「......でも、琴音さんは別に、人間を襲うわけじゃないんでしょ?」
そう言った僕の声は、自分でも驚く程に小さくて、弱々しかった。
まるで、さっき相模さんが言ったようなことに、彼女が含まれていないことを確認するような言葉を選んでいて、それでいて声は明らかに、僕自身が言った台詞が、相模さんに肯定されることを願っているような......
何かに縋っているような、そういう物言いを、僕はしていたのだ。
しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、相模さんはそれを、真っ向から否定する。
「いいや、それは彼女も例外ではないよ。少なくとも吸血鬼の異人である彼女にとって、人間は
「でも......琴音さんは......」
「『人間の生き血を吸ってはいない』って、そう言われたのかい?たしかに彼女は、生きている人間から直接吸血を行ったことは一度もない」
「それならまだ琴音さんは、人間をそういう風には、見ていないんじゃないんですか......?それにもし仮に、琴音さんが人間をそういう風に見ているのだとしても、それは琴音さんのせいではないでしょう......」
僕の言葉を聞いた後に、相模さんはゆったりと、言葉を返す。
「でもね荒木君、彼女が二十年弱、吸血鬼の異人として生きている間に、人間の血液を栄養源として生きていたという事実は確実だ。もっとも、それは彼女のような、人間の血液以外を栄養源に出来ないで生きる、吸血鬼を含めた様々な異人が、摂取しやすいように加工されたモノだけれどね」
そう言いながら相模さんは、また一口、今度はほうれん草のソテーを口に運んで、しばらく咀嚼した後に、それを飲み込んだ。
そして飲み込んだ後に、彼はそのまま続きを話す。
「けれどどんなに形を変えようと、どんな事情があろうと、していることの根本は同じなのさ。それにさっき君が言ったように、彼女がそういう体質で、そういう性質なのは、たしかに彼女のせいではないのかもしれないけれど、それでも、自分がそのまま生きることを選んでいるのだから、彼女はそれに対して、少なくとも自覚的であるべきだ」
そう言って彼は、今度はお茶を一口飲んで、そして意図的に間を空ける。
しかしそんな彼の言葉に、理屈に、僕は未だに納得できていなかった。
だってそれでは、あまりにも理不尽ではないか。
生まれる境遇も、姿も、形も、性質も、体質も、それらは何一つ、自分で選んでいるわけではないのだから。
彼女が吸血鬼になりたくて、なったわけではないのだから。
それなのに、それらのことに対して全て、『自覚的であるべきだ』なんて、そんなのはいくら何でも、理不尽が過ぎるじゃないか。
そんな風に思いながら、しかしそれでも、それを言葉に出来ぬまま、僕は只、相模さんには視線を向けずに、俯いてしまっていたのだ。
しかし彼は、そんな態度をとっている僕に対して一言、こう言った。
「しかしながら荒木君、一体君はいつまで、そうやって他人事みたいな顔を、しているつもりなんだい?」
その後ファミレスから解放された僕は、相模さんとの会話を思い出しながら、あの暗い夜道を再び歩いていた。街灯は少なく、音も聞こえない住宅街。
もしかしたら考え事をする時は、こういう場所が向いているのかもしれない。
そんな風に思えてしまうくらいに、この暗い夜道の静けさが、心底ありがたいと思えてしまった。
そう思えるくらいに、あの人との会話は、体力を使うのだ。
『一体君はいつまで、そうやって他人事みたいな顔を、しているつもりなんだい?』
相模さんに最後に言われた、未だに消化できていないその言葉は、僕の中に深く、重く、残ってしまっていた。
他人事......
そんな風な顔をしていたつもりは、なかったのだけれど、彼にそう言われた瞬間、まるで図星を突かれたような気がしてしまったのも、たしかな事だった。
実際、僕が彼女について考えるときは、いつも心のどこかで、『彼女は異人なのだから』と、そんな風に思っていたし、自分が半分、異人になっていることを意識したことは、正直に言ってほとんどなかった。
強いて言うなら、昨日のパンケーキ屋でのあの会話の時ぐらいは、自分が半分ほど異人になっているということを、意識した。
しかしそれでも、今日の朝には、そんなことはすっかりと忘れて、自分は人間のつもりで、彼女に会っていたのだ。
しかもさっきまでの相模さんとの会話も、思い返してみれば......
『でも、琴音さんは別に、人間を襲うわけじゃないんでしょ?』
どうして僕は、彼女が人間を襲うかもしれないことを心配して、自分が人間を襲うかもしれないことを、心配しなかったのだろう? 『琴音さんが人間をそういう風に見ているのだとしても、それは琴音さんのせいではないでしょう......』どうして僕は、彼女が人間をそういう風に見ているかもしれないことを心配して、自分が人間をそういう風に見ているかもしれないことを、心配しなかったのだろう?
他人事
相模さんから言わせれば、そういう事なのだろう。
異人という者に半分、文字通り、片足を突っ込んだ状態の僕は、滑稽にもそれに気付かずに、滑稽にも、たとえそれに気付いても忘れてしまって、自分はまだ真っ当な、まっさらな人間だと思い込んでいる。
まだ二日といっても、もう二日、僕は半分が異人の状態で生きている。
『異人っていうのは、本来はかなりヤバい存在なんだ』
相模さんから言われたその言葉が、頭の中で反響する。
「あぁ、たしかに、ヤバいですね......」
夜道を歩きながら、その反響する声に一人、独り言を返す僕の声は、当たり前だけれど、誰にも届きはしなかった。
ゴールデンウィーク三日目昨日の相模さんとの話が、未だに頭の中から離れない僕は、一昨日と昨日とは違って、自分から彼女に向けてメッセージを送った。
『今日、話したいことがあるんだけれど、時間空いてる?』
敬語を使おうか迷ったけれど、二日間連日で休日を共有しておいて、今更変に距離を取った話し方をするのも、それもなんだか不自然な気がしたから、彼女がいつも僕に送るような物言いでメッセージを送った。
送ってから数時間後、『いいよ』と一言だけ返信が送られてくる。
しかしながら、こちらがメッセージを送った時間は午前中で、向こうから返信があったのが昼の十二時を過ぎた辺りだった。
一応言っておくが、僕がその間何もせず、ただ彼女からの返信を待っていたわけでは決してなく、この二日間ですっかりおざなりになってしまっていた洗濯や掃除、ついでに洗い物などを済ましていたのだ。
そしてちょうど、都合良くそれらのことが片付いた頃に、彼女から返信が来たのである。
そしてその後、続けて彼女からメッセージが届く。
『場所と時間はどうしようか?』
あぁ、そういえば何も考えていなかったな......
『そうだね、どこか静かに話せるところがあればいいんだけれど......』
そう送ったメッセージに、またすぐ返信が来る。
『それじゃあさ、行ってみたい場所があるんだけれど、そこでもいい?』
そのメッセージとともに、住所が書かれたURLが一緒に送られてくる。
しかしその住所が送られて来たタイミングとほぼ同時に、僕は彼女に『いいよ、そこにしよう』とメッセージを送ってしまっていたのだ。
まぁ、SNSでやり取りをするときには、誰だって割とありがちなことだし、それにこれまでの二日間、琴音さんは、特に変な場所には行きたがらなかった。
一日目はパンケーキ屋で、二日目は映画館。
もしかしたらとは思うけれど......
琴音さんは、人間が常に多く出入りする場所を選んでいる気がする。
そしてそれは、おそらく普段の、吸血鬼の異人としての体質や性質を持ち合わせた、吸血鬼としては完全な彼女では、立ち入ることが決して許されていない場所なのだろう。
そう考えると、別に何の不信感もなく、むしろ合点がいってしまう。
なぜなら、その理由はあまりにも明確だし、簡単なことだからだ。
だってそうだろう......
人間の生き血を栄養源としている者を、人間の多く居る場所に解き放つなんて、そんなの、シマウマの群れの中に、ライオンを放つことと同じだ。
相模さんの言っていた管理とは、つまりそういうことなのだろう。
誰しも餌には、なりたくはないのだから......
けれどこれまでの二日間、それをあの人の管理から許されているということは、今の彼女と、それに僕の状態なら、人間を襲う心配は無いと思われているのかもしれない。そういうことなら、安心できる。
それならたとえ、どんな場所を彼女が指定したとしても、何も心配する必要がないのだ。
そう思いながら、僕は身支度を整えて、そして扉を開けて外に出る。
外に出ると、鈍色の空が視界に入った。
そういえばテレビでも、今日はすこぶる天気が良くないと、そう言っていた気がする。
まぁ、会う場所はたぶん屋内だろうから、あまり関係はないけれど、それでも、傘くらいは持って行った方が良いだろうと思い、玄関にある安っぽいビニール傘を手に取って、僕は最寄りの駅へと、歩き出したのだ。
時刻はさほど進んでいない、夕方と昼間の間くらいの時間帯で、僕と彼女は、今日会う予定の場所の真ん前に、立っていた。この時の『立っていた』という状態が、一体どういう状態なのか、もしかしたら詳細までは、想像しづらいと思う人が多々いるのかもしれない。
だからこの状態を、もっと詳しく説明するならば、僕に至って言えば、『立ち尽くしていた』という方が適切だ。
そしてそんな状態で、隣で同じように、しかしながら僕とは違い、恐らくただ単に、そこに居るべくして存在している彼女に向けて、まるで何か、苦言を呈するような口調で、僕は彼女に言った。
「あのさ、琴音さん......ほんとに入るの......?」
「えっ、なんで?」
僕の口調とは、明らかに正反対のそれで彼女は言う。
どうやら事の重大さを、あまり理解して居ないようだ。
「いや、こういうところは、本来好きな人っていうか......恋人同士で来るような場所で......」
うわ......中学生みたいな言葉しか出て来ないや......
「えっ、でも誠、ソッコーでOKしてくれたじゃん。ぶっちゃけちょっと引いたけれど、来たことあるんでしょ?」
そう言われると何も言い返せない......
あのとき彼女から送られてきたURLの確認を怠ったばっかりに......てっきりカラオケとかボウリングとかダーツとか、そういう場所だと思ってた......
あぁ、後悔先に立たずというのは、きっとこういうことなのだろうな......
そう思いながら、しかしそれを言葉にできるわけではない僕は、彼女の問い掛けには無言のままだった。
そういえば、僕たちが今どういった建物の前に居るのかを、まだちゃんと言っていなかったような気がする。
随分前に、『この物語は僕が語り部となって語る御話で......』なんてことを言っているのだから、これも語らなくてはいけないのだろう。
そう、僕たちは今、LOVE♡HOTEL の前に居るのだ。
あぁ、語るに落ちるというのは、きっとこういうことなのだろう。
噂通りというか、世間話通りというか、こういう場所は本当に、店側の人間とは一切遭遇することなく、『受け付』と呼ぶべきタッチパネルから始まって、エレベーターを介したら、部屋まで辿り着けるモノなのだ。もちろん、支払いも自動精算機でのお支払いである。
ここまで誰とも逢わないというのも、なんだか不思議なモノだ。
部屋に入ると、内装自体は、普通のビジネスホテルとあまり変わらない。
所々にそういう要素が見られるが、それらを気にせず、普通の部屋として使用すれば、むしろ普通のホテルよりも様々なアメニティーがある分、お得な方だ。
もっとも、
それに引き換え琴音さんは、まったくの無自覚なのか、それともそういうことに疎いのか知らないが、彼女は僕の言う
なんだろう、二人でこんな所に来ているのに、そういうことを考えていること自体、本当は何かしらがズレていて、おかしい気がするけれど......
しかしながら、部屋の中にカラオケが出来る機械や、最新ゲーム機が常備されているのはうれしいことだ。
これでとりあえずは、気を紛らわすことが出来る。
しかしそれにしても......
「琴音さん、さっきから何しているの?」
そう言いながら僕は、部屋に入るなりすぐさまベッドにうつ伏せにダイブして、そこから一歩たりとも動こうとしない、そんな不可解な彼女を見ていた。
なんだろう、もう忘れ去ってしまいそうになるけれど、彼女はかなり容姿端麗で......いや、それでは言い表すことが難しいほどに、とてつもなく綺麗で特別な、そんな存在を見たかのような......初めて彼女を見た時は、そんな風に思ったのだ。
そしてそんな彼女が、自分からこんなラブホのベッドに横たわっているのだから、それは本来ならかなり、僕としては戸惑うべきだし、彼女も軽率にそういった行動をするべきではないと思うのだ。
しかしながら僕がそういう風にならないのは、ついでに言えば、彼女がそういう行動をした理由は、言うならば一つの人間的な行動原理に収束される。
それは『性欲』、『食欲』と並ぶもう一つの、人間らしい欲求だ。
「もしかして......」
そう言いながら、僕は彼女の顔を覗き込むようにすると、そこにあったのは、瞳を綺麗につぶって、小さな寝息を立てている、女の子の姿だった。
っていうか、なんで寝ているんだよ......
そう思いながら、まさかの出会い頭に、こんな形で置いてけぼりを喰らった僕は、とりあえずベッドの近くにあったソファーに、座ることにしたのだ。
彼女が眠りから目覚めたのは、それからほんの、数時間後のことだった。「......ん~」
「おはよう、琴音さん......」
「......うん、おはよう......」
あまりにも無防備というか、無頓着というか、彼女は僕の前で、起き抜けの表情も、乱れた髪の毛も、少し開けた洋服も、隠そうとはしなかった。
まぁ出会い頭に、教室で僕が寝ていた時に、その毛布の中に潜り込んでいたような子だから、きっと無頓着の方なのだろう。
そう思いながら、僕は携帯で動画を見ながら、彼女に言う。
「シャワーでも浴びて来たら?目が覚めるよ」
「......うん、そうする......」
そう言いながら彼女は、眠い目を擦りながら、トボトボとシャワーがある部屋に入って、扉を閉めた。
そこから、さらに数十分後...... 「あ~さっぱりした~」そう言いながらバスルームの扉を開けて、バスローブ姿の彼女は、髪の毛の水気をタオルで拭き取りながら出てきた。
その姿をチラリと見たら、視線を再び携帯の画面に戻して、そのまま言葉を返す。
「それはなにより」
「誠も入ったの?」
「いいや、僕は入っていない」
「じゃあ、私が寝ている間何していたの?」
「言いたくない」
そう僕が言うと、彼女は少しだけ、ワザとらしく間をあけて、からかう様な声色で言う。
「......もしかして、エッチなことしてた?」
「フリーWi-FiでYouTube見てた」
「つまんね~」
「そう思うから言いたくなかったんだよ......っていうか、来て早々に爆睡かますって、相手が僕じゃなかったらどうなってたか......」
「あーそれな、ほんとごめん」
「いいよ」
そう言うと、僕は彼女に視線を向ける。
さっきまでの私服姿と違って、バスローブ姿の琴音さんが、僕の目の前の、正面の椅子に座る。
この状況、たぶん普通なら、彼女のことを恥ずかしくて直視できないか、性欲に任せて彼女のことを抱いているかの、二者択一だと思う。
けれど後者は、たぶん僕の性格上、出来そうにない。
そもそも、そんなことが出来るなら、このゴールデンウィークに差し掛かる前に、恋人の一人くらいは出来ているだろう。
そしてそれが出来ていないなから、今まさにこんな状況なのだろう。
だから僕は、普段の人間であった頃の僕ならば、間違いなく前者なのだ。
しかし今の僕は、
いいや......
そもそも今の僕は、半分異人で、半分人間の、文字通りの半人前だからかもしれないけれど......
それでもまさか、ここまで『者』という単語が、人間ではないモノを阻害しているなんて、この時まで僕は、思っていなかったのだ。
つまり、僕が何を言いたいのかというと......
彼女のその姿に対して、まったくと言っていい程に僕は、何も感じなかったのだ。
コンビニを後にして数分......いや、そんなに時間が経っていない筈なので、どんなに多く見積もったとしても、時間は数十秒といったところだろう。 僕から一方的ではあるけれど、友人とひとしきり、他愛ない話をして買い物を済ませてから、たったほんの数十秒歩いただけの帰り道...... だからまぁ、予想しようと思えば出来たは筈で、むしろこの場合、こんなことを言ってしまう僕の方がおかしいのかもしれないと、そんな風にも思ってしまう。 しかしながらそれでも......「あのさ......」 まさかまだ、変わらずにそれを携えて居るとは、まだ家に帰らずに、よりにもよって僕の帰り道に居るとは...... そんなこと、思わないじゃないか......「あら、偶然ね......」 そう言いながら、手元の包丁をこちらに見せて、しかしながら彼女自身はそれを全くと言っていい程に、それこそ、その鋭利な凶器すらも自分の身体の一部の様な扱いをしている。 だからきっと僕が、彼女が持つそれに対して多少なりとも気遣いをしたとしても、彼女はそれを、そのことをまったく、気にしない。 気にせずにまっすぐと、こちらを見据えて来る。「......」 何も話さず、何も喋らず、ただまっすぐと......「......」 さっき会ったばかりの、剝き出しの包丁を携えている女の子に見つめられていると、たとえその子の容姿が、一般的にとても綺麗な部類だとしても、その姿は恐怖の対象でしかない。 だから僕は、平然を装いながらも強引に、話を進めたのだ。「それで......こんな所で何してるんだよ?」 もしもこの言葉が、見知らぬ女の子に対してのモノだったら、まるで僕がナンパでもしている様に捉えられてしまうかもしれないが、しかし包丁を手に持っている彼女に対してなら、そんなことはないだろう。 そもそも、その話しかけた女の子が、さっき初めて知り合った女の子なのだから、そういう意味では、
殺人鬼...... 僕はこの言葉の意味を、もういつだったかも、どうしてだったかも忘れてしまったけれど、辞書か何かで調べたことがあって、そしてそこには、『むやみに人を殺す鬼のような悪人』と、書かれていたのだ。 まぁ人間の社会では、殺人というモノが最も重く、最も罪深い行為として認識されている以上、それをむやみに行うような輩は、鬼のような悪人と例えられても、そう言われたとしても、仕方がないのだろう。 人は殺せば息絶える...... そんな当たり前の現象が存在する以上、殺人と言われる罪がなくなることは、決してないのだろう。 しかしながらあくまで、それは『鬼のような悪人』と書かれていたのだ。 それはつまり、殺人鬼という言葉が、その殺人という行為をむやみに行う輩が、鬼のようなその輩が、あくまで人間であるという定義の上で、この言葉は成り立っているということになる。 まぁ、それもそうだろう...... 考えなくても当たり前のことだ。 今ここでこんなことを語っている世界には、人間以上に知識が発達した生き物は存在しないのだから、そんな生き物である人間は、逆に言えば、この世界で『罪』を犯すことができる、唯一の生き物なのだ。 しかしそうなると今度は、そもそも『罪』というモノが何なのかという話にもなってしまう。 もしもそれらが、善と悪の隔たりを決めることが出来る人間が、自らを戒めるために作った様なモノだとしたら...... 果たしてそれらは、明らかに人間とは特異的な違いを持つ者に対しても、当てはまるのだろうか...... 自らのその行為を罪と捉えることが、果たして出来るのだろうか...... あぁ、ダメだ...... こういう言い方をしてしまうと、自らの行いを罪だと自覚できる生き物は、後にも先にも人間だけだという話に、行き着いてしまう。 行き着いて、収束してしまう。 ゴールデンウィークの、急転直下な、あの黄金色の数日間を経て、人間とは程遠い『不死身』という体質になってしまった僕にとって、そういう収束の仕方はあまりにも、都合が悪い。 だからきっと...... これからするこの御話は、そういう都合が悪いモノを捻じ曲げて、引き裂いて、流血を流しに流して、殺されながら前に進む。 痛くて、苦しくて、重くて、辛い...... むせかえる程に酷い血まみ
この場所は、あまりにも寒かった。 時刻はとっくに、深夜を通り過ぎて朝日が昇る手前の時間だ。 これは相模さんからのアドバイスである。『家に帰り、夕食を済ませたら、布団で寝て、そして朝日が昇る直前に、それを持って、この場所に行けばいい、そうすれば君は、彼女に会える。そして彼女に会って、それを使って、君が決めたことを、やればいいさ』 そう言いながら渡された、新聞紙に包まれた物と一緒に渡された小さな紙切れには、ある場所が記されていた。 こんな所に、こんな時間に、女の子が一人で居るのは、それはあまりにもおかしなことだと、普通では考えられないことだと、そう思った。 けれど...... もしもその女の子が『吸血鬼の異人』という存在ならば、きっとそれは異常なまでに、正常な光景なのだろう。 月の姿は見えなくとも、空の冷たい空気と、彼女の姿があまりにも、それがあまりにも、似合い過ぎているのだから...... だからきっと、今彼女はこの場所に居て、然るべきなのかもしれない。 そう思いながら、階段を登り終えた先に視線を移すと、やはり彼女はそこに、風を感じるようにして立って居た。 そして僕は、そんな彼女に声を掛けた。「琴音さん、こんな所で何をしているの?」 その僕の声に気付いた彼女は、振り返り、少し驚いた表情をした後に、言葉を紡ぐ。「なんで......なんで君が、ココに居るの......?」「そんなの、決まっているでしょ?琴音さんを探しに来たんだよ......だからさ......」 そう言いながら、僕は彼女に一歩近づく。 しかしそうすると、彼女は二歩程退いて、僕が近づくことすら拒む。「ダメだよ......来ないで......」「どうして......?」「どうしてって......もう知っているでしょ?私は、人を殺したんだよ......」「うん、知っているよ......僕を刺した通り魔を、あの場で、殺したんでしょ?」 そう僕が言うと、彼女はまた二歩程後ろに退いて、そして僕とは視線を合わせずに、弱々しい声で言う。「そうだよ......殺したんだよ......今まではちゃんと、上手くやっていたのに、それなのに、それなのに私は、あの一瞬だけはどうしても......どうしても抑えられなかった......」「それはどうして......?」「......わ
相模さんが僕に手渡した紙切れは、新聞紙だった。 そしてそれが新聞紙であるならば、おのずとそれには、必然的に記事の内容が書かれていたのだ。 もっとも、このとき相模さんが僕に手渡した紙切れが、本当にただの、何も書かれていない白紙の新聞紙なら話は別だが、しかしそこには、見出しであるのだろう、色彩に富んだ大きな文字で、こう書かれていたのだ。『横浜の夜、吸血鬼あらわる!!連続通り魔を殺害か!?』 その紙切れを見て、そして相模さんの言葉を訊いて、僕は数秒、おそらく本当の意味で、息を吞んだ。「これって......」 そう言いながら、言葉を失う僕に向けて、相模さんは淡々とした口調で言葉を紡いで、僕に事の顛末を説明してくれた。 あのあと、僕が殺された直後に、相手の通り魔の男性は首を吹き飛ばされてしまったらしい、しかしそれを見た周囲の人間は、あまりにも起きたことが異端すぎて、あまりもその光景が異常過ぎていて、まるでそれが、映画か何かの撮影だと思い込んだ人間の方が多くて、すぐに警察や救急車を呼ぶことを判断できた者は、ほとんど居なかったらしいのだ。 しかしそれでも、誰が見ても明らかな首無し死体と、不意を突かれて刺された僕の醜態と、通り魔の首を吹き飛ばした吸血鬼の異人である琴音さんが、その場にそんなモノが三つも居れば、それこそ必然的に、その場はパニックの中心になり果てる。 そしてその場がパニックになった直後、琴音さんはその場から、人間では考えられないような身体能力を駆使して、姿を消したのだ。 そしてその結果が、この新聞記事である。 昨日のことを一通り話した相模さんは、その口調のまま僕に言う。「琴音ちゃんの状態は、謂わばバランスを保っていて、どちらにも倒れない天秤のような状態だった」「天秤......ですか......」「あぁ......片方には君から吸い取った人間性、そしてもう片方には、元からあった、吸血鬼の異人としての異人性だ。けれど君が刺されて殺された現場を、一番近くで目撃した彼女は、そのときの君の血液を、一番近くで目の当たりにした彼女は、彼女の中にあったその半分の吸血鬼の異人性を、一気に膨れ上がらせて、暴走したんだ」「......」 無言で俯いている僕は、そのときの彼の言葉でようやく、相模さんが言っていた、『自覚的であるべきだ』という言葉の意味を、言
矛盾が生じてしまう恐れがあるので、予め言っておくと、僕は彼女のことを、とても綺麗で特別な存在だと、それは間違いなく、今でも思っているのだけれど...... なんだろう、それはなんとなく、そう理解しているに過ぎないのだ。 欲求だとか、下心だとか、色気だとか、そういうモノをまだ、微かになんとなく感じることが出来る筈なのに...... それなのに、ただ綺麗なモノを、綺麗だなって...... 僕は彼女に対して、そういう風な気持ちにしか、ならないのだ。「ねぇ......」「えっ?」 考え込んでいたところに、不意に声を掛けられたから、一瞬だけ思考が鈍くなる。「誠、私に話があるって言ってたでしょ?何の話?」「あぁ、うん......」 一拍置いて、少しだけ言葉を考えて、話し出す。「昨日さ、あのあと相模さんに会ったんだ......」「えっ、アイツに会ってたの?」 そう言いながら、彼女の視線は厳しく、冷たく、鋭さを増す。「あっ......」 言葉選び大失敗。 彼女にとっては、名前を出すべきではない人の名前を、僕は真っ先に言ってしまったのだから...... しかしこの話は、やはりあの専門家である相模さんの名前を出さない事には始まらない。 だから僕は、その彼女の視線に臆せずに、そのまま話を続ける。「うん、昨日あの後の帰り道、偶然会って、そのあとファミレスで少しだけ話をしたんだ」「偶然?へぇーそれで?」 明らかに不機嫌な態度をとる彼女に、やはり僕はそのまま話を続ける。「うん、吸血鬼の異人がどういう存在で、そしてこれから先、琴音さんや僕が、どういう風になってしまう恐れがあるのかも、多分全部ではないけれど、粗方訊いたんだ」 そう言うと、彼女は少しだけ表情を真剣なそれにして、口を開く。「そう......それで、誠はそれを訊いて、怖くなっちゃったの?」 その彼女の言葉に、僕は何故か、とても素直に返事をした。「......うん、そうだね。怖くなった......」 そう言いながら、僕は彼女の視線を見つめる。 その見つめた視線に、彼女が合わせながら話してくれる。「そっか......そりゃそうだよね......」「うん......まだ全然、自分が人間ではなくなったなんてこと、ちゃんと自覚はしていないけれど、でも......それでも緩やかに、けれ
「......でも、琴音さんは別に、人間を襲うわけじゃないんでしょ?」 そう言った僕の声は、自分でも驚く程に小さくて、弱々しかった。 まるで、さっき相模さんが言ったようなことに、彼女が含まれていないことを確認するような言葉を選んでいて、それでいて声は明らかに、僕自身が言った台詞が、相模さんに肯定されることを願っているような...... 何かに縋っているような、そういう物言いを、僕はしていたのだ。 しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、相模さんはそれを、真っ向から否定する。「いいや、それは彼女も例外ではないよ。少なくとも吸血鬼の異人である彼女にとって、人間は