LOGIN信じがたい衝撃と、懐かしい鼓動が胸の奥で混ざり合う。
逃げ出したいほどの感情の波が押し寄せた。 だが、智也は必死に冷静を装い、深く息を吸って震えを押し殺した。 ――あれは、もう何年も前のことだ。 彼は自分に言い聞かせた。 相手が、あの頃の自分を覚えているはずがないと。 けれど、胸の鼓動だけはあの日とまったく同じだった。 智也は背筋を伸ばし、視線を定める。 今は仕事の場であって、再会の舞台ではない 。 ――そう、自分に言い聞かせた。 しかし、そう思いながら次の瞬間、やはり胸の奥に疑問がよぎる。 (……全く反応がない……?) 指先がかすかに震え、その震えは腕全体へと広がっていった。 だが智也は知らなかった。 不破大成の唇の端が、ほんのわずかに、意味深く持ち上がっていたことを。 「社長、鈴木智也と申します。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます。」 「……ああ」 大成は淡々とした声で応じた。 名前を聞いても、特に反応はない。 まるで、初対面の相手に対するような冷静さだった。 (……よかった。今日は“初めて会う”ということにしておこう……) 智也は大成の顔を見つめながら、心の中でそっとつぶやいた。 プレゼン用の機材はすでにAJ側のスタッフによって準備されていた。 まもなく会議室にはスーツ姿の幹部たちが次々と入ってくる。 皆、智也よりずっと年上で、圧のある雰囲気をまとっていた。 そして、智也のプレゼンが始まった。 テーマは、AJグループが東京の中心に建設予定の38階建て新ホテルの室内デザイン案。 智也は資料をめくりながら説明を続ける。 緊張で手がわずかに震えていたが、それでも視線とテンポを保ち、一人のプロとして職務を全うしようとした。 ただ、大成の鋭い視線が向けられるたび、心の奥がざわめくのを止められなかった。 プレゼンが終わると、会議室は一瞬、静寂に包まれた。 誰も言葉を発しない。 空気が張り詰め、時間が止まったかのようだった。 ――そのとき。 パチ、パチ、パチ、パチ…… 拍手の音が響く。 智也が顔を上げて見ると、それは大成だった。 彼が手を叩くと、周囲の幹部たちも次々と拍手を始め、会議室には温かな音が広がった。 智也は少し驚き、すぐに深く頭を下げて礼を述べた。 近くの中年幹部が笑顔で言う。 「素晴らしかったよ。これからも社長、そしてAJの期待に応えるよう、頑張ってくれたまえ」 ――しかし、心のどこかで、智也はまだ引っかかっていた。 大成は本当に自分を覚えていないのだろうか。 仕事の関係としては、忘れられたほうがいいのかもしれない。 けれど、自分でもわからなかった。 “思い出してほしい”のか、“忘れていてほしい”のか。 AJの社長である不破大成。 そして、彼にとっては数多い取引先の一人でしかない自分。 かつて自分は、大成と本気で愛し合っていると思い込み、二人の未来に胸を膨らませていた。 自分には、大成が全てだった。 しかし、大成の目には、自分の情熱や献身は数え切れない恋の中の取るに足らない一幕に過ぎず、笑い話のように映っていたのだ。 今後、もう二度と会うことはないかもしれない。 ――そう思うと、胸の奥がひどく締めつけられた。 会議を終え、智也は最後にもう一度だけAJ本社ビルを見上げ、帰路につく。 秋の夜風が静かなオフィス街を吹き抜け、同じ風が智也の胸にもそっと触れた。 最寄り駅まではすぐだった。 家路を急ぐサラリーマンやOLたちが行き交い、街は騒がしい。 ――そのとき。 一台の黒い高級車が背後から静かに近づき、歩道の脇に止まった。 次の瞬間、後部座席のスモークガラスがゆっくり下がる。 そして、そこに現れたのは―― 記憶の中に何度も思い描いた、あの微笑みだった。 風とともに漂ってきたのは、変わらぬあの人の香り。 それだけで、智也の心臓が強く締めつけられる。 ――不破大成。 彼は窓枠に片肘をつき、どこか愉しげに、そして探るように智也を見つめていた。 「何年経っても、おまえは変わらないな……智也」 その声を聞いた瞬間、智也の身体が硬直した。 胸の奥を、見えない手で強く掴まれるような感覚。 ――忘れていなかったのだ。 短い沈黙ののち、智也は顔を上げ、わずかに震える声で言った。 「……お久しぶりです。不破大成さん」 形式的な口調で一礼し、早くこの場を終わらせようとした。 「うん」 大成は軽く頷いた。 智也は再び頭を下げ、立ち去ろうとする。 だが、大成の口元がふっと緩み、低く囁いた。 「このあと、AJのホテルプロジェクトの関係者で懇親会がある。フォルセスホテルだ。……緒に来い、乗れ」 「えっ……!?」 智也は言葉を失った。 今日の偶然の再会が、まだ終わっていなかったとは――広い車内。智也は、人一人分以上大成とかなり距離を取って座っている。後部座席は、運転手のいる運転席とは分厚い黒色のガラスで隔てられていて、シーンとした重い雰囲気が漂い緊張感が張り詰めている。智也は窓の外を見つめ、手で座席の縁をぎゅっと握り、服の端をそっといじり、唇を軽く噛む。――何度も心の中で自分に言い聞かせる。「落ち着け、感情を制御しろ」と。 しかし、無意識に横を見ると、二人の間に保たれていた距離が知らぬ間に縮まっていた。智也は動かなかった。大成の身体が彼に近づいてきたのだ。「緊張してるか?」「い、いや……大丈夫です」 大成は柔らかく低く笑い、抗えない声で続ける。「リラックスしろ。懇親会はそんなに大規模じゃない」「……はい」 智也は、大成の目を見て頷いたが、この緊張が、懇親会へのものだけでないのはもはや明確だった。 ごく普通を装っていた智也だったが、その大成の声が甘くて、そして、今にも智也と大成の肩が触れそうで、肩の力を抜く所か内心増々狼狽していた。静かな車内で、智也の激しく打つ鼓動が大成に聞こえてしまうんではないかとも思ってしまう。 5分ほどで車は市内中心の30階建て高級ホテルの前に停まった。豪華な空気は智也の日常とはまるで異なり、思わず息を呑む。 降りようとしたその時、黒い整ったホテルの制服を着たボーイが横で待っていた。降車し、智也は大成の後ろに続こうとした。――その瞬間、大成が突然振り向き、そっと彼を抱き寄せた。不意を突かれた智也の心臓は跳ね上がり、手足が一瞬止まる。慌てて後ろに下がろうとするが、大成の腕に引き寄せられ、慌てて横に回り、礼儀正しく彼の手をそっと外した。 大成は一瞬戸惑い、手の中に残る余韻をまだ感じているかのように眉をわずかに上げ、低く落ち着いた呼吸が微かに荒くなる。だが次の瞬間、いつもの社長の口調に戻り、低く指示する。「鈴木さん。私の後ろでは無く、私の横を歩いてくれ」 智也は頷きながら、大成の横に慎重に歩み寄る。心臓はまだ騒ぎ、肩越しに漂う熱に意識が揺れる。エレベーターで25階のフレンチレストランへ到着し、赤いカーペットの廊下には「本日貸切」の表示。 (さすがAJは凄いな。こんなホテルの店を貸切るなんて……) 智也は感嘆すると、大成と並び店内に共に入った。 「不破様。今回は当店を
信じがたい衝撃と、懐かしい鼓動が胸の奥で混ざり合う。逃げ出したいほどの感情の波が押し寄せた。だが、智也は必死に冷静を装い、深く息を吸って震えを押し殺した。――あれは、もう何年も前のことだ。彼は自分に言い聞かせた。相手が、あの頃の自分を覚えているはずがないと。けれど、胸の鼓動だけはあの日とまったく同じだった。智也は背筋を伸ばし、視線を定める。今は仕事の場であって、再会の舞台ではない 。――そう、自分に言い聞かせた。しかし、そう思いながら次の瞬間、やはり胸の奥に疑問がよぎる。(……全く反応がない……?)指先がかすかに震え、その震えは腕全体へと広がっていった。だが智也は知らなかった。不破大成の唇の端が、ほんのわずかに、意味深く持ち上がっていたことを。「社長、鈴木智也と申します。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます。」「……ああ」大成は淡々とした声で応じた。名前を聞いても、特に反応はない。まるで、初対面の相手に対するような冷静さだった。(……よかった。今日は“初めて会う”ということにしておこう……)智也は大成の顔を見つめながら、心の中でそっとつぶやいた。プレゼン用の機材はすでにAJ側のスタッフによって準備されていた。まもなく会議室にはスーツ姿の幹部たちが次々と入ってくる。皆、智也よりずっと年上で、圧のある雰囲気をまとっていた。そして、智也のプレゼンが始まった。テーマは、AJグループが東京の中心に建設予定の38階建て新ホテルの室内デザイン案。智也は資料をめくりながら説明を続ける。緊張で手がわずかに震えていたが、それでも視線とテンポを保ち、一人のプロとして職務を全うしようとした。ただ、大成の鋭い視線が向けられるたび、心の奥がざわめくのを止められなかった。プレゼンが終わると、会議室は一瞬、静寂に包まれた。誰も言葉を発しない。空気が張り詰め、時間が止まったかのようだった。――そのとき。パチ、パチ、パチ、パチ……拍手の音が響く。智也が顔を上げて見ると、それは大成だった。彼が手を叩くと、周囲の幹部たちも次々と拍手を始め、会議室には温かな音が広がった。智也は少し驚き、すぐに深く頭を下げて礼を述べた。近くの中年幹部が笑顔で言う。「素晴らしかったよ。これからも社長、そしてAJの期待に応えるよう、頑張
(これがAJグループの本社ビル……)空間デザイナーの鈴木智也は、きちんと仕立てられたスーツを身にまとって、東京都心にそびえ立つ、38階建ての巨大なAJグループ本社のビルを近くで見上げて内心感嘆した。その端正で清らかな顔立ちはスーツによって一層際立ち、ビジネス街を行き交う男女が思わず振り返ってしまうほどだった。智也の顔立ちは繊細で柔らかく、僅かに上がった眉目には穏やかさと聡明さが漂う。輪郭は、はっきりしているのに決して硬さを感じさせない美しいラインを描いている。白く滑らかな肌。自然でふっくらした唇。光が彼の肌に落ちるとやわらかな輝きへと変わっていくようだった。「本当に、俺達の会社みたいな小さな所がAJグループから新規ホテルの内装デザイン任されるのが決まったのも、全部鈴木のお陰だよ」上司でありスーツ姿の部長で中年の別所がそう言いながら、穏やかな視線を智也に向けた。「そんな事ないです」「いや、鈴木は、本当に才能があるし、何よりそれ以上にいつも誰よりも勉強して努力してる。俺は、それを本当に知ってるから言ってる」 別所のその言葉で、智也は増々照れながら「はい……ありがとうございます」と小さく返事をした。不意に、晴れ晴れとした秋の初めの爽やかな風が智也の頬を撫でた。「ハイ!行きましょう!別所部長!」智也がそう言うと2人は颯爽と、AJグループのビルに吸い込まれるように入って行った。AJビルは、縦に長いだけで無く、横にも大きい。そこですれ違う人も多く、ガラス張りの部屋も沢山並びそこで働く人も多い。智也の前にはAJの社員とそれに続く別所の背中が見える。「わ~!」「凄いイケメン過ぎる……新しい広告のモデルさん?」どこからかそんな女性達のヒソヒソ声がしたが、人や部屋が多過ぎて誰かわからない。智也は、その容姿から普段から多くの人から視線を向けられるのは慣れてるとは言え、やはりそれは苦手だし、今日はいつもより多く受けている。智也の気持ちが乱れてきたし、会議室が近づくに従ってプレゼンへの緊張感が高まってきた。そして呼吸が浅くなるのを感じ、周りにはわからないように意識して空気を取り込み始めた。智也達は、会議室の前に来た。「鈴木様。まずあなた様からお入り下さい」そして何故か、先導してきたAJの社員は、別所では無く、一番最初に智也に入室を促した