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第808話

Author: 藤原 白乃介
孤児院という言葉を聞いた瞬間、誠健の瞳が一瞬揺れた。

彼にとって、そこは特別な意味を持つ場所だった。なぜなら、妹の結衣もまた、孤児院から養子として迎えられたからだ。

石井家はこれまで長年、そうした分野で多くの慈善活動を行ってきた。

だからこそ、誠健は目の前の少女に対して、自然と同情の気持ちが芽生えた。

低い声で尋ねた。

「家の状況はどうなんだ?」

瑛士は首を振った。

「かなり悪いです。父親は賭博で人を傷つけて刑務所に入れられて、しかも多額の借金まで……ずっと彼女の母親が必死に働いて返してます。

咲良は心臓が悪くて、薬も手放せません。学生の頃、俺はクラス委員として奨学金を申請しようとしたんですけど、彼女は全部断りました。『もっと必要な人がいる』って。

大学に合格したんですけど、健康診断で引っかかって、結局退学に。

今は一人でこっちに来て、働いてお金を稼いでます。生活はすごく苦しいはずなのに、意地っ張りで、俺たちの助けを一切受け入れようとしません」

その話を聞きながら、誠健の胸には最初の「かわいそう」という気持ちから、もっと深い「痛み」が湧き上がってきた。

彼には、咲良が病に苦しむ理由が、もう分かっていた。

咲良の整った顔立ちに目をやりながら、誠健は細めた目で言った。

「ちゃんと療養させろ。治療費は俺が出す。彼女には俺が実験に使いたいって言っとけ。費用は全部タダだって」

瑛士は驚いたように誠健を見つめながら言った。

「なんでそこまでしてくれるんですか?彼女と石井先生は何の関係もないのに……」

誠健はふっと笑った。

「善いことするのに理由がいるか?石井家は今までも困ってる人をたくさん助けてきた。ひとり増えたところでどうってことない」

その言葉を聞いて、瑛士の中で誠健に対する印象が一変した。

これまで、彼のことをただの遊び人のお坊っちゃまだと思っていた。

本気で誰かを想うなんて、無縁な人間だと。

だが、今目の前にいる誠健は、思っていた姿とはまるで違っていた。

瑛士はまっすぐな目で誠健を見て、心から頭を下げた。

「石井先生、咲良と彼女のお母さんに代わって、ありがとうございます!」

誠健はカルテで瑛士の頭を軽く小突いた。

「ガキが、人を見るのに表面だけで判断するんじゃない」

そう言い残して、誠健はカルテを手に病室を出
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