放課後の部活。いつものミーティングスペースで、部長と先輩が言い争っていた。
「だから言っただろ!? こいつとやるのは無理だって」
「無理とは言ってなかっただろ。それに、たかが1週間で諦めるのか?」
「そういうわけじゃないけど……予選はもう2か月後だ。無駄なことに費やしてる時間なんてないだろ」
「そう言って、今までにお前のパートナーを何人クビにしたよ!? そっちの時間の方が無駄だったんじゃないのか」
部長のその言葉に、先輩は見慣れたふくれっ面で黙り込んでいる。部長はテーブルに置かれたペットボトルのお茶を一口飲んで、ため息をついた。
「犬桜高校との練習試合……客観的に見た感想を言わせてもらうけど、小神野は神谷の動きを少しも気にしてないし、神谷はそんな小神野の動きに戸惑ってるように見えた」
小神野先輩は本当のことを言われたのが気に食わなかったらしく、黙ったまま校舎前の銅像みたいに動かなくなってしまった。先輩はその見た目から勝手に省エネのダウナー系だと思っていたけれど、どうやら意外と感情的らしい。いつも気分が乱高下しているので、遊園地のフリーフォールでも見ているみたいだ。
部長の言った、俺が先輩の動きに戸惑っているっていうのは本当の話だった。俺は素直にうなずいて言う。
「先輩の動きは正直、今まで一緒にやってきたどのプレーヤーよりも読めない感じがします。セオリーなら右から行くだろってところを、左から攻めに行く。予測不能だし、合わせにくいです」
「……お前、敵の動きはちゃんと読めるのにな?」
「うっ」
「ふたりとも、上手いんだから、お互いのことをもうちょっとよく見られないのか?」
「……前のパートナーは、俺の動きに合わせてくれた」
先輩はようやく口を開いたかと思ったら、不満げにそう言った。
「それは、相手が先輩だったからだろ。今は小神野が先輩なんだから、お前が神谷に合わせてやれよ」
「……何だよ、そのわけのわかんない理屈。神谷が俺に合わせればいいだけの話だろ」
「お前なぁ……」
部長はたまらず、頭をばりばりと掻いていた。その反応はわからなくもない。
「合わせる合わせないの話は置いておくとしても……お前は、じゃあ、試合中に神谷が何考えてるかわかるのか?」
「それは……」
「わかんないなら、お互いをもうちょっとよく知る必要があるんじゃないかって話だよ」
「……『仲良くなれ』って言いたいのかよ」
「べつに、そういうわけじゃないさ。でも、試合で勝ちたいなら、最低限パートナーとして意思疎通ができる関係になっておく必要があるんじゃないのかな」
「『仲が良くないのに、意思疎通ができる関係』なんて……可能なんですか?」
思わず口を挟んだ俺に、部長はあごに手を当てて考えていた。
「そうだなぁ……。例えば……長年連れ添った夫婦、的な? ケンカは多いけど、お互いの考えてることはよくわかるだろ」
言っていることは、わからなくもなかったが……初対面で目指すのがそこっていうのはハードルが高すぎる。……そもそも、長い時間を一緒に過ごせば、仲が良くても悪くてもある程度の意思疎通はできる気がした。
(あっ……そういうことか……)
どこか腑に落ちたように感じながら、俺は部長の話の続きに耳を傾ける。
「とにかく、ここからメンバーを変えるつもりはないからな。今後どうするのか、ふたりでしっかり考えること。あと、チームの雰囲気がギスギスするから、しばらく部活は出入り禁止な」
「はっ!? そんなん横暴っ……!」
「文句言う元気があるなら、さっさと協力プレーができるようになってくれよ。防衛チームの3人、お前らの言い合いで耳が痛むんだってさ。物理的に」
部長は犬でも追い払うみたいな仕草をして、俺たちを部室から追い出した。入部して1週間で出禁は、たしかにレジェンドかもしれない。
「どうします?」
隣でドアを見つめている先輩に聞くと、先輩はくるりと踵を返した。
「帰る」
「ちょっ……! 帰って、どうするんですか」
「練習するんだよ。練習する以外に、上手くなる方法なんてあるのかよ」
「今は、俺たちのコミュニケーションが上手くいってないって話じゃないですか! 個人で練習して、連携が上手くいくようになるんですか!?」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!!!」
胸倉をつかまれ、壁に思いきり押しつけられた。先輩の、こういうところも好きじゃない。
先輩にとっては、高校生活最後の1年だ。プロチームとの契約の話もあって、部活であと何回大会に出られるかもわからない。
焦りがあるのはわかるけど……こうやって、いつも俺のことを敵視してるみたいに、下から見上げてくるのも気に食わなかった。
俺はつかまれた手を取って、睨んでくる先輩の唇に口づけた。意味なんてない。単なる嫌がらせだ。
「……っ!!!」
先輩は案の定、顔を真っ赤にして俺の手をふり払った。俺は思った通りの反応に満足する。
「……俺に、考えがあります」
先輩はいっそう目つきを鋭くしながら、「信じられねぇ……」とつぶやいていた。口を制服の袖で、唇の皮がむけるんじゃないかというほど必死になって拭いている。
「……考えって、何だよ」
「とりあえず、一緒に俺の家まで来てください。そのあと、先輩の家に行きます」
「練習するってことか」
「行けばわかりますよ。……あとで話しますから」
俺はまだ動揺している先輩の手を取って、引きずるようにして歩き出した。
その日は律の店に集まった後、みんなでご飯に行って夜まで遊んだ。別れるときに、チャットのグループをひとつ作った。『新葉高校eスポーツ部』。次に全員で集まれる日がいつになるかはわからないけれど……「またみんなでゲームでもやろう!」という話になった。久々に楽しい集まりだったな、と思う。律と家に帰る途中。ずっとくだらない話ばかりしていたけれど、ふと小神野と神谷――あのふたりの話になって。「久々に会ったけどさ、ぜんぜん変わってなかったね! オカピ先輩といおりん。居酒屋でもずっとケンカしててさぁ……」「あれは、過去一でくだらない争いだったな」前の試合、スナイパーを使って弾を外した神谷に「なんで当てられなかったんだ?」と小神野が素朴な疑問をぶつけたのが始まりだった。次第に言い合いがエスカレートしていった結果、ついにふたりはシュウマイにからしをつけるかどうかでケンカしていた。もう、何でもいいんだろ、それ……。「お酒飲んでたってのもあるかもしれないけどさぁ、まじで笑ったよね」「面白かったな。あれで一緒に住んでるっていうんだから、不思議っていうか」「あれ……玲は気づいてなかった? ふたりの指に、お揃いのリングがあったの」「へっ?」自分の理解の及ばない話に、俺は宇宙空間にいる猫みたいになっていたんだと思う。律が俺の顔を指差して、腹を抱える。「薬指だったから、きっとそういう意味なんじゃないかな」「そういう意味って……えっ、お前まじで言ってる?」「うん。前に一度、配信でも事故ってたからさぁ。指輪つけたままにしちゃって、噂流れてたから知ってはいたんだけど」「まじか……俺、あのふたりが、いちばん仲悪いと思ってたわ……」「不思議だよねぇ。言い合いばっかりしてるくせに、いつも一緒にいるっていうか」律の言葉に、俺はあのふたりのことをもう一度よく思い出してみる。いつからだろう、と思ったが……さっぱりわからなかった。たしかに、ふたりで一緒にいることは多か
「めっっっっちゃびっくりしたね!! まさかオカピ先輩といおりんが野良でやってるとは思わなかった」「だな。サブアカウントはソロでやってて、昨日はたまたまふたりだった、とか……偶然が過ぎるよな」「久々にみんなでできて、楽しかったよねぇ~」俺の部屋。律がジュースを片手に興奮気味に話している。「今度、うちのバイト先にもおいでよってふたりに話してたんだ」「バイト先って……例のeスポーツカフェ?」「そうそう! 店長も現役の選手が来るのは歓迎だって。ふたりが来てくれるなら、イベントでもやりたいよねって話してて」律は大学に通いながら、大学近くにあるeスポーツカフェでずっとアルバイトをしている。カフェが併設されたeスポーツ施設とのことで、ゲーム用のPCがたくさんあり、初めての人でも気軽にオンラインゲームを体験できるらしい。俺もいつも話を聞くだけで、行ったことはなかったから……あのふたりが来るなら顔を出してみてもいいかもしれない、とそう思った。「ふたりとも、いつ来れそうなの?」「来週の日曜日!」「そっか……。じゃ、俺も行こうかな」「まじ!!? 玲も来てくれるの嬉しいんだけど」「そんなに喜ぶことかよ」「ずっと誘ってたのに、来てくれなかったじゃん!!! 当日は萩っちも来るし、笹原部長も来るってさ」「部長も来んの!!?」「彼女ができたから、連れて一緒に来るらしい」「あいつ、彼女できたの!!?」自分でもちょっと思ったけれど、律に「驚くところ、そこ?」と大笑いされた。あの規律にうるさ……厳しい笹原と恋愛なんて、いちばん縁遠いものだと思ってたのに。真面目な性格ではあったから、部内のことに胃を痛めているイメージしかない。「当日、楽しみだね!」そう言って笑う律に、俺は小さくうなずいた。◇◆◇◆◇◆◇大学とインターン先の会社と家、三か所をぐるぐる回っていると翌週の日曜はあっという間にやってきて――。秋晴れ
友達が有名人っていうのは、何だかこう、不思議な感じがする。高校にいるときは、ゲームこそ上手いけれど、ただの部活の仲間って感じで。そいつらを、各種メディアやネットニュースで見る日が来るなんて思ってもみなかった。夏の残暑も落ち着いてきた頃。大学で就活の情報をまとめて家に帰ると、弟・律のにぎやかな声に迎えられた。「ねぇ、玲~!! カシラゲームズ、アジアカップ3位だって!!! もう速報見た?」「まだ。……って、お前もう帰ってたんだ?」「うん。今日はバイト早上がり~。配信見損ねちゃったからさぁー、アーカイブまだ残ってるかな?」「さぁ……どうだろうな?」律は、子どもの頃からゲームで遊ぶのが大好きだ。どちらかというと自分でプレーするのが好きで、誰かのプレーを見るのが好きなタイプではなかったけれど……高校時代の仲間がプロの世界に入ってからは、配信で試合を見たり、チームの情報をこまめに追ったりしているようだった。たまに、小神野や神谷の配信を見に行っては、コメントを残したりしているとか。「あ、そういえば萩っちから連絡来てたよ。『週末、たまにみんなでゼログラやんない?』って」「俊、あいつ今何してんの?」「さぁ……大学とバイトじゃない? 個別塾の先生やってるって言ってたけど」「就職どうすんだろ?」「聞いてみたらいいじゃん」大学4年の今、ありきたりな悩みだけれど、俺は就職先に頭を悩ませていて……。インターンでお世話になっている会社はあるけれど、そこに就職するか、別のところに行くか……。色んな人に話を聞いた上で、今後の進路を決めようと思っていた。「みんなでゼログラやるのさぁ、土曜の夜とかでいい?」律はスマホを片手に、棚からポテトチップスを取り出している。「いいけど」「新マップやってみよ! って話になってんだよねー」楽しげに言うこいつは、高校の頃からちっとも変わってない。悩みもなさそうだし、明るくて、常に人生楽しそうって感じ。…
配信のことで伊織に嫉妬されたあの日は――結局、チームの練習が始まるまでめちゃくちゃにされた。練習が終わった後。ふたりで短い配信をした俺たちは、一緒に住んでることをみんなの前で明らかにした。俺はファンの子たちから『だと思った』『デレデレしてるね』なんて、とんでもなくからかわれることになったけど……俺たちはカシラゲームズの同居組と名づけられ、新たに一定のファンを獲得した。そのうち、俺たちのやりとりは色んな意味で注目を集めるようになって――。久々にチーム5人で練習配信をしたときには、何だか懐かしい気持ちになった。「伊織。工業団地攻めるのに挟み撃ちにするから、給水塔の上に場所取って」「……は? サイレンなのに?」「サイレンでもヴァイパーでも給水塔の上が強いのは一緒だから」「ていうか、アップデート入ってからは向かいの建物の方が強くね?」「おー。やるなら、後で表出な」「望むところ」「いや、その議論は今いらんて……」「始まったよ、同居組の『どっちのポジションが強いかバトル』」防衛隊のノヴァ、ゼノふたりが呆れたように呟いている。コメント欄を見ると『またプロレスかw』と視聴者たちが盛り上がっていた。ハルさんがスナイパーで敵をひとり撃破して、「あとは頼んだっ!」と俺たちに向けて発信する。「伊織っ!! さっさとドローン出せって!!!」「出したからもう!!! 車の陰にひとりいるんだよっ!!!」「それ、今殺ったから!!!」「え、倒したの俺じゃない?? 悠馬より俺の方が強いし」「お前、本気で言ってんのそれ」「仕事は早いんだけど、うるさいんだわ……まじで……」ハルさんが呆れたように言って、敵の消えたフラッグのエリアに乗り込んでくる。配信を見ている人たちも『うるさい』『本当にそれw』と便乗していた。同じチームでプレーするようになって、そろそろ1年が経つ。こうしてプロの世界でプレーするようになっても、俺たちが仲間になると賑やかなのは
伊織と同じ部屋に住むことになった。特に、何か大きなきっかけがあったわけじゃない。話を切り出されたのは、ある日突然って感じだった。「前にした約束って、憶えてる?」「そろそろ……一緒に住まない?」ちょうど、カシラゲームズに移籍して半年が経った頃だった。そう言われた俺がどれだけ嬉しかったかなんて……伊織には絶対にわからないだろう。高校のとき。合鍵を断ったあいつが言い放った言葉を、俺はずっと忘れられずにいた。『先輩より多くの賞金稼いで……先輩を俺の家に住まわせるので』。稼ぐ賞金の額で伊織に負けるつもりなんて、さらさらない。だけど、「いつかそうなったら嬉しいな」という気持ちだけは持ち続けていて――。『一緒に俺の家に住んでよ』なんて言われた日には心臓が止まるかと思ったし、その日の夜は嬉しすぎて一睡もできなかった。我ながら単純だとは思う。それでも、俺にとっては心の底から嬉しい出来事だった。好きな奴と四六時中、一緒にいることができる――。そのふわふわとした幸せは、新居に移ってからもずっと続いているようで。ゼログラのワールドチャンピオンシリーズ、ZGWSプロリーグ予選が春に始まり、昨日の夜はその振り返り配信を個人でしていた。雑談も交えて話していたとき、視聴者のひとりが急に変なことを書き込んできた。●引っ越してからyuma、ずっと何か嬉しそうだよねそんなコメントが目に留まったけれど、普通にスルーしようと思っていた。それなのに――。●それな●機嫌がいい気がする●すぐ怒んなくなったよね●幸せそう●何かいいことでもあった?●口元ゆるんでるぞみんなその話題に触れたかったらしく……何故か盛り上がるコメント欄。「べつに……そんなことないけど」否定したにもかかわらず、流れるコメントは止まることがなくて――。●ひとり暮らし?
「うわっ……これ、PCの配線やばすぎね?」「2台分だもんなぁ。繋ぐだけならいいけど……掃除できんのかな、これ」「って、なんかインターホン鳴ってない?」「鳴ってる! ソファー届いたかも」引っ越しは、世界大会の予選が終わった5月の連休にした。その日は朝から慌ただしくて……午前中から悠馬の荷物の運び込み、午後からは俺の荷物と家具が届くようなスケジュールだ。「悠馬、ソファーってここでいい?」「もうちょい手前~」業者の人にお礼を言って、設置までしてもらう。まだ何もないリビングだけど、テーブルとソファーが揃えば何だかそれっぽくなるから不思議だった。「こうやって見ると、テレビも欲しくなるかも」「でっかい画面でゲームやるのも楽しそうだよなー。映画とか観るのもいいし」「悠馬も映画とか観るんだ」「そりゃあ、見るよ。アニメも観るし」「ちょっと意外かも。一緒にいるとき、観てたこととかなかったから」「たしかに、伊織といるときは話したり、ゲームしてたりすることの方が多かったかも……」「じゃあ、新しいの買ったら、一緒に観る?」「いいね。注文しよ」ネットで良さそうなテレビとテレビ台を見つけた悠馬が、さっそくスマホで情報を送ってくる。新居の入居にかかる費用と引っ越しの費用、家具の購入にかかった費用……。銀行の預金残高を思い浮かべつつ、ざっと計算しようとしたけれど――途中から具合が悪くなってきたので、やめることにした。(使った分は、また頑張って稼げばいいわけだし……)そう言い聞かせて、ゲーム部屋の作業に戻る。部屋に入ると、悠馬が待っていて「こっちこっち」と手で招かれた。PCの電源がついていて、配信で使うカメラがオンになっている。「配信用の画面、今のところこんな感じなんだけど……。ドアとドアノブが映ると、家がバレる気がしない?」「うわっ、たしかにそうかも……!」盲点だった。