INICIAR SESIÓN「瀬戸夕凪。御堂峻と、さっきの若い男。君が好きなのは、いったいどちらだ?」不意に、隣の男が口を開いた。夕凪は言葉を失った。勢いよく顔を上げ、信じられない思いで、上質なビジネススーツをまとい、一挙手一投足に王者のような傲慢さをにじませているこの男を見つめた。自分の耳がおかしくなったのだろうか。それとも、おかしいのはこの男の方なのだろうか。神崎グループの次期総帥ともあろう人が、ビジネスの話には見向きもせず、他人の色恋沙汰に首を突っ込んでくるとは。夕凪は胸の内で深く息を吸い込むと、反撃に出た。「神崎社長は先ほど、他人のプライベートには興味がないとおっしゃっていませんでしたか?」「ああ、そのとおりだ」修一はうなずき、少しも悪びれる様子なく言った。「だが、この件に関しては少なからず興味を惹かれてね。どこにでもいるような平凡な女が、御堂家と桐生家、二つの名門の御曹司を同時に夢中にさせている。君には、いったいどんな魅力が隠されているのか知りたいんだ」そう言いながら、修一は鋭い視線で夕凪を頭の先から足元まで見渡した。その眼差しは、鋭い刃物で胸を切り開き、心の奥底まで暴き出そうとしているかのようだった。夕凪は思わず体を震わせた。「神崎社長、誤解です。御堂社長と私の間には……何もありません。あの方には心に決めた人がいらっしゃいますし、私もあの方に対して……そのような感情は一切ありません。あの方はあくまで、当社のクライアントです。二人の関係は、それだけです」夕凪は急いで、きっぱりと否定した。今回の視察では、峻とも修一ともずっと行動を共にすることになる。変な勘違いをされて、これ以上余計な面倒に巻き込まれたくなかったのだ。修一の瞳の奥で、かすかな光が揺れた。彼が何か言おうとしたその時、すぐそばから女性の甘やかな声が割り込んできた。「お客様、機内のラウンジスペースにて、ティラミスをサービスでご用意しております。よろしければ、あちらでお召し上がりになりませんか?」声のした方へ振り向くと、美しい客室乗務員が立っていた。夕凪はもともと、甘いものが特別好きなわけではない。だが、今は修一とこの気まずい会話を続けるより、ケーキでも食べている方がずっとマシだった。「はい、ありがとうございます!」夕凪はすぐに立ち上がると、一度も振り返るこ
恐ろしい。この男は峻よりも、さらに恐ろしい人間かもしれない。絶対に近づかないようにして、できるだけ距離を置かなければ。夕凪がそんなことばかり考えていると、車が静かに停車した。いつの間にか、空港の集合場所へ到着していたのだ。「神崎社長……それに、夕凪?」修一の車から夕凪が降りてくるのを見た峻は、ハッと目を見開いた。整った顔が、一瞬にして険しくなる。なぜ夕凪と修一が一緒にいるのか。峻には、どう考えても理解できなかった。「前の集合場所で偶然お会いしましてね。こちらへ向かうとのことだったので、ついでにお乗せしただけですよ」修一は車を降りると、二人の方へ歩み寄りながら言った。それを聞いて、峻の顔からようやく険しさが少し抜けた。峻は自ら修一へ歩み寄り、手を差し出して握手を求めた。「神崎社長、本日はお会いできて光栄です」夕凪はその時になって初めて、御堂グループの文化観光プロジェクトが、南嶺県朝峰町の新開発エリアで進められていることを知った。そして、その新開発エリア全体の開発を担っているのが、他でもない神崎グループだったのだ。御堂グループの文化観光プロジェクトは、新開発エリアで進む複数の事業の中でも特に重要な位置を占めている。そのため、エリア全体を統括する修一も今回の視察団に同行し、朝峰町へ赴くことになったというわけだ。挨拶を交わすなり、修一と峻はすぐにプロジェクトの話に入った。夕凪は二人の邪魔にならないようそっと離れ、視察団の事務を取りまとめている吉岡社長のもとへ向かい、出席確認と搭乗手続きを済ませた。一時間後、彼らを乗せた飛行機は涼崎空港を飛び立ち、南嶺空港へと向かった。機内に入っても、夕凪の隣の席だけはいつまでも空いたままだった。飛行機がまさに動き出そうとする直前になって、ようやく背の高い人影が隣へ腰を下ろした。また……神崎修一!?夕凪はすでに、視界の端で相手が誰かを確認していた。先ほど彼が花澄へ見せたあの冷酷な態度を思い出すと、体がこわばり、どうにも居心地の悪さを覚えずにはいられない。しかし修一は、夕凪の所属する会社にとってクライアントのそのまた上に立つ絶対的な権力者だ。夕凪は深く息を吸い込むと、顔を向け、できるだけ自然な笑みを作って挨拶した。「こんにちは。本当に、偶然が続きますね」修一は席に着くと
夕凪がようやく肩の力を抜いた時、司は反射的に彼女の手を引き、場所を変えて話を続けようとした。だがその時、修一がスマホへ目を落とし、間もなく冷ややかな声を響かせた。「瀬戸夕凪。連絡用チャットを見ろ。視察団の集合場所が急きょ涼崎空港に変わった。乗れ。俺も行くから、ついでに送ってやる」今の夕凪は、とにかく一刻も早く司から離れたかった。すぐに車のドアを開け、乗り込んだ。シートベルトを引き出した時になって、ようやく何かがおかしいと気づいた。次の瞬間、夕凪は大きく目を見開き、鋭く息を呑んだ。瀬戸夕凪?視察団?連絡?夕凪は反射的にスマホへ目を落とした。確かに管理者から、集合場所を涼崎空港へ変更するという通知が届いていた。夕凪は言葉を失った。待って。修一は……どうして自分が瀬戸夕凪だと知っているのだろう。まさか前回、修一が望みもしないのに噂話を聞かされた、その当事者が自分だと、もう気づいていたのだろうか。それに、どうして修一まで連絡用チャットに入っているのだろう。あれは御堂グループの事業視察団だ。修一に何の関係があるというのか。修一の車の後部座席に座った夕凪は、体面を保つため、表面上は懸命に何事もない顔をしていた。だが胸の内では、すでに激しい波が荒れ狂っている!「あの……神崎社長、今ふと思い出したのですが、忘れ物をしてしまいました。ここで降ろしていただいて、取りに戻りたいのですが……」夕凪は驚きと後悔と焦りが入り交じった表情を作ってみせた。すべて演技なのに、演技だとは少しも悟らせないようにした。夕凪には、どんな相手でも騙し通せる自信があった。案の定、修一はうなずいた。「わかった」夕凪がようやく安堵しかけた時、修一は冷ややかな声で続けた。「次の交差点なら引き返せる。俺が忘れ物を取りに連れていく」修一は本当にハンドルを握り、今にも車を引き返させようとしている。夕凪の心臓が、びくりと震えた。夕凪は慌てて止めた。「あの……今、思い出しました。やっぱり持ってきたみたいです!戻らなくても大丈夫です!」「本当か?」修一が低い声で尋ねた。「はい、間違いありません……」すると修一は、あまりにも滑らかな動きでハンドルを切り戻し、そのまま元の方向へ走り続けた。夕凪は不意に、奇妙な感覚に襲われた。示
夕凪は小さくため息をついた。「私が司さんの立場なら、お姉さんを選びます。姉は一人しかいませんが、恋人ならいくらでも見つけられますから」夕凪は心から、自分の言っていることは少しも間違っていないと思っていた。だが司は、きっぱりと言い切った。「夕凪は、この世に一人しかいない!」おやおや、口ではずいぶんと立派なことを言う。夕凪は胸の内で半ば感心しつつも、冷ややかに見定めていた。「それなら、私が『お姉さんと縁を切ってくれたら結婚する』と言ったら、そうしてくれますか?」夕凪は司の目をじっと見つめた。瞬きもせず見つめ続けたのは、彼の顔に浮かぶどんな些細な変化も見逃さないためだった。もし司が少しのためらいもなく、微塵の後ろめたさも見せずに「必ずできる」と約束したなら、夕凪は迷うことなく彼の求婚を受け入れるつもりだった。もちろん、妻のために実の姉を裏切れるような男なら、いつか別の誰かのために妻を裏切る日が来るかもしれないことは、夕凪にもわかっている。それでも、司にそこまでの覚悟があるというのなら、自分にも彼と結婚する覚悟がある。その先で何が起ころうとも、絶対に後悔しない。しかし司は、ためらっただけでなく、視線を泳がせ、夕凪の目をまっすぐ見ることさえできなかった。司は気まずそうに、小さな声でつぶやいた。「どうして……そこまでして縁を切らなきゃならないんだ?夕凪、君はそんな女じゃないと思ってた。母親と恋人が同時に溺れたらどちらを先に助けるか、なんてくだらない質問で相手を試すような人じゃないだろう……」夕凪は怒るどころか、ふっと笑みをこぼした。「司さんご自身が、私を『女』だと言ったじゃないですか。女なら誰だって、そういう二者択一を気にするものです。ただ、直接口に出して尋ねる女もいれば、口には出さず、相手の行動を黙って見極める女もいる――それだけのことです。お姉さんの反対があまりにも激しいからこそ、私は直接尋ねるしかなかったんです」夕凪は笑っていた。だが司には、彼女の瞳の奥に冷たく砕けた氷が沈んでいるように見えた。そこには笑みも、わずかな温もりさえない。失望しているのではない。むしろ……重い肩の荷が下りたような、すっきりとした目だった。司は不意に言い知れぬ寒気を覚え、ブルッと体を震わせた。「夕凪、姉貴は君にひどいこと
視察団の専用車に乗り込むと、贅を尽くした広い車内にいるのは、なぜか夕凪ただ一人だった。夕凪は落ち着かず、座っていてもどうにも居心地が悪かった。これから峻に顔を合わせた時、どんな態度をとればいいのかわからない。夕凪は深く息を吸い込んだ。駄目だ。自分から取り乱してはいけない!今回は造園デザイナーとして、峻の率いる視察団へ参加するだけだ。あくまで仕事上の関係にすぎない。二人が元夫婦であることは事実だが、それもすべてはもう終わった過去のことなのだ!ところが集合場所へ着くと、夕凪を悩ませたのは峻ではなく、全く別の男だった。「夕凪!昨夜、何度も電話したのに、どうして出なかった!?姉貴に家に閉じ込められて……君に会いに行くなと止められてたんだ!さっき、ようやく隙を見つけて抜け出してきた!夕凪、出張へ行くのか?いつ戻るんだ?」突然現れた司は、夕凪の手を強くつかみ、焦燥に駆られた声でまくし立てた。その司の姿を一目見た夕凪は、驚かずにはいられなかった。確かに司は、しばらく「軟禁」でもされていたかのようなひどい有様だった。口の周りには、青黒い無精髭まで伸びている。それだけではない。これほどまでに緊張し、不安に苛まれている司の表情を、夕凪は今まで一度も見たことがなかった。いつもふざけたような笑みを浮かべ、自由奔放に振る舞っていた以前の桐生家の御曹司とは、まるで別人のようだった。夕凪は自分をつかむ司の手を静かに振りほどき、ぎこちなく答えた。「……日程は一週間です」「一週間!?」司は眉をひそめ、あからさまに不満を口にした。「どうして、そんなに長いんだ!?夕凪、行かないでくれないか。心配しなくていい。姉貴は俺が絶対に説得する。必ず俺たちの結婚を認めさせてみせる!結婚したら、君は妻として家にいて、家庭を守り、子供を育ててくれればいい。もう外に出て働く必要なんてないんだ!」必死で訴えかける司をじっと見つめているうちに、夕凪の脳裏に、かつて峻と結婚していた頃のある記憶が不意に蘇ってきた。ある日、帰宅した峻は、夕凪がソファに寝転がり、くだらないネットドラマを見ながら何の悩みもなさそうに笑い転げている姿を目にした。その時、峻は眉間に深く皺を寄せ、整った顔を険しくしてこう言い放ったのだ。「夕凪。俺には君を養っていく力がある。だが、君
「ええっ?夕凪さんって、どんだけ運がいいのよ!」ほかの女性社員たちは、揃って心底がっかりした様子だった。茜は冷たく言い放った。「夢を見るのはやめなさい。佐藤会長が全社員の経歴書を提出して、御堂グループから返ってきた答えが、条件に合うのは夕凪一人だけ、というものだったの。文句があるなら、御堂グループへ乗り込んで、御堂社長本人に問いただしてきなさい」誰も言葉を返せなかった。その瞬間、全員が一斉に口を閉ざした。誰も文句を言わないことを確かめてから、茜は顔面蒼白になっている夕凪へ向き直った。「今すぐ帰って、荷物をまとめてきなさい。あとでプロジェクトの連絡用チャットの招待QRコードを送るわ。出発時刻と集合場所は、管理者からそっちで通知されるから」茜はいったん言葉を切ると、念を押すように言った。「夕凪。今回の連絡用チャットには、私でさえ入る資格がないのよ。普段は外見を気にしなくても構わないけれど、今回の出張では、あなたの言葉も振る舞いも非常に重要になってくるわ。会社の代表として見られるのだから、身だしなみには常に気を配りなさい」借りている部屋へ戻り、荷物をまとめていた夕凪は、茜のあの意味ありげな言葉をふと思い出していた。自分だって馬鹿ではない。茜が言いたかったのは、自分がひどく垢抜けない、ということだと痛いほどわかっていた。ただ、茜が気遣って遠回しに言ってくれただけだ。自分は、いったいどれほど垢抜けないのだろう。夕凪は思わず姿見の前まで行き、頭の先から足元まで、鏡に映る自分の姿をじっと見つめ直した。身につけているのは、グレーのロングコート。その内側から白いパーカーのフードを覗かせている。ボトムスは濃い色のジーンズで、足元は白いスニーカー。長く黒い髪は、バンスクリップで後ろに無造作にまとめただけだった。夕凪は近視ではないが、生まれつき乱視があり、眼鏡を手放せなかった。透き通るほど白い肌に、墨のように黒い髪。黒縁眼鏡のせいで顔の白さが一層際立ち、どこまでも地味で飾り気のない印象を与えている。以前の夕凪は、フレーム眼鏡など絶対に使わず、常にコンタクトレンズをつけていた。峻には、少しでも美しい自分を見てもらいたかったからだ。刑務所に入ってから眼鏡を使うようになり、出所後もすっかりそれに慣れてしまっていたのだ。ただし
刑務所を出た夕凪が真っ先にしたことは、銭湯へ行って湯につかることだった。まずはこの身にまとわりついた穢れを、きれいさっぱり洗い流したかったのだ。浴槽に足を踏み入れ、熱い湯の中にゆっくりと体を沈めていく……ああ、気持ちいい。思わず目を閉じて、浴槽の縁に頭をもたせかけた。あまりにも穏やかで、あまりにも安らかで――ずっと張り詰めていた糸がふっとほどけた途端、記憶の底に沈めていたものが、ひとりでに浮かび上がってきた。六年前、御堂グループは突如として経営危機に陥った。窮地を脱するため、峻は自ら夕凪のもとを訪れ、プロポーズした。瀬戸グループに支援させるための政略結婚だった。父は反対して
刑務所の門を出た瞬間、冷たい風が吹き抜け、枯れ葉がカサカサと舞い落ちた。真冬だというのに、瀬戸夕凪(せと ゆうなぎ)は目を閉じ、外の空気を貪るように胸いっぱいに吸い込んだ。三年前、裁判長から重々しく非情な判決が言い渡され、殺人の罪で懲役三年が確定した。そして今日、ようやくその刑期を終えたのだ。ふと視線を上げると、遠くの路肩に艶やかな漆黒の高級車が停まっていた。見覚えのある一台だった。心臓が、大きく跳ねた。――あの人だ。御堂峻(みどう しゅん)。途端に、三年前の光景がまざまざと脳裏に蘇る。法廷で、峻は夕凪が彼の初恋の相手――涼風清音(すずかぜ きよね)を殺害したと
「ふざけんな!たかが掃除のおばちゃんの分際で、俺に楯突こうってのか。ただで済むと思うなよ……!」惟人が激昂して腕を振り上げ、力任せに打ち下ろしてきた。夕凪の背後は壁だった。逃げ場などどこにもない。迫ってくるその手を、目を見開いたまま見つめることしかできなかった。「唐沢さん、相手はただの清掃員ですよ。そこまで熱くなることはないでしょう」ちょうどその時、ドアを押し開けて司が入ってきた。にやにやと笑いながら。司の姿を見て、惟人の腕が宙で止まった。彼は忌々しげに舌打ちして、手を下ろした。司が、早く行けとばかりに夕凪へ目配せをした。夕凪ははっと我に返った。顔面は蒼白だった
夕凪は静かに首を横に振った。多恵はほっと息をついた。「やっぱりね。あんたがちゃんと教養のある子だってことくらい、見てりゃ分かるわよ。ここで掃除してるのは今だけで、いつかは絶対ここを出て行く人だって……」夕凪の胸が、また小さく震えた。そうだ。自分だって、峻や清音と同じ涼崎大学を出た人間なのだ。「あんたには人に言えない事情があるんだろうし、私もこれ以上詮索はしないよ。でもね、これだけは言わせて。あんたはいい子だよ。何があっても絶対に諦めちゃ駄目。つまずいたって、そこからまた立ち上がればいいんだから……」多恵の声には、力強い優しさがこもっていた。夕凪はたまらず目頭が熱







