LOGIN二十年分の思い出話。
ディナーの時間も忘れ、僕たちは語り合って、 「それでね。保健室に運ばれたって聞いた香織のお父さんが教室に飛んできて」 そんな話の折り、彼女がコクリ・・・・・・コクリと頭を揺らしていた。 その隣に行くと、ビクリと肩が上がる。 「ごめんなさい。ちゃんと聞いてるから、大丈夫」 「ううん。長旅で疲れたよね」 彼女の頭を肩へ寄せると、数分としないうちに寝てしまった。 髪がふわりと揺れ、毛先がうなじに触れる。 「優しいよね。いじめられたときも転んだときも、ずっと優しくしてくれて」 昔からずっとお姉さんみたいだったけれど、 「大きくなって、綺麗になったね」 耳元で呟くが、もう夢の中の虜になっていたみたいだ。 香織を独り占めなんて、ちょっと妬いてしまう。 「慎太郎様」 コンシェルジュの『細道 大我』も起こさぬように虫の声で呼んでくる。 「例の船を追い返しました。サマリアの方へ向かっているとのことで」 「ご苦労。美濃部にそう伝えておいてくれ」 「御意。それと」 彼は香織を一瞥すると、 「寝室へお連れしましょうか?」 そう気を回してくれる。 だが、首を振った。 「少し鈍くなったんじゃないかい?」 細道もハタと気づいて、 「申し訳ありません。ではこれで」 気さくな僕に深々と頭を下げた。 「あぁ待ってくれ。一つ頼みたいことがある」 「なんなりと」 「日野内グループの株価暴落について、何か聞いているか?」 「販売している産業機器のデータ改ざんが明るみになったとのことですが」 「詳しく調べてくれ。手段は問わない。何か怪しい」 「かしこまりました」 細道に命じ、 「独り身が長かったからさ。二人きりが察せないのも無理ない」 「恐縮です」 慰めるように彼の肩を叩くと、そそくさと部屋を出て行った。 「さ、ここからは二人の時間だね香織」 香織を軽々と持ち上げて、僕たちはベッドへと向かった。 目が覚めると、慎ちゃんの無防備な寝顔が目に留まる。 前の私なら、他の男の人と寝てるなんて考えもしなかったし、飛び起きてただろう。 けれど今は、不思議と受け入れられてしまう。 恋人に海へ投げ捨てられて、すぐに慎ちゃんに助けられて。 リゾートに連れてこられ、今はこうして寝顔を眺めている。 起きた事を思い返しても、まるで信じられないことばかり。 けど、 「慎ちゃんは、こんな私で良いの?」 ぽつりと呟き、背を向けた。 スマホを取ると、物凄い数の不在着信とメールが届いていた。 その殆どが私の会社の話だ。 一条の傘下に入るのか、それともこのまま損失の借金を背負って身を引くか。 一条家は私の父に見出されて成り上がった一族。 数字やデータに鋭敏。小さな違和感も見逃さない。 会社の切れ者だったと、父は言っていた。 息子の純はそれほどの活躍をしてないけれど・・・・・・。 すでに株の過半数は純の手にある。 会社は乗っ取られたも同然で、私に出来ることなんてない。 まして取り戻すなんて無茶な話だ。 父や私が血反吐を吐いて築いた資産や功績を一瞬で。 掴んだ腕に爪が食い込む。 「怖い夢でも見た?」 背中から彼の腕が優しく巻かれる。 「ごめんなさい。何でもないの」 私ははぐらかした。 けれど、 「ダーメ」 「会社の事。一条に乗っ取られて、私は職も立場も失ったの。没落した女。慎ちゃんに相応しくない」 「人は立場じゃないよ香織」 慎ちゃんはそう言ってくれるけど、 何も気づかず、会社を奪われた私がそばにいたら、きっと慎ちゃんを傷つけてしまう。 そう思うと、彼の優しさを受け入れることができない。 「私、もう何でもないのよ」 「僕にとって香織は唯一無二だよ」 慎ちゃんは率直すぎるよ。 優しさが心に染み渡ってくる。 私は純を支えてばかりで、優しくされたことはあまりない。 愛の言葉だけあれば良いと思っていたから。 でも違うんだと、慎ちゃんに気づかされてしまった。 「もう哀しい顔はさせない。今度は、僕が香織を守る番だから」 ちょっとだけ腕の力が強くなる。 甘い顔とは裏腹に、硬く鍛えられた筋肉に抱かれる。 とても気弱だった隣の男の子とは考えられない。 可愛くて、時折見せる貫禄が格好いい。 私はふとした横顔に照れてしまう。 「あ、朝ご飯にしましょう。お腹空いてしまって」 「そうだね。食べたい物はある? 細道が何でも用意してくれるよ。それに、香織にちょっとした提案があるんだ」 慎ちゃんはそう言うと、私に手を差し伸べた。リーダーの男は高笑いを上げる。「はははは! 希望だと? それがか? コメディ映画の見過ぎじゃないのか? なぁお前たち」 背後に控える男達も嘲笑を浮かべている。 しかし誰が何と言おうともこれは希望だ。 僕は悔しさを噛み殺しながら言う。「希望の一匹だ」「ほう。そんなのを釣るために、一人でホイホイしてたのか」「ふふ」と僕は柄にもなく、鼻で笑ってしまう。「何がおかしい?」「いいや。このあたりに住んでいる割には、マグロのことは何も知らないんだと」「……よそ者の分際で!」 興奮気味に男に胸倉を掴まれる。 だが僕は身じろぎ一つせず、睨んだ。「自分の舌で確かめもせず、コメディ映画の見過ぎだと言うのは、少し愚かしいんじゃないか?」「ほーう。それで? どうやってこいつが希望の一匹だと証明するんだ?」「僕が捌いて振舞おう」「状況が分かってないようだな。お前は人質なんだぞ。刃物の一つも握らせるわけないだろうが。それで俺たちの仲間を殺して脱出しようとするくらい」「料理人の道具で人殺しなんて断じてしない!」 料理への冒涜だ。 唐突な怒号に、胸倉から手が離れる。「おいタイトロード!」 背後の男『タイトロード』を呼びつけると、「こいつをキッチンに案内しろ! それから変な動きをしないか見張れ!」「了解しました」 小汚い見た目からは想像がつかないほど丁寧なお辞儀をして、タイトロードは僕を案内した。 バンカーの中の簡易的なキッチン。 包丁はさび付き、拾ってきたパイプを水道に挿しただけの洗い場は、とても衛生的とは呼べない。 ……仕方ないとはいえ、これではまともにマグロは捌けない。 そう辺りを見回すと、タイトロードは銃を向ける「。「何か企んでいるだろ?!」 無我夢中だった僕は応じることなく、ふと彼の銃に目が行く。「ダストカバー」「は?」 彼のライフルは随所が磨かれており、光沢を放っている。 これなら削れると、僕は彼のライフルのパーツを指さした。「そのカバーを貸してくれないか?」「正気かお前? 妙なことをしたら撃っても良いと、オサから言われている」「その銃なら、カバーを外しても撃てる。そういう設計だからな。安心してほしい。君に危害を加えるつもりはない。包丁を研ぎたいだけなんだ」 真剣な眼差しでしばらく見つめる。 しかしタイトロー
背後に突き付けられた銃口。 味方の地だと油断していたわけではなかったが、護身用の銃くらいは持っておくべきだった。 しかしなぜ、軍の敷地内に反政府勢力が? 車に乗せられた僕は考えているのだが、「お前は人質だ。政府軍の奴らとの交渉に使う」 ドライバーが僕に言った。 そして連れてこられたのは、反政府勢力が支配する地域の一角。 紛争が始まってから、空爆と戦闘で瓦礫の山になっている場所だ。「降りろ」 冷たく轟く敵の言葉。 そこは廃墟の中にポツリと建ったバラック。 中に入ると階段があり、奥深い地下へと続いていた。 簡易的なバンカー。空爆や砲弾から身を守るための施設だ。「お休み中だったかな?」 薄暗い地下に似つかわしくない煌びやかな部屋で、デスクに座った大男が僕に言う。「呑気に釣りをしていましたよ」「リフレッシュしたかったところ悪かったね。国連軍の士官なら……ここがどういうところなのか、察しがついていると思うがね」 コクリと頷く。 何も言わないのが吉だと判断したからだ。 見た目に反して礼儀正しいこの男が、いろいろと話してくれるとも思っている。 いいや。むしろ知らなければ、人質として使い物にすらならなくなるだろう。「政府の奴らが交渉を、と伝えてきてね。しかし見ての通り、穴倉に隠れることしかできない私たちにはカードがなくてね。それで」「僕を連れ去った、というわけですか。ですが、あそこは軍の敷地内。堂々と入って僕を攫ったら、足取りを捉まれるのでは?」「遠い異国の親切な友人が教えてくれたんだよ。警備のいない時間、そして出入りの方法をね」「その友人に、戦いを終わらせられないかと尋ねなかったのかい?」「ははは。ナンセンスだな君は。戦争は金が動く。その友人たちは平和に興味がないらしい」「悪く思わないでくれよ」と男は付け足す。 背後にいるのは、僕の想像が及ばないほどの大きな影だ。 深入りは禁物か。「でもどうする気です? 士官一人を人質に取ったところで、大したカードにはならないと思いますけど」「存在価値は君自身が思う以上に重い。綱島グループの御曹司というのなら特にね」 そこまで承知の上でのことか。 御曹司という言葉に、僕は顔を軋ませる。「癪に障ったのなら謝るよ」「事実なのでね」 柔和な笑みを見せると、「なるほど。できるビジ
一通の手紙から始まった、絵空事のような作戦。 僕の上官がサマリア政府への説得に与えた時間は約三日。 今日がその三日目。 しかし僕は成果を出せていない。 マグロで紛争を終わらせる。書いた言葉の意味を冷静に考えてみたら、すっ飛んでいる。 でも、それを知った部下や上官は、皆が本気にしていて、「今日こそ釣れますよ!」「車、整備しといたんで乗ってください」「頼むぞ綱島!」 暖かい声援を送ってくれる。 どうして、そんな絵空事のような理想に付き合ってくれるのか。 僕にはどうしても希望が見いだせない。「元気ないな綱島大尉。何かあったか?」 上官も気遣ってくれるが、「今日も頑張ります。もし、ダメだったら」 弱気になっていたのか、言いかけて口を閉じた。「出発します。では」「……お前ならできるよ」「え?」「お前ならできるって言ったんだ坊ちゃん。美味いマグロ、期待してるぜ」 そう言って、彼は僕を送り出してくれた。 上官に連れられた釣り場でひたすら竿を投げる。 しかし一向に魚は喰い付いてくれない。「お願いだ! 釣れてくれ!」 海にひたすら叫び、願う。 僕が釣らなきゃ……せっかくの舞台が台無しになってしまう。 焦りが汗となって頬を伝う。 けれど僕の願いは虚しく、マグロは食いつかない。「なんでなんだ……何が違う!」 海から引きあがった竿を見ながら嘆く。 釣れっこない。 ふと、そんな諦めがこぼれそうになる。「……僕が諦めたら、ダメだ」 それは自分を奮い立たせるための言葉。 もうダメだ。おしまいだ。 言ってしまったら、それは本物になってしまう。 脊髄反射的な言葉だったとしても、刻印のように穿たれてします。 だから僕は竿を握り、再び海へ投げた。 これは僕に与えられた試練だ。 立ち向かう勇気——それを教えてくれた人に恥ずかしい姿は見せたくない。 昼間の暑さも、喉の渇きも、僕は忘れていた。 ただ無我夢中に釣りをした。 その瞬間は唐突に訪れる。「掛かったっ!」 必死に竿を立て、糸を手繰り寄せる。 絶対に外れるな……いいや外さない。 この糸は希望だ。 絶え間ない憎しみの連鎖を終わらせるための。 僕は一心不乱にマグロを自らの手へ手繰り寄せていく。 そして――「獲ったっ!」 水しぶきをあげ、水面から出てくる黒
その日、僕の手は一人でに手紙を書き続けていた。 あの後、釣ったマグロを捌いて基地の皆で食べた。 巨大な魚体には脂の乗ったトロや中落ち、そして引き締まった赤身がぎっしりと詰まっていて、 「まさに黒いダイヤだ」 そんな驚嘆まで聞こえるほどだ。 寿司や刺身などを振る舞うと、見た目の称賛は味への絶賛に変わっていく。 「こいつは良い!」 「ツナってこんな美味かったのかよ!」 「もうレーションには戻れないぜ!」 僕も箸が止まらなかった。 しかし、これは僕の中に生まれた情熱の序章でしかない。 このマグロで戦争を止められるかもしれない。 そう思ったからだ。 そして手紙を書き終えて、郵便に出す。 日本からどんな返事が返ってくるのか、少し楽しみだった。 2週間ほどが経って、日本からの返信があった。 『紛争地でマグロ漁など、危険すぎる』 この字は会社の水産担当者からだろう。 ある意味で、真っ当な回答だった。 ここは紛争地。 安全とは程遠い環境だ、 マグロの味に酔っていたからか、現実を見れなくなってしまっていたかもしれない。 僕は執務机で頭を抱えてしまう。 戦争を終わらせられるかもしれないカードがあるというのに、それを突き返されてしまった悔しさ。 手札はあるのに、打って出れない無力さ。 僕は打ちひしがれてしまう。 「どうしたんだ? 浮かない顔して」 声を掛けてきたのは、釣りに誘ってきた上官だった。 「ちょっと手紙にショックを受けてしまって」 「なんだ? 本国の彼女に振られたか?」 茶化すようだが、コーヒーを置くと真面目な眼差しに変わった。 だからか。僕はすんなりと恥ずかしげもなく打ち明けてしまう。 「なるほど。この前のマグロを日本にも、ねぇ」 「はい。ぜひ、ここの海のマグロを輸出して届けたいと思ってまして。サマリアの人々の争いも資源の枯渇が根底の原因ですし」 上官が手紙を読んで置くと、 「この返信は、凄く現実的だよ。ここは紛争地で、安全に漁ができる環境じゃない」 「だったら戦争を終わらせて」 「どうやって終わらせるんだ? 互いに憎しみ合って、銃口突きつけ合ってる連中の中に飛び込むのか? 撃たれて終いだぞ?」 確かにそうだ。 頭が冷えた今だからこそ、その意見は
僕がマグロ漁船に乗る以前の話。 アフリカの海辺にある小さな国『サマリア』。 そこは銃声と爆発音、そしてなんの関係のない市民の悲鳴が飛び交う戦場だった。 資源の枯渇と利権を争う権力者たちの戦いが日々続き、なんの罪のない人々の命がすり減っていく。 平和維持軍という名目で派遣された僕たちも、結局はその一端を引き起こしているのかもしれない。 どうにかこの不幸の連鎖を終わらせたい。そう願いながらも、僕の力ではどうすることもできないと諦め、引き金を引き続けた。 そんなある日のこと。 休暇で戦地の風から少し離れたところで、「お坊ちゃんだからって雑用させないと思うなよ」 そんな小言を上官から浴びせられながら、僕は助手席に乗せられた。「これからどちらへ?」「今にわかるよ。それより、こいつらを準備しておけ」 指さされた後部座席の方を見やると、そこに積まれていたのは釣り道具だ。 僕は言われるがままに竿や釣り糸を用意する。 まさか釣りに連れ出されるとは、考えもしていなかった。 休暇とは言え、娯楽の少ない場所だ。外に出れば、遠いサマリアの地で響く爆発音が届く。 羽を伸ばすと言っても必ず付きまとう戦場の匂い。それが嫌で、僕は基本的に外へは出ない。 何よりも心配性の両親からの手紙を読むのに時間が割かれるのだ。返信しなきゃ、無理やりにでも軍を抜けさせると脅しているから、返さざるを得ない。 駐屯地はサマリアとは対岸のところにあり、攻撃を受ける心配がない。 車は艦船用の桟橋で止まった。「今日は船が来る心配がないからな」「でもこれって、普通に規則違反では?」「私が許可する。大丈夫だ心配するな。そら綱島大尉、釣りの用意だ。のんびりしてると、魚に逃げられるぞ」 上官に促され、否応なしに釣りの用意をさせられた。 そして釣り糸を投げて、魚が来るまでひたすら待つ。 その間も、対岸からは黒煙が上り続けている。「空はこんなに晴れていて、海もこんなに綺麗なのに、サマリアの連中ときたら飽きもせずにドンパチ続けやがって。止める気がないのかね本当」「民族間の紛争ですよ。どちらかが滅びるまで続く。でも実際は、石油資源が無くなって、立ち行かなくなったから起こしたってもので」「そういうことじゃねぇよ。この雄大な自然を見て、心改めないかってことだ」 それで戦争が終わってい
あんな幕引きは、今でも嘘なんじゃないかと思う。 慌てて降りてきた警察官の背後で、燃えさかったのはパトカーだった。 誰かが田沢湖 羽海を始末するために仕掛けた。 その推理は、降りてきた警察官たちの証言で塗り替えられた。 彼女は自爆したと。 体内に仕掛けた爆弾で。 燃え尽きるまで、ただ見てることしかできなかった。 この後のことは、あんまり覚えていられなかった。 船に名をつけたのも、最後の綱を切ったことも、全て火に包まれていく。 でも確かに『グランガルフ』は大海原へと進んでいった。 首謀者の死。豪華客船から始まった事件の終幕は、釈然としないまま終わってしまった。 それからどれくらいの月日が経っただろうか。 他愛のない日々が安らかだけど、凄く長くて退屈に感じてしまう。 怖い目に沢山あったのにね。 白湯を一口。窓の外を眺めながら、心の中で呟く。 慎太郎はあの街の中で頑張ってるんだろうな。 持っていた白湯を置いたとき、視界が真っ暗になって、 「だれーだ」 答えなんて一つしかない。 「また、会社抜けてきたの?」 「任せてきたって言ってよ。香織と、お腹の子が心配で、ついね」 視界がパッと開くと、慎太郎の笑顔も咲く。 ここ数ヶ月。慎太郎とは仕事していない。 お腹の子の成長も順調で、お医者様からも仕事はそろそろ控えた方が良いと診断された。 子の成長にホッとする一方で、仕事に行けないじれったさが体を燻っている。 仕事に行けば、慎太郎が傍にいてくれるからだ。 私は寂しさで彼の肩に手を回す。 「重たくなったでしょ?」 「二人分の命を感じる。でも、僕だって鍛えてるから」 と、軽々と立ち上がらせて、私を抱きしめた。 「さっき、何考えてたの?」 「ぼーっとしてただけよ」 「嘘だ。香織、ちょっと難しそうな顔してた」 「分かるの?」 「窓の反射でね」 クスリと笑ってしまう。 「色々あったけど、なんだかあの日々が凄く充実してたように感じてたの。沢山、怖い目にあったのにね」 「それ以上に幸せがあったからじゃないかな?」 「幸せ?」 「うん。怖い目にもあったし嫌なことも沢山あったけど、二人で乗り越えたりしてさ。色んな出会いもあったじゃない? 柊さんとか立花
「私が慎ちゃんの秘書に?」 朝食を食べ終えた折りに、慎ちゃんは興奮気味に言う。「秘書になれば、ずっと一緒にいられるし、仕事に精が出る。勿論、タダでってわけじゃないよ? 細道」「こちらが秘書としての働いて頂いた場合の年俸になります」 額面を見て唖然としてしまう。 日野内グループの取締役を優に超えていたからだ。 けれど、私は秘書の経験もないし、むしろお願いしていた側。 慎ちゃんの仕事の足手まといにならないか心配で、表情が険しくなる。「仕事の事は心配しないで香織。細道もサポートしてくれるし、日野内のおじさんの元でやってた仕事と同じようにしてくれれば良いからさ」「そ、そう・・・・・
邪魔者が消えた客船で、「んんぅもっとよぉ純」 寝言を言う羽海の隣で、俺は人生最高の朝を迎えた。 日野内グループの不正が世に出回り、暴落した株を俺達『一条グループ』が買い占めた。 これで莫大な資産、そしてこの船は俺の物。「お前は最高の女だよ羽海」 成功の喜びで恋人と唇を交わし続けた俺は、横に寝る女の頬を撫でる。 『田沢湖 羽海』が不正の話を手にしていなかったら、俺はあいつの言いなりになっていただろう。 親父の代から、日野内の奴らは気に食わなかった。 俺達が築き上げてきた業績を、まるで自分の功績のように語ってのし上がりやがって。 だが、あそこまで蔑まされて、反撃の一つもでき
船が港に着く。 そこはサマリア沖にある小さなリゾート島だった。 その名は、「ようこそ『エルアリナイト』へ」 慎ちゃんが両手を広げて歓迎してくれる。 背景にはリゾートホテルやコテージが建ち並ぶ。 そして誰もが、足を止めて彼を見つめていた。「慎ちゃんの島って、ここが?」「そうだよ。驚いた?」 驚くなんて言ったものじゃない。 この島は国内外のあらゆる富豪やセレブが一度は訪れたいと口にする高級リゾートだ。「でも海賊が出るんじゃないの? この辺りって」「その辺は心配ご無用。我が社の警備がついてますから」 見渡すと、来島する人達の船とは別に乗ってきた船のような無骨な船が数隻留
大きな船の中に船で入って、「香織っ!」 パイプだらけの物々しい廊下を掛けてきたのは、一人の美青年。 どこか可愛げがあるけど、顔はまるで覚えていない。 でもこの声の感じ。昔どこかで聞いたことあるような。「オサ! 連れてきた」 私を連れてきた男が言うと、「ご苦労だったね。仕事詰めで疲れてるだろう。少し長めに休んでいいぞ」 優しく男達に促した。 目の前で起こり続けた事がまだ信じられない私は呆気に取られている。「どこか具合悪いかい?」「う、ううん。でもごめんなさい」 そして俯きがちになった私。 彼の心配そうな顔が下からから覗いてくる。「なんで謝るの? 何か悪いことしたか







