。母さんは俺を産むために父さんと出会った。俺と春馬を出会わせるために」そう言って、僕の手を握る。僕も、その手を握り返した。温かい空気が流れる。……けど。僕は目を細めた。「で? だからって、みんなを心配させていい理由にはならないよね?」母さんを睨む。「あら? 春馬、怒ってる?」「当然だろ。今どれだけ大変な時か分かってる? ご当主様まで巻き込んで」「やだ~、怖い~」母さんがご当主様に抱きつく。ご当主様は困ったように笑う。息子の前でデレるわけにもいかないらしい。来人は無の顔で天井を見ていた。僕らは顔を見合わせ、同時にため息をつく。そして、それ