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第4話

Author: おひつじ
私は最後まで一言も発さず、ただ黙って彼女の芝居を見ていた。

この時、私は見慣れたはずなのに、今は他人のように感じられる司遠の顔を見つめながら、心の奥は不思議なほど静かだ。

そして私は立ち上がり、お茶を注ぎ直すと、何のためらいもなく時雨の顔にぶちまける。

「よく見て。これが本当に私のしたことよ」

甲高い悲鳴が響き渡る。私は無表情のまま、湯のみを放り投げ、その場を立ち去った。

司遠は、まさか私がそんな行動をとるとは思わなかったように、止めることさえ忘れていた。

私は最後まで、一度も振り返らなかった。

別荘に戻った時、出迎えてくれたのは真っ暗な闇だけだ。

かつて「家」と呼んでいたこの場所は、今や冷たい墓穴のように感じられる。

灯りを点けず、私は真っ直ぐ司遠の書斎へ向かった。

時雨が会社に入ってから、司遠は二度と私にこの部屋に近づかせなかった。

心臓がじんじんと痺れるように鼓動し、まるで何かに突き動かされるように、私はずっと前からわかっていたが、認めたくなかった真実へ歩き出す。

重い扉を押し開け、カチリとシーリングライトのスイッチをつける。

眩しく白い光が一気に降り注ぎ、部屋の隅々まで照らし出す。

その光の中で、壁に、書棚に、机の上に、無数の写真が現れる。

すべてが時雨だ。

あまりにも多すぎる。あまりにも親密すぎる。それはもはや上司と部下の関係を遥かに逸脱していた。

どの写真の時雨も、眩しいほどに笑っている。その笑みは針の束のように、容赦なく私の目に突き刺さる。

胃の奥が激しく捻れ、私はふらつきながら冷たい机の端を掴んでやっと立てる。

指先が机の上に触ると、紙のような触感がある。

俯いて見ると、そこには二枚の「間違えた」婚姻届受理証明書がある。

真紅の印章が、光の下でまるで凝り固まった血のようだ。

すべてが露わになる。これまでの私の感情がどれだけ愚かだと嘲笑うかのように、残酷に突きつけられる。

彼の優しさも、信頼も、法律上の配偶者という立場さえも、何ひとつ、私のものじゃない。

それから十日間、司遠は一度も帰ってこなかった。電話すらかけなかった。

私に属するものは、一つずつ段ボールに詰め込まれていく。

結婚式の前夜、私は書斎の扉の前に立ち、壁と机を覆い尽くす無数の写真を見ながら、手にしたライターを点ける。

小さな炎が落ち、じわじわとこの気持ち悪い書斎を燃やしていく。

最後に、私はあの二枚の証明書を火の中に放り込む。

紙は熱に縮れ、黒く焦げ、灰となる。

証明書とそれらの写真の中で寄り添い合う二人の笑顔ごと、跡形がなくなる。

私は別荘を出て、燃え上がる火を見ながら消防へ通報する。

通話を切った瞬間、一通のメッセージが届く。

内容はただ一言だ。

【明日の朝八時までに、時雨へ心から謝罪しろ。さもなければ結婚式には行かない】

司遠は私が頭を下げるのを待っている。

だが、私の口から漏れたのはただ嗤いだ。

私は返事をせず、別の番号へ電話をかける。

「父さん」私の声は異様なほど落ち着いていて、揺らぎひとつもない。

「明日の結婚式はね、母さんと一緒にホテルの宴会場に直接行って。家には寄らなくていいから」

電話の向こうから父の心配そうな声が響く。「飛鳥、どうしたんだ?司遠は……」

「彼は忙しいの」私は遮るように言い切った。その口調には一切の迷いもなく、どこか不思議な軽やかささえ混じっていた。

「大丈夫。全部予定通りだ。直接行っていい。私はちゃんと行くから」

燃える火の前に、私は軽く笑った。

川崎司遠、私の「新郎」。

あなたへのサプライズ、どうか気に入ってちょうだい。

教会の巨大なステンドグラスから日差しが差し込み、レッドカーペットを鮮やかに染めていた。

私はシンプルなウェディングドレスを纏い、花で飾られたアーチの下で静かに待っていた。

両親は最前列に座り、何度も振り返って私を見て、また不安げに入口へ視線を向ける。

時間がどんどん過ぎ、司会者の笑顔は引きつり、客たちの間にざわめきが広がっていく。

その時、教会の扉がゆっくりと開いた。逆光の中に、一人の男が立っている。

彼は背筋をまっすぐ伸ばし、完璧に仕立てられた黒いスーツを身に纏い、真っ直ぐにレッドカーペットの突き当りに立っている私のもとへ歩みを進める。

場内がどよめいた。

「だ、誰?!川崎司遠じゃないだろ?そんな……」
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