殺人鬼......
僕はこの言葉の意味を、もういつだったかも、どうしてだったかも忘れてしまったけれど、辞書か何かで調べたことがあって、そしてそこには、『むやみに人を殺す鬼のような悪人』と、書かれていたのだ。
まぁ人間の社会では、殺人というモノが最も重く、最も罪深い行為として認識されている以上、それをむやみに行うような輩は、鬼のような悪人と例えられても、そう言われたとしても、仕方がないのだろう。
人は殺せば息絶える......
そんな当たり前の現象が存在する以上、殺人と言われる罪がなくなることは、決してないのだろう。
しかしながらあくまで、それは『鬼のような悪人』と書かれていたのだ。
それはつまり、殺人鬼という言葉が、その殺人という行為をむやみに行う輩が、鬼のようなその輩が、あくまで人間であるという定義の上で、この言葉は成り立っているということになる。
まぁ、それもそうだろう......考えなくても当たり前のことだ。
今ここでこんなことを語っている世界には、人間以上に知識が発達した生き物は存在しないのだから、そんな生き物である人間は、逆に言えば、この世界で『罪』を犯すことができる、唯一の生き物なのだ。
しかしそうなると今度は、そもそも『罪』というモノが何なのかという話にもなってしまう。
もしもそれらが、善と悪の隔たりを決めることが出来る人間が、自らを戒めるために作った様なモノだとしたら......
果たしてそれらは、明らかに人間とは特異的な違いを持つ者に対しても、当てはまるのだろうか......
自らのその行為を罪と捉えることが、果たして出来るのだろうか......
あぁ、ダメだ......
こういう言い方をしてしまうと、自らの行いを罪だと自覚できる生き物は、後にも先にも人間だけだという話に、行き着いてしまう。
行き着いて、収束してしまう。
ゴールデンウィークの、急転直下な、あの黄金色の数日間を経て、人間とは程遠い『不死身』という体質になってしまった僕にとって、そういう収束の仕方はあまりにも、都合が悪い。
だからきっと......
これからするこの御話は、そういう都合が悪いモノを捻じ曲げて、引き裂いて、流血を流しに流して、殺されながら前に進む。
痛くて、苦しくて、重くて、辛い......
むせかえる程に酷い血まみれの、間違いだらけの夢のような現実
もういい加減、長過ぎる前置きはやめにしよう......
刺されるくらいなら、痛い思いをするのなら、先延ばしにしてはいけない
どうせ見るに耐えない、血まみれの、間違いだらけの、キレイなモノなんて何一つ出てこない、そういう御話なのだから。
時刻は深夜二時頃だろうか。
外の静けさと暗さと、ついでに自分に付き纏う疲労と眠気で、なんとなく時間を推察して時計を見る。
大学の提出課題を終らせるために、一人暮らしをしている部屋の中で机に向かい、ただひたすらにペンを走らせていて、気が付いた頃にもう、そのくらいの時刻になっていた。
いや、正しくは『なっている筈だ』と、そういう風に言うべきなのだろう。
なぜなら、部屋に置いてある目覚まし時計は依然として、僕が課題を始めた時間を指していて、そしてそこからその時計は、まるで動く気配すらないからだ。
どうやら、電池が切れているようだ......
振ってみても叩いてみてもまるで動かない、秒針と分針と時針に視線を向けて、少しばかり考える。
さて、どうするべきか......
いや、別にこの時計が動かなくとも、携帯電話のアラームを使いながら毎朝目を覚ます僕には、この時計が『目覚ましの役割』を担えないことに関して言えば、そこまでの痛手を負うことはないだろう。
最近得た特異的な体質の影響で、睡眠に関しては、ダラしなく二度寝をすることがなくなった。
意図せずとも身体が、素直に起床できるようになったのだ。
まぁ、そんな些細なことは置いといて......
それでもこの時計は、家に帰れば普段は必ず動いていて、機能しているモノだ。
それが明日から、いきなりピタリッと動かなくなってしまうのは、それが生活の中で見えてしまうのは、やはりどうしても、気持ち悪いと感じざる負えないのだろう。
普段と違う、異なる事象が目の前にあれば、きっと僕はそれに対して、違和感を感じてしまう。
仕方ない......行くとするか......
そう思いながら、そんな風に、課題で疲れた気持ちと頭とその他諸々の改善のための対処法を、誰に言うでもなく自分に言い聞かせて、自分で自分に言い訳をして、僕は外に出る準備をする。
財布と、携帯と......そんな物でいいだろう。
深夜の近所に繰り出すと言っても、どうせ大学で唯一無二の友人が勤めている、あのコンビニに向かうだけなのだから。
そんなことを考えて、携帯で時刻を確認する。
あぁやっぱり......
思った通りに、携帯電話の画面の時刻は、深夜二時丁度を示していた。
普段なら絶対に、こんなことは考えなかった筈なのに、やはり今の僕は、少しばかりというか、大幅にというか、普通ではないのだろう。
これが俗に言う、深夜テンションという奴だろうか。
それならそれで、それも悪くないと思いながら、僕は家の扉を開けたのだ。
外に出ると、昼間の暑さが嘘の様で、ひんやりとした涼しい風が、僕の身体をすり抜けていく。それでも、半袖半ズボンにサンダルという、超夏仕様の服装は変わらない。
七月になりつつある近頃の気候ならば、むしろこの格好は正解だろう。
まぁこの格好で大学には、行こうとは思わないが......
しかし今は、友人どころか人が誰もいない、深夜の時間帯なのだから、たとえどんな格好であろうとも、どんなにだらしない格好であろうとも、構わないのだ。
歩いて数分、コンビニの光が見えてきた。
大学からほど近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在するこのコンビニは、朝から夜まで休みなく、閉店することなく、相変わらずの二十四時間営業を、し続けているようだ。
あっ、そうだ......
そんな風に、さながら何かを思い出したかのような仕草で、僕は携帯電話を取り出す。
数か月前にはなかった行動だと思うが、しかしながら実はこの仕草も、最近の僕にとってはもう、当たり前のモノになったのだ。
最近は携帯アプリであるポイントカードにポイントを貯めるため、携帯を操作しながら入店する。
その方が案外、ただ買い物をするよりはお得だったりするのだ。
しかし今日に限って、僕はそうはしなかった。
携帯を家に忘れたわけでもなく、特にこれといった理由はなく、ただ単に、なんとなく、今日はそうしなかっただけなのだ。
けれど、だからなのだろうか......
店内が異様な、異常な空気に満たされていることに、僕はすぐに気が付いた。
しかしそれは、別に店内が荒らされているとか、店内の品物がほとんど消えているとか、そういうモノでは無い。
店の中に、人が居ない......
しかし厳密に言えば、客が居ないだけである。
当たり前だ......
今何時だと思っているんだ......
こんな時間に、こんな非常識な時間にココに居るのだから、それくらいのことは予想出来たじゃないか。それに店員はもちろん居るし、それ以外に変わったところなど、あるわけがないはずなんだ......
じゃあ一体なんなんだって、何がそんなにおかしいんだって、そういう話になると思う。
ただ夜中に、当たり前の様に客がいないコンビニに来ただけで、こんな風に長々と考えている理由はなんなのかって、そういう話になると思う。
そういう話に、まとめてしまっていいのだろうか......
だっていくら夜中に、コンビニに行くことがあまり無いからと言っても、流石にこの光景は予想外ではないだろうか......
なんと言うべきなのか、とりあえず、目の前の光景を、ありのままに説明するならば......
店員である大学の友人の女の子が、見知らぬ女の子に、レジのカウンターを挟んで、包丁を向けられているのだ。 「......あー、いらっしゃいませ......」「......」
現在進行形で、包丁を向けられている店員であり、大学の友人であるその女の子は、僕に気が付くとそう言いながら、こちらに視線を向けてきた。
しかし彼女の態勢は、接客業をする者がするべき態勢ではなく、両手を頭と同じ位に挙げていたのだ。
その時思ったのは、きっと彼女にとっては、刃物を向けられていることと、拳銃を向けられていることは、たぶん同じ様なモノなのだろう。
まぁ、彼女があのときの様な、拳銃を向けられたあの時の様な反応をするよりは、もしかしたらずっと健全で、人間らしい行動なのかもしれない。
そして......
その友人と対峙している見知らぬ女の子は、友人が接客の言葉を僕に投げ掛けたタイミングとほとんど同時に、僕の方に、冷たく鋭い視線を、向けてきたのだ。
「......っ」
思いもよらない現在の店内の状況に理解が追い付かず、しかしながらそれを無視していいとも思えなかったので、間抜けだと思いながらも、僕は彼女達に尋ねたのだ。
「えっと......なにごとですか......?」
そして僕のその問いかけに、冷たく鋭い視線の、友人に包丁を向けている方の女の子が答えた。
「この女が、私の彼氏を寝取ったのよ」
「......」
初対面であり名前も知らない女の子から、一字一句間違わない様な、恥ずかし気がない口調で、『寝取った』なんてワードを聞くことになるとは思わなかった。そしてそのあまりの衝撃に、僕は絶句してしまう。
しかしそれを聞いた(というか言われた)その友人は、ため息を吐くような言葉遣いで、心底うんざりした様子で、尋ねた僕の代わりに言葉を返す。
「......だから、何度も言っていますけれど、私はそんなことしていません。そもそも、あなたが言っているその『ようた』君でしたっけ?そんな名前の知り合いは、私には居ませ......」
「嘘おっしゃいこの泥棒猫。気安く『ようた』君を下の名前で呼ばないでもらえるかしら?」
包丁を持つその女の子は、友人が話し終わるのを待たずして、言葉をかぶせるようにしてそう言った。
そしてその様子から、冷静で淡々とした口調ではあるモノの、今現在の、この包丁を持った女の子は、とても興奮していることが伝わったのだ。
さて、これをそのまま放置して買い物をしようとすれば、僕はともかく、店には甚大な被害が出てしまうだろう。
それはこの近くの大学に通う学生としても、あまりよろしくない。
なんせ何度も言うようにこのコンビニは、大学からは程近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在する、そんな場所なのだから......
「あのさ......とりあえず落ち着いてさ......こんなことをしても仕方ないわけで......だからその......出来ればその包丁は、降ろして欲しいんだけど......」僕のその、怯えているのか、説得しているのか、それともその両方を担おうとして失敗しているのか......
そんなどうとでも取れる様な僕の台詞は、今度は彼女の視線だけでなく、彼女の表情全てをこちらに向けさせて、しかし変わらずに包丁は握りしめていて......
なんかもう......スゲー怖いのだ......
そしてそんな彼女は、感情を露わにしない表情で、口を開く。
「なに?」
「......」
「なんであなたにそんなこと、言われなくてはいけないの?」
数秒の間を置いて、めちゃめちゃ恐怖を感じている僕は、返答する。
「いや......なんでっていうか、僕はただ買い物がしたいだけだから......とりあえずは、その話に無関係な僕が買い物を、滞りなく済ますまでは、その包丁は伏せて頂いて、大人しくして欲しいと......そう思って言っているんであって......あっ、居なくなった後なら全然、何してもいいので......」
そしてその返答に対して、今度は包丁を向けられている友人が、こちらに視線を向けながら苦言を呈す。
「うーわ、最低だな......」
うるせー友人、僕は無関係だ!
そこからさらに数十秒、店内はとてつもなく重い空気で満たされて、さらに最悪なことに、もう何も言えることが無いモノだから、自然とそんな地獄のような状況でも、拷問のような無言状態に、僕を含めた三人は、陥ってしまうのだ。
しかしながら......
しかしながらこの状況は、一体どういうことなのだろうか......
店内に入った時から何一つ、状況は変化しない。
店のカウンターを挟んで、客が店員に対して刃物を向けているこの状況は、明らかに異様で、異端で、異常なはずなのに......
最初から今の今まで、何一つ正解なところが無くて、全部がどうかしているはずなのに......
それなのに何故か、彼女達の間には、刃物を向けられている側の、命を奪われるかもしれないと感じる危機感とか、刃物を向けている側の、憎悪とか悪意とか殺意とか......
そういう類の
もう人ではない僕から見ても明らかに、全くもって、一切合切、感じられなかったのだ......
さて、時間を要してもまったく好転しないこの状況を打開するには、やはり包丁を向けている彼女に、友人の身の潔白を証明する必要があるわけで、しかしそれは、本人が言ったところで納得はしてもらえないだろう。致し方ない......
「それにそいつさ、恋人や浮気相手どころか、友人すら殆ど居ない、いわゆる『ぼっち』って奴なんだ。そんな奴が他の奴の彼氏寝取るとか、僕には考えられないことなんだけれど、そう思わない......?」
そう僕が言うと、包丁を持った方の彼女は、僕の方をじっと見ながら、その視線に負けずとも劣らない冷たい声色で、淡々とした口調で答えた。
「そうね.........たしかにその通りだわ。わかった。今日の所はこれで勘弁してあげる」
そう言うと彼女は包丁を降ろして、ツカツカとヒールの音を響かせながら、店内を出ていった。
店内を出る際に僕の方を見ていた気がしたけど、僕は彼女に視線を合わせず、目の前に陳列されているスナック菓子をジッと見つめながら、その場をやり過ごした。
一件落着
これでなんとか、当初の予定通りに買い物が出来る。
そして僕は、時計を動かすための単4電池と、エナジードリンク、それに命の恩人であるスナック菓子をカウンターに持って行った。
そしてそれらの商品を手に持って、バーコードを機械でスキャンしながら、友人は口を開く。
「君、続けて最低だね......普通刃物を向けられている友人を助けるための言葉で、あんなことを言うモノじゃないでしょ......」
「何時ぞやの仕返しに、僕は事実を言ったまでだよ」
「赤裸々に語り過ぎ。プライバシーって言葉知らないの?」
「知らないよ......」 「知っとけよ......」そんな他愛ないやり取りをしながら、僕は財布を開いてお金を確認する。
財布の中には500円玉が1枚と、10円玉が4枚、千円札が2枚入っていた。 そしてそれと一緒に、何時ぞやのパンケーキのお店のレシートが入っているのに、気が付いた。あぁ、まだ捨てていなかったのか......
なんとなく、そのレシートを見ながらそんなことを思っていると、目の前の店員の友人は口を開く。
「......3点で540円になります」
どうやらレジの操作が終わり、金額を伝えたようだ。
店の決まりなんだろうけれど、やはりこの友人に、僕に対しての敬語は似合わない様な、そんな気がしてならなかった。
「はい、ちょうどね......」
そう言いながら僕がお金を渡すと、友人はまた手早くレジを操作して、出て来たレシートを僕に渡す。
そして僕は、そのレシートを受け取って財布に仕舞いながら、コンビニの出入口に向かった。
しかしそこで立ち止まり、踵を返して彼女が居るレジに戻った。
「んっ?なに?忘れ物?」
「いや、そうじゃないんだけどさ......」
呆けているような顔をしている彼女に対して、今ならなんとなく、本当はあの時に言わなくてはいけなかった言葉を、今なら言える気がしたのだ。
だから僕は、普段なら絶対に言わない様なそれを、普通なら絶対に言うべきではないそれを、僕は彼女に向けて、言葉にした。
「琴音が僕をどう思っているかは知らないけれど、少なくとも僕は、友人だと、そう思っているよ......だから......」
そう言い掛けたところで、言葉が詰まる。
言うべき最後の言葉を言いたいのに、どうしても、それは喉の奥に貼りついて剥がれない。
あぁ、また言えそうにないなぁ......
しかし彼女は、そんな僕の中途半端な言葉に対して、何のことを言われているのかを理解したように微笑んで、何かを思い出している様に微笑んで、けれど僕を未だに許してはくれない様子で、口を開いた。
「......そっか、ありがと。けれど、まだちょっとそれは無理そうかな......」
「......そっか......わかった」
そう言いながら、僕は再び出口に向かって踵を返すと「ありがとうございました」という店員である彼女の言葉が、後ろから聞こえた。
しかし僕は、その友人の声には何も反応してはいけないと思いながら、僕は店を出たのだ。
コンビニを後にして数分......いや、そんなに時間が経っていない筈なので、どんなに多く見積もったとしても、時間は数十秒といったところだろう。 僕から一方的ではあるけれど、友人とひとしきり、他愛ない話をして買い物を済ませてから、たったほんの数十秒歩いただけの帰り道...... だからまぁ、予想しようと思えば出来たは筈で、むしろこの場合、こんなことを言ってしまう僕の方がおかしいのかもしれないと、そんな風にも思ってしまう。 しかしながらそれでも......「あのさ......」 まさかまだ、変わらずにそれを携えて居るとは、まだ家に帰らずに、よりにもよって僕の帰り道に居るとは...... そんなこと、思わないじゃないか......「あら、偶然ね......」 そう言いながら、手元の包丁をこちらに見せて、しかしながら彼女自身はそれを全くと言っていい程に、それこそ、その鋭利な凶器すらも自分の身体の一部の様な扱いをしている。 だからきっと僕が、彼女が持つそれに対して多少なりとも気遣いをしたとしても、彼女はそれを、そのことをまったく、気にしない。 気にせずにまっすぐと、こちらを見据えて来る。「......」 何も話さず、何も喋らず、ただまっすぐと......「......」 さっき会ったばかりの、剝き出しの包丁を携えている女の子に見つめられていると、たとえその子の容姿が、一般的にとても綺麗な部類だとしても、その姿は恐怖の対象でしかない。 だから僕は、平然を装いながらも強引に、話を進めたのだ。「それで......こんな所で何してるんだよ?」 もしもこの言葉が、見知らぬ女の子に対してのモノだったら、まるで僕がナンパでもしている様に捉えられてしまうかもしれないが、しかし包丁を手に持っている彼女に対してなら、そんなことはないだろう。 そもそも、その話しかけた女の子が、さっき初めて知り合った女の子なのだから、そういう意味では、
殺人鬼...... 僕はこの言葉の意味を、もういつだったかも、どうしてだったかも忘れてしまったけれど、辞書か何かで調べたことがあって、そしてそこには、『むやみに人を殺す鬼のような悪人』と、書かれていたのだ。 まぁ人間の社会では、殺人というモノが最も重く、最も罪深い行為として認識されている以上、それをむやみに行うような輩は、鬼のような悪人と例えられても、そう言われたとしても、仕方がないのだろう。 人は殺せば息絶える...... そんな当たり前の現象が存在する以上、殺人と言われる罪がなくなることは、決してないのだろう。 しかしながらあくまで、それは『鬼のような悪人』と書かれていたのだ。 それはつまり、殺人鬼という言葉が、その殺人という行為をむやみに行う輩が、鬼のようなその輩が、あくまで人間であるという定義の上で、この言葉は成り立っているということになる。 まぁ、それもそうだろう...... 考えなくても当たり前のことだ。 今ここでこんなことを語っている世界には、人間以上に知識が発達した生き物は存在しないのだから、そんな生き物である人間は、逆に言えば、この世界で『罪』を犯すことができる、唯一の生き物なのだ。 しかしそうなると今度は、そもそも『罪』というモノが何なのかという話にもなってしまう。 もしもそれらが、善と悪の隔たりを決めることが出来る人間が、自らを戒めるために作った様なモノだとしたら...... 果たしてそれらは、明らかに人間とは特異的な違いを持つ者に対しても、当てはまるのだろうか...... 自らのその行為を罪と捉えることが、果たして出来るのだろうか...... あぁ、ダメだ...... こういう言い方をしてしまうと、自らの行いを罪だと自覚できる生き物は、後にも先にも人間だけだという話に、行き着いてしまう。 行き着いて、収束してしまう。 ゴールデンウィークの、急転直下な、あの黄金色の数日間を経て、人間とは程遠い『不死身』という体質になってしまった僕にとって、そういう収束の仕方はあまりにも、都合が悪い。 だからきっと...... これからするこの御話は、そういう都合が悪いモノを捻じ曲げて、引き裂いて、流血を流しに流して、殺されながら前に進む。 痛くて、苦しくて、重くて、辛い...... むせかえる程に酷い血まみ
この場所は、あまりにも寒かった。 時刻はとっくに、深夜を通り過ぎて朝日が昇る手前の時間だ。 これは相模さんからのアドバイスである。『家に帰り、夕食を済ませたら、布団で寝て、そして朝日が昇る直前に、それを持って、この場所に行けばいい、そうすれば君は、彼女に会える。そして彼女に会って、それを使って、君が決めたことを、やればいいさ』 そう言いながら渡された、新聞紙に包まれた物と一緒に渡された小さな紙切れには、ある場所が記されていた。 こんな所に、こんな時間に、女の子が一人で居るのは、それはあまりにもおかしなことだと、普通では考えられないことだと、そう思った。 けれど...... もしもその女の子が『吸血鬼の異人』という存在ならば、きっとそれは異常なまでに、正常な光景なのだろう。 月の姿は見えなくとも、空の冷たい空気と、彼女の姿があまりにも、それがあまりにも、似合い過ぎているのだから...... だからきっと、今彼女はこの場所に居て、然るべきなのかもしれない。 そう思いながら、階段を登り終えた先に視線を移すと、やはり彼女はそこに、風を感じるようにして立って居た。 そして僕は、そんな彼女に声を掛けた。「琴音さん、こんな所で何をしているの?」 その僕の声に気付いた彼女は、振り返り、少し驚いた表情をした後に、言葉を紡ぐ。「なんで......なんで君が、ココに居るの......?」「そんなの、決まっているでしょ?琴音さんを探しに来たんだよ......だからさ......」 そう言いながら、僕は彼女に一歩近づく。 しかしそうすると、彼女は二歩程退いて、僕が近づくことすら拒む。「ダメだよ......来ないで......」「どうして......?」「どうしてって......もう知っているでしょ?私は、人を殺したんだよ......」「うん、知っているよ......僕を刺した通り魔を、あの場で、殺したんでしょ?」 そう僕が言うと、彼女はまた二歩程後ろに退いて、そして僕とは視線を合わせずに、弱々しい声で言う。「そうだよ......殺したんだよ......今まではちゃんと、上手くやっていたのに、それなのに、それなのに私は、あの一瞬だけはどうしても......どうしても抑えられなかった......」「それはどうして......?」「......わ
相模さんが僕に手渡した紙切れは、新聞紙だった。 そしてそれが新聞紙であるならば、おのずとそれには、必然的に記事の内容が書かれていたのだ。 もっとも、このとき相模さんが僕に手渡した紙切れが、本当にただの、何も書かれていない白紙の新聞紙なら話は別だが、しかしそこには、見出しであるのだろう、色彩に富んだ大きな文字で、こう書かれていたのだ。『横浜の夜、吸血鬼あらわる!!連続通り魔を殺害か!?』 その紙切れを見て、そして相模さんの言葉を訊いて、僕は数秒、おそらく本当の意味で、息を吞んだ。「これって......」 そう言いながら、言葉を失う僕に向けて、相模さんは淡々とした口調で言葉を紡いで、僕に事の顛末を説明してくれた。 あのあと、僕が殺された直後に、相手の通り魔の男性は首を吹き飛ばされてしまったらしい、しかしそれを見た周囲の人間は、あまりにも起きたことが異端すぎて、あまりもその光景が異常過ぎていて、まるでそれが、映画か何かの撮影だと思い込んだ人間の方が多くて、すぐに警察や救急車を呼ぶことを判断できた者は、ほとんど居なかったらしいのだ。 しかしそれでも、誰が見ても明らかな首無し死体と、不意を突かれて刺された僕の醜態と、通り魔の首を吹き飛ばした吸血鬼の異人である琴音さんが、その場にそんなモノが三つも居れば、それこそ必然的に、その場はパニックの中心になり果てる。 そしてその場がパニックになった直後、琴音さんはその場から、人間では考えられないような身体能力を駆使して、姿を消したのだ。 そしてその結果が、この新聞記事である。 昨日のことを一通り話した相模さんは、その口調のまま僕に言う。「琴音ちゃんの状態は、謂わばバランスを保っていて、どちらにも倒れない天秤のような状態だった」「天秤......ですか......」「あぁ......片方には君から吸い取った人間性、そしてもう片方には、元からあった、吸血鬼の異人としての異人性だ。けれど君が刺されて殺された現場を、一番近くで目撃した彼女は、そのときの君の血液を、一番近くで目の当たりにした彼女は、彼女の中にあったその半分の吸血鬼の異人性を、一気に膨れ上がらせて、暴走したんだ」「......」 無言で俯いている僕は、そのときの彼の言葉でようやく、相模さんが言っていた、『自覚的であるべきだ』という言葉の意味を、言
矛盾が生じてしまう恐れがあるので、予め言っておくと、僕は彼女のことを、とても綺麗で特別な存在だと、それは間違いなく、今でも思っているのだけれど...... なんだろう、それはなんとなく、そう理解しているに過ぎないのだ。 欲求だとか、下心だとか、色気だとか、そういうモノをまだ、微かになんとなく感じることが出来る筈なのに...... それなのに、ただ綺麗なモノを、綺麗だなって...... 僕は彼女に対して、そういう風な気持ちにしか、ならないのだ。「ねぇ......」「えっ?」 考え込んでいたところに、不意に声を掛けられたから、一瞬だけ思考が鈍くなる。「誠、私に話があるって言ってたでしょ?何の話?」「あぁ、うん......」 一拍置いて、少しだけ言葉を考えて、話し出す。「昨日さ、あのあと相模さんに会ったんだ......」「えっ、アイツに会ってたの?」 そう言いながら、彼女の視線は厳しく、冷たく、鋭さを増す。「あっ......」 言葉選び大失敗。 彼女にとっては、名前を出すべきではない人の名前を、僕は真っ先に言ってしまったのだから...... しかしこの話は、やはりあの専門家である相模さんの名前を出さない事には始まらない。 だから僕は、その彼女の視線に臆せずに、そのまま話を続ける。「うん、昨日あの後の帰り道、偶然会って、そのあとファミレスで少しだけ話をしたんだ」「偶然?へぇーそれで?」 明らかに不機嫌な態度をとる彼女に、やはり僕はそのまま話を続ける。「うん、吸血鬼の異人がどういう存在で、そしてこれから先、琴音さんや僕が、どういう風になってしまう恐れがあるのかも、多分全部ではないけれど、粗方訊いたんだ」 そう言うと、彼女は少しだけ表情を真剣なそれにして、口を開く。「そう......それで、誠はそれを訊いて、怖くなっちゃったの?」 その彼女の言葉に、僕は何故か、とても素直に返事をした。「......うん、そうだね。怖くなった......」 そう言いながら、僕は彼女の視線を見つめる。 その見つめた視線に、彼女が合わせながら話してくれる。「そっか......そりゃそうだよね......」「うん......まだ全然、自分が人間ではなくなったなんてこと、ちゃんと自覚はしていないけれど、でも......それでも緩やかに、けれ
「......でも、琴音さんは別に、人間を襲うわけじゃないんでしょ?」 そう言った僕の声は、自分でも驚く程に小さくて、弱々しかった。 まるで、さっき相模さんが言ったようなことに、彼女が含まれていないことを確認するような言葉を選んでいて、それでいて声は明らかに、僕自身が言った台詞が、相模さんに肯定されることを願っているような...... 何かに縋っているような、そういう物言いを、僕はしていたのだ。 しかしそんな僕の気持ちとは裏腹に、相模さんはそれを、真っ向から否定する。「いいや、それは彼女も例外ではないよ。少なくとも吸血鬼の異人である彼女にとって、人間は