LOGIN時刻は真夜中の三時頃だろうか......
草木が眠る丑三つ時というだけあって、普段は大勢の人間が出入りするこの大学という施設も、日が出るにはまだ少しだけ時間がある今に至っては、僕一人しか居ない状況だった。
しかしながら僕は、真夜中の大学に忍び込んだわけではない。
そもそも大学という施設は、敷地内に入るだけなら、こんな夜中であろうとも普通に出入りができるのだ。
特にこの大学に関していえば、神奈川の横浜近くの某所にキャンパスを構える立地の良さと、そこまで高くない偏差値(まぁそれは学部学科によるが)のおかげで、約一万七千人の学生が在籍している、日本屈指のマンモス校である。
そんな大学だからかもしれないが、住宅街にキャンパスを構える割には、かなり広い敷地面積を誇っているのだ。
だから割と簡単に、夜中に敷地内に入るだけなら、誰でも出来る。
けれどまぁ、ここまで自分が通う大学のことを語っている僕だけど......
わざわざ夜中に、自分が通う大学の敷地内に入っている僕だけど......
別にそこまで、大学という場所が好きであるとか、そういうコトではない。
そもそもまだ、入学して一ヶ月ちょっとしか時間が経っていない今では、嫌いになることもないけれど、好きになることはもっとないのだ。
それでも、わざわざ故郷である九州から、こんな関東の海沿いの街に遥々来て、一人暮らしをしているのだから、嫌でもそのうち、思い出深い場所にはなるのだろう。
そんな風に、僕は大学の施設には入らずに、敷地内をただ散歩していた。
『どうしてそんなことをしていた?』かと聴かれれば、その答えはあまりにも単純で明瞭だ。
要は、『眠れなかった』だけなのだ。
眠れないから、自分が住んでいるアパートの近くを散歩していた。
その散歩のコースに、たまたま大学があっただけなのだ。
まぁ、家から徒歩十分のところに大学があるのだから、そういうこともあるだろう。
だからまぁ、特に何も考えずに、ただ気の向くまま、耳元にはイヤホンで、流行りの音楽を流しながら、歩いていた。
けれど多分、今思い返してみても、それが良くなかったのだ。 気の向くまま歩いた先に、普段使用している八階建ての大学施設があったからか、はたまた耳元に、イヤホンで流行りの音楽を流していたからか......いや、きっとそれらの状況がたまたま、本当に偶然に、重なってしまったからなのだろう。
だから僕は、
どんな風に表現するべきなのだろうか......
明らかに硬い何かが頭を直撃した筈なのに、まるでトマトみたいな柔らかい何かを床に叩き付けたような音と、そういう音には似合わないくらいの......
いや、もしかしたら似合い過ぎているくらいの鈍痛が、僕の頭を中心として、全身に響き渡った。
そしてさらに、これもまた僕の頭を中心としているのだけれど、倒れた際に、僕は大きな血溜りを作っていたのだ。
そして途端に、意識というモノが一気に、遠くの何処かに投げやられてしまったような、そういう感覚になっていく。
そしてそんな感覚の中で、この状況では明らかに不釣り合いな声が、聞こえた気がしたのだ。
「痛ったぁぁ......あぁ、頭が割れたかと思った......」
いや、もしかしたらこれも、釣り合い過ぎている程に釣り合っていたのだろう......
「あれ......まさか......やっちゃってた......?」
そう言いながら、次第に意識が薄れていく僕に近付いて、その声の主は僕に、恐る恐る問い掛ける。
「えっと......もしかしなくても君、今死にそう......だよね......?」
その言葉に、肯定の言葉を返したいけれど、何故だか言葉が出てこない。
「...っ」「あぁ、わかったわかった。喋らないでいいよ......たぶん喋るのもしんどいよね......」
そう言いながら、その声の主は少しだけ考えて、そしてその後に、多分こんなことを独り手に呟いていたような......
そんな気がする。
「仕方ない......か......ほんとうはこういうことはルール違反だけど......でも多分、死ぬよりはいいよね......たぶん......」
そしてその、最後の『たぶん』って言葉を聞いた後に、僕は多分、気を失ってしまったのだろう。
なんせそこからの記憶が、あのときの記憶が、どんなに思い出そうとしても、思い出せないのだ。
けれどまぁ、どんな風に考えても、僕は本来、このときに死んでいた。
考えなくてもわかると思うが、上空からの落下物が、ピンポイントで人間の頭の上に落ちてきて、生きている方がどうかしている。
なんせ落下物は、加速度的に、殺人的に速度を増して、その速度のまま直撃するのだ。
そんなの、戦争映画なんかで見るようなミサイルと、なんら変わらない。
そんなモノ、もしも生きていたら、そいつは人間ではないだろう。
そう、人間ではない。
人間とは違う、明らかに異なった体質でもない限り、死んでいて当然の状況だ。
だから僕は、このとき
次の日、何処かもわからない場所で、僕は目が覚めた。
何処だかわからないというのは、もしかしたら少しだけ、語弊があったのかもしれない。なぜなら目が覚めて、少しだけ時間が経てば、そこが大学の施設の中ということだけは、確信できたからだ。
その理由は、別になんてことはない。
ただ単に、僕が大学の授業の時に、使ったことがあるという、たったそれだけの理由で......
だから端的に言えば、『来たことがある教室だから、知っていた』だけなのだ。
しかしそれでも、どうして自分がこんなところに居るのかは......
どうしてこんな場所で熟睡していたのかは......
それだけはどうしても、わからなかった。「ン......ん?」
なんだろう、なんか妙に、温かい。
いや、温かいのはいいのだ。
なんせ今の僕は、大学内のとある教室に、どこから来たのか分からない毛布に包まって、どこから用意されたのか分からない、真新しい毛布に包まって、寝ているのだから。
だからまぁ、僕の身体がそれなりに温かい状態になっているのは、さして不思議な状況というわけでも、不可解な状況というわけでもない。
だけど不思議なのは......
だけど不可解なのは......
その毛布の中から感じられる『温かさ』が、明らかに人一人分のモノではなくて、明らかに、僕一人分のモノではなくて、もう一体、何かの生き物の体温を感じざる負えないモノだということだ。
なんだろう......一体......
そう思いながら、恐る恐る、その毛布を大きく横に持ち上げる。
それこそ、自分の身体が全て、その毛布から露わになるほどに......
それこそ、確実にその体温の正体を、全て目視で把握することが出来るほどに......
「......えっと......」
「ンー、ん~、んー」
そう言いながら、その露わになった生き物は、完全に寝ぼけながら......
っというよりも、完全に寝ながら、僕にその姿を現したのだ。
そしてその生き物の姿は、年齢で言えば僕と同じか、少し年下くらいの、可憐な女の子の姿をしていた。
しかも何故か、女性の洋服に対して、そこまで造詣があるわけでもない僕がわかる程に、明らかにその女の子は、薄着の格好をしていたのだ。
「んー」
寝ている薄着の女の子に、意を決して話し掛ける。
「あ、あの......」「んー......あと、五分......」
そう言いながら、その少女はまるで、自分の家に居るかのような決まり文句を言いながら、僕が横に持ち上げて退かした毛布を引っ張って、そしてまたそれに包まりながら、こう言ったのだ。
「寒い......」
そりゃ、そんな格好をしていれば寒いだろうに......しかしそれでも、毛布を完全に取られてしまえば、しかもその相手が、薄着の女の子であるというのなら、もう一度その毛布の中に潜り込んでしまうというのは、おそらく......いや、確実にまずいだろう......
もし何かの拍子に気付かれて、叫ばれて、警察でも呼ばれるなんてことがあったら、僕の大学生活は、スタートして間もないこの時期に、早々に色々な意味で終わりを迎えることになる。
今はまだ、四月の下旬で、たしか今日は、ゴールデンウィークの一日目だ。
そう、ゴールデンウィーク。
黄金色に輝く、連休続きの奇跡の期間。
そんな素晴らしい日の一日目に、それはさすがに良くない。
それは......さすがに......
そう思いながら、僕はもう一度、その少女が包まっている毛布に視線を向けた。
別に、おそらく女子大生であろうその薄着の女の子に、何かしらの厭らしい行為をするわけではなく(っというか、そんな度胸があるわけでもなく)、その時にただ、唐突に......
ほんとうに唐突に、昨日のことを思い出したのだ。
「なんで......僕は生きているんだ......」
そう呟きながら、口元を手で抑えながら、自分が呼吸していることを確認して、生きていることを確認する。
そして身体を起こして、立ち上がって、辺りを見回して、やはりそこが何も変わらない、何一つ変哲もない教室だということを確認する。
そしてそこまで確認出来て、目が覚めてこれだけの時間が経過すれば、次第に思考がはっきりとしてくるわけで......
そうなると必然的に、昨日のことを少しづつ、少しづつ、より鮮明に、より明瞭に、思い出すことになる。
それがどんなに......
どんなに、ありえないことだとしても......
どんなに、あってはならないとこだとしても......
根拠は何も無かったけれど、それでもこんなタイミングで、こんな変なことが起きているのだから、やはりこの、毛布に包まっている薄着の少女が、昨日のあの一件に関係している気がしてならなかった。
だから僕は、今度はちゃんと、事情を彼女から聴き出すつもりで......
ちゃんとその少女のことを起こすつもりで......
もう一度その毛布を手に取ろうと、前かがみの態勢になった。
けれどそこで、僕の動きは止まった。
「やぁ、おはよう青年」
そう言いながら、教室の端の席にいつの間にか座りながら、そして何かを口に咥えながら、男はこちらに笑みを浮かべて居た。
音も立てずに現れたその男に、僕は心底驚きながら、しかし声は出してはいけないと思ったから、動きを止めたのだ。
「まったく、ゴールデンウィークの初日から、大学に忍び込んで何か面白いことをやらかしていたようだけれど、一体何をしでかしたのかな?」そう言いながら、その男は座っていた席から立ち上がり、こちらに向かってゆっくりと、ゆっくりと、歩みを進める。
そうなると次第に、外の光が男の姿を照らし出す。
オーバーサイズの黒いTシャツに、黒のスキニーパンツ。
その服装はどこにでもいるような、大人の大学生みたいな人だった。
この大学の、先輩だろうか......
それにしては、何だか妙な雰囲気を持っている人だ......
なんだろう、なんて言えばいいのか、わからないけれど......
そう思いながら、僕は歩み寄って来るその男に向かって、何か言わなくてはいけない気がするから、言葉を紡ごうと努力する。
「あ、あの......」
「あぁ違う違う、僕が尋ねているのは君じゃないよ、青年」
そう言いながら、その男は僕に視線を向けて、静かに微笑をする。
しかしその後、僕の足元で包まって、丸まっている毛布に視線を向けて、まるでさっき僕がしようとしたように、男は徐に、その毛布に手を伸ばす。
しかしその男が手を伸ばした瞬間、その毛布は大きく、包まっていた中身ごと飛び上がって、そしてその教室の、教壇の机の上に降り立ったのだ。
ここで、今僕等がいるこの教室のつくりをザっと説明すると、教壇の部分は少しだけ段差があって、教室全体を広く見渡すことが出来るようになっている。
だから必然的に、その教壇の机の上になんか立っていれば、僕やこの男を含めた、この教室という空間全体を掌握できるし、また僕やこの男も、その毛布で包まったそれを、見失うことは絶対なく、注視することができるのだ。
そしてそうなると、その机の上に立って、包まっていたその毛布を自ら剥ぎ取って、中身である薄着の少女は、その姿を自ら晒す。
外から差し込む朝の光は、暗い教室では、さながらスポットライトのように、彼女を照らす。
露わになった彼女の姿は、特別だった。
最初に毛布を取ったときは、驚きのあまり目に入らなかったけれど、彼女の長い髪は、光に照らされてより一層輝きを増して、煌びやかな深紅が激しく揺らいだ。
そしてその奥に、彼女自身の華奢な身体は、まるで何かのダンスを踊っているかのような、その自ら剥ぎ取った毛布すら、その身のこなしの一部にするような、そんな美しい姿を、僕に見せた。
いや、彼女が見せたというより、僕が魅せられたのだ。
注視することができるその彼女の姿を、少なくとも僕は注目していた。
だから僕は、この後の瞳を開けた彼女の最初の言葉に......
朝の最初に言葉を交わすのなら、割とまともだった筈の彼女の言葉に......
なんて返すのが正解なのか、一瞬だけ戸惑ったのだ。
彼女は僕を見て、こう言った。
「あー、おはよう、夜の人」
『夜の人』というのが、果たして本当に僕のことを指して言っているのか、正直なところ自信はなかったけれど......
しかし確実に、彼女は僕と視線を絡ませながら、その言葉を言っているのだから、きっとそうなのだろうと、そう思った。
だから僕は、当たり前のことだけれど、彼女の言葉に応答したのだ。
「......おはよう......ございます......」
もっと分かりやすく言えば、ただ彼女に、挨拶を返しただけである。
その僕たちの様子を見て、横に居た男は笑い出す。
「ハハッ......まったく、君はどんな風にしていても、やはり華やかに周りを演出してしまうんだね、佐柳ちゃん」
その男の言葉に対して、『佐柳』と呼ばれたその少女は、教壇の机の上に立ったままの状態で言い返す。
「うるさい、専門家。なんで朝の起き抜けに、お前の年齢詐称面を拝まなくちゃいけないんだ。ゴールデンウィークの初日だというのに、これじゃあもう、今日は厄日で決まりじゃないか」
「ひどいな~僕は疫病神か何かなのかい?これでも君が生きやすいように、割と色々、働きかけているつもりなんだけどなぁ~」
そう言いながら、その『専門家』と言われた男は肩をすくめながら、不敵に小さく笑う。
そしてその笑顔のまま、僕の方を見ながらまだ言葉を続ける。
「特に今回のような、君の不注意で招いた事故の後始末は、本来なら僕の仕事ではないんだ。それなのにそれまでやらせておいて、そんな言い方はないんじゃないかい?」
「いいや、むしろ言い足りないくらいだ。普段のアンタの言動と行動が、あれくらいのことでチャラになると思うな!」
そう言いながら、その少女は『専門家』の男のことを睨みつける。
なんだろう、話にまるで入れないし、話がまるで見えてこない......
この二人は、そこまで仲がよくない......っというよりも、『佐柳』と呼ばれている女の子の方が、一方的に嫌っているような、なんだか、そんな風に思える。
けれどここで、この二人の会話をただボーっとして見ているだけには、おそらくいかないと思うから......
だから僕は、意を決して、話に入ろうと試みる。
「あ......あの......」
「ん?」
僕の声に、『専門家』の男が反応する。
「さっきから何の話をしているのか、まるでわからないんですけれど、でもその口ぶりから察するに、あなたは昨日の夜、僕に何があったのかだけは、知っているんですよね?」
その僕の言葉を聞いて、男はニヤリと口元を動かしながら答える。
「あぁ、もちろん知っているよ。なんせ
そう言いながら僕と、その『佐柳』と呼んでいた少女を見比べて、何かを考える素振りをして、わざわざ間を置いて、男はこう言った。
「とりあえず、何か食べようか。目の前のコンビニでも行ってきなよ」
まるで大学生が、友人に言うような言い方で......
大学という教育機関は、中学までのような義務教育ではなく、また高校のような場所とも違い、全国の様々な場所から、様々な年齢層の奴等が集まる場所だ。 だから別に、同期の中で多少の歳の差が生まれることも、しばしばあることなのだ。 だから僕は、そんな彼女に対して、小言の様に言うつもりはないけれど… やはり友人なら、思ったことは隠さずに言うべきなので、言おうと思う。 「あのな…そういうことは出来れば最初に言うべきじゃないのか…残念ながらもう僕は柊のことを歳上として扱うことが出来る気がしないんだけど…」 結局、小言になってしまった。 しかし当の彼女は、それを聞いても何も思うところが無いような声で、無いような表情で、応答する。 「あら、別にいいわよそんなこと。荒木君とだって学年は同じなんだし、それに今さら歳上扱いされる方が、なんか変な感じがして気が休まらないわ」 「…そういうモノなのか…?」 「そういうモノよ。それに私たち、そもそも出会いがあんなんだったんだから、そんなことにまで気が回らなかったのも無理はないでしょう?」 「あっ…」 柊のその言葉で、僕は思い出す。 彼女との出会いを、思い出す。 夏休み前の前半最終… あれはどう考えても、散々な日々だった… なぜなら僕は、今日この場に同席している僕の友人 自分のことを押し殺すことで他人をも惨殺するようになってしまった… 僕とは違い、殺人鬼の性質を持ってしまった少女… それでいて今はもう、都合よくも普通の女子大生である、謂わば元異人 あの血の匂いが絶えない、青春の日々を共に過ごしたこの少女 柊 小夜 (ひいらぎ さや) に、殺されていたからだ。 ころされて、コロサレテ、殺されて… それでいて僕もまた、死ねない身体の、不死身の体質を持った異人であるばっかりに、彼女との関係を持ち続けてしまっている。 あのときに、あんなことをされたのに… あんな風に、殺されたのに… 未だに僕は、この柊という少女との関係を、裁ち切れずに大切に持ち続けてしまっているのだ。 出会い頭に殺されて、その後は付きまとわれて、それで最後も殺されて… そんな咽返るような、血の匂いが絶えなかった、あの日々を思い出す。 女の子と共に、同じ部屋で寝た、謂わば青春の日々を… 僕はその柊の言葉で、思い出したのだ。
「さて......こういう時は一体、何から話せばいいんだろうね......」 そう言いながら佳寿さんは、手元にある食事の類から一度視線を完全に外して、僕の方を見る。 見られている僕は、その視線に身に覚えがあるから、佳寿さんとは対照的に、視線を外す。 そして苦し紛れに、口にするのだ。「いや、そんなこと......僕に言われても困りますよ......大体アルバイト自体が初めてで、何を質問すればいいのかさえ、わからないんですから......」「......」「......っ」 何も嘘は吐いていないから、問題はないだろうけれど、それでもやはり、この人のこの視線に覗かれることだけは、やはりどうしても、避けたいと思う。 なんせ覗かれれば最後、コチラの考えていることを全て、抜き取られてしまうからだ。 抜き取られて、取り除かれてしまうかもしれないからだ。「いいや、そんなことはしないから安心しな、不死身の兄ちゃん」 唐突に、そんな風な思考を巡らせていた僕に対して、佳寿さんはそう口にする。「......っ」 そしてそう口にされた僕は、やはりどうしても、こういう風になってしまうのかと、少しばかりの落胆の後に、相当量の諦観が、自分の気持ちを占めていることを自覚して、もうどうにもならないと思いながら、彼女の方に視線を向ける。 けれど彼女は、そんな僕のその視線に対して、まるで何も考えていない様な声色で、言葉を返すのだ。「ん?なんだい?」「いいえ......べつに......」 言った後に僕は、自分の手元に運ばれてきたウーロン茶を一口、ゆっくりと流し込む。 そして佳寿さんは、そんな僕とは対照的に、恐らく彼女にとっては普通の速度で、手元のビールを空にするのだ。 空にした後に、僕の方を見ながら、また口にする。「まぁ......無いなら無いで構わないよ。質問は随時受け付けてやる。その方が仕事の進みもいいだろうから、アタシ的にも好都合だしね......」 言いながら、静かに口元に余裕を添えるその表情は、やはり姉弟だからで、しかも双子だから当然なのかもしれないけれど...... まったくと言って良い程に、同じそれなのだ。 そう思っていると、その思考に対しての返答を、佳寿さんは口にする。「まぁ、不本意だが仕方ないわな。あんな愚弟でも、双子の弟であることは変わら
『嘘をつく子供』というイソップ寓話を、皆はご存知だろうか いや......もしかしたら『羊飼いと狼』や『オオカミ少年』というタイトルの方が、聞き馴染みがあるのかもしれない。 もしくはタイトルを覚えてはいないが、そんな感じの御話を、どこか遠い昔に聞いたことがあるという人も、それなりにいるだろう。 物語の内容は、羊飼いの少年が、退屈しのぎに『狼が来たぞ!!』と嘘をついて騒ぎを起こし、その嘘に騙された村人は武器を持って外に出るが徒労に終わり、その大人たちの姿を見た少年は面白がって、繰り返しにそんな嘘を吐き続け、いつしか村の誰からも信用されなくなり、最後は本当に狼が来た時には誰からも助けてもらえず、村の羊は全て狼に食べられてしまった。 そんな御話しである。 なんだろう...... なんだかこういう風に語ってしまうと、物凄く簡単で明瞭で、まるで当たり前のような結末で、随分と単純な物語のように思えてしまう。 まぁ実際、「嘘を吐けば信用を無くす」なんてことは、簡単で明瞭で当たり前のことなのだから、それはそれで間違いではないのだろう。 そう、なにも深い意味など考えなくても、この御話が伝えたいことは「嘘吐きは信用を無くす」というモノで、概ね間違いではない。 さらに付け加えるならば、「嘘吐きは信用を無くすから、人は常日頃から正直に生きるべきである」という、人として生きるなら、誰しもが心掛けるべき、当たり前のそれらなのだ。 けれど僕は、この歳になってからこの寓話を聞くと、どうしても考えてしまう。 どうして誰も、狼が村の羊を襲う時の外の異変には、見向きもしなかったのだろうか。 どうして誰も、その少年の言葉を嘘だと信じて、疑わなかったのだろうか。 たしかに嘘を吐き続ければ、それで信用がなくなることも理解できるし、それでたまに言う本当のことも、それがどんなに重要なこであろうと、誰からも信じてもらえないということも、理解できる。 しかしながら...... しかしながらそれでも、村の羊が全て食い尽くされる時に、外に何も異変が起きないなんてことは、果たしてあるのだろうか...... いや、常識的に考えれば、そんなことは、ある筈がないのだ。 だからそのときに、もし誰かが一人でも外の様子を確認して、「おい、本当に狼だぞ!!」という風に言ってしまえば、村の羊が全て
顔色があまりにも悪過ぎていたらしく、目を覚ますや否や、先に起きて身支度を済ましていた若桐に心配された。 まぁ......あんな夢を見た後なら、そうもなるだろう。 覚えている限りではあるけれど......いや、ずっとすごい剣幕で睨まれ続けていたことだけは、夢の中だろうが、すごく覚えている。 妹のことを想うが故なのだろうけれど...... それでもずっと......ずぅっとだ......「はぁ......」 溜め息を吐く僕の方を見て、心配そうに見つめながら若桐が、言葉を紡ぐ。「あの、荒木さん......大丈夫ですか......?」 「あぁ......うん。大丈夫だよ......心配かけてごめんね......」 そう言いながら、彼女の小さな頭を優しく撫でる。 そしてゆっくりと、眠気眼のまま布団から身体を起こして、洗面台まで行き、顔を洗う。 冷たい水しぶきで、次第に正気に戻る頭をゆっくりと、ゆったりと巡らせながら、僕は若桐の方に向けて、言う。「朝ごはんでも、食べに行こうか......」 そんな僕の提案に、少しだけ驚いた彼女の表情は、次の瞬間にはパッと晴れて、しかしその後に、僕の体調を心配している。 ほんとうに、せわしなく表情をコロコロと変える彼女は、今こうしている僕なんかよりも、ちゃんと生きている様な、そんな気さえしてしまう。 でも、だからだろう...... だからこの 若桐 薫 という少女は、死してなお、この世に残された想いの強さに引っ張られて、それ故に、自身の重さを残してしまったのだ。 表情豊かで、感情豊かの、浴衣姿の女の子。 あんな兄に愛されたのはまぁ、家族であるのだから良しとして...... 最早結末を、今回のこの一件のネタバレを、そんな兄から夢の中で聞かされたモノだから、今はこんな風に思うのだ。 ほんとうに、どうしようもない程に、傍迷惑な三文芝居でもしている様な、そんな気分である......と...... まったく..
「若桐」 通話を切った後、海辺を歩く若桐に近づいて、僕は彼女を呼び止める。 そして呼び止められた若桐は、小さく進めていた歩みを止めて、静かにコチラを振り返る。「......」「......若桐、お前......」 けれど振り返る彼女の瞳には、戸惑いや不安や焦りという類のモノはなくて、代わりに、何かを決めた様な......そういう類のモノがあった。 そしてその瞳のまま、彼女は言う。「荒木さん、もう......やめましょう......こんなこと......」「えっ......」 こちらを見つめる彼女の瞳には、薄っすらと涙膜が張られていて、けれどそれを、決して僕の前では溢していけない様にしている彼女は、僕から視線を逸らして、言葉を紡ぐ。「ごめんなさい。こんなに付き合わせてしまって......勝手なことを言っている自覚はあります。でもこれ以上......こんなことをしても、もう意味がないんだって......わかってしまって......」 そう言いながら、今まで見たことがない様な、強く自らの拳を強く握りしめている彼女のその姿は、その小さな姿には似つかわしくないほどの、静かな苛立ちを孕ませていた。 そしてそうなると、やはりここに来ても、此処まで来ても、彼女は何も思い出すことが出来なかったのだろう。 そう思いながら、僕は言葉を選びながら、彼女に言う。「そんな......また違う場所に行けば、今度こそは何か思い出せるかもしれないだろ?まだ行けていない所があるなら、そこを訪れてから結論を出してもいいんじゃないのか?」「......」「......それに今更、そんな気を遣わないでくれ。僕だって乗りかかった船だ。ちゃんと最後まで若桐に付き合うつもりで......」「違うんです!!」「えっ......?」 言い掛けた僕の言葉に対して、彼女は顔を横に振って、僕の言葉をハッキリと、食い気味に否定した。 そしてそんな彼女の言葉に、彼女の様子に、少しばかり驚いてい
その日の夜、寝床に着いてからしばらくして見た夢は、悲痛なモノだった。 身体中が、まるで鉛で出来ている様に重く、炎で焼かれている様に熱く、それでいて、そんな自分を見届ける者は、きっと家族なのだろう。 多くは居るけれど、その中に一番傍に居て欲しかった人間が居ない現実が、堪らなく悔しくて、悲しい。 けれどそんな心境を知る由もない、傍に居てくれる誰かが、自分の手を取って、何か話す。 けれど音は、少しづつ擦れて、まるで水の中に居る様な、そんな感覚で......薄れていく感覚は、だんだんと、その体温を奪う様に冷たくなって...... 夢の中にしては、あまりにもその生な感覚と心境が、僕をどうしょうもない程に、理解させた。 あぁ......そうか...... ほんとうに死ぬ間際というのは、こういうモノなのか...... 不死身の異人である僕は、幾度となく殺されはしたけれど、死ぬことは出来ない僕が、恐らく今のままでは一生、こんな一生が続く限りは永遠に、縁がない様な、そんな感覚。 重苦しさと、熱さと、悔しさと、怖さと、冷たさと...... そんなモノ達がまるで、渦を巻いて一つの化け物に姿を変えて、自分のことを食い荒らしている様な...... そんな感覚だった。 朝、目が覚めると、見知らぬ天井に視線を向ける。 布団から身体を起こして、正面に視線を向けると、もう身支度を整え終えた若桐の姿が、そこにはあった。 布団から身体を起こした僕に気が付き、彼女は言う。「あぁ、おはようございます。荒木さん」「......」「荒木......さん......?」 そう言いながら、俯く僕の顔を覗き込む彼女を、僕は何も言わずに、静かに抱き寄せた。「えっ、どうしたんですか......」「......」「......荒木さん、震えてますよ......?」「あぁ......大丈夫......大丈夫だよ......」「えぇ......あ