死刑か、それも悪くない。
死ぬまで生きるしかない僕たちを、ようやくこの世界が解放してくれる。
ああ。
この世界には寒い場所しかないと思っていたのに、この誰もいない島は、こんなにもあたたかい。
なんてあたたかい地獄なのだろう。
洞窟の最奥。
天井に開いた無数の小さな穴から雨のように降り注ぐ光は、向かい合って横たわった僕たちをあたたかく包む。
巨大な魔物に襲われた。
僕たちは右目が潰れ、左耳を千切られ、右腕は肩から先を失い、左脚は膝から下がなかった。
断面から覗く白い骨が、光に照らされて眩しい。
「僕たち死んじゃうんだね、エンリオ」
「うん。……ラシュトは死にたくない?」
「わからない。でも、もう少しこの島にいてもよかったなぁ」
「僕もそう思う」
「うふふ。やっぱり僕たち双子だねぇ」
「ラシュト、どうせ死ぬならさ、最期に試してみない?」
「何を?」
「先生がくれた本に書いてあった、転生の魔法」
「ええっ、できないよ。僕たち魔法使いじゃないもの」
「できるさ。本に書いてあったとおりにすればいい」
「でも、転生の魔法には"贄"が要るよ。ここには"贄"になるモノがいない」
「僕たち自身を"贄"にすればいい」
「それじゃあ僕たちやっぱり死んじゃうよ」
「ううん、"贄"にするのは僕たちの半分だけ。ふたりで半分ずつ"贄"になって、残りの半分ずつで新しい僕たちに転生するんだ」
「わぁ……それいいね。僕たちは体の半分を捨てて、もとのひとつに戻るんだ」
僕たちは泥と血で汚れた互いの手を取る。
「大好きだよ、ラシュト」
「僕もだよ、エンリオ」
ぼろぼ
往復十八時間の旅。ぼうっとしている時間はない。いや正確には、乗り物にさえ乗ってしまえば、あとはぼうっと本でも読んでいるしかなくなるのだが。 とにもかくにも、次のミラニア行きの高速船に絶対に乗りたい。僕は急いで寮の自室へと戻った。 監獄を離れるときにしか着ない私服は、生成りのシャツに、細身の紺色のパンツ、そして履きなれた革靴だ。それらに着替えて、旅用のバッグにシャツの替えと手回り品を詰め、港へ走る。出港間際の高速船に、なんとか滑り込んだ。 予定どおり二時間かけてミラニアに着き、そこからも駅まで走って、帝都行きの鉄道に乗り込む。帝都行きはいつも混むので大変だった。乗ってから一時間は席に座れず、車両と車両の連結部分でバッグを抱えて立っていた。 へとへとになりながら帝都へ到着し、西部行きの特急列車に乗り換えようと、セントラルステーションをまたもや走っていると、聞き慣れた声に呼び止められた。「おーっと、これは奇遇。新人君じゃあないか」 振りむくと、そこにはネイヴァンが楽しげな笑みを浮かべて立っていた。「ネイヴァンさん、偶然ですね。じゃ、僕は急ぎますので」 最短で会話を終わらせて立ち去ろうとすると、肩を掴まれる。「おいおいおい、それはないだろう。共に死線を乗り越えた俺と君の仲じゃないかぁ」 面倒だなと思いつつ、ここで適当にあしらっては余計に引き留められると思い、僕は正直に旅の経緯を話すことにした。つまり、三日間の休みが取れたのでエルドリスに何か街で欲しいものはないかと尋ねたところ、往復十八時間かかる田舎町でしか売っていない菓子を指定されて急いで買いに走っている、と。 ネイヴァンは腹を抱えて笑った。その無遠慮さがいっそ、すがすがしい。 ひとしきり笑うと彼は僕の両肩に手を置いた。
僕が、血文字から再生した記憶のすべてを語り終えると、エルドリスは深く息を吐いた。「なるほどな。ラシュトという存在は、実際にはラシュトとエンリオの双子の兄弟が融合したモノだったわけか」 エルドリスの表情にはわずかな驚きとともに、ある種の納得が浮かんでいた。「つまりあれこそが"元人間の魔物"。まるで人間と変わりなかった。ああいうモノがこの世に存在すると確かめられたことは、ひとつの大きな成果だな」「でも、まさか転生の魔法なんてものがあるなんて……」 僕の呟きに、エルドリスの目が鋭くなる。「それは黒魔法の類だ。深く知らない方がいい」 僕はその反応に興味を惹かれ、身を乗り出す。「黒魔法って、そんなに危険なんですか?」「いいから、もう聞くな。お前が知っても得することはない」「ですけど、転生の魔法がメジャーな黒魔法なんだとしたら、他にもそれを使って魔物になった人間が大勢いるのかも」「メジャーなわけがないだろう、黒魔法だぞ。その意味を知っているか? 禁忌だ。それについて知ろうとするだけで刑罰ものだ」 エルドリスは話を強引に終わらせるように、背伸びをして大きな欠伸をひとつした。「私はこれから仮眠を取る。お前も仕事に戻ったらどうだ」 このままでは追い出されると思った僕は、とっさに話題を探して口にした。「あ、あのっ! 実は僕、今日から三日間、非番なんです。何か欲しいものがあれば街で買ってきますよ!」 必死さが伝わったのか、エルドリスは僕の申し出を無下にはせず、しばらく考える仕草をしたあと、ふっと目を細めた。「それなら、『蜜月の琥
死刑か、それも悪くない。 死ぬまで生きるしかない僕たちを、ようやくこの世界が解放してくれる。 ああ。 この世界には寒い場所しかないと思っていたのに、この誰もいない島は、こんなにもあたたかい。 なんてあたたかい地獄なのだろう。 洞窟の最奥。 天井に開いた無数の小さな穴から雨のように降り注ぐ光は、向かい合って横たわった僕たちをあたたかく包む。 巨大な魔物に襲われた。 僕たちは右目が潰れ、左耳を千切られ、右腕は肩から先を失い、左脚は膝から下がなかった。 断面から覗く白い骨が、光に照らされて眩しい。 「僕たち死んじゃうんだね、エンリオ」 「うん。……ラシュトは死にたくない?」 「わからない。でも、もう少しこの島にいてもよかったなぁ」 「僕もそう思う」 「うふふ。やっぱり僕たち双子だねぇ」 「ラシュト、どうせ死ぬならさ、最期に試してみない?」 「何を?」 「先生がくれた本に書いてあった、転生の魔法」 「ええっ、できないよ。僕たち魔法使いじゃないもの」 「できるさ。本に書いてあったとおりにすればいい」 「でも、転生の魔法には"贄"が要るよ。ここには"贄"になるモノがいない」 「僕たち自身を"贄"にすればいい」 「それじゃあ僕たちやっぱり死んじゃうよ」 「ううん、"贄"にするのは僕たちの半分だけ。ふたりで半分ずつ"贄"になって、残りの半分ずつで新しい僕たちに転生するんだ」 「わぁ……それいいね。僕たちは体の半分を捨てて、もとのひとつに戻るんだ」 僕たちは泥と血で汚れた互いの手を取る。 「大好きだよ、ラシュト」 「僕もだよ、エンリオ」 ぼろぼ
目の前に星が散るとか、火花が散るとかいった比喩表現を、大げさだと笑う人もいるけれど、僕は笑えない。なぜなら、もうひとつの胃、識嚥《シエ》にモノを落とした瞬間、僕はその感覚を味わうからだ。 目を開けているのに真っ暗な視界の中で、星なのか火花なのかわからない光が明滅する。頭がくらくらして、とにかく気分が悪い。 そして、明転は唐突に訪れる。――――― 酷い寒さ。 指先が凍え、体の芯から震える。 飢え。 胃袋が自身を喰らい尽くそうとしている。 誰も僕らを守ってはくれない。 街の外れ、廃屋の壁に寄りかかり、冷えた背中を震わせてふたり、小さな硬いパンを分け合う。 盗みで生き延びるしかなかった。 失敗すれば大人たちに殴られ、追い回され、それでも生きるために再び盗んだ。 いつ終わるとも知れない飢餓と逃亡の日々。 鮮血の温かさを知った。 最初の殺人、火掻き棒が骨を砕く感触、鮮やかな血の赤。 殺したかったわけじゃない。 罪悪感はあるのに胸が昂った。 心臓が狂ったように鼓動し、全身に血が巡った。 ああ、これが「生きていく」ということか。 こんなことをしてまでも、死ぬまで、生きていかなきゃいけない。 ねえ、先生。 神は僕たちが、先生の両手足の爪を剥ぐのを許してくれるかな? そうして流れた血を熱い鉄棒で焼き止めるのを許してくれるかな? 足の裏に釘を刺すのを許してくれるかな? 必死に歩こうとする先生が転ぶたびに肌を焼くのを許してくれるかな? 熱い鉄棒で先生を犯すのを許してくれるかな? 先生、あなたが教えてくれた神は、あなたを助けなかったね。 先生は、無事に神さまのもとへ行けたかな?
鉄扉が開くと同時に、ふわりと清潔な石鹼の香りがした。 顔を見せたエルドリスは、いつもまとめている髪を下ろしている。服装も、先ほど別れたときの黒い狩猟服とマントとブーツではなく、上下オレンジ色の囚人服だ。部屋で過ごすならばこれが楽なのだろう。 肩まで伸びた艶やかな黒髪に、終身刑を示すオレンジ色の囚人服。 『30分クッキング』の調理人である彼女とは異なる顔を意図せず見てしまった気がして、僕は少しの罪悪感を覚える。そして、それとは異なる種類の胸の高鳴りも。「おい、そんなに顔を赤くしてどうした? ラシュトの正体について、何かとんでもないことでもわかったのか?」「あっ、その、そうじゃなくて……いえ、そうなんですが」 知らず、赤面していたらしい。僕は両手で顔を隠すように彼女の視線を遮り、「資料室に保管されているラシュトの資料を読みました。その件で話が」「なるほど。入れ」 エルドリスが扉を大きく開けてくれる。僕は頭を下げ、彼女の独房へと足を踏み入れた。 以前に来たときと同じように、僕とエルドリスは窓際の木製のテーブルセットに向かい合って座った。彼女がお茶を入れてくれ――普通のお茶ではなく、やはりカサリス・ビートル茶だ――それをひと口飲んでようやく顔の熱も冷えてきた僕は、資料室で知ったラシュトとエンリオのことをすべて彼女に話した。 守秘義務、という言葉が一瞬脳裏をよぎったが、関係ない。ナイトフィーンドの胆汁酒でエルドリスと同志の盃を交わした時から、僕の為すべきことの最たるは、刑務官としてのお堅いルールの遵守ではなくなった。 エルドリスは僕の話を黙って聞いていた。そして僕が話し終えると、しばらくの沈黙ののち、静かに口を開いた。「話はわかった。それで、お前はどうしてその話
それからというもの、ラシュトとエンリオは定期的に「獲物」を攫っては、廃工場や下水跡、墓地の地下納骨堂など、ひと気のない場所へと連れ込み、好き勝手に拷問して殺した。 記録に残っているだけでも、十八件。それらすべては凄惨を極めた。 両目を抉られ、手足の指を砕かれ、下顎を切断された老婆。 腹部を切り裂かれ、引き出した腸で首を絞められた酔いどれ男。 熱した鉄串を全身に突き刺された末、喉を裂かれた若い衛兵。 天井から吊られ、全身の数十か所を少しずつ炙られた女司祭。 手首足首をうっ血するほど固く縛られ、その先を切断された状態で豚小屋に閉じ込められた少女。 目を覆いたくなるような残虐非道の数々。 しかしそれも終焉を迎えることとなる。 十五歳の秋。 それはひとつの事件がきっかけだった。 ある令息の誘拐と惨殺。帝都でも知られた名家のひとり息子が、慈善事業と銘打って貧民窟へ足を運び、お忍びで売春宿へ出掛けたところを攫われた。そして翌朝、彼の頭部だけが、お付きの者たちが宿泊している宿の玄関に置かれていた。 その犯人は言わずもがな、ラシュトとエンリオの兄弟だった。彼らは身なりの良い、気取った若い男をいつものように軽い気持ちで誘拐し、いたぶって殺した。 だが、今回は相手が悪かった。被害に遭ったのが帝都の令息だということで、帝都から優秀な警察隊が捜査にやってきた。 数週間後、兄弟はついに捕らえられた。 ふたりは帝国内でも最も重罪人が収監される第七監獄《グラットリエ》へと送致され、正式に裁きを受け、死刑判決を下された。 十六歳の春、ふたりは死刑囚島《タルタロメア》へと転送される。 それが、ちょうど一年前の記録だった。&
識別番号861942――ラシュト・フェインバーグの記録は、生きたと思われる年月に反して、想像よりも分厚かった。 僕はページを捲りながら、部屋の角に置かれた資料閲覧用のデスクへと向かった。 識別番号:861942 氏名:ラシュト・フェインバーグ 年齢:第七監獄《グラットリエ》収監時 15歳 死刑囚島《タルタロメア》転送時 16歳 罪状:連続無差別殺人 刑罰:死刑(死刑囚島《タルタロメア》への流刑) 基本情報のあとには、彼の生い立ちが事細かく記載されていた。それらは読むだけで胃が痛むような内容だった。 極寒地帯の最貧民窟フロストロウで生まれたラシュト・フェインバーグは、父親を知らない。母親は日雇い労働と売春を繰り返し、幼いラシュトと双子の兄エンリオを連れて、港の廃倉庫で寝泊まりしていた。食事は盗みか、母親が客から貰ってくる施しで、飢えと寒さに凍える日々のなか、兄弟は互いに身を寄せ合って生き延びていた。 母親はラシュトが八歳の時に薬物の過剰摂取で死亡した。 その日から、彼らは完全なる『孤児』となった。 彼らは早熟だった。自分たちの生存に必要なもの――金、食糧、身を守る力――それを得るために、手段を選ばなかった。 十歳になるころには、ふたりはスリや空き巣をたくみに繰り返すようになっていた。他人の物を奪うことに罪悪感はなかった。一日でどちらが多くの財布をスレるかゲーム感覚で競いさえした。 しかし問題は起きた。 十三歳の冬、ある裕福な商人の屋敷に忍び込んだふたりは、運悪くメイドの女に見つかり、彼女を撲殺してしまった。凶器は暖炉のそばにあった火掻き棒だった。 それから、彼らの犯罪は加速度的に悪化していく。
その夜、僕たちは黙々と七体の魔物を調理し、七本分の映像を完成させた。 火ぶく鳥《カロリーバード》の丸焼き がらん牛《ホロウブル》の低温ロースト 風のやどり猫《ウィスプキャット》の薄造り 〜春風のカルパッチョ〜 とげ花かさ《スパイクフラワー》のスパイスチップス 〜香る凶花の小皿〜 ぬめりカメ《グラッジタートル》のとろとろ粘鍋仕立て けむりサル《スモーグモンキ》の壺燻製 〜猿煙の晩酌セット〜 まどろみ虫《ネンネムシ》の茶碗蒸し 〜夢路の一匙〜 最後の食レポを撮り終えたころには、東の水平線がうっすらと白み始めていた。夜明けだ。「さーて……クランクアップだな」 ネイヴァンが空を見上げて伸びをする。「帰りは俺の転移魔法でいいか? こんな朝早くから第七監獄《グラットリエ》に転送檻の起動を依頼するのも面倒だろ」 来るときにはネイヴァンの転移魔法を信用できないと言っていたエルドリスが、何の抵抗もなく頷いたのが印象的だった。 僕たちはネイヴァンによって、第七監獄《グラットリエ》へと送られた。 この島への感慨などない。僕は一刻も早く悪夢から覚めたい思いで、エルドリスを先に飛ばしたネイヴァンの手が肩に触れるのを待った。 眩暈のような感覚のあと、戻ってきたのは朝日の見える窓ひとつない地下調理場だった。ひやりと湿った空気と、廃棄処理係の手腕をもってしても除ききれなかった僅かな血の臭い。 悪夢から覚めても、また悪夢。 間もなく転移してきたネイヴァンへ、なぜこんな場所に飛ばすんだと非難交じりに尋ねてみると、至極まっとうな答えが返ってくる。「仕方ないだろう。エリィを囚人の活動区
「空間旅行《ホップステップ》」 僕の肩に手を触れたネイヴァンが呪文を口にした瞬間、視界がぐにゃりと歪み、気がつくと僕は黒い砂浜へと戻ってきていた。正午を過ぎた太陽が黒い砂浜に反射して眩しい。生暖かい潮風は、相も変わらず腐臭交じりのしょっぱい臭いがする。 僕より先に転移していたエルドリスは、調理人の性《さが》なのか、早くも調理台の前に立っていた。 間もなくネイヴァンが転移してくる。彼は、「こんな場所でもホームって感じだな」 と同意を求めて僕を見たが、僕は素直にそうですねとは返せなかった。 第七監獄《グラットリエ》に帰りたい。 頭の中でそう思って、実に皮肉な一文だなと笑えた。配属が決まったときには絶望すらした最悪の職場。凶悪犯が収監され、本土から隔絶された孤島の監獄。 そうだ、世間からまったく切り離されているという点で、第七監獄《グラットリエ》は死刑囚島《タルタロメア》と似ている。けれども今の僕にとっては、あれほど嫌っていた第七監獄《グラットリエ》が故郷のように懐かしい。 ネイヴァンは僕の微妙な反応を深刻には捉えなかったらしく、揚々とエルドリスのほうへ歩いていった。そして彼女の手元を覗き込み、大声で僕を呼ぶ。 一体何だというんだ。 この期に及んで面倒事はごめんだった。早く帰りたい。そればかりが思考を支配する。「どうしたんですか?」「おい、これ見てみろよ、新人君」 ネイヴァンとエルドリスの視線の先、潮風に吹き上げられた黒砂にまみれた調理台の上に、何かが置いてある。 皺が寄り、黄ばんだ紙。そして、その上に重石のように置かれた――木製のナイフ。