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第七話「秘密のキス」

Auteur: ひなた翠
last update Dernière mise à jour: 2026-01-19 21:35:49

 あれから数日が過ぎた。

 私は屋敷の中で静かに過ごし、昼間は読書をしたり、庭を散策したりして時間を潰していた。ダリウスのことを考えないようにしようとしても、気がつくと彼の灰青色の瞳や、低い声や、大きな手のことばかり思い浮かべていた。

 午後になって、私は居間でティーを飲んでいた。窓の外では春の庭園が陽光に照らされ、花々が風に揺れている。カップを手に取ろうとしたとき、玄関ホールから兄様の声が響いてきた。

「仕事から帰ったぞ!」

 私は立ち上がり、居間を出て玄関ホールへ向かった。兄様は両手を広げて、私を待っていた。いつもの光景だ。

 私は駆け寄り、兄様の胸に飛び込んだ。兄様は私を軽々と抱き上げ、くるりと回した。

「おお、可愛い妹よ! 仕事の疲れが吹き飛ぶ」

 兄様の腕に抱かれながら、私は笑顔を向けた。兄様の胸に顔を埋めると、いつもの石鹸の香りがした。安心する香りだった。

 ふと、視界の端に人影が映った。私は顔を上げ、玄関の奥を見た。

 ダリウスが立っていた。

 心臓が激しく跳ねた。数日ぶりに会う彼の姿。黒に近い濃紺の髪が、玄関に差し込む夕陽に照らされて、深い色を放っている。

 灰青色の瞳が、じっと私を見ていた。無表情の顔は相変わらずだったが、瞳の奥に何かが燻っているのを感じた。

「なあ? 兄様が帰ってきたんだが?」

 兄様の声が、頭上から降ってきた。私ははっとして、兄様の顔を見上げた。兄様は少し不機嫌そうに、私の額に指を当てて押した。

「おかえりなさい、お兄様」

 慌てて私は言葉を返した。

「まったく、せっかく帰ってきたのに、視線は明後日の方向だったぞ」

 兄様の言葉に、私は頬が熱くなるのを感じた。ダリウスの方をずっと見ていたことを、兄様に気づかれてしまっただろうか。

「ごめんなさい、お兄様」

「おお、可愛い妹よ」

 兄様の声は弾んでいた。私は兄様の首に腕を回し、身体を安定させた。兄様の腕の中は、いつも温かくて安心する。幼い頃から何度も抱き上げられてきた、慣れ親しんだ感覚だった。

 お兄様は、いつもように私を抱っこしたままの状態で、外であった出来事を話し始める。こうなると、なかなか解放されない。

 今日はやけにそわそわしてしまう。

 視界の端に映る無表情で見つめてくるダリウスの視線が痛いほど突き刺さってくる。

 兄様の肩越しに顔を上げれば、ダリウスの顔が見えた。彼の灰青色の瞳が、じっと私を見ている。

 彼の瞳の奥で何かが燃えているように感じた。あの夜、私を見つめていたときと同じ——熱を帯びた視線。

 私は思わず目を逸らしてしまった。あの夜のことを思い出して身体が反応してしまったから。

 彼に抱かれた記憶、身体中を触れられた感覚が蘇り、顔が熱くなって、心臓が激しく鳴り始めた。

 ダリウスが静かに、近づいてくると手が伸びてきた。大きな手が、私の頬に触れる。温かく、力強い手。あの夜、何度も私の身体を撫でた手だ。

(え——?)

 声を出す間もなく、唇が塞がれた。

 ダリウスが、私にキスをした。

 兄様の腕に抱かれたまま、ダリウスの唇が私の唇を捉える。柔らかく、温かい感触。一瞬、時が止まったように感じられた。頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなった。

 ダリウスの舌が、私の唇をなぞった。ゆっくりと、丁寧に、唇の形を確かめるように這う。私は息を呑んだ。兄様がすぐ隣にいる。なのに、ダリウスは——。

 兄様は話に夢中で、私たちの行為には全く気付いてない様子だ。

 舌が唇の隙間を探り、口を開けるように促してきた。私は抵抗することもできず、少しだけ唇を開いた。途端に、ダリウスの舌が侵入してきた。熱く、濡れた舌が、私の口内に入り込んでくる。

「んっ——」

 小さな声が漏れそうになり、私は慌てて飲み込んだ。兄様に聞こえてしまう。ダリウスの舌が、私の舌に絡みついてきた。ゆっくりと、でも確実に、舌を絡め取られていく。

 ダリウスの手が、私の頬から顎へ移動した。顎を掴まれ、顔の角度を変えられる。さらに深く、唇が重ねられた。舌が奥まで侵入してきて、口内の隅々まで蹂躙していく。歯茎をなぞり、上顎を舐め、私の舌を何度も絡め取る。

 息ができない。ダリウスの舌が、容赦なく動き続ける。甘く、熱く、執拗なキス。あの夜にされたキスと同じ。いや、今日の方がもっと——濃厚で淫らだった。まるで、私を確かめるように。自分のものだと刻み込むように。

 私の身体が熱くなっていく。兄様の腕の中で、身体の芯から熱が湧き上がってくる。ダリウスの舌に絡め取られるたびに、下腹部が熱く疼いた。あの夜に感じた、あの熱が蘇ってくる。

 ダリウスのもう片方の手が、私の髪に触れた。金色の髪を優しく撫で、指を絡ませていく。あの夜、ベッドの中で何度もされた仕草。彼は私の髪を撫でながら、名前を呼んでくれた。

「んん——」

 また声が漏れそうになり、私は必死で堪えた。唇を噛み締めようとしたが、ダリウスの舌が邪魔をする。彼の舌は、私の唇を優しく解きほぐし、さらに深く侵入してきた。

 頭がぼうっとしてくる。酸素が足りない。息を吸おうとしても、ダリウスの唇が塞いでいて吸えない。私は小さく喘いだ。その呼吸を、ダリウスが奪っていく。彼の吐息が私の中に入り込み、私の吐息を彼が吸い込んでいく。

 キスがさらに深まっていく。ダリウスの舌が、私の舌を巻き取るように絡みつく。吸われ、舐められ、何度も何度も攻め立てられる。私の舌は完全に彼のものになっていた。抵抗する力も、逃げる意志も、何もかも溶けていく。

 ダリウスの手が頬を優しく撫でる。両手で顔を包み込まれ、身動きが取れなくなる。彼の手は大きく、私の顔を完全に覆い尽くしてしまう。包み込まれたまま、ただキスをされ続ける。

 唇が痺れてきた。舌も痺れ、口の中が熱い。ダリウスの味が、口内いっぱいに広がっている。森を思わせる深い香りと、少しだけ甘い味。

 私は目を固く閉じたまま、ただダリウスのキスを受け入れていた。兄様の腕の中で、別の男にキスをされている。

 この背徳感が、さらに身体を熱くさせていく。してはいけないことをしている罪悪感と、でも止められない快楽が混ざり合い、頭が混乱した。

 ダリウスの舌が、私の舌の裏側を舐めた。ゆっくりと、丁寧に、舌の付け根まで辿っていく。私の身体が、ビクッと震えた。そこは敏感な場所で、触れられると全身に痺れが走る。

「んぅっ——」

 小さく喘ぎ声が漏れた。慌てて飲み込もうとしたが、もう遅かった。ダリウスの唇が、微かに笑みの形になった。彼は私の反応を楽しんでいる。兄様の腕の中で喘ぐ私を見て、楽しんでいるのだ。

 羞恥心が込み上げてきて、顔が、耳まで熱くなる。

 こんな場所で、こんなことをされて、私は声を漏らしてしまった。兄様に聞こえていないだろうか。気づかれていないだろうか。

 でも、ダリウスはキスを止めようとはしなかった。むしろ、さらに深く、激しくなっていく。舌が何度も何度も私の口内を蹂躙し、唇が吸い付くように密着する。私の唇は完全に彼の唇に塞がれ、息をする隙間もない。

 私の手が、無意識に動いていた。兄様の首に回していた腕が、力なく下がってくる。身体から力が抜けていき、兄様の腕にもたれかかる形になった。ダリウスのキスに、完全に支配されていた。

 ダリウスの手が、私の髪を撫でる。

 キスが、ゆっくりと終わりに近づいていった。ダリウスの舌が、少しずつ引いていく。最後に、私の唇を優しく吸ってから、完全に離れた。

 唇が腫れているのが分かる。熱を持ち、痺れが残っていた。

 ダリウスの手が、私の頬から離れた。最後に優しく撫でてから、完全に離れていく。私は目を開けた。視界がぼやけていて、ダリウスの顔がはっきり見えない。

 彼の灰青色の瞳が、私を見つめていた。熱を帯びた視線。満足そうな色を浮かべている。まるで、獲物を手に入れた獣のような——そんな眼差しだった。

 ダリウスは一歩下がると、何事もなかったかのように表情を戻した。無表情な顔。誰が見ても、今キスをしていたとは思えない人の顔だ。

(……ずるい、私だけ)

 私は呼吸を整えようとしたが、うまくいかなかった。胸が苦しく、心臓が壊れそうなほど激しく鳴っている。身体中が熱く、ドレスの下の肌が汗ばんでいた。

「顔が赤いぞ?」

 兄様の声が、頭上から降ってきた。私ははっと我に返った。兄様が、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

 兄様は——気づいていない。

 私とダリウスがキスをしていたことに、まったく気づいていない様子だった。自分の腕の中で、妹が別の男にキスをされていたのに。

「っ……少し、体調がすぐれないので!」

 私は兄様の腕から飛び降りた。足が地面に着くと同時に、階段へ向かって駆け出した。振り返ることもできず、ただ自室へ逃げ込みたい一心だった。

 背中に、ダリウスの視線を感じた。熱く、重い視線。

 階段を駆け上がり、廊下を走り、自室の扉を開けた。部屋に入ると同時に、扉を閉めた。背中を扉に預けると、その場に崩れ落ちた。

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