登入日本の景色をまたこの目で見れるとは思わなかった。 それも慎ちゃんが手配したプレイベートジェットでだ。 広大な大海原を彷徨っていた私が、今度は空飛ぶ妖精になって舞い戻ってきた。「長旅お疲れ様です」 コクピットから出てきたのは細道。 飛行機を操縦できるコンシェルジュなんて聞いたことはなかったけど、「素敵な部下をお持ちで」「香織には敵わないさ」「左様でございますか」「いいや比べるのはナンセンスか。細道はうちの優秀な部下だよ」 クスっと笑った。 ここでも慎ちゃんは特別なオーラを放っていて、「あの人ヤバくない?」「超イケメン・・・・・・しかも連れてる人も綺麗」「どこかの富豪さんかな?」 と道行く女性陣からは黄色い声が聞こえてくる。「人気ね」「まぁね」 小さい頃だったら、人見知りで私の後ろに隠れていたと思う。 そんな幼い男の子が私、今はの手をぎゅっと握って堂々と歩いているのだ。 その成長がどことなく嬉しい。「お車を手配しております」「助かる。すぐに取締役会を開きたい」 空港の出口で黒塗りのリムジンが待っていた。 豪奢な内装で一際目立っている。「乗って乗ってー」 るんるんな慎ちゃんだけど、私の驚きはそれを差し置いていた。 日野内グループでも社用車はあったし運転手もいた。 けれどリムジンのような豪華さはなく、移動のための質素な車だった。 私が知らない間に、慎ちゃんは桁外れのお金持ちになってしまったのかもしれない。「あぁそれと、例の物は?」「ご用意しております」 乗り込む直前に慎ちゃんが聞いていた。 例の物って? 私は疑問を抱いたまま、中へ乗り込むと、「・・・・・・ツナ?」 シャンパンの横に置かれていたのはツナの缶詰。 しかもフォークまで用意されていた。 私は唖然とした。「これは綱島グループが売ってるツナ缶。品質、価格、全て申し分ない」 車のシートに身を預けながら、慎ちゃんはビジネスモードの口調で教えてくれる。「中身のマグロはサマリア産。香織を迎えに行った船で加工して日本へ輸出してるんだけど」 彼はツナ缶を開け、一欠片を口に運ぶ。「問題は味だ。役員やお客様には美味しいと評判なんだけど、何かが足りない」「何かって?」「それが分からないんだ」 なんとも不思議な話ではある。 今までの慎ちゃんか
「どぉして行っちゃうの?!」「遠くへ引っ越すの。お父さんの仕事の都合で」 そんな理不尽を跳ね返すように僕は叫んだ。 激しく動く機械の音の中で――。 大好きな人が遠くへ行ってしまわないように、必死に手を掴んだ。 その子は困惑しながら、「ごめんなさい。私にはどうすることもできないの」 大人びた口調で宥めるように言い、掴んだ手を両手で包んでくれる。 温かいこの手も、今日でお別れなんて、そんなの嫌だ。「嫌だ嫌だ! 香織が行くなら僕も行く!」「わがまま言っちゃダメよ? ご両親が困るわ」「お別れなんて嫌だよ!」 もう、と彼女――『香織』はため息をつく。「ねぇ慎ちゃん。遠くへ離れても遊びに来るし、ずっとってわけじゃないの。分かる?」「うん」「それに私たちは見えなくても繋がってるの。だから、泣かないで」 ぎゅっと抱きしめられて、僕はいっぱい泣いた。 初めて顔を見たときから、落ち着いたお姉さんって感じだった。 美人で綺麗だし、見つめられると不思議と照れてしまう。人見知りなところもあって、最初はちょっぴり怖かった。 一緒に過ごしていくうちに、香織は強くて優しくて、僕の事をずっと見てくれている。そんな一面がたまらなく好きで嬉しかった。 でも、それが今日で終わってしまう。 擦り傷に絆創膏を貼ってくれたり、いじめっ子から守ってくれる人がいなくなってしまう。 辛くて、哀しくて、そして怖い。「いじめられたら、僕どうしたら良いかわかんないよ」 服に埋もれた口はそんな不安を漏らしていた。 すると香織は僕の目を真っ直ぐと見て。「立ち向かいなさい。慎ちゃんは強い男の子でしょ。遠くからでも、ずっと見てるから」 立ち向かう。 そんな勇気が僕に持てるんだろうか。 意気地無しで弱腰の僕に。「じゃあさ・・・・・・」「なーに?」「立ち向かって大人になったら、香織と結婚する。約束だから!」 一瞬、香織の頬が赤くなったように思う。 でもすぐに居直って、「頑張ってね」 肩を叩いて、長い髪を振り回した。 ゆっくりと離れていく背中を、あのときの僕は見ていることしか出来なかった。 それが二十年前の記憶。 暑かった夏の港街で交わした小さな約束だった。「慎太郎様。一条グループの工場で動きが」 エルアリナイトのオフィスで、僕はタブレットに目を向ける。
なんで島に入れなかったんだ! 俺は船のスイートルームで地団駄を踏んでいた。 『エルアリナイト』は一流企業の社長や財界の重鎮、ハリウッドスターなんかのセレブが訪れる高級リゾートで、一条の名では入ることも許されない。 しかし日野内は違う。 国内でも利用権を持っているリストに名前を連ねている。 だからそれを利用して、こうやって客も集めた。 日野内を乗っ取って、俺達一条がエルアリナイトに正体した。その名声を得られるはずだった。 なのに・・・・・・!「ねぇ純。こんな汚いところぉ、嫌なんだけどぉ」 羽海は機嫌を損ね、事あるごとに文句をつけてくる。 苛立って仕方がない。「うるせぇ! 文句言う暇があったら、何か考えろ!」「いやぁ怖ぁい。でもぉ」 羽海が耳を近づけ、「あんまり私を怒らせないでね? 株価操作が犯罪だってこと、分かってるよね?」 その言葉に俺は慌てて、「あ、あぁすまねぇ。ちょっと焦ってた」「分かってくれたなら嬉し。純大好き」「俺もだよ羽海」 間一髪というところだった。 俺は内心ヒヤつきながら、言葉を継ぐ。(だんだんと烏滸がましくなってきやがった) そんなぼやきすら、言葉には出せない。「それよりもぉ、ちょっと散歩しましょ。ずっと海の上でつまらなかったし」「あぁ? 一人で行けよ。外に出る気分じゃない」「こんな危険な国をか弱い女一人で回らせる気? あーあ、純の意地悪ぅ」 羽海が不満を溢し、「じゃあぁ、私も意地悪しちゃおっかなぁ」 また脅しを掛けてくる。「あぁもう分かった。行くよ」「やったぁ」 俺は完全に手玉に取られていた。 渋々、船から港に下りた。 桟橋にはゴミと血の跡、得も言えぬ生臭さ。(致し方なしとは言え、こんな汚い国に来るとはな) 港の傍の市場は、昼下がりというのに閑散としていて何もない。「ひっでぇ国だな」「やぁね。ここに元恋人がいるんでしょう」 そうだったな。あんまり悪く言うのも良くない。 だってここは、もう香織の母国なんだ。 俺を扱き下ろした男の娘にはお似合いの場所だ。 庶民的で見窄らしい。「エルアリナイトで買えなかった分、ここでたんと買ってやる」「こんなとこにお前を満足させられるだけの店があるかよ」 大声でそんな話をしていると、通りかかる人々の視線が集まる。 その目はまるで
VIP席の仕切りの向こう側で、少女は恥ずかしげもなくこちらに手を振ってくる。 それを見るや、慎ちゃんがあからさまにため息をついた。「どうしたの?」「ごめん香織。厄介事だ」 声色は低く、煩わしそうに顔を顰めている。 フリルスカートを揺らし、私たちの座る席へ近づいてくる。「お引き取りを」 細道が遮るも、「退いて。コンシェルジュに用はないの」 少女は言って、彼を退かそうとする。「お久しぶりです。まさかオーナーの慎太郎様がいらしてたなんて」「仕事があったものでね大曲さん。そちらは?」「小町で良いんですわよ慎太郎様。私はバカンスで・・・・・・失礼ですが、そちらの女性は?」 大曲 小町は睨めつけるように私を見る目が鋭くなる。「こちらは日野内グループのご令嬢『日野内 香織』様だよ」「あぁー一昨日、一条グループに吸収されたあの日野内さん」 わざとらしく言い、慎ちゃんの腕へ手を添えた。 名前を聞いてピンと来た。 『大曲 小町』。日本の造船業では知らない者はいない、老舗造船所のご令嬢。「汚い仕事をする人をそばに置いておくと、綱島家の名前にも傷がついてしまいますわよ?」「すまない。まだ仕事が溜まっていてね。悪いけど、君の相手をしてる暇はないんだ」 手を解いて慎ちゃんは私の方へ来ると、「行こうか香織」「え、えぇ」 慎ちゃんはあしらって私の手を握ると、レストランから連れ出した。(初対面の人間をいきなり罵倒するなんて品性の欠片もない)「待ってください! 私の父から伝えねばならないことが!」 ピタリと足が止まる。「なんだい?」「我が家から綱島家に嫁げることを期待している、と。私たち、もうお父様から認められておりますから」「ははは。面白いね君」 乾いた笑いで私も思わず苦笑いしてしまう。「何よアンタ!」「ごめんなさいお嬢さん。でも、慎ちゃんと一緒で、なんだか面白くて」「どうやって籠絡したか知らないけど、慎太郎様は私のお父様に認められた」「僕に嫁ぐ? 君のお父様が本気で言ったのかい?」 私に向けられた敵意を慎ちゃんは跳ね除けて、「だから君は、大人になれない」 絶対零度とはこのことだと、私はこの目に見せつけられた。 心の底から吐き出した冷徹。けれど小町にはどうも真意が伝わっていないようだった。「良いかい? お嫁さんという
「私が慎ちゃんの秘書に?」 朝食を食べ終えた折りに、慎ちゃんは興奮気味に言う。「秘書になれば、ずっと一緒にいられるし、仕事に精が出る。勿論、タダでってわけじゃないよ? 細道」「こちらが秘書としての働いて頂いた場合の年俸になります」 額面を見て唖然としてしまう。 日野内グループの取締役を優に超えていたからだ。 けれど、私は秘書の経験もないし、むしろお願いしていた側。 慎ちゃんの仕事の足手まといにならないか心配で、表情が険しくなる。「仕事の事は心配しないで香織。細道もサポートしてくれるし、日野内のおじさんの元でやってた仕事と同じようにしてくれれば良いからさ」「そ、そう・・・・・・でも、負担にならない?」 心配そうな顔に彼の手が擦られる。「大丈夫。何かあったら、僕を頼れば良いんだからさ。ね? 良いでしょ」「そこまで言われると・・・・・・断れないよ」 温もりを感じながら、そんな言葉で応える。 すると慎ちゃんの顔がぱっと咲いて、「じゃあ決まりだね! 細道、契約書を」「かしこまりました」 細道に指示したとき、慎ちゃんのふんわりとした雰囲気が変わったのを感じた。 まるで鷹に見られているような強い視線になった。「日野内の株価暴落について少し調べさせた」 私の顔が俯く。 できれば、もう日野内の会社の事は忘れたい。 思い出すと、あの二人から海に突き通された記憶が戻ってきてしまう。 嘘だった愛の事も、全部が蘇ってきて「顔を上げて香織。アレは仕組まれたものだ」「え?」 私は驚嘆する。「産業用機械のデータ改ざん。それがスキャンダルとして一斉にリークされた」「父がそんなことを?」「いいや、香織のお父さんはそんな事しない。むしろ、改ざんする余地がないほど、高品質な製品を送り出してたよ」 慎ちゃんが一枚の書類を出す。 そこには日野内グループが出した生産ラインの精度や性能、横には見慣れない数値が記されている。「データを改ざんしたのは一条だ。それも用意周到に、性能を落とした同じ機械を用意してね」「純はそこまでして会社が欲しかった・・・・・・そういうことね」「随分と前から準備してたことも分かったよ」「凄い情報網ね」 何枚かの写真には、卸した業者と映る純と田沢湖 羽海の姿がある。 日にちは三年以上も前だ。「でも、この写真どうやっ
二十年分の思い出話。 ディナーの時間も忘れ、僕たちは語り合って、「それでね。保健室に運ばれたって聞いた香織のお父さんが教室に飛んできて」 そんな話の折り、彼女がコクリ・・・・・・コクリと頭を揺らしていた。 その隣に行くと、ビクリと肩が上がる。「ごめんなさい。ちゃんと聞いてるから、大丈夫」「ううん。長旅で疲れたよね」 彼女の頭を肩へ寄せると、数分としないうちに寝てしまった。 髪がふわりと揺れ、毛先がうなじに触れる。「優しいよね。いじめられたときも転んだときも、ずっと優しくしてくれて」 昔からずっとお姉さんみたいだったけれど、「大きくなって、綺麗になったね」 耳元で呟くが、もう夢の中の虜になっていたみたいだ。 香織を独り占めなんて、ちょっと妬いてしまう。「慎太郎様」 コンシェルジュの『細道 大我』も起こさぬように虫の声で呼んでくる。「例の船を追い返しました。サマリアの方へ向かっているとのことで」「ご苦労。美濃部にそう伝えておいてくれ」「御意。それと」 彼は香織を一瞥すると、「寝室へお連れしましょうか?」 そう気を回してくれる。 だが、首を振った。「少し鈍くなったんじゃないかい?」 細道もハタと気づいて、「申し訳ありません。ではこれで」 気さくな僕に深々と頭を下げた。「あぁ待ってくれ。一つ頼みたいことがある」「なんなりと」「日野内グループの株価暴落について、何か聞いているか?」「販売している産業機器のデータ改ざんが明るみになったとのことですが」「詳しく調べてくれ。手段は問わない。何か怪しい」「かしこまりました」 細道に命じ、「独り身が長かったからさ。二人きりが察せないのも無理ない」「恐縮です」 慰めるように彼の肩を叩くと、そそくさと部屋を出て行った。「さ、ここからは二人の時間だね香織」 香織を軽々と持ち上げて、僕たちはベッドへと向かった。 目が覚めると、慎ちゃんの無防備な寝顔が目に留まる。 前の私なら、他の男の人と寝てるなんて考えもしなかったし、飛び起きてただろう。 けれど今は、不思議と受け入れられてしまう。 恋人に海へ投げ捨てられて、すぐに慎ちゃんに助けられて。 リゾートに連れてこられ、今はこうして寝顔を眺めている。 起きた事を思い返しても、まるで信じられないことばかり。 けど
邪魔者が消えた客船で、「んんぅもっとよぉ純」 寝言を言う羽海の隣で、俺は人生最高の朝を迎えた。 日野内グループの不正が世に出回り、暴落した株を俺達『一条グループ』が買い占めた。 これで莫大な資産、そしてこの船は俺の物。「お前は最高の女だよ羽海」 成功の喜びで恋人と唇を交わし続けた俺は、横に寝る女の頬を撫でる。 『田沢湖 羽海』が不正の話を手にしていなかったら、俺はあいつの言いなりになっていただろう。 親父の代から、日野内の奴らは気に食わなかった。 俺達が築き上げてきた業績を、まるで自分の功績のように語ってのし上がりやがって。 だが、あそこまで蔑まされて、反撃の一つもでき
船が港に着く。 そこはサマリア沖にある小さなリゾート島だった。 その名は、「ようこそ『エルアリナイト』へ」 慎ちゃんが両手を広げて歓迎してくれる。 背景にはリゾートホテルやコテージが建ち並ぶ。 そして誰もが、足を止めて彼を見つめていた。「慎ちゃんの島って、ここが?」「そうだよ。驚いた?」 驚くなんて言ったものじゃない。 この島は国内外のあらゆる富豪やセレブが一度は訪れたいと口にする高級リゾートだ。「でも海賊が出るんじゃないの? この辺りって」「その辺は心配ご無用。我が社の警備がついてますから」 見渡すと、来島する人達の船とは別に乗ってきた船のような無骨な船が数隻留
大きな船の中に船で入って、「香織っ!」 パイプだらけの物々しい廊下を掛けてきたのは、一人の美青年。 どこか可愛げがあるけど、顔はまるで覚えていない。 でもこの声の感じ。昔どこかで聞いたことあるような。「オサ! 連れてきた」 私を連れてきた男が言うと、「ご苦労だったね。仕事詰めで疲れてるだろう。少し長めに休んでいいぞ」 優しく男達に促した。 目の前で起こり続けた事がまだ信じられない私は呆気に取られている。「どこか具合悪いかい?」「う、ううん。でもごめんなさい」 そして俯きがちになった私。 彼の心配そうな顔が下からから覗いてくる。「なんで謝るの? 何か悪いことしたか
冷たい海水から這い上がったとき、デッキからこちらを見下す二人と目が遭う。「ほらあそこ見ろよ。お前のために用意したボートだぞ」 ボートを見つけた私は必死に泳ぐ。 たどり着いて乗ろうとするも、手が滑ってなかなか上がれない。「がんばれがんばれ。早くしないとサメに食われちゃうぞ」「泳がないと餌になっちゃうよぉ香織ちゃん。サメさんも不味くて捨てちゃうかキャハハ」 ようやくたどり着いて這い上がる。 するとデッキでは二人は熱いキスを交わし、「ねぇ私が言った通りでしょう?」「あぁ。これで日野内グループは俺の物だ」「私たち、のでしょ」 手を振ったり、指を差したり――私の命を弄んで笑う。







