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縁語り其の十二:重なる面影

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-19 11:32:16

 僕が一歩踏み出そうとすると、彼女は静かに首を横に振った。大丈夫、というように小さく微笑んでみせる。

 『……ここは、誠也の場所だったのに……なんで?』

 その声は、まだ幼さを残しながらも、どうしようもないほどの怒りと、そして深い寂しさが、ぐちゃぐちゃに絡まり合っているようだ。

 『……誠也……ただ……ただずっと、ここで……待ってるだけなのに……』

 小さな肩が、小刻みに震えている。その悲痛な言葉が、部屋全体の壁や床にじわじわと染み込んでいくようだった。

 美琴が、ゆっくりと、その場に膝をついた。

 怯える彼を刺激しないよう、細心の注意を払うように。

 誠也君の、その真っ黒な瞳の高さまで視線を下ろし、彼女は、そっと、いつくしむような眼差まなざしで彼と視線を合わせる。

 「うん……誠也君がずっと寂しかったこと、そして今も、とても不安なこと、私たちには、ちゃんと分かってるよ」

 その声には、ただ同情するだけではない、彼の存在そのものを肯定しようとする、あたたかで力強い心が宿っていた。

 「お兄ちゃんも、お父さんも、お母さんも……みんな、みんな、誠也君のことを、今でもずっと、大切に想ってる」

 美琴は、そう言うと、胸元に抱えていたボロボロの木彫りの犬を、まるで宝物を扱うかのように、そっと両手で誠也君へと差し出した。

 「これはね、誠也君のお兄ちゃんが、君のために、一生懸命作ったんだって。ずっと、ずっと君に届けたかったんだよ。だから、受け取ってくれるかな?」

 張り詰めていた手術室の空気が、ほんの少しずつ、緩んでいくのを感じる。

 誠也君の、黒い影のような輪郭りんかくが、ふっと揺れた。

 そして、ぽつりと、ほとんど吐息のような、かすれた声がこぼれ落ちる。

 『……こ、これを……お兄ちゃんが……誠也のために……?』

 美琴が、その言葉を肯定するように、やさしく、そして深くうなずいた。

 「うん。君のお兄ちゃんはね、君のために、心を込めてこれを作ったんだ。君のこと、一日だって、忘れたことなんてなかったんだよ」

 ぽたっ──。

 誠也君の、その黒く窪んでいたはずの瞳から、まるで真珠のような、きらりと光る涙が一粒、静かに床へと落ちた。

 真っ黒だった瞳に、光が戻っていく。

 その光景を息をのんで見つめながら、僕は、気づいていた。

 美琴は、目の前にいる“山口誠也という、一人の少年”そのものに、心の底から向き合っている。その魂の痛みを、自分の痛みのように感じ取ろうとしている。

 (まるで、あの時の……母さんみたいだ……)

 怖がるでもなく、はらおうとするのでもなく。ただ、そこに苦しんでいる“ひとりの存在”として、真摯しんしに、そして敬意けいいを持って関わっていた、あの温かい眼差し。

 美琴は、まさに今、それを、ごく自然にやっている。

 不意に、美琴が僕のほうをちらりと見て、ふっと安心したように、小さく微笑んだ。

 そして、彼女は僕にさとすように、どこまでも優しく言った。

 「先輩。どうか、先輩も、ちゃんと、この子のことを見てあげてください。“得体の知れない幽霊”としてじゃなく……ただの、道に迷ってしまった、寂しくてたまらない、普通の男の子として」

 「……っ」

 言葉が、うまく出てこなかった。

 でも、美琴の言う通りだ。今だけは──この子を“恐ろしい霊”じゃなく、“誠也”という、ひとりの、助けを求める子どもとして見なければならないと、そう思った。

 『お兄ちゃんが……これを僕のために……?』

 誠也君が、おそるおそる、美琴の差し出した木彫りの犬に、そっと震える指で触れた。その、透けてしまいそうなほど細くて冷たい指先が、人形の木の温もりを確かめるように、優しく、何度も何度も撫でる。

 『うぅ……お兄ちゃん……お父さん……お母さん……』

 『みんなに……みんなに……会いたいよぉ……』

 『なんで……迎えに来てくれないの……? 誠也が……悪い子だったから……? 病気になって、みんなを困らせたから……迎えに来てくれなくなっちゃったのかな……』

 「そんな事ないよ」

 美琴は、彼の言葉を、静かに、でもはっきりと否定した。

 「君は悪い子なんかじゃない。だってこうして、みんなのことを想っているでしょ? そんな子が、悪い子のはずがないよ」

 (……そうだ。彼は何も悪くない。ただ、病気になってしまった。それは、誰にも抗いようのない出来事だったんだ……)

 『うぅ……』

 『…………寂しい……寂しいよぉ……』

 その声には、もう先程までの怒りの色はなく、ただただ、ぽっかりと空いてしまった幼い心の穴から漏れ出すような、どうしようもないほどの深い寂しさが痛いほど滲んでいた。

 美琴が、その小さな、震える肩に、そっと自分の手を添えるようにして、優しく寄り添う。

 「寂しかったよね……苦しかったよね……」

 「でもね……誠也君、家族のみんなは君のことを、ずっとずっと待ってるよ、とても温かくて、優しい光に満ちた場所でね」

 彼女の、慈愛じあいに満ちたその言葉の一つ一つが、この冷たく閉ざされた手術室の絶望的な空気を、静かに、そして確実に溶かしていく。

 僕も、いつの間にか、自然と口を開いていた。

 「………君が、ずっとここに一人でいたこと、僕も、美琴も、ちゃんと感じてた。君の声は、ちゃんと僕たちに届いたから」

 誠也君の、涙に濡れた瞳が、ほんの少しかすかに揺れる。そして、僕の目を、じっと見つめ返してきた。

 「君のお兄ちゃんたちが、そしてご両親が、君に心から会いたがってる。……私、それは、ちゃんと知ってるから。嘘じゃないよ?」

 美琴のその声には、一片の嘘も、迷いもなかった。

 それを聞いて、誠也君の、影のようだったおぼろげな輪郭が、ふわりと淡く、どこか温かい光を帯び始める。

 「先輩。……私たちで、この子を、安らかな場所へ送りましょう」

 美琴が、僕の目を見て、全てを分かち合うように、やさしく微笑んだ。

 (どうやって…? 力にはなりたい。でも、どうしたら……)

 僕の考えを読み取ったように、彼女が言った。

 「この子の、心残りを晴らしてあげるんです」

 「ねぇ誠也君、やりたいことがあるんじゃないかな?」

 誠也君の、涙で濡れた目が、ほんの少しだけ、期待の色を帯びてきらりと光った。

 そして、ぽつりと、でもはっきりとした声で、つぶやく。

 『…最後にもう一度だけ、遊びたい…。』

 その、あまりにも純粋で、そして切ない一言に、僕の胸の奥で、何かが弾けて熱いものが込み上げてきた。

 そうだ──この子は、ずっと、たった一人だったんだ。

 誰にも気づかれず、誰とも言葉を交わすこともできず。ただ、この暗くて冷たい廃病院の中で、ずっと、ずっと、たった一人で“待って”いた。

 いつか、大好きな家族が自分を迎えに来てくれると、心の底から信じて。

 そのまま、幼い子供の霊になって、この場所に、永い間、縛られていたんだ。

 その彼が、最後に望んだのが、ただ「遊びたい」という、子供らしい願いだったなんて……。

 「……じゃあ、最後に、みんなでかくれんぼ、しようか」

 僕は、穏やかで、温かい声で、静かにそう言った。

 美琴が、その言葉を聞いて、ふっと花が咲くように、本当に嬉しそうに笑う。

 「ふふっ、いいですね、それ。とっても素敵です!」

 「じゃあ、誠也君。先輩と私で、必ず誠也君のこと、見つけ出すからね。だから、とっておきの場所に、上手に隠れるんだよ?」

 その言葉に、誠也君が、小さく笑った。

 それは、たぶん──。

 彼が、この場所で長い間失ってしまっていた、“子ども”としての無邪気な時間が、ほんの少しだけれど、確かに戻ってきた瞬間の、小さな、小さな、そして何よりも尊い笑顔。

 僕には、確かにそう感じられた。

 ────────────────

 ──永劫の刻の流れの中、妾はただ、見ている。

 生まれては消える、無数の命のきらめきを。

 喜びも、悲しみも、怒りも、全ては時の大河たいがに溶ける、些細ささいな揺らぎにすぎない。

 ひとつの小さな魂が、瞬きほどの時を、ただ待ち続けていた。

 届かぬ声を上げ、叶わぬ願いを抱き、闇の中で凍えていた。

 それもまた、ありふれた悲劇のひとつ。

 だが──。

 今宵、三つの糸が交差した。

 母の悲しみを無意識に継ぐ者。

 一族の宿命をその身に負う者。

 そして、永い寂しさを独りで生きた者。

 彼らが選んだのは、祓うでも、封じるでもない。

 ただ、共に遊ぶという、あまりにも人間的で、そして、あまりにもとうとい選択だった。

 涙を流し、手をとり、微笑ほほえみ合う。

 その温もりこそが、凍てついた魂を溶かす唯一の光だと、彼らは知っていたのだろうか。

 ああ、愛おしき子らよ。

 その優しさは、やがて来る過酷かこくな運命を照らす灯火ともしびとなるか。

 それとも、身を焦がす業火となるか。

 今はまだ、誰も知らない。

 ……さあ、始めなさい。

 永い夜の終わりを告げる、最後のかくれんぼを。

 その結末を、妾は、静かに見届けよう。

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