LOGIN朝食会場で峻が食事を取っていると、血相を変えた柊吾が近づき、声を潜めて報告した。「社長、瀬戸夕凪さんの姿が、どこにも見当たりません!」どこにもいないだと?生きている人間が、何の前触れもなく突然姿を消すはずがない。峻は手にしていたスプーンを粥の椀へ置いた。だが、その指先がかすかに震えていることには、誰も気づかなかった。もしその指に触れれば、峻の体が氷のように冷え切っていることがわかっただろう。峻は険しい顔で、柊吾へ冷たく尋ねた。「神崎修一は、どうやってホテルを出た?」柊吾は一瞬、答えに詰まった。だがすぐに質問の意図を理解し、慌てて説明した。「昨夜、視察団がホテルへ到着した直後、神崎社長はすぐにお出かけになりました。一方、瀬戸夕凪さんがいなくなったのは今朝です。ホテルのフロントで確認したところ、今朝の六時頃、瀬戸さんはお一人でホテルを出て行かれたとのことでした」つまり、夕凪がいなくなったことと修一の動きには、何の関係もないということだ。柊吾は、峻のこれまでの性格からすれば、この報告を聞いてまた不機嫌になるだろうと高を括っていた。社長は夕凪のことをよく知っている。夕凪は昔から、わざと姿を消して相手の気を引こうとするような面倒な女だ。社長が本気で心配するはずがない。そんな夕凪の小細工を煩わしく思い、嫌悪感を募らせるだけだろう、と。ところが、峻は勢いよく立ち上がり、凍りつくような声で命じた。「何をしている。すぐ人を出して捜せ!それから、警察にも連絡しろ!」柊吾は言葉を失った。呆然と、その場に立ち尽くした。待て。社長の夕凪に対する態度が、どうして突然ここまで変わったのだ?しばらくしてようやく我に返り、柊吾は戸惑いながら言った。「け……警察ですか?ですが、いなくなってからまだ二時間ほどしか経っていません。警察に相談しても、事件性が確認できなければ、すぐに本格的な捜索に動いてくれるとは限りません……」いくら何でも、大げさすぎやしないだろうか。ところが峻は突然、激しい怒りを爆発させた。「二時間だから何だと言うんだ!?万が一のことがあれば、ものの数分で……!」そこまで言いかけたところで、峻は急に言葉を詰まらせた。喉の奥に何かがつかえ、息もできないようだった。その大きな体が、抑えきれずにまた小さく震え
「問題ない」峻は淡々と言い放った。企画運営会社の責任者の目が、たちまち輝いた。興奮のあまり、危うく席から飛び上がりそうになったほどだ。長年この業界にいて、数え切れないほどのクライアントを相手にしてきたが、初期案が何一つダメ出しされずに一発で通ったことなど、これが初めてだった。それも、相手は御堂グループという超大物のクライアントなのだ。信じられない。自分たちのチームは、本当にそれほど優秀だったのか!だが、責任者は知る由もなかった。今の峻は完全に心ここにあらずで、プロジェクトのことなど一ミリも聞いていなかったのだ。御堂グループが毎年手がける数多くの開発プロジェクトの中で、これはごくありふれた一件にすぎない。もともと自ら視察に赴く必要などなく、本来なら吉岡社長が現場の責任者を務めるはずだった。ところが、知景のあの話を聞いた峻は、会社が現在進めているプロジェクトをすべてリストアップさせ、一件ずつ洗い直した末に、わざわざこの事業を選び出したのだ。つまり視察など単なる口実にすぎず、峻の本当の目的は別にあった。ただ一つ想定外だったのは、修一までがなぜかこの視察団に同行してきたことだ。自分でさえ自ら出向く必要のない規模のプロジェクトである。ましてやエリア全体の開発を担うクライアントの立場である修一が、わざわざ一つのプロジェクトの視察団に同行する必要など、なおさらなかった。修一もプロジェクトそのものを目的に来ているわけではないことだけは、峻にも直感でわかっていた。だが、修一がこの視察団に加わった本当の狙いが何なのかは、どうしても見当がつかなかった。三時間後、飛行機は南嶺空港へ着陸した。朝峰町の現地事業部が手配した数台の送迎ワゴン車が、すでに空港で一行を待っていた。視察団が朝峰町のホテルへ到着した時には、もう夜の十時を回っていた。一行は空腹と眠気と疲労でくたくたになっており、簡単に食事を済ませると、それぞれの部屋へ戻って早々に休んだ。翌朝、峻が部屋を出ると、柊吾がすぐに近づき、声を潜めて報告した。「社長、今しがた情報が入りました。昨夜、神崎社長は、こちらでご用意したホテルの部屋にはお泊まりになっていません。どちらへ向かわれたのかも不明です」峻は淡々と、「そうか」とだけ答えた。すべて予想していたことだった。修一がここ
「瀬戸夕凪。御堂峻と、さっきの若い男。君が好きなのは、いったいどちらだ?」不意に、隣の男が口を開いた。夕凪は言葉を失った。勢いよく顔を上げ、信じられない思いで、上質なビジネススーツをまとい、一挙手一投足に王者のような傲慢さをにじませているこの男を見つめた。自分の耳がおかしくなったのだろうか。それとも、おかしいのはこの男の方なのだろうか。神崎グループの次期総帥ともあろう人が、ビジネスの話には見向きもせず、他人の色恋沙汰に首を突っ込んでくるとは。夕凪は胸の内で深く息を吸い込むと、反撃に出た。「神崎社長は先ほど、他人のプライベートには興味がないとおっしゃっていませんでしたか?」「ああ、そのとおりだ」修一はうなずき、少しも悪びれる様子なく言った。「だが、この件に関しては少なからず興味を惹かれてね。どこにでもいるような平凡な女が、御堂家と桐生家、二つの名門の御曹司を同時に夢中にさせている。君には、いったいどんな魅力が隠されているのか知りたいんだ」そう言いながら、修一は鋭い視線で夕凪を頭の先から足元まで見渡した。その眼差しは、鋭い刃物で胸を切り開き、心の奥底まで暴き出そうとしているかのようだった。夕凪は思わず体を震わせた。「神崎社長、誤解です。御堂社長と私の間には……何もありません。あの方には心に決めた人がいらっしゃいますし、私もあの方に対して……そのような感情は一切ありません。あの方はあくまで、当社のクライアントです。二人の関係は、それだけです」夕凪は急いで、きっぱりと否定した。今回の視察では、峻とも修一ともずっと行動を共にすることになる。変な勘違いをされて、これ以上余計な面倒に巻き込まれたくなかったのだ。修一の瞳の奥で、かすかな光が揺れた。彼が何か言おうとしたその時、すぐそばから女性の甘やかな声が割り込んできた。「お客様、機内のラウンジスペースにて、ティラミスをサービスでご用意しております。よろしければ、あちらでお召し上がりになりませんか?」声のした方へ振り向くと、美しい客室乗務員が立っていた。夕凪はもともと、甘いものが特別好きなわけではない。だが、今は修一とこの気まずい会話を続けるより、ケーキでも食べている方がずっとマシだった。「はい、ありがとうございます!」夕凪はすぐに立ち上がると、一度も振り返るこ
恐ろしい。この男は峻よりも、さらに恐ろしい人間かもしれない。絶対に近づかないようにして、できるだけ距離を置かなければ。夕凪がそんなことばかり考えていると、車が静かに停車した。いつの間にか、空港の集合場所へ到着していたのだ。「神崎社長……それに、夕凪?」修一の車から夕凪が降りてくるのを見た峻は、ハッと目を見開いた。整った顔が、一瞬にして険しくなる。なぜ夕凪と修一が一緒にいるのか。峻には、どう考えても理解できなかった。「前の集合場所で偶然お会いしましてね。こちらへ向かうとのことだったので、ついでにお乗せしただけですよ」修一は車を降りると、二人の方へ歩み寄りながら言った。それを聞いて、峻の顔からようやく険しさが少し抜けた。峻は自ら修一へ歩み寄り、手を差し出して握手を求めた。「神崎社長、本日はお会いできて光栄です」夕凪はその時になって初めて、御堂グループの文化観光プロジェクトが、南嶺県朝峰町の新開発エリアで進められていることを知った。そして、その新開発エリア全体の開発を担っているのが、他でもない神崎グループだったのだ。御堂グループの文化観光プロジェクトは、新開発エリアで進む複数の事業の中でも特に重要な位置を占めている。そのため、エリア全体を統括する修一も今回の視察団に同行し、朝峰町へ赴くことになったというわけだ。挨拶を交わすなり、修一と峻はすぐにプロジェクトの話に入った。夕凪は二人の邪魔にならないようそっと離れ、視察団の事務を取りまとめている吉岡社長のもとへ向かい、出席確認と搭乗手続きを済ませた。一時間後、彼らを乗せた飛行機は涼崎空港を飛び立ち、南嶺空港へと向かった。機内に入っても、夕凪の隣の席だけはいつまでも空いたままだった。飛行機がまさに動き出そうとする直前になって、ようやく背の高い人影が隣へ腰を下ろした。また……神崎修一!?夕凪はすでに、視界の端で相手が誰かを確認していた。先ほど彼が花澄へ見せたあの冷酷な態度を思い出すと、体がこわばり、どうにも居心地の悪さを覚えずにはいられない。しかし修一は、夕凪の所属する会社にとってクライアントのそのまた上に立つ絶対的な権力者だ。夕凪は深く息を吸い込むと、顔を向け、できるだけ自然な笑みを作って挨拶した。「こんにちは。本当に、偶然が続きますね」修一は席に着くと
夕凪がようやく肩の力を抜いた時、司は反射的に彼女の手を引き、場所を変えて話を続けようとした。だがその時、修一がスマホへ目を落とし、間もなく冷ややかな声を響かせた。「瀬戸夕凪。連絡用チャットを見ろ。視察団の集合場所が急きょ涼崎空港に変わった。乗れ。俺も行くから、ついでに送ってやる」今の夕凪は、とにかく一刻も早く司から離れたかった。すぐに車のドアを開け、乗り込んだ。シートベルトを引き出した時になって、ようやく何かがおかしいと気づいた。次の瞬間、夕凪は大きく目を見開き、鋭く息を呑んだ。瀬戸夕凪?視察団?連絡?夕凪は反射的にスマホへ目を落とした。確かに管理者から、集合場所を涼崎空港へ変更するという通知が届いていた。夕凪は言葉を失った。待って。修一は……どうして自分が瀬戸夕凪だと知っているのだろう。まさか前回、修一が望みもしないのに噂話を聞かされた、その当事者が自分だと、もう気づいていたのだろうか。それに、どうして修一まで連絡用チャットに入っているのだろう。あれは御堂グループの事業視察団だ。修一に何の関係があるというのか。修一の車の後部座席に座った夕凪は、体面を保つため、表面上は懸命に何事もない顔をしていた。だが胸の内では、すでに激しい波が荒れ狂っている!「あの……神崎社長、今ふと思い出したのですが、忘れ物をしてしまいました。ここで降ろしていただいて、取りに戻りたいのですが……」夕凪は驚きと後悔と焦りが入り交じった表情を作ってみせた。すべて演技なのに、演技だとは少しも悟らせないようにした。夕凪には、どんな相手でも騙し通せる自信があった。案の定、修一はうなずいた。「わかった」夕凪がようやく安堵しかけた時、修一は冷ややかな声で続けた。「次の交差点なら引き返せる。俺が忘れ物を取りに連れていく」修一は本当にハンドルを握り、今にも車を引き返させようとしている。夕凪の心臓が、びくりと震えた。夕凪は慌てて止めた。「あの……今、思い出しました。やっぱり持ってきたみたいです!戻らなくても大丈夫です!」「本当か?」修一が低い声で尋ねた。「はい、間違いありません……」すると修一は、あまりにも滑らかな動きでハンドルを切り戻し、そのまま元の方向へ走り続けた。夕凪は不意に、奇妙な感覚に襲われた。示
夕凪は小さくため息をついた。「私が司さんの立場なら、お姉さんを選びます。姉は一人しかいませんが、恋人ならいくらでも見つけられますから」夕凪は心から、自分の言っていることは少しも間違っていないと思っていた。だが司は、きっぱりと言い切った。「夕凪は、この世に一人しかいない!」おやおや、口ではずいぶんと立派なことを言う。夕凪は胸の内で半ば感心しつつも、冷ややかに見定めていた。「それなら、私が『お姉さんと縁を切ってくれたら結婚する』と言ったら、そうしてくれますか?」夕凪は司の目をじっと見つめた。瞬きもせず見つめ続けたのは、彼の顔に浮かぶどんな些細な変化も見逃さないためだった。もし司が少しのためらいもなく、微塵の後ろめたさも見せずに「必ずできる」と約束したなら、夕凪は迷うことなく彼の求婚を受け入れるつもりだった。もちろん、妻のために実の姉を裏切れるような男なら、いつか別の誰かのために妻を裏切る日が来るかもしれないことは、夕凪にもわかっている。それでも、司にそこまでの覚悟があるというのなら、自分にも彼と結婚する覚悟がある。その先で何が起ころうとも、絶対に後悔しない。しかし司は、ためらっただけでなく、視線を泳がせ、夕凪の目をまっすぐ見ることさえできなかった。司は気まずそうに、小さな声でつぶやいた。「どうして……そこまでして縁を切らなきゃならないんだ?夕凪、君はそんな女じゃないと思ってた。母親と恋人が同時に溺れたらどちらを先に助けるか、なんてくだらない質問で相手を試すような人じゃないだろう……」夕凪は怒るどころか、ふっと笑みをこぼした。「司さんご自身が、私を『女』だと言ったじゃないですか。女なら誰だって、そういう二者択一を気にするものです。ただ、直接口に出して尋ねる女もいれば、口には出さず、相手の行動を黙って見極める女もいる――それだけのことです。お姉さんの反対があまりにも激しいからこそ、私は直接尋ねるしかなかったんです」夕凪は笑っていた。だが司には、彼女の瞳の奥に冷たく砕けた氷が沈んでいるように見えた。そこには笑みも、わずかな温もりさえない。失望しているのではない。むしろ……重い肩の荷が下りたような、すっきりとした目だった。司は不意に言い知れぬ寒気を覚え、ブルッと体を震わせた。「夕凪、姉貴は君にひどいこと
だが、夕凪はすぐに飛びつくことはしなかった。不安げに眉を寄せる。「でも……」言いかけて、口をつぐんだ。桐生家と御堂家は商売敵だ。この男の厚意を素直に受け取っていいものか。司はにやりと笑った。「そんなに警戒するなよ。大荷物抱えて仕事を探し回ってるってことは、行く当てがないんだろ?俺はただ、困ってる人間に手を貸してやろうってだけだ」それでも夕凪の警戒は解けない。司はその様子を見て、声を上げて笑った。「あんたを利用するつもりなら、今すぐ御堂さんに電話してるさ。わざわざこんな地味な仕事を回す必要がどこにある?まあ、働くか出ていくかはあんたの自由だ。好きにしろ」そう言い残
嫁ぎ先には怖くて戻れない。実家にも帰れない。――行き場が、どこにもない。夕凪はあてもなく、身を切るような寒風の中を歩き続けていた。鼻先は真っ赤で、体の震えが止まらない。ふと、子どもの頃に読んだ「マッチ売りの少女」を思い出した。寒くて、腹が減って、一文無しで――今の自分は、まさにあの少女そのものだ。足が止まった。目の前に、二十四時間営業の看板を掲げたファストフード店がある。窓越しに見える店内には、夜を明かすホームレスたちの姿があった。もう、ここしかない。夕凪は歯を食いしばり、迷惑を承知で店に入った。隅の席を見つけ、テーブルに突っ伏す。外で凍え死ぬよりはマシだ。けれ
刑務所を出た夕凪が真っ先にしたことは、銭湯へ行って湯につかることだった。まずはこの身にまとわりついた穢れを、きれいさっぱり洗い流したかったのだ。浴槽に足を踏み入れ、熱い湯の中にゆっくりと体を沈めていく……ああ、気持ちいい。思わず目を閉じて、浴槽の縁に頭をもたせかけた。あまりにも穏やかで、あまりにも安らかで――ずっと張り詰めていた糸がふっとほどけた途端、記憶の底に沈めていたものが、ひとりでに浮かび上がってきた。六年前、御堂グループは突如として経営危機に陥った。窮地を脱するため、峻は自ら夕凪のもとを訪れ、プロポーズした。瀬戸グループに支援させるための政略結婚だった。父は反対して
刑務所の門を出た瞬間、冷たい風が吹き抜け、枯れ葉がカサカサと舞い落ちた。真冬だというのに、瀬戸夕凪(せと ゆうなぎ)は目を閉じ、外の空気を貪るように胸いっぱいに吸い込んだ。三年前、裁判長から重々しく非情な判決が言い渡され、殺人の罪で懲役三年が確定した。そして今日、ようやくその刑期を終えたのだ。ふと視線を上げると、遠くの路肩に艶やかな漆黒の高級車が停まっていた。見覚えのある一台だった。心臓が、大きく跳ねた。――あの人だ。御堂峻(みどう しゅん)。途端に、三年前の光景がまざまざと脳裏に蘇る。法廷で、峻は夕凪が彼の初恋の相手――涼風清音(すずかぜ きよね)を殺害したと







