LOGIN「彼女いない歴=年齢」の非モテサラリーマン・前田弘貴(23)は、「魔王討伐」の名目で律令風異世界・大倭帝国へ召喚された。 だが、それは建前だった。 素王とは、魔王を倒す勇者であると同時に、皇族へ新しい血を迎えるために異世界から呼ばれる存在。前田に期待された本当の役目は、次期法皇となる女性皇太子・彩比売の夫候補になることだった。 勇者になるはずが、いきなり皇位継承問題の当事者に。恋愛は振られた経験しかない前田にとって、難問が襲いかかる。 しかも、もう一人の素王として召喚されていたのは、よりによって現実世界で前田を振った女性・佐藤綾子(28)。彼女は大王交代を狙う勢力の切り札として動き始めていた。
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「これは、夢か?」
数秒前まで、室内照明の白い光も、オフィスの硬い床も確かにあった。今は、そのどちらもない。
目の前に広がるのは、白とも黒ともつかない光だけだった。
目が見えなくなったのか。そう思って手足を動かしても、何にも触れない。
立っているのか、浮いているのかさえわからない。自分の身体の輪郭まで、光に溶けてしまいそうだった。
その光の中に、いつの間にか一人の男が立っていた。
男と呼んでよいのかもわからない。穏やかな顔は老人にも青年にも見え、白い衣だけが光の中で輪郭を保っていた。
「前田弘貴くんだね?」
「……はい?」
返事をしてから、前田は自分でも間抜けな声だと思った。
だが、無理もなかった。仕事中に突然、得体の知れない空間へ飛ばされ、目の前の人物から名前を呼ばれたのである。冷静でいろという方が無理だった。
「落ち着き給え。君はこれから、別の世界へ行く。」
「別の世界?」
「律令風異世界、という言ったらわかるかな。日本人の君には、ある程度なじみやすい部分もあると思うよ。古代の日本や中華風の制度に似たところも多い。」
「いや、待ってください。律令風? 異世界? それ、どういう――」
「それでね。」
男は前田の混乱をまるで気にしなかった。
「今回、魔王討伐の名目で、君を含めて二人の素王が召喚されているらしい。」
「……魔王討伐?」
前田は思わず聞き返した。ラノベとかに出てくる勇者になれとでもいうのか。
「なのに律令風? 和風? というか、もう一人召喚?」
ラノベの異世界は洋風だったはずだ。なぜ洋風なのかは前田もよくしらないが、そういうお約束がある。
「そう。別々の者たちが、それぞれに召喚しているみたいでね。政治的には少し面倒なことになるかもしれないが、まあ、仕方ない。」
「仕方ないで済ませる話ですか、それ。」
こう言う場面でツッコミを入れることができる前田も、結構図太い神経の持ち主である。まぁ、そういう人だからこそ召喚されたのかもしれないが。
「君の持ち物も、ある程度は一緒に移るはずだよ?」
「持ち物って……。」
前田は反射的に自分の手元を見たが、そこには何もない。
自分の持ち物とは、いったい何なのか。家に置いてある物まで巻き込まれるのか、それとも今持っている物だけなのか。そもそも召喚に法的所有権の概念が通じるのか。
考えれば考えるほど、安心できる材料は一つもなかった。
「ちょっと待ってください。私は同意していません。魔王討伐なんて無理です。私はただの会社員で――」
「行き先で詳しい説明を受けるといい。では、頑張り給え。」
「いや、詳しい説明って何ですか! 行き先って、どこ――」
無責任な神様のような存在に対する前田の問いは、最後まで言葉にならなかった。
いきなり足元が抜けるような感覚があり、ジェットコースターに乗っているような、あの不快な感覚になった。同時にあたかも幽体離脱したような、身体の輪郭を感じなくなるような、言葉にできない違和感が全身を走った。
最後に耳へ残ったのは、『二人の素王』という言葉だった。
そして前田弘貴は、意識を失った。
そのまま夜が深くなると、庵の中は一層静かになった。 静かになると余計に色々な物音に意識が向く。山の虫の声、薪のはぜる音、遠くの梟の鳴き声がきこえてくる。 前田は筵の上に座り、薄い毛布を見つめていた。 昨日は疲れ果てていたから気にならなかった。 だが今夜は違う。 庵は狭い。 寝床は三人分あるが、かなり近い。 華麟も美凰も女性の姿をしている。 もちろん二人は人間ではなく、麒麟と鳳凰だ。生物としての感覚も、人間とは違うのだろう。 だが前田から見れば、美しい女性二人と同じ空間で寝ることに変わりはない。「あの……。」 前田は遠慮がちに言った。「二人とも、私と同じ部屋で寝るのは平気なんですか?」 華麟がきょとんとした。「平気ですけど?」 美凰も当然のような顔をする。「何が問題だ?」「いや、私の世界では、男女で寝る場所を分けることが多かったので。」 そう言いつつも、二人の女性が平気だというと男としては何か一線を越えた感覚になる。「変わった文化ですね。」 華麟は本気で不思議そうだった。「主君を守る者が、主君から離れて寝たら危ないじゃないですか。」「合理的にはそうですけど。」「それに私たち麒麟や鳳凰は、人間ほど性別で生活を分けません。」 華麟が説明する。「雌雄はあります。でも、人間社会みたいな男女の距離感とは違うんです。」 美凰も頷く。「お前は正式に聖別を受けた主君だ。寝食を共にすることに不自然はない。」「なるほど。」 前田は分かったような、わからないような顔をした。 文化や種族の違いは理屈では理解できる。 しかし感情はそう簡単に追いつかない。ただ、美女と寝れるのは何とも都合のよい展開を想像してしまう。「前田様が嫌なら、私たちは小さな動物に変化して隅で寝ますよ?」 華麟が提案した。「華麟は小動物になったら余計にくっつくだろう。」 美凰が言う。「な、なんで分かるんですか!」「分かる。」「美凰、ひどい!」「事実だ。」 前田は思わず口走った。「それなら……左右から守ってもらえたら、少しは安心して眠れそうですけど」 庵の空気が止まった。 薪がぱちりと鳴る。 華麟の顔がゆっくり赤くなる。「だ、抱き――」 声が裏返っていた。 美凰は背を向けたまま固まっている。 耳が赤い。 前田はすぐに後悔した。
夕暮れには、三人とも庵へ戻った。 夕食は山菜粥だった。 木の実をすり潰したものと、塩漬けの山菜が入っている。質素だが、疲れた体にはありがたい。 食事の間、美凰は異種族について説明した。「この世界には人間以外の人類がいる。」「荼枳尼みたいな?」「そうだ。」 前田は白狐と荼枳尼の女を思い出した。 仙人の肉は食べたことがある――あの声が、まだ背中に残っている。「荼枳尼は完全肉食の人類だ。女性しか生まれず、他種族と交配して子を成す。知能と霊力は人間より高い。他種族を食料と見なす習性があるが、帝国法では人を殺すことは禁じられている。」「禁じられていなければ食べる?」「そういう個体も多い。」 美凰は淡々と言った。「夜叉は人間と同属別種。体力と霊力に優れ、見た目は人間に恐怖を与えやすい。乾闥婆は角と翼を持つ別属の人類で、知能と芸術的感性が高い。完全菜食だ。」「妖怪、ではないんですね?」「違う。」 美凰の声が少し強くなる。「人類だ。帝国の法の下で暮らす公民でもある。外見や生態が違うからといって、討伐対象ではない。」 華麟も頷いた。「だから、魔王討伐でも相手を見極める必要があります。魔王側についた成仙や勢力もいますけど、異種族だから敵というわけではありません。」「なるほど。」 前田は粥をかき混ぜながら考えた。 もしこの世界を普通の冒険物の感覚で見れば、夜叉や荼枳尼を「モンスター」扱いしてしまうかもしれない。 だが、それは違う。 彼らには社会があり、法があり、文化がある。 荼枳尼の狩場で命の危険を感じたのは事実だ。 それでも種族全体を敵にしていい理由にはならない。「明日以降の訓練では、実戦よりも接触の作法を教える。」 美凰が言った。「接触の作法?」「異種族、地方官、山の寺社、仙人の庵。お前はこれから多くの相手に会う。剣を抜く前に、相手が何者かを判断できなければならん。」「戦う訓練ではなく、交渉の訓練ですか。」「そうだ。」 華麟がにこりと笑う。「魔王討伐も、実際には交渉や調略が大事なんです。全部を力で解決しようとした素王は、だいたい失敗しました。」「そりゃそうでしょうね。」「交渉、懐柔、買収、離間、婚姻工作――」 華麟が指折り数える。 美凰が呆れた目で見る。「全部言う必要はない。どうせ魔王討伐は建前だ。」
「ほう、そんなことを素王が?」 小室民部卿滋野朝臣通衡は枝野利久からの報告に戸惑いと同時に興味を示した。 民部省の奥にある卿の執務室は、外の喧騒から少し切り離されたように静かだった。 壁際には帳簿が積まれ、机の上には各地から上がってきた租税の報告書が広げられている。香炉からは薄い煙が立ち上り、墨と紙と香木の匂いが混ざっていた。 小室通衡はその書類の山の向こうで、枝野をじっと見ている。「はい、閣下。間接税等というのはあまりにも突拍子もないアイディアです。」「突拍子もない、か。」「はい。少なくとも律令の本来の体系からは外れます。」「だが、租庸調の上乗せを続けるよりは筋がよい。」「筋がよい、ですか?」「民が耕すほど奪われると思えば、田は荒れる。だが売買に応じて税を取るなら、少なくとも耕作そのものを罰する形にはならぬ。」「しかし、商人どもが黙って従うとは思えません。」「黙らせるのが民部省の仕事だ。」「それはまた随分と乱暴な。」「乱暴ではない。徴税だ。」 小室民部卿は楽しそうに笑った。 その笑みは穏やかだったが、枝野には少し怖く見えた。官僚というものは、民の負担を論じているときほど、妙に冷静になることがある。「では閣下はこの間接税導入を前向きに検討されるということですか?」「そうだな。何しろ租は不作の時は取れないが、その間接税とやらはどんな時でも取ることができる。少なくとも都市部の人間は買い物をせずに暮らすことはできないからな。租庸調の減税の代わりに間接税とは、よい考えではないか。」「ふ、不作の時も?」 ふと枝野は佐藤綾子が「安定財源」という言葉を使っていたことを思い出した。「問題はそこだ。民への説明では、租庸調を本来に戻す減税と言えばよい。」「実際には都市から恒常的に取るわけですね。」「都市は金が動く。金が動くところから取るのは当然だ。」「わかりました、閣下。確かにその案ならば大王殿下も呑むかもしれません。」「はっはっはっ、大王殿下とその佐藤綾子素王とが仲良くしてくれたならば、我々にとっては願ってもない展開であるな。」「そうですね。泰鳳らによる反乱への牽制にもなりましょう。」 そう表向きは言いながら枝野は心中穏やかではない。(不作のとき
そのころ、前田は実技の演習をしていた。 といっても、最初から派手な仙術を使うわけではない。 美凰が用意したのは、木剣と縄と石だった。「まず体を動かす。」「霊力じゃなくて?」「霊力は体を通る。体が使えなければ霊力も使えない。」 美凰は当然のように言う。「まずは走れ。」 そこから数時間、前田は山の中を走らされた。 いや、走るというより、転びながら進んだ。 斜面を登り、沢を渡り、倒木を越える――足場の悪い山道を何度も往復する。 元の世界の前田なら十分で倒れていたはずだ。 だが、今の身体は違った。 息は上がり汗も出るのは変わらない。 しかし、転んだときの痛みを足に感じながらも、不思議と動ける。 前田は体力に自信がある方ではない。会社では同僚がジムに行くと聞いて「よくそんな苦行ができるもんだな」と思ってきたぐらいだ。 そんな前田が、息切れしているのになぜか走れる。苦しいはずなのに、走ることが出来ている。 昨日までと同じ身体のはずなのに、限界だけが遠ざかっている。「純仙の肉体は人間より頑丈だ。」 美凰が横から言う。「正式な聖別を受けたことで、霊力の流れも安定している。お前が思っているより体は動く。」「すごいですね、これ。」 前田は肩で息をしながら言った。「元の世界だと運動は全然駄目だったのに。」「調子に乗るな。」「はい。」「だが、悪くない。」 美凰が小さく言った。 前田は顔を上げる。「今、褒めました?」「事実を言っただけだ。」 華麟が横から笑う。「美凰の褒め言葉ですよ、それ。」「黙れ。」 その後、霊力の基礎訓練に入った。 これは肉体訓練より難しかった。身体を使えばよいわけではないからだ。 美凰は「丹田に意識を置け」という。 華麟は「大地の流れを感じてください」という。 前田は混乱しながらも座って、腹式呼吸を整え、内側の温かさを探る。 感覚は、かつて経験した禅寺の坐禅に近かった。 前田はかつて、短期間だが坐禅を経験したことがある。雑念を捨てろと言われても、捨てようとするほど雑念が湧いた。足が痺れ、背中が痛み、時間ばかり気になった。 だが今は違う。聖別を受けたせいか、自分の内側に細い流れがあることが分かってきた。 それは水脈のようでもあり、呼吸のようでもあった。まるで空気ではなく宇宙を吸って丹田