เข้าสู่ระบบ御者が手綱を引くと、馬が低く嘶いた。
窓越しに広がる庭園は、王都近郊に領地を持つ上位貴族らしい、洗練された趣を湛えていた。
マーガレットは、思わず小さく息を呑んだ。
山奥に佇む自家の屋敷とは、あまりにも違う。
その緊張を察したのか、隣に座る母ビーブルがそっと手を握った。
「大丈夫よ、マーガレット。あなた、可愛いもの」
その言葉に、わずかに肩の力が抜ける。
「自慢の娘を嫁にやるんだから、少しくらい大きな態度を取ったほうがいいのかな? ……なんてな」
冗談めかして笑う父エンリケ。
この婚約が、ノブルス家にとってどれほど重要な意味を持つのか。
「さあ、行こうか!」
父にエスコートされ、マーガレットは馬車を降りる。
話はすでに通っていたのだろう。
応接間の扉が開く。
目に飛び込んできたのは、豪奢な内装と、整えられた調度の数々だった。
そして、その中央にはすでに――婚約者となる青年が立っていた。
「マーガレット嬢、お会いできて光栄です。長旅でお疲れでしょう。お茶でもいかがですか? 僕の気に入っている場所があるんです」
キルエン・ファーブリックは、マーガレットの姿を認めるとすぐに立ち上がり、柔らかな笑みを浮かべて頭を下げた。
背は高く、噂に違わぬ美貌。
白いドレススーツに身を包んだその姿は、どこか現実離れしていた。
その視線を真正面から受け止めた瞬間、頬が自然と熱を帯びた。
「こちらこそ、キルエン様。お気遣いありがとうございます。ぜひ、ご一緒させてください」
丁寧に頭を下げる。
そのとき、肩からさらりと白い髪が落ち、視界に入り込んだ。
――はっとする。
条件反射のようなものだった。
周囲の反応を、無意識に探ってしまう。
「そうね、若い二人で楽しんでらっしゃい」
優雅に微笑んだのは、モルガン夫人。
しかし、その目元がわずかに曇ったように見えた。
視線は、マーガレットの髪へ。
「親同士で話すこともあるからな! さあキルエン、可愛らしいお嬢さんを案内してあげなさい!」
ダグルド侯爵が朗らかに声を張り上げる。
その言葉を合図に、メイドたちが慌ただしく動き出し、茶の準備が始まった。
歓迎はされているのだろう。
老婆令嬢。
陰で囁かれる、その呼び名。
忌避されるこの容姿。
だが、これから義理の家族になる人たちだ。
「ではマーガレット嬢、こちらへ」
キルエンの優雅な所作に導かれ、彼の後を追う。
屋敷を出て、庭へと足を踏み入れる。
マーガレットは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
自然の香りが、確かにそこにはあった。
「気に入ってくれましたか? 我が家の庭。母が好きでして、幼い頃はよく一緒に散歩したものです」
「はい、とっても素敵です。うちの周りは、もっと自由に草木が生い茂っていて……ずいぶん雰囲気が違います」
キルエンは、よく気がつく人だった。
「はは、そのうち僕もノブルス家に伺ってみようかな。もっとマーガレット嬢のことを知りたいですし」
「そ、そんな……光栄です。ぜひ、いつでもいらしてください」
その一言で、胸が跳ねた。
楽しい、と彼女は思う。
家族と話すのとは違う。
自分は一人の時間が好きなのだと思い込んでいた。
友と呼べる存在はいない。
それが当たり前だった日々に、いま初めて風が通る。
どこか懐かしく、そして新しい。
ふと、記憶の奥がかすかに揺れた。
――誰だっただろう。
「着きましたよ。ここが、僕の一番好きな場所です」
キルエンの声に、思考が現実へ引き戻される。
顔を上げた瞬間、マーガレットは息を呑んだ。
「……わぁ」
そこには、幻想的な光景が広がっていた。
一面に広がる藤棚。
その光の中に立つキルエンの姿は、まるで絵画のようだった。
「私も、ここが好きになりました。こんなに可愛らしい藤の花がたくさん……」
石造りのテーブルに腰を下ろすと、メイドが茶の準備を始める。
注がれた液体は琥珀色。
紅茶のそれとは異なる、甘く華やかな香り。
「さすがですね。ここの藤は特別に育てていて、香りが違うんです。乾燥させて紅茶に混ぜると面白いですよ。どうぞ」
促されるまま、口をつける。
渋みの奥に広がる甘み。
「……とても美味しいです」
素直な感想だった。
「いくつか試した中で、この組み合わせが一番でした。僕のオリジナルなんです。このお茶は、大切な人にしかお出ししていません」
そう言って、キルエンは微笑む。
「これから、よろしくお願いします」
――大切な人。
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
こんなにも美しい場所で。
「……はい。キルエン様、こちらこそ末永くよろしくお願いいたします。精一杯、お支えいたしますので」
藤の香りに包まれながら、マーガレットは微笑んだ。
甘く、穏やかな時間が、確かにそこに流れていた。
――それから五年後。 バロンブルグ王国は、かつてないほどの活気に満ちていた。 王都の大通りには新しい店が並び、地方と王都を繋ぐ街道はよく整えられ、人と物の流れは以前とは比べものにならないほど滑らかになっている。各地の騎士団詰所には改良された通信装置が置かれ、緊急時の連携も早くなった。職人たちは新たな仕事に恵まれ、商人たちは国の未来を語り、平民も貴族も、この国はこれからもっと豊かになるのだと信じていた。 その繁栄の中心に立つのは、アスリー・レイ・ギルフォード国王だった。 即位から二年。 あの方は、口にした通りの王になった。 民を見下ろすのではなく、近くで見ようとする王。必要とあれば泥のつく仕事も引き受けるくせに、その手でちゃんと明日を示してくれる王。 バロンブルグ王国はいま、愛によって治められている――そう言えば大袈裟かもしれない。けれど、少なくともマーガレットには、それ以外にうまく表す言葉が見つからなかった。 その国政を支える柱の一つとして、いまやファーブリック公爵家の名も広く知られている。 事件の後、ダグルドは第二王子派を支え抜いた功績と、その後の王政改革への尽力を認められ、公爵へと陞爵した。さらに、エンヴィが再び立ち上げた工房と機械開発、それを支えるファーブリック家の後ろ盾は、国の経済を大きく押し上げることとなった。 そしてその流れの中で、マーガレットもまた、自分の立場を確かなものにしていた。 表向きの肩書きは公爵家夫人。 けれど実際の彼女は、それだけではない。 人と人、家と家、商会と貴族、王城と地方。表に見えるものと、まだ表に出ていないもの。その間にある流れを見極め、繋ぎ、時には危険の芽を先に摘む。 女だからと軽んじられたことも一度や二度ではないが、それでも今では、困り事を抱えた者が「まずはマーガレット様に」と口にすることも増えていた。 彼女はもう、守られるだけの令嬢ではなかった。 自分で選び、自分で立ち、自分の名で生きる人間になっていた。 そんな日々の中でも、今日ばかりは仕事のことを考える余裕はない。 ファーブリック公爵家の私室。陽だまりの落ちる広い部屋で、マーガレットは深く息を吐きながら、ゆったりとした椅子に腰掛けていた。丸みを帯びた腹にそっと手を当てる。出産を間近に控えた体は重
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ノブルス家との再会を終えた夜。 平民街の小さな家には、久しぶりに穏やかな静けさが満ちていた。 窓の外では、夜風に揺れた木の葉がささやくような音を立てている。遠くで犬が一度だけ吠え、また静寂に戻った。戦いの最中には気にも留めなかった、ありふれた夜の気配だ。 マーガレットは二階の自室で、姿見の前に座っていた。 今日の涙の跡はもう消えている。けれど、胸の奥にはまだ、家族に抱きしめられたときの温かさが残っていた。死んだと思われていた娘が戻ってきたのだ。喜びも、戸惑いも、悲しみの余韻も、全部が入り混じっていた。 そしてそのどれもが、今の自分を確かに“生きている者”にしてくれている。 鏡の中の自分を見つめていると、控えめなノックの音がした。「マーガレット。起きてる?」 エンヴィの声だ。「ええ」「少しだけ、話してもいい?」 少しだけ、という言い方が妙に彼らしい。 マーガレットは小さく息を吐き、立ち上がって扉を開けた。
第一王子カイセルの失脚が公にされると、王都の空気は一変した。 それまで水面下で繋がっていた夫人会の残党は、潮が引くように静かになった。もっとも、静かになったからといって罪が消えるわけではない。ダグルド侯爵家の一室では、その後処理が着々と進められていた。 大きな机の上には、夫人会に属していた女たちの名と、ヴェルン商会との接点を書き出した紙が並んでいる。モルガン夫人が捕らえられたあとも残っていた緩い繋がりは、思った以上に広かった。 ただ、その性質はさまざまだ。 深く関わり、実際に細工や連絡役を担っていた者。 名だけを貸し、流れに乗っていただけの者。 何かおかしいと感じながら、立場を失うのが怖くて目を逸らしていた者。 全てを同じ重さで裁くべきではない。そう判断したのは、ダグルドだった。「罪の軽重を見誤れば、また同じことが起きる」 青い瞳を細め、彼は紙の束を前にそう言った。「恐れから沈黙した者と、積極的に手を汚した者を同列に並べるのは違う。見せしめだけで終わらせれば、残るのはまた怯えた沈黙だ」 その言葉に、マーガレットは静かに頷いた。
第一王子カイセルの微笑が、ついに消えた。 小謁見の間に満ちていた空気は、もはや社交の場のものではない。誰もが息を潜め、ただ次の言葉を待っている。 拘束されたグラウス、ヤーサック男爵夫人、ベルトラン。彼らの視線は泳ぎ、主の顔色をうかがっていた。だが、今この場で彼らを救える者は、もはや誰もいない。 アスリーは一歩前へ出たまま、兄を見据えていた。「兄上。まだ続けるか?」 カイセルは返事をしなかった。 代わりに、ゆっくりと周囲を見回す。ダグルド侯爵。クリス。エンヴィ。リシェラ。最後に、マーガレット。 その視線が彼女に止まった瞬間、かすかな憎悪が滲んだ。「……死んだ女が、よくもまあ」 低く零れた言葉に、部屋の温度がさらに下がる。 だが、マーガレットは怯まなかった。「死んだ女だからこそ、見えるものがあります」 静かに返すと、カイセルは鼻で笑った。「見える? お前に?」
その場にいた三人の身柄が押さえられても、小謁見の間の空気は緩まなかった。 ヴェルン商会の番頭グラウスは騎士に腕を取られたまま、脂汗を浮かべている。ヤーサック男爵夫人は顔色をなくし、今にも椅子へ崩れ落ちそうだった。第一王子近習ベルトランだけは、なおも平静を装っていたが、その唇はわずかに引きつっていた。 アスリーは立ったまま、冷えた目で三人を見下ろす。「まだ兄上のお名前は出てこないか」 その問いに、誰も答えない。 だが、マーガレットには分かっていた。ここから先が本番だと。 慈善会の細工を示し、商会と夫人会と近習の線を並べた。だがそれだけでは、第一王子本人へまでは届かない。向こうはきっと、配下が勝手にやったことだと言い逃れるだろう。 だからこそ、ここから先は一段深く刺さなければならない。「殿下」 マーガレットがアスリーを見た。「兄君をお呼びください」 小謁見の間が静まり返る。 ダグルドが、低く息を吐いた。
どうせならとパンまで添えて、少し少なめの夕食とした。 エンヴィが洗い物をしてくれており、拭き終えた食器が重なって乾いた音を鳴らす。 騒ぎ始めた虫の声、カエルまで加わって大合唱だ。 ふと窓の外を見ると、もう夜の帳が下りていた。星々が手拍子するように瞬いている。
今日は初仕事の日。 ダグルド侯爵に呼ばれ、マーガレットはキルエンと一緒に書斎へとやってきた。「父上、マーガレットと共に参りました」「入りなさい」
なにがパパだ、父上は実に調子がいい。キルエンは内心で毒づいた。頑張ります――マーガレットはそう言っただけで、自らの能力を何ひとつ示していない。 それなのに、父はあの女に大きな期待を寄せているらしい。どこをどう見れば、そこまで買えるのか理解に苦しむ。







