灰色の廃都ヴェルデン。
静まり返った廃墟の中心で、繭の子が再び姿を現した。その小さな姿のまま、彼はただ佇んでいた。
“彼ら”を、待っていた。リィナたちはレオナとタカフミを伴い、慎重に距離を詰める。
「……おまえたちか。また、兄弟たちを壊しに来たの?」
繭の子の声は怒気を孕んでいたが、どこか揺れていた。
「違う。今回は話をしに来たの。」
レオナが前に出る。
彼女の手には、魔導書――タカフミが静かに輝きを放つ。「あなたが“家族”を求めているのは知っている。……だから、ただ滅ぼすことだけが道じゃないって、伝えたくて。」
「家族……。」
繭の子が一歩、後ずさる。
その目に、レオナとタカフミの姿が映る。父と母の幻影が、彼の瞳に交差する。
その瞬間、全身が震えた。「やめて……それ、やめてよ……!」
声が裏返り、彼は耳を塞ぐ。
「そんなふうに優しくされたら……僕、わかんなくなる……!」
悲鳴のような叫びとともに、繭の子は黒い糸を伸ばし、空へと消えた。
静寂が戻った瓦礫の中。
そこに、踏みしめるような重い足音が響いた。「……あいつ、役に立たねぇな。」
炎を纏った男が現れる。
一行の誰もが、息を飲んだ。「俺は――四天王、グロム・ザ・スコーチ。次は、俺が行く。」
燃え盛る大剣を背に、彼は一瞥を投げた。
「子供たちを置いて逃げたあいつを、今度こそ戦士に育て直してやるさ。……裏切るなよ、“繭の子”。」
その言葉の意味が深く、重く、どこか不吉に響いた。
一方、リィナたちは繭の子の反応に明らかな“迷い”を感じていた。
「完全に魔物になりきっていない……感情がある。自我が残ってる。」
「なら……説得も、可能性のひとつとして持っておくべきだ。」
銃がそう提案すると、アベルは渋い顔をしながらも頷いた。
「否定はしねぇ。戦うばっかじゃ、救えねぇやつもいるってことだ。」
こうして一行は、タカフミとレオナを正式な仲間として迎え入れ、次なる都市へと歩を進める。
そこには、新たな“神の武器”と、“次の四天王”の影が待っていた――
灰色の空が都市〈グレイフォール〉を覆っていた。氷の風が建物の間を吹き抜け、誰もが口をつぐむような、静けさと緊張が支配する朝。リィナはナギを両腕に抱え、その中心部――かつて繭の子が姿を現した場所へと歩を進めていた。だが、そこに現れたのは、かつて親しみすら感じていた繭の子の“面影”ではなかった。その瞳は濁り、心なき本能だけが表面を覆っているように見えた。「……もう、言葉は通じないの?」リィナの問いかけに、返事はない。ただ、その手には禍々しい魔力が集い、空間が軋むような音を立てる。「来るよ、リィナ……!」ナギの声が、リィナの手の中から響く。その声は震えていたが、恐怖ではなかった。銃としての彼が、リィナの想いに共鳴していた。目の前の存在が、ただの“敵”ではないと、彼の魂は知っていた。「俺は、あのとき……何もできなかった。繭の子が仲間になろうとしてくれた時、もっとできたことがあったはずなのに……!」ナギの叫びが空に響く。「私だって……!繭の子を、友達になれると思ってた……!それなのに、私は……!」リィナの声が涙に滲む。その瞬間、空気が変わった。二人の叫びに、銃の輝きが応えるように放たれる。神の武器――“銃”が、変化を始めた。銃身に光が走り、機構が展開され、刻印が浮かび上がる。それは“覚醒”。使い手と武器が心を重ね、魂を融合させる神降ろしの儀。「……来て、ナギ!」「応えろ、リィナ……!」銃は完全に変化し、その輝きは都市全体を照らすほどだった。「止まって、お願い……!」リィナが叫ぶ。涙を流しながら、引き金を引いた。リィナの手を通して放たれた一撃は、かつてないほどまっすぐで、優しい光を放った。繭の子が咆哮する。最後の魔力を振るおうとしたその時、その光は彼の胸に届いた。爆風も、悲鳴もなかった。ただ、静かに、時間が止まったか
空が白み始めるころ、レオナはひとり、焚き火の前に座っていた。隣には魔導書のタカフミが、ページを静かに揺らしながら寄り添っていた。「……繭の子、もう、戻らないのかな。」レオナの声はかすれていた。「わからない。けど、あいつは……最後、俺たちを助けてくれた。」タカフミの声は、魔力で紡がれるように柔らかく、しかしどこか遠く響いた。その時、小さな足音が近づいてきた。振り返ると、魔物の子供たち――繭の子の“兄弟”とされる存在たちが、恐る恐る姿を現した。「……お姉さん、なんで泣いてるの?」一人の子が、ぽつりと問うた。「お姉さんのまわり、なんか……にこにこした子たちが、見えるんだ。みんな嬉しそうだったよ。」その言葉に、レオナの涙があふれ出した。「そんな……やめてよ……。」しゃがみこんだ彼女の隣で、タカフミはただ、魔導書の表紙をそっと寄せることしかできなかった。彼にできるのは、言葉も、手も持たないまま、彼女の悲しみに寄り添うことだけだった。一方、ライナはハンマーを抱えて木陰に座っていた。「……なんで知ってたのに言わなかったんだよ!」怒りとも悲しみともつかぬ声に、ハンマーの中からため息が聞こえた。「言えばよかったとは思ってるよ。けど、話せば全部が見えるわけでもないだろう?」「他にも……何か、隠してるんじゃないの?」ライナの目はまっすぐだった。ハンマーはしばし黙っていたが、やがてぽつりと語り始めた。「俺の名前はイオリ。かつては裁判官だった。罪と向き合い、嘘を暴き、正義を追っていたよ。」「……なら、どうしてハンマーに?」「それが罰だったんだろうな。自分の正しさだけを信じて、人の心を顧みなかった。だから今度は、人の“力”として生きることになったんだ。」ライナは黙っていた。「覚醒のことも、全部は知らない。けど……あんたと一緒に歩む以上、俺も嘘はつかない
雪と氷に閉ざされた都市――〈グラシエルム〉。そこは氷河の裂け目に広がる街で、常に零下を下回る過酷な環境にさらされていた。だが、その中心には一つの光があった。それは、神の武器――カンテラ。穏やかな明かりは寒気を払い、街を暖め、魔物を遠ざけ、人々の生活を守っていた。「……この灯を、持ち出す? とんでもない。」若い男が、強い口調で言った。名をセイヤ。この街で育ち、灯火を守る使い手である。「私は、ここに残る。皆を守るのが私の役目だ。」「それも正義の形だろうけどねえ……少し、思考が硬すぎるよ。」カンテラの中から響く声は、どこかのんびりとした男の声だった。「私は“先生”と呼ばれていたんだ。学校で教えてた。教え子が大事でね、あんたみたいな真面目な子には、柔軟な発想が必要だと思うんだが」「……無理です。俺はこの灯を、誰にも渡せません。」セイヤの拒絶に、先生はふう、とため息をついた。しかし、その夜。凍てつく風とともに、黒い影が街を襲った。氷の裂け目から這い上がってきたのは、冷気を纏った魔物たち。群れをなして押し寄せる。セイヤは、即座にカンテラを手に取った。「光よ、照らせ……!」カンテラの明かりが揺れ、その中から放たれたのは、白く輝く魔法。吹雪の中で炎のように揺れる光線が、魔物を焼き払っていく。それでも、敵の数は減らない。その中で、リィナたちが現れた。ナギの銃声、ルークの剣、アマネの術、ライナのハンマー――各々の力が交錯し、街の守りに加わる。セイヤは、彼らの連携と、その強さを目の当たりにした。「このまま、ここに留まり続けて……本当に、守り切れるのか……?」戦いの後、村人たちは集まり、セイヤに言った。「私たちは、ついていける。新しい土地でだって、あなたとなら……生きていける。」「あなたが光を持って歩くなら、私たちもそのあとを歩きま
剣の稽古場に、朝の光が差し込む。ルークの額から汗が滴り、ヒナコの構えはいつになく鋭かった。二人は「覚醒」について考えていた。「……覚醒、ね。あたし達もやれるのかな。」ヒナコが息を吐きながら言う。「わかんねぇ。……けど、強くならなきゃってのは、もう決まってるんだ。」ルークは剣を振り、空を斬った。「じゃあ、いつも通り、やるしかないね。」ヒナコがにっと笑い、構えを取る。「うん、いつも通りだ。」そう言って、剣と剣が交錯した。彼らにとって「覚醒」は、突然起きる奇跡ではなく、日々の延長線にあるものだった。一方、調理場ではアベルとアマネが、鍋を囲んでいた。「……お前、意外と豆なとこあるよな。」アベルが玉ねぎを刻みながら呟く。「ふふ……スープはね、人の心をあたためるの。殺伐とした空気に効くのよ。」アマネは薬草の束を解きながら優しく返した。「お前は……誰かを守りたくて、見てるんだな。あいつらのこと。」「お前さんは違うのかい?」「俺は……どっちかって言うと、背中を押す側だな。保護者っていうより、戦友って感じか。」「私はね、放っておけないのよ。あの子たち、まだまだ未熟で……それが愛おしいの。」アベルは微笑んだ。「違う視点でも、同じ想いってのは、面白いもんだ。」「そうねぇ、だから旅ってやつは奥深いのよ。」二人は、スープに火を入れた。香りが立ち、心を溶かすような湯気が広がった。稽古を終えたルークとヒナコが、スープを口にする。「……うまっ。」「これ……アベルさんとアマネさんが?」「あの二人が作ったにしては……あったかいな。」ルークとヒナコは、顔を見合わせて笑った。誰もがまだ、“覚醒”に至ってはいない。だが、進んでいる。
防衛戦の余波が過ぎた翌日。煙の抜けた空の下、火の神殿跡地で一行は集まっていた。その中で、ハンマー――元裁判官の魂が、ぽつりと口を開いた。「……覚醒ってのがあるんだよ。神の武器にはな。」その言葉に、皆が振り向いた。「覚醒……?」「そう。神を“降ろす”んだ。……使い手が、神格化することでな。」ハンマーの声は珍しく低かった。軽口ではなく、真実を語る裁判官の声だった。「そのとき、武器と使い手は一体化する。意識も、感情も、力も全部が融合して、“神の座”に近づく。」「でもそれって……すごく危険じゃないの?」アマネが鋭く問いかける。「危険どころか、ほとんど“壊れる”んだよ。普通は。」静寂が落ちる。「……魂の強さ。意思の硬さ。それがなけりゃ、神になろうとした使い手はただ壊れるだけだ。……神格化は、力を得る行為じゃなく、“神に近づく試練”なんだ。」誰も、すぐには言葉を返せなかった。その夜、リィナは焚き火の前に一人、銃を抱えていた。「……僕には、何もない。」銃が呟いた。「アベルには過去がある。ショウには願いがある。アマネには記憶がある。……でも僕は、名前すらない。」彼の声は静かだったが、深い諦めの気配があった。リィナは、しばらく黙っていた。やがて、彼女はそっと銃を胸に抱き、言った。「じゃあ、私がつけてあげる。」「え?」「名前。“君”が、君であるために。」火の灯りの中、リィナの瞳はまっすぐだった。「―
灼熱の轟音が、街を包んだ。――グロム・ザ・スコーチ、到来。彼の姿は、かつて鍛冶師だったなどとは思えないほど“焔そのもの”と化していた。 背に燃え盛る大剣を背負い、ただ歩くだけで道が溶ける。「……っ! なんて火力……!」リィナが撃つ魔力弾が、炎の壁にかき消される。「来い。“英雄”ども。貴様らの成長、見てやろうじゃないか!」その言葉は、挑発というより、審判に近かった。戦いは、開始早々から苦戦の色を濃くした。ルークの剣は火に弾かれ、アベルの罠は熱で作動前に溶ける。 カイルの拳も通じず、銃の弾丸すら、焔の鎧を貫けない。「くっ……くそっ! 強すぎる……!」ライナが振るうハンマーすら、彼の大剣に砕かれかけた。「まだだ……! 覚醒すらしてない俺たちが、このまま負けてたまるか……!」リィナの叫びが空に響く。だが――その声さえ、炎に飲まれそうになった、その時。「やめて……!」空間がねじれ、空が裂けた。 黒い糸が絡みつき、グロムの動きを止める。「お父さん……お母さんを、いじめないで……!」現れたのは、繭の子。レオナとタカフミを見るその目には、今にも崩れそうなほどの悲しみがあった。「お願い、消えないで。せめて……せめて、僕の中に……!」そして繭の子は、糸の結界でグロムごと自らを包み込む。「……また、会おうね。今度は……たぶん、違う僕だけど……。」その声が、焔とともに消えた。魔界への強制送還―― 一瞬にして空間が閉じ、炎の大剣とともに、静寂が戻った。ただ残されたのは、灰と、煙と、悲しみだった。「勝った……のか……?」「……違う。守れなかったんだ。あいつも、この街も、完全には。」誰かがつぶやく。リィナは拳を強く握った。「強くなる。もっと……もっと強くならなきゃ、あの子を、止められない。」