LOGIN時刻は真夜中の三時頃だろうか......
草木が眠る丑三つ時というだけあって、普段は大勢の人間が出入りするこの大学という施設も、日が出るにはまだ少しだけ時間がある今に至っては、僕一人しか居ない状況だった。
しかしながら僕は、真夜中の大学に忍び込んだわけではない。
そもそも大学という施設は、敷地内に入るだけなら、こんな夜中であろうとも普通に出入りができるのだ。
特にこの大学に関していえば、神奈川の横浜近くの某所にキャンパスを構える立地の良さと、そこまで高くない偏差値(まぁそれは学部学科によるが)のおかげで、約一万七千人の学生が在籍している、日本屈指のマンモス校である。
そんな大学だからかもしれないが、住宅街にキャンパスを構える割には、かなり広い敷地面積を誇っているのだ。
だから割と簡単に、夜中に敷地内に入るだけなら、誰でも出来る。
けれどまぁ、ここまで自分が通う大学のことを語っている僕だけど......
わざわざ夜中に、自分が通う大学の敷地内に入っている僕だけど......
別にそこまで、大学という場所が好きであるとか、そういうコトではない。
そもそもまだ、入学して一ヶ月ちょっとしか時間が経っていない今では、嫌いになることもないけれど、好きになることはもっとないのだ。
それでも、わざわざ故郷である九州から、こんな関東の海沿いの街に遥々来て、一人暮らしをしているのだから、嫌でもそのうち、思い出深い場所にはなるのだろう。
そんな風に、僕は大学の施設には入らずに、敷地内をただ散歩していた。
『どうしてそんなことをしていた?』かと聴かれれば、その答えはあまりにも単純で明瞭だ。
要は、『眠れなかった』だけなのだ。
眠れないから、自分が住んでいるアパートの近くを散歩していた。
その散歩のコースに、たまたま大学があっただけなのだ。
まぁ、家から徒歩十分のところに大学があるのだから、そういうこともあるだろう。
だからまぁ、特に何も考えずに、ただ気の向くまま、耳元にはイヤホンで、流行りの音楽を流しながら、歩いていた。
けれど多分、今思い返してみても、それが良くなかったのだ。 気の向くまま歩いた先に、普段使用している八階建ての大学施設があったからか、はたまた耳元に、イヤホンで流行りの音楽を流していたからか......いや、きっとそれらの状況がたまたま、本当に偶然に、重なってしまったからなのだろう。
だから僕は、
どんな風に表現するべきなのだろうか......
明らかに硬い何かが頭を直撃した筈なのに、まるでトマトみたいな柔らかい何かを床に叩き付けたような音と、そういう音には似合わないくらいの......
いや、もしかしたら似合い過ぎているくらいの鈍痛が、僕の頭を中心として、全身に響き渡った。
そしてさらに、これもまた僕の頭を中心としているのだけれど、倒れた際に、僕は大きな血溜りを作っていたのだ。
そして途端に、意識というモノが一気に、遠くの何処かに投げやられてしまったような、そういう感覚になっていく。
そしてそんな感覚の中で、この状況では明らかに不釣り合いな声が、聞こえた気がしたのだ。
「痛ったぁぁ......あぁ、頭が割れたかと思った......」
いや、もしかしたらこれも、釣り合い過ぎている程に釣り合っていたのだろう......
「あれ......まさか......やっちゃってた......?」
そう言いながら、次第に意識が薄れていく僕に近付いて、その声の主は僕に、恐る恐る問い掛ける。
「えっと......もしかしなくても君、今死にそう......だよね......?」
その言葉に、肯定の言葉を返したいけれど、何故だか言葉が出てこない。
「...っ」「あぁ、わかったわかった。喋らないでいいよ......たぶん喋るのもしんどいよね......」
そう言いながら、その声の主は少しだけ考えて、そしてその後に、多分こんなことを独り手に呟いていたような......
そんな気がする。
「仕方ない......か......ほんとうはこういうことはルール違反だけど......でも多分、死ぬよりはいいよね......たぶん......」
そしてその、最後の『たぶん』って言葉を聞いた後に、僕は多分、気を失ってしまったのだろう。
なんせそこからの記憶が、あのときの記憶が、どんなに思い出そうとしても、思い出せないのだ。
けれどまぁ、どんな風に考えても、僕は本来、このときに死んでいた。
考えなくてもわかると思うが、上空からの落下物が、ピンポイントで人間の頭の上に落ちてきて、生きている方がどうかしている。
なんせ落下物は、加速度的に、殺人的に速度を増して、その速度のまま直撃するのだ。
そんなの、戦争映画なんかで見るようなミサイルと、なんら変わらない。
そんなモノ、もしも生きていたら、そいつは人間ではないだろう。
そう、人間ではない。
人間とは違う、明らかに異なった体質でもない限り、死んでいて当然の状況だ。
だから僕は、このとき
次の日、何処かもわからない場所で、僕は目が覚めた。
何処だかわからないというのは、もしかしたら少しだけ、語弊があったのかもしれない。なぜなら目が覚めて、少しだけ時間が経てば、そこが大学の施設の中ということだけは、確信できたからだ。
その理由は、別になんてことはない。
ただ単に、僕が大学の授業の時に、使ったことがあるという、たったそれだけの理由で......
だから端的に言えば、『来たことがある教室だから、知っていた』だけなのだ。
しかしそれでも、どうして自分がこんなところに居るのかは......
どうしてこんな場所で熟睡していたのかは......
それだけはどうしても、わからなかった。「ン......ん?」
なんだろう、なんか妙に、温かい。
いや、温かいのはいいのだ。
なんせ今の僕は、大学内のとある教室に、どこから来たのか分からない毛布に包まって、どこから用意されたのか分からない、真新しい毛布に包まって、寝ているのだから。
だからまぁ、僕の身体がそれなりに温かい状態になっているのは、さして不思議な状況というわけでも、不可解な状況というわけでもない。
だけど不思議なのは......
だけど不可解なのは......
その毛布の中から感じられる『温かさ』が、明らかに人一人分のモノではなくて、明らかに、僕一人分のモノではなくて、もう一体、何かの生き物の体温を感じざる負えないモノだということだ。
なんだろう......一体......
そう思いながら、恐る恐る、その毛布を大きく横に持ち上げる。
それこそ、自分の身体が全て、その毛布から露わになるほどに......
それこそ、確実にその体温の正体を、全て目視で把握することが出来るほどに......
「......えっと......」
「ンー、ん~、んー」
そう言いながら、その露わになった生き物は、完全に寝ぼけながら......
っというよりも、完全に寝ながら、僕にその姿を現したのだ。
そしてその生き物の姿は、年齢で言えば僕と同じか、少し年下くらいの、可憐な女の子の姿をしていた。
しかも何故か、女性の洋服に対して、そこまで造詣があるわけでもない僕がわかる程に、明らかにその女の子は、薄着の格好をしていたのだ。
「んー」
寝ている薄着の女の子に、意を決して話し掛ける。
「あ、あの......」「んー......あと、五分......」
そう言いながら、その少女はまるで、自分の家に居るかのような決まり文句を言いながら、僕が横に持ち上げて退かした毛布を引っ張って、そしてまたそれに包まりながら、こう言ったのだ。
「寒い......」
そりゃ、そんな格好をしていれば寒いだろうに......しかしそれでも、毛布を完全に取られてしまえば、しかもその相手が、薄着の女の子であるというのなら、もう一度その毛布の中に潜り込んでしまうというのは、おそらく......いや、確実にまずいだろう......
もし何かの拍子に気付かれて、叫ばれて、警察でも呼ばれるなんてことがあったら、僕の大学生活は、スタートして間もないこの時期に、早々に色々な意味で終わりを迎えることになる。
今はまだ、四月の下旬で、たしか今日は、ゴールデンウィークの一日目だ。
そう、ゴールデンウィーク。
黄金色に輝く、連休続きの奇跡の期間。
そんな素晴らしい日の一日目に、それはさすがに良くない。
それは......さすがに......
そう思いながら、僕はもう一度、その少女が包まっている毛布に視線を向けた。
別に、おそらく女子大生であろうその薄着の女の子に、何かしらの厭らしい行為をするわけではなく(っというか、そんな度胸があるわけでもなく)、その時にただ、唐突に......
ほんとうに唐突に、昨日のことを思い出したのだ。
「なんで......僕は生きているんだ......」
そう呟きながら、口元を手で抑えながら、自分が呼吸していることを確認して、生きていることを確認する。
そして身体を起こして、立ち上がって、辺りを見回して、やはりそこが何も変わらない、何一つ変哲もない教室だということを確認する。
そしてそこまで確認出来て、目が覚めてこれだけの時間が経過すれば、次第に思考がはっきりとしてくるわけで......
そうなると必然的に、昨日のことを少しづつ、少しづつ、より鮮明に、より明瞭に、思い出すことになる。
それがどんなに......
どんなに、ありえないことだとしても......
どんなに、あってはならないとこだとしても......
根拠は何も無かったけれど、それでもこんなタイミングで、こんな変なことが起きているのだから、やはりこの、毛布に包まっている薄着の少女が、昨日のあの一件に関係している気がしてならなかった。
だから僕は、今度はちゃんと、事情を彼女から聴き出すつもりで......
ちゃんとその少女のことを起こすつもりで......
もう一度その毛布を手に取ろうと、前かがみの態勢になった。
けれどそこで、僕の動きは止まった。
「やぁ、おはよう青年」
そう言いながら、教室の端の席にいつの間にか座りながら、そして何かを口に咥えながら、男はこちらに笑みを浮かべて居た。
音も立てずに現れたその男に、僕は心底驚きながら、しかし声は出してはいけないと思ったから、動きを止めたのだ。
「まったく、ゴールデンウィークの初日から、大学に忍び込んで何か面白いことをやらかしていたようだけれど、一体何をしでかしたのかな?」そう言いながら、その男は座っていた席から立ち上がり、こちらに向かってゆっくりと、ゆっくりと、歩みを進める。
そうなると次第に、外の光が男の姿を照らし出す。
オーバーサイズの黒いTシャツに、黒のスキニーパンツ。
その服装はどこにでもいるような、大人の大学生みたいな人だった。
この大学の、先輩だろうか......
それにしては、何だか妙な雰囲気を持っている人だ......
なんだろう、なんて言えばいいのか、わからないけれど......
そう思いながら、僕は歩み寄って来るその男に向かって、何か言わなくてはいけない気がするから、言葉を紡ごうと努力する。
「あ、あの......」
「あぁ違う違う、僕が尋ねているのは君じゃないよ、青年」
そう言いながら、その男は僕に視線を向けて、静かに微笑をする。
しかしその後、僕の足元で包まって、丸まっている毛布に視線を向けて、まるでさっき僕がしようとしたように、男は徐に、その毛布に手を伸ばす。
しかしその男が手を伸ばした瞬間、その毛布は大きく、包まっていた中身ごと飛び上がって、そしてその教室の、教壇の机の上に降り立ったのだ。
ここで、今僕等がいるこの教室のつくりをザっと説明すると、教壇の部分は少しだけ段差があって、教室全体を広く見渡すことが出来るようになっている。
だから必然的に、その教壇の机の上になんか立っていれば、僕やこの男を含めた、この教室という空間全体を掌握できるし、また僕やこの男も、その毛布で包まったそれを、見失うことは絶対なく、注視することができるのだ。
そしてそうなると、その机の上に立って、包まっていたその毛布を自ら剥ぎ取って、中身である薄着の少女は、その姿を自ら晒す。
外から差し込む朝の光は、暗い教室では、さながらスポットライトのように、彼女を照らす。
露わになった彼女の姿は、特別だった。
最初に毛布を取ったときは、驚きのあまり目に入らなかったけれど、彼女の長い髪は、光に照らされてより一層輝きを増して、煌びやかな深紅が激しく揺らいだ。
そしてその奥に、彼女自身の華奢な身体は、まるで何かのダンスを踊っているかのような、その自ら剥ぎ取った毛布すら、その身のこなしの一部にするような、そんな美しい姿を、僕に見せた。
いや、彼女が見せたというより、僕が魅せられたのだ。
注視することができるその彼女の姿を、少なくとも僕は注目していた。
だから僕は、この後の瞳を開けた彼女の最初の言葉に......
朝の最初に言葉を交わすのなら、割とまともだった筈の彼女の言葉に......
なんて返すのが正解なのか、一瞬だけ戸惑ったのだ。
彼女は僕を見て、こう言った。
「あー、おはよう、夜の人」
『夜の人』というのが、果たして本当に僕のことを指して言っているのか、正直なところ自信はなかったけれど......
しかし確実に、彼女は僕と視線を絡ませながら、その言葉を言っているのだから、きっとそうなのだろうと、そう思った。
だから僕は、当たり前のことだけれど、彼女の言葉に応答したのだ。
「......おはよう......ございます......」
もっと分かりやすく言えば、ただ彼女に、挨拶を返しただけである。
その僕たちの様子を見て、横に居た男は笑い出す。
「ハハッ......まったく、君はどんな風にしていても、やはり華やかに周りを演出してしまうんだね、佐柳ちゃん」
その男の言葉に対して、『佐柳』と呼ばれたその少女は、教壇の机の上に立ったままの状態で言い返す。
「うるさい、専門家。なんで朝の起き抜けに、お前の年齢詐称面を拝まなくちゃいけないんだ。ゴールデンウィークの初日だというのに、これじゃあもう、今日は厄日で決まりじゃないか」
「ひどいな~僕は疫病神か何かなのかい?これでも君が生きやすいように、割と色々、働きかけているつもりなんだけどなぁ~」
そう言いながら、その『専門家』と言われた男は肩をすくめながら、不敵に小さく笑う。
そしてその笑顔のまま、僕の方を見ながらまだ言葉を続ける。
「特に今回のような、君の不注意で招いた事故の後始末は、本来なら僕の仕事ではないんだ。それなのにそれまでやらせておいて、そんな言い方はないんじゃないかい?」
「いいや、むしろ言い足りないくらいだ。普段のアンタの言動と行動が、あれくらいのことでチャラになると思うな!」
そう言いながら、その少女は『専門家』の男のことを睨みつける。
なんだろう、話にまるで入れないし、話がまるで見えてこない......
この二人は、そこまで仲がよくない......っというよりも、『佐柳』と呼ばれている女の子の方が、一方的に嫌っているような、なんだか、そんな風に思える。
けれどここで、この二人の会話をただボーっとして見ているだけには、おそらくいかないと思うから......
だから僕は、意を決して、話に入ろうと試みる。
「あ......あの......」
「ん?」
僕の声に、『専門家』の男が反応する。
「さっきから何の話をしているのか、まるでわからないんですけれど、でもその口ぶりから察するに、あなたは昨日の夜、僕に何があったのかだけは、知っているんですよね?」
その僕の言葉を聞いて、男はニヤリと口元を動かしながら答える。
「あぁ、もちろん知っているよ。なんせ
そう言いながら僕と、その『佐柳』と呼んでいた少女を見比べて、何かを考える素振りをして、わざわざ間を置いて、男はこう言った。
「とりあえず、何か食べようか。目の前のコンビニでも行ってきなよ」
まるで大学生が、友人に言うような言い方で......
そんな風に、話しながらなんとなく歩いた先には、大学の近くでも見る様なコンビニが見えたので、朝食も食べていない僕達は、何も相談することはなく店内へと吸い込まれた。 そしてそれぞれ買い物をして数分後、そのコンビニから少しばかり歩いた先に置かれていたベンチに二人並んで腰掛けて、おにぎりとかサンドイッチとか、そういうモノを口にする。 口にしながら、柊は僕に言う。「荒木君って、男の子の割にはかなり食が細いわよね?そんな調子で大丈なの?」 その柊の台詞は、僕の手元にある小さなおにぎり向けられていた。 もっとも僕が、食べ物はそれぐらいしか購入していないから、そんな台詞が出たのだろう。 手元のおにぎりを平らげて、僕は言う。「男の割にって……そういう言い方は今のご時世的にはどうなんだ?まぁもともと太い方ではないけれど、この体質になってからは尚更かな……」「尚更って……不死身になったらさらに食が細くなるの?どういう理屈?」「どういう理屈なんだろうねぇ……相模さんは曰く、今の僕の身体は、全体の約八割が異人で、残り二割が人間という組成らしくて……そしてそれ故に、人間的な欲求が薄れているということらしい。だから食欲とかも昔よりさらに減少したっていう……まぁでも、この身体にそんな理屈が、どれほど当てはまるのかも、正直なところわからない」そう言い切って、購入していたお茶に口を付ける。流れ込む液体は、人間の時に感じていたモノと変わらない。食事ではないけれど、それに付随するからなのだろうか。コンビニ売られているペットボトル飲料の緑茶の味、そのモノである。 なのに、やはり、どうしても……人間の時に飲んでいたモノよりも幾分、美味しさを感じづらくなっているように思えるのだ。口を話して、僕は言葉を続ける。「まぁ僕の場合は、本来の異人とは違って、成り方が特殊らしいくてさ……なんて言うのかな、異人に成り果てた切っ掛けが、あまりにも直接的過ぎるって……」 そこまで話して、思い出したのは、やはり琴音のことだった。拳銃を突き付けた時の彼女の表情と、その後に落下した彼女を抱き止めた光景と、それと……「気持ち悪い顔しているわよ、荒木君。まるで初めてのキスでも思い出している様な顔をしているわ」 言いながら柊は、自分が食べていたサンドイッチの最後の一口を食べ終える。 そして僕は
それなりの時間を費やして歩いた先に見えた景色は、昨日と同様の海だった。 しかし早朝というだけあって、さすがに観光地とは言え、昨日程は人が居ない。 故に昨日よりも、海や砂浜が、幾分広く思えるのだ。 そんな景色を視界に映して、ゆったりとした歩幅で歩きながら、少しだけ前を歩く柊に、声を掛ける。「悪くないなぁ……散歩……」 そう言うと柊は、僕の方を振り向いて、言葉を返す。「そうでしょ。でも今日は特別よ、場所がいいわ」「あぁ、まぁそうだろうなぁ……横浜駅の辺りは散歩していても、こんな気持ちにはならないだろうし……」「えぇ……あんな所の早朝なんて、見るに堪えないから……」「……」 彼女が言葉を返した後に、また数分ほど、僕と柊は無言で歩く。 例えとして出した場所が、良くなかった。 僕が挿された場所を、琴音が殺した場所を、彼女の兄が殺された場所を、例えにするべきではなかったのだ。 ただ単に、大学近辺に住む奴に話すのとは違うのだ。 そんな風に考えていると、柊は再びコチラを振り返り、僕に言う「口にした後に、後悔しても遅いわよ」「……あぁ、ごめん」 そう言いながら、僕は彼女から視線を外す。「……そんな風にされたら、私も気まずいわ。もう全部、済んでしまったことなのだから……仕方ないわよ」 そう言いながら、視線を外している僕の方に向けて、いつも通りの声色で彼女は言う。 ほんとうにいつも通りで、冷たい温度を孕ませて…… だから僕も、いつもの様に言葉を紡いだ。「仕方ない……のかもしれないけれど……それでも僕は、やっぱり柊に、ちゃんと謝るべきだ。僕があのとき刺されなければ、柊の家族は死なずに済んだのかもしれないし、少なくともこんなおかしな、異人なんかに関わる様なことには、ならなかっただろう。そう考えると結局、僕が切っ掛けで、柊をこんなおかしな所に連れてきてしまった様な、そんな風に思えて仕方ないんだ……だから……」 そこまで話して、後は最後に『ごめん』と付け足すだけだった。しかし柊は、そんな僕の言葉を待たずに、返答するのだ。「あら、つまりアナタは、自分のせいで私がおかしくなったって、だから責任を感じているって、勝手にそこまで思い詰めていて……けれどそこまで思い詰めはしたけれど、反省の仕方が思いつかないから、とりあえずは謝罪の言葉を述べようと……そ
明朝、耳元に届いた冷たい声は、些か怪訝さを含んでいた。「荒木君……」 しかしその声が、あまりに分かりやすいそれだったから、僕は眠気眼の状態で、声の主に返事をする。「ん……あぁ、あれ……柊、おはよう……」「おはよう……って、あなた……どうしてこんな所で熟睡しているの?」「っ……あぁ、まぁ……色々あって……」 言いながら、身体をゆっくりと動かすと、寝ていた状態が良くなかったのだろうか、はたまたこんなフロントのソファなんかで寝るべきではなかったのだろうか、鈍く重い痛みが身体を襲う。 悲しいことに、そんな痛みが原因で、上手いこと身体を起こすことが出来ないのが現状である。 そしてそんな状態の僕を見ながら、わざわざ視線を合わせるためにしゃがみこんで、柊は僕に言葉を返す。「色々って……ほんと、よく通報されなかったモノね……」「えっ、僕通報されるの?」「されるでしょ、少なくとも私が従業員ならしているわ」「ひどくない?」「深夜に部屋じゃなくフロントのソファで寝ている不審者が居れば、誰だって通報するのは当然じゃないかしら?」 そう言いながら柊は、身体を起こそうとしている僕なんかよりも早い動きで立ち上がり、手をコチラに差し出す。「一応客なんだがなぁ……しかしそう言われると、何も言い返せない気がする」 そう言って、僕は柊のその手を取って、無理矢理身体を起き上がらせた。 起き上がりながら視界に入ったフロントの時計の時刻は、六時を指していた。「それにしても、早くないか?」 その声に対して、柊も時計の方に視線を送って、言葉を返す。「いつもこの時間に目が覚めるのよ……せっかくだから散歩でもしようかと思って、外に出たの」「あぁ、だからそんな……」 そう言い掛けた所で、僕は口を噤んだ。 いつもより明らかに、外に出るには無頓着な格好をしている彼女の装いに対して、危うく口を滑らすところだった。 しかしそんな僕を見て、彼女は言う。「賢明よ、荒木君。それ以上口を滑らせていたら、うっかり殺していたかもしれないわ」 そう言いながら、コチラに視線を送った後に、彼女は外に向かって歩き出した。「だから何も言っていないだろ。うっかり殺されるのは納得がいかない」 そう言いながら僕も、彼女の後を追う様にして、ゆっくりと歩き出す。 どうせ起きてしまったわけだから、同
大浴場での入浴を終えた後、部屋に戻ると、既に灯は消されていた。まぁ旅行初日に、あそこまで予想外な展開になったのだから、それも仕方ない。きっとしばらくしたら、僕も他の奴等と同様、すぐに意識を失って、意図も簡単に眠りにつけるのだろう。「……」 あーまぁ、そうだよね。 この身体になってから、食欲とか性欲とか睡眠欲とか……いわゆる人間の三大欲求が薄れているわけなのだから…… だからまぁ、こうなることは、想像に難くない。「……眠れないなぁ」 天井に向けて呟いた言葉は、空気に溶けて消えていく。 しかしその独り言が、少しばかりうるさかったのだろうか、隣に眠る奴等が、同時に寝返りを打つ。 右隣には柊、左隣には琴音……「……?」 アレ?なんだこの状況? 部屋に戻った段階では、どちらも真ん中には背を向けて寝ていた。 それで僕が眠るのは、もう真ん中のスペースしか見当たらなかった。 だからそのスペースに身を任せて仰向けになった。 うん、大丈夫、ここまでは至って普通の行動である。 しかしそこから数分後、今の様な状況になるわけなのだが…… これはあれか?ん?あっ、そうか……寝返りを打ったのか?「……フゥ」 今度は上を向いたまま、小さく息を吐く。 不幸中の幸いなのは、先に述べたように、今の僕は不死身の異人であるが故に、人間の三大欲求が通常よりも薄れているという点で、異人というモノは、人間とは異なるが故に、人間らしい欲求からは遠ざかっている……らしい…… いや、コレはたぶん、今までの経験からも、そうであると言える筈だ。 ゴールデンウィークの時に、琴音とラブホに行った時も、夏休み前に、柊を家に泊めた時もそうだった。 だからまぁ、この様な状況になったとしても、僕は特に、何も思わない。 そんな風に考えていると、両隣からどういうわけか、薄っすらと異なる甘い匂いが、同じタイミングで鼻に届く。 ほんとうにどういうわけなのだろうか……皆同じシャンプーだろうに…… あぁ、ダメだ、コレはいくらなんでも、たとえ人間でなくても……コレはよくない。「……っ」 僕は静かに身体を起こし、部屋を出た。 出た所で、行く宛などはないけれど、しかしあのままあの状態で、ずっと横になり続けても、眠れるわけがない。 ならいっそ、少しばかりホテルの廊下を歩いて、ロビーでジュース
そんな風に考えていた矢先、僕の思考を読んだのか、それとも単に、からかうのが目的の表情で、紡いだだけなのだろうか、いつも通りの表情ではあるけれど、先程までと明らかに違う声色で、彼は言う。「それはそうと、荒木君。今日は随分と楽しかったそうじゃないか。佐柳ちゃんだけでなく、年端もいかない現地の女の子までひっかけるなんて、まったくさすがだよ。大学生はそうではなくてはいけない」 そう言いながら、湯船に浸かりつつ、しかし身体ごと僕の方に向き直る相模さんに対して、逆に視界に入れない様に身体を逸らして、僕は言い返す。「一体大学生にどんな偏見を持っているのか気になるところではありますけれど……それに、誤解というか、語弊だらけな気がするので訂正しますけれど、あの子とは偶然、一緒に行動することになっただけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。だって……」「だって普通の女の子だから……かい……?」「……」「まぁ、現段階ではそうだろうね。今のところは本当に普通の少女だ。君や佐柳ちゃんが関わったというだけで、それ以外は、当たり前だが何もわからない」 そう言いながら、身体を湯舟から上げて、しかしその動きの最中、言葉は続ける。「そもそも、君が関係を持つ者全てが、異人に成り果てていくなんて、そんな傍迷惑な話になってしまうのは、コチラとしても勘弁していただきたい」「……そうですよ。彼女はいたって普通の女の子です。それ以上でもそれ以下でもない」 言いながら、湯面に映る自分の顔に視線を合わせて、僕は彼に続ける。「それよりも、明日は琴音が例のカウンセリング、受けるんですよね?」 そう僕が尋ねた時、彼は露天風呂から室内に戻ろうとしていた。 だが僕の声が聞こえたからだろう。 扉に手を掛けて、コチラに視線を合わせながら、彼は言う。「あぁ、そうだよ。順番も、スケジュールも変更はしない。君は最後だ、荒木君。だからせいぜい、明日は柊ちゃんと二人で、熱海観光を楽しめばいい。あぁでも、あまり下手なエスコートはしない方がいい。怒らせたら本当に、怖かったからねぇ……」 そう言い残して、彼は露天風呂を後にした。 言い残された僕は、露天風呂に一人、取り残されながら想いを馳せる。 僕等と別れた後に、柊がどれだけ激昂したのかは、正直なところ測り知れないけれど、しかしそれでも、さっきまでの
けれど相模さんときたら、その向けたられた視線に、投げ掛けられた質問に、相変わらずの微笑を浮かべながら、また一段と深く湯舟に身体を沈めて、言葉を紡ぐ。「フフッ、説明……説明か……そうだねーなんて説明するのが正しいのかなぁ……」「……」 視線に対して、少しばかり合わせたかと思えば、またすぐに切って、けれどまた合わせて。 そんなことを二回か三回繰り返した後に、彼は静かに、口を開く。「そんなに睨むなよ……どこまで白状するべきなのか、僕としても判断が難しくてね。なんせコレは、僕個人の動きではなくて、組合という組織が関わっていることだ。下手に口を割ってしまうのは、非常に不味い」 そう言って、言い終えたのか、もしくはその後の言葉が出て来ていないだけなのか、数秒の空白が横たわる。 だから僕も、彼と同じ速度で、言葉を返す。「ずいぶんと……」「ん?」「ずいぶんと、白状なんですね。この旅行を企画してくれたのは貴方なのに、別行動することが前提で、しかもそれでいて、その目的やら詳細は、あまり話せないなんて……」 そう言い終えると、その後の言葉が出てこない僕は、数秒の沈黙を横たわらせる。 すると相模さんは、ため息交じりに、けれど声色は上向きに、言葉を紡ぐ。「まぁ、申し訳ないとは思っているよ。騙し討ちをした様なモノだしね……けれどこうでもしないと、君等三人を効率良くカウンセリングするのが難しいのも事実だ。特に柊ちゃん」 彼のその言葉に、僕はつい、反応してしまう。「柊が……ですか……?」「……意外そうだね」「えぇ……だって、どちらかといえば、僕や琴音の方が、異人としても人間としても、存在が不安定なわけですから、問題視されるなら、僕等二人の方だと、そんな風に思っていましたし……」 そう僕が言い淀むと、彼は訂正する。「あぁ、その認識は間違っていないよ。その通り、君や佐柳ちゃんの方が、異人としても人間としても不安定な存在で、警戒しなくてはいけないのも、問題視しなくてはいけないのも事実だ。けれどそれなら、問題視することが決まっている分、対処も予め考えられる。早いうちに手を打てるなら、考えられる時間が多い分、対処も楽になる」「だが彼女は、柊ちゃんは、まだ未確定な部分が多過ぎる。暫定的に人間であるだけで、異人性が抑えられているだけだと、僕は君に説明したと思うけれど、正
流石に朝起きたままの格好で、みなとみらいのオシャレなパンケーキ屋に行くわけにはいかないということになったので、各々一度家に戻り、シャワーを浴びて、再び大学から一番近い駅に集合することになった。 しかしまぁ、急転直下とは、まさしく今日のような日を言うのだろう。 朝目覚めたら、入った覚えのない大学の教室で、見知らぬ少女とおっさんが居て、そして人間であるはずの僕は、異人とかいう化け物になっていて...... まったく、一夜にして色々なことが起き過ぎている。 女子とパンケーキ屋に行くという、今までにないことを経験できると考えれば、この状況も案外そこまで悪くないのかもしれないけれど、それでも
大学からほど近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在するこのコンビニは、朝から夜まで休みなく、閉店することなく、二十四時間営業し続けているようだった。 まぁ、こんな目の前に大学があるのなら、昼も夜も、それこそ丑三つ時の様な夜中も、学生をはじめとする多くの人が利用するのだろう。 そんな誰もが利用するコンビニで、僕はサンドイッチを二個と、ペットボトルの飲み物を二本買って、店の外に出た。 外に出ると、流石にあの薄着の格好ではない、その上から白い大きめのパーカーを、ワンピースのように着ている女の子。 あの綺麗な深紅髪の、得体の知れない女の子。 『佐柳』と呼ばれていた少女が、待
『異人』 人間と同じ姿形をしていながら、人間とは明らかに異なった体質や性質を持ち合わせた、異端の存在。 この物語の主軸であり、中心であり、中枢を担っているこの言葉を、僕(荒木 誠)はこの春に、故郷である九州から、大学がある神奈川の横浜に来て、初めて知った。『人間とは異なる』というのだから、この言葉が、人間ではない何かに対して誂われた言葉であることは、なんとなく、初めて知る人にも、理解できるかもしれない。 実際、僕自身も、最初のうちはこの言葉の字面だけを理解していた。 字面だけを理解して、全てを理解した気になっていた。 そう、たったこれだけの説明では、どうしたってこれを理解するには
気がかりだった着替えの件は、近くのコンビニに売られている物を使うということになり、それを買いに行くときは一人でいいから家に居ろと、そう言って彼女は再び僕の家を出ていった。 僕の家から徒歩数分のところに、一軒だけコンビニがあるから、おそらくそこに向かったのだろう。 出て行ってから三十分と経たない間に、柊は部屋に戻ってきた。 そして部屋に入るなり、彼女は言う。「汗をかいたから、シャワーを浴びたいわ」 そう言いながら僕の方を見つめる彼女は、数秒のわざとらしい沈黙の後に、睨みが利いていない無表情な顔で言い放つ。「覗いたら殺すわよ?」「誰が覗くか!」 そういうのはもう少し、表情







