LOGIN「これは…なんと言うか……」
クローゼットの扉を開けた瞬間、湊さんの動きが止まった。中に並ぶドレスたちを前に、彼はまるで言葉を失ったように、ぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。彼の視線の先にあるのは、私の記憶の断片。過去の湊さんが選んだ、いくつものドレス。湊さんの目が、ひとつひとつのドレスをなぞるたびに、心の奥を覗かれているような気がして、そっと視線を落とした。「落ち着いた色のものを選んでくれてたので、」落ち着いた色。それは、私が自分に言い聞かせてきた言葉だった。本当は、もっと明るい色も着てみたかった。柔らかなピンクや、淡いブルー。でも、湊さんが選ぶのはいつも、グレーやネイビー、ブラックばかりだった。「センスの欠けらも無いね」湊さんがぽつりと呟いたその言葉「離してください」 胸の奥が恥ずかしさでいっぱいになり、私は思わずそう口にした。 湊さんの膝の上に座らされている状況は、安心と同時に耐えられないほどの照れを伴っていた。彼の体温が近すぎて、心臓が速く打ち続ける。 逃げたいわけではないのに、顔が熱くてどうしても耐えられない。 「許してくれるまで離さないよ」 その返事に、胸がさらに締め付けられる。 私は恥ずかしさで顔を上げられず、視線を床に落としたまま心臓の鼓動を数えてしまう。 「わ、分かったから」 耐えきれずにそう答えた。 元はと言えば、本当のことを言わなかった私が悪い。怖い映画が苦手だと最初から言えばよかったのに、強がって「平気」と答えてしまった。彼に子供だと思われたくなくて、情けない自分を隠したかった。けれど、その嘘が今の恥ずかしさと罪悪感を生んでいる。 彼は私をからかっただけで、本気で困らせようとしたわけじゃない。それなのに、私は勝手に傷ついて、勝手に逃げようとしている。 「許してくれる?」 その問いかけは優しく、でも少し意地悪で、私の心を試すようだった。 私は唇を噛み、答えを探す。許さない理由なんてないのに、恥ずかしさが邪魔をして声が出ない。 彼の瞳を見れば、きっと優しい表情をしているのだろう。けれど、視線を合わせる勇気はない。 「…許します」 小さな声でそう答えた。まるで告白のように、胸の奥が甘く締め付けられる。 「じゃあ、違う映画見よっか」 その言葉に胸が少し軽くなる。私は小さく息を吐き、心臓の速さを落ち着けようとした。 「お願いします」 私は素直にそう答えた。恥ずかしさはまだ残っているけれど、彼の優しさに触れて
「そんな事ないよ」 必死に否定したけれど、声は震えていた。自分でも隠しきれていないのが分かる。 怖いと認めたくない一心で口にした言葉だったが、湊さんの視線は優しくも鋭く、私の心の奥を見透かしているようで落ち着かない。 「ほんとかなぁ」 軽く笑うような声に、胸がざわめいた。からかわれていると分かっていても、図星だから余計に恥ずかしい。 頬が熱くなり、視線を逸らす。彼の余裕ある態度が、私の必死さを際立たせる。 「全然怖くない」 強がりを込めて言った。けれど、声は震え、顔は引きつっていた。 「じゃあ、離れてても見れる?」 試すような問いかけに、心臓がさらに速くなる。湊さんは私の気持ちを分かっていて、わざとそう言ってるんだ。 「…意地悪ばっかり」 そう呟きながら、私は湊さんの腕をそっと離した。指先に残る彼の温もりが消えていく瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられる。 「え?」 湊さんが少し驚いたようにこちらを見た。 私の反応が予想外だったのだろう。彼にとっては、ほんの軽い冗談、ちょっとした意地悪のつもりだったのかもしれない。けれど、私にとってはその一言が胸に突き刺さる。 気づかないフリをしてくれたっていいじゃない。 彼が優しく笑って流してくれれば、私はまだ強がりを続けられたのに。私の必死さはもう隠せない。 「湊さんの言う通りだよ。私、怖いの見れないの。でも子供だと思われたくなくて、必死に我慢してた」 必死に強がっていたのに、結局は耐えきれずに認めてしまった。 「彩花」 名前を呼ばれると、心臓が跳ねた。優しい響きなのに、逃げたくなる。 「もういいです」
「なんだか、寒くない?」怖いと言えない私は、寒いと誤魔化すように口にした。実際、部屋の空気は少しひんやりしている気もしたけれど、それ以上に心臓が早鐘を打つように速くなり、体が震えていた。「そう?暖房つけようか?」湊さんの優しい声に胸が温かくなる。私の言葉をそのまま受け止めてくれていることが嬉しい。けれど、暖房をつけてもこの震えは止まらない。怖さを隠すためについた嘘が、彼を動かそうとしていることに罪悪感を覚える。「そ、そうじゃなくて、その…」声が震え、言葉が詰まる。唇を噛みながら勇気を振り絞った。私はそっと彼の腕に手を回し、抱きしめた。体温がじんわり伝わってきて、胸の奥が少し落ち着く。「こうして見ちゃだめ、ですか?」声は小さく震えていた。彼の腕に寄り添いながら、心臓の鼓動が耳に響くほど速くなる。「いいけど…あ、怖い?」湊さんの問いかけに胸が跳ねた。図星を突かれ、心臓がさらに速くなる。「違う!寒いから!決して怖いとかじゃない」声が少し大きくなってしまった。必死に否定することで、逆に怖さが伝わってしまった気がする。「怖いなら正直に言っていいのに。見るのやめとく?」湊さんは私が必死に隠している気持ちを、もう全部分かってしまっているんだ。「大丈夫。最後まで見る」声は震えていたけれど、強く言い切った。怖さを隠してでも、湊さんと一緒にいる時間を守りたいと思った。「そう。そこまで言うなら」湊さんの言葉に胸が少し安心した。けれど、その安堵は長く続かなかった。映像はより刺激的になり、暗闇の中から突然現れる影や不気味な音が、心臓を締め付けるように迫ってくる。「ひっ…いやぁ。想像以上に迫力あるなぁ」思わず声が漏れた。自分でも情けないと思うほど、反射的に声が震えてしまう。画面
ソファーに腰を下ろすと、ふわりと沈む感覚と同時に、湊さんの隣にいる安心感が広がった。 静かな部屋に二人きり、時計の音だけが響いていて、時間がゆっくり流れていくように感じられた。 「何する?映画でも観る?」 沈黙を破るように、湊さんが口を開いた。その声は穏やかで、私の心を少し軽くしてくれる。 「うん」 湊さんの横顔を見つめながら、私は小さく頷いた。 「どんな映画が好き」 湊さんの問いかけに、胸が少し緊張した。好きな映画を答えればいいだけなのに、なぜか心臓が速くなる。 少し考えるふりをしたけれど、答えはもう決まっていた。 「湊さんと見れるなら、何でもいい」 その言葉を口にした瞬間、顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしいくらいに素直な本音だった。 湊さんと一緒なら、映画のジャンルなんて関係ない。そんなことを言う自分が少し子供っぽく思えて、視線を逸らした。 ソファーの端を指でつまみながら、心臓の鼓動を落ち着けようとした。 「そんな可愛いこと言って。それじゃあ俺が好きな映画観る?」 湊さんの声は少し笑みを含んでいて、私の胸をさらに熱くさせた。 可愛いと言われたことが恥ずかしくて、頬が赤くなる。けれど、同時に嬉しくて、心臓が跳ねるように高鳴った。 「ぜひ」 私は笑顔を作りながら答えた。 声は少し高くなってしまい、緊張が隠せなかった。けれど、湊さんの好きなものを一緒に楽しめることが嬉しい。 彼の指がリモコンを操作する音が、静かな部屋に響いた。ソファーのクッションを抱きしめるようにして、彼の動作を見守った。 「これなんだけど…」 画面に映し
「うん。会議が長引いて疲れただけだよ。心配かけてごめんね」 その言葉は優しい響きを持っていたけれど、どこか表面的に感じられた。 心配をかけまいとするその態度が、逆に本当のことを話してくれていないのではと疑念を呼び起こす。 私は信じたい。彼が言う「疲れただけ」という言葉をそのまま受け止めたい。けれど、目の奥に沈む影がどうしても気になってしまう。 「それじゃあ、早く寝た方がいいね」 私はそう言いながら、心の奥で複雑な感情が渦巻いていた。 「そうしようかな」 湊さんの返事は穏やかで、疲れを隠しきれない響きを含んでいた。 …まだ1時間しか一緒にいられてないのに。 彼の疲れを理解しているからこそ強くは言えないけれど、心の奥ではもっと一緒にいたいという気持ちが膨らんでいく。 なんて、だめだめ。寂しさを押し付けるなんて、子供じゃないんだから。迷惑なんてかけられない。 「彩花?」 湊さんが私の名前を呼んだ瞬間、心臓が跳ねた。 彼が私の気持ちに気づいているのかもしれないと思うと、隠していた寂しさが一気に表面に浮かび上がる。 「ん?」 返事をしながら、声が少し震えていた。 「どうしてそんな悲しそうな顔するの」 なるべく表情に出さずに過ごしてきたはずなのに。なのに、彼には見抜かれてしまう。 隠していたつもりの寂しさが、湊さんにははっきりと伝わっていたんだ。 「そんなことないよ」 必死に誤魔化そうとした。けれど、声は弱々しく、説得力を欠いていた。 心の奥では寂しいと認めてしまっているのに、口では否定する。
「え?この服湊さんが買ってくれたんだよ。あんまり外に行かないから大丈夫だって言ったんだけど、それなら家で着たらいいって…」 「そうだったっけ」 短い返事。声は落ち着いているけれど、どこか上の空に聞こえる。 「もー。そうだよ。沢山買ったから忘れちゃった?」 冗談めかして笑いながら言ったけれど、心の中では少し寂しさを感じていた。 湊さんが覚えていないこと自体は仕方ない。人は誰だって忘れるし、湊さんは毎日忙しいのだから当然だ。 でも、私にとっては大切な思い出だった。 「そうかも…あの、さ」 湊さんの声が急に真剣な響きを帯びる。私は胸がきゅっと縮むのを感じた。 「ん?」 首を傾げながら問い返す。心臓の鼓動が速くなる。 「彩花は、俺の事、好き?」 突然の問いに、思考が一瞬止まった。 いつもなら、軽い冗談みたいに笑いながら聞いてくるのに。 今日の湊さんは違った。 ほんの気まぐれで確かめたいだけじゃなくて、本気で答えを求めているように見えた。 瞳の奥が真剣で、逃げ場のない視線に胸が締め付けられる。 「当たり前でしょ?どうしてそんなこと聞くの?」 私は少し強めに言ってしまった。湊さんの問いかけがあまりにも唐突で、胸の奥に不安が広がったから。 好きかどうかなんて、答えるまでもないことなのに。 「何となく。…今日のご飯も美味しいね。俺の好物ばっかりだし」 湊さんは少し笑みを浮かべながら言ったけれど、その笑みはどこか弱々しい。 「好きな物を作ったら、喜んでくれると思って」 私は少し照れながら言った。
「……僕のことも、許せないよね」その言葉は、自分自身に言い聞かせているような、静かで沈んだ声だった。表面には出ていないけれど、その奥に潜む感情は、確かに伝わってきた。それは、後悔と自責が絡み合った、重く沈んだ想い。まるで、自分の過去を罰するように、否定し続けているようだった。「え?」あの頃、確かに彼は冷たかった。でも、今目の前にいる湊さんは、あの頃とは違う。全くの別人。優
「私、もう過去ばかり見るのはやめる」 言葉にするまで、どれだけ時間がかかっただろう。 過去は私の中で、ずっと重たい鎖のように絡みついていた。 あの時の傷、あの時の涙、あの時の沈黙。 全部が私を縛っていた。 でも、今の私は過去に怯えてばかりじゃいけない。 そう思えたのは、湊さんが、今の私を見てくれているから。 「ほんと、?」 湊さんの声は、驚きと少しの不安が混じっていた。 彼にとっても、私の言葉は予想外だったのかもしれない。
「記憶がないから役に立つかは分からないけど、社長が長く席を空けるのは、あんまり良くないですよね」その言葉には、迷いもあった。でも、それ以上に戻らなければならないという、静かな決意が感じられた。そして、そんな湊さんの言葉に、秘書はすぐに応じた。「無理は厳禁……と申し上げたいところですが、可能であれば来週の月曜日からご出勤いただけると助かります」彼の性格や判断の癖を理解していて、それを前提に言葉を選んでいるのが、はっきりと分かった。
「…私は、湊さんが思ってるような善人じゃないよ」 言葉がこぼれた瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ。 自分自身に言い聞かせるような、あるいは、湊さんの期待をそっと否定するような響きだった。 カップの縁を指でなぞりながら、視線はずっとコーヒーの表面に落ちたまま。 湊さんの顔を見るのが怖かった。 この言葉を聞いて、がっかりされるんじゃないかって。 でも、黙っているのも苦しくて、ずっと抱えていたものを、少しだけ吐き出してしまった。 「どういうこと?」 湊さん