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老婆令嬢と呼ばれた私ですが、死んで灰になりました。~さあ、華麗なる復讐劇をお見せしましょうか!~
老婆令嬢と呼ばれた私ですが、死んで灰になりました。~さあ、華麗なる復讐劇をお見せしましょうか!~
Author: 伊藤ほほほ

プロローグ

last update publish date: 2026-03-29 06:44:59

むかしむかし。

杖をつく一人の老婆が、街角でひとりの青年とぶつかり、地面に倒れてしまった。

膝を痛め、自力では立ち上がれない。

だが青年は手を差し伸べるどころか、冷たい言葉だけを浴びせ、そのまま去っていった。

そのときだった。

通りに、きらびやかな馬車が静かに止まる。

中から降り立ったのは、高潔な王子だった。

王子は、老婆の汚れた身なりに眉一つひそめることなく、その身体を優しく抱き起こす。

そして治療院へ運ぶため、当然のように自らの馬車へと乗せた。

温かな手が触れた、その瞬間。

奇跡が起きた。

老婆の姿は眩い光に包まれ、白い髪は艶やかな黒髪へと変わっていく。

皺だらけの肌はみるみる若さを取り戻し、やがてそこに現れたのは、息を呑むほど美しいひとりの令嬢だった。

老婆の正体は、悪い魔女に呪いをかけられた公爵家の令嬢。

その魔法を解く鍵は、見返りを求めない優しさだった。

令嬢はすぐに王子に恋をした。

そして二人は、いつまでも、いつまでも幸せに暮らしました――。

それは、『老婆姫』という物語だった。

マーガレットが幼い頃から何度も読み返してきた、大好きな物語である。

本を開くたび、彼女は主人公の令嬢に自分を重ねていた。

人は老いれば、やがて髪も白くなる。

だが、この国でただひとり、生まれながらに白い髪を持っていたのは彼女だった。

その容姿ゆえに、老婆令嬢と蔑まれる。

王都から遠く離れた田舎子爵家の娘である自分にも、いつか幸せは訪れるのだろうか。

そんな淡い期待と諦めの入り混じった思いを胸に、彼女は日々を過ごしていた。

だが、その日常はある日を境に一変する。

婚約者が決まったのだ。

相手は、その美貌と薄紫の髪から“藤の貴公子”と呼ばれ、社交界の中心に立つ男。

王都でも強い発言力を持つファーブリック侯爵家の一人息子、キルエン・ファーブリック。

あまりにも釣り合わない相手だった。

まるで、自分だけが『老婆姫』の物語の中へ迷い込んでしまったかのようだった。

ついに王子様が迎えに来てくれたのだ、と。

眩いほどに輝く幸福な未来を夢見て、こんな奇跡があってもいいのかと神に感謝した。

――あのときまでは。

愛に裏切られ、彼女が殺されてしまう、その瞬間までは。

結婚式を終え、いよいよ新婚旅行へ向かう日がやって来た。

行き先は、ランダーク伯爵家が管理する温泉地だという。

山間に抱かれた小さな観光地。

朝霧に濡れた木々の香りが漂い、湯けむりが屋根の隙間から立ちのぼる、静かな町――そう聞かされていた。

新婚旅行と聞けば、誰もが幸福に満ちた旅路を思い浮かべるだろう。

だが、そのときのマーガレットにとって、その言葉は重苦しい響きしか持たなかった。

胸の奥には、冷えた石のようなものが沈んでいる。

それはじわじわと重さを増し、胃の底にまで鈍い圧迫感を広げていた。

愛情の欠片もないまま、夫婦として旅をする。

それはもはや旅ではなく、光の差さない檻に閉じ込められることと何も変わらない。

その理由は、結婚式の披露宴――ダンスパーティの最中にまでさかのぼる。

豪奢なシャンデリアが光を砕き、きらびやかな輝きが会場全体を包み込んでいた。

その華やかな世界の中心で、マーガレットはキルエンと踊っていた。

腰を抱かれ、彼の導きに合わせて一歩ずつステップを踏む。

練習してきたはずの踊りなのに、心はどこまでも重かった。

笑顔を作ろうとしても、胸の奥では拭えない違和感が渦を巻き続けている。

婚約の儀式では、夫が妻に口づけを捧げる。

だが彼女の唇は最後まで触れられることがなかった。

勇気を振り絞り、マーガレットは問うた。

どうしても確かめなければならないことだった。

「あなたは口づけを避けた。私を愛する気などなかったのですね」

返ってきたのは、あまりにも軽い言葉だった。

――なんだ、そんなことを気にしていたのか。僕らは夫婦になったんだ。これから何度でもすることになるじゃないか。

こんなに近くに立っているのに。

彼のアメジストを思わせる美しい瞳は、マーガレットではなく、どこか遠くばかりを見ていた。

その瞬間、悟ってしまったのだ。

国王の前で誓った愛も、優しい微笑みも、すべて偽りだったのだと。

そこまで思い返せば、ため息が漏れるのも無理はなかった。

屋敷は驚くほど静かだった。

その静けさが、かえって心の暗さを際立たせる。

「……気が重い」

小さく漏れた声は、広い室内に吸い込まれるように消えていった。

屋敷の使用人たちは、皆休暇を与えられていた。

結婚式の後は、新郎新婦に感謝を捧げつつ、その余韻に浸る。

それが古くから続く貴族の習わしなのだと、昨日メイドのサーシャがにこやかに説明していた。

だが、いまの彼女にとって、その風習に有り難みなど微塵もなかった。

さらに追い打ちをかけるように、義母には急ぎの重要な仕事が入り、一人では対処できないため義父も同行することになったという。

朝早く、馬車へ乗り込む二人を見送った。

石畳を打つ馬の蹄の音だけが遠ざかっていき、やがて虚しく消えていく。

それで、屋敷にはキルエンと二人きりが残された。

まるで廃屋に迷い込んだようだった。

空気はひんやりと肌に貼りつき、物音ひとつしない。

もぬけの殻とは、まさにこういう状態を指すのだろう。

「さて……準備を始めましょうか」

マーガレットは鏡の前に立ち、旅支度を整えていく。

黒いプリーツスカート。

レースで縁取られた白いブラウス。

そこへ、晴れ渡る空を思わせる空色のスエードのコートを羽織る。

首元には黒いスカーフをふんわりと巻き、口元を隠した。

足元は同色のショートブーツ。

さらに毛糸の帽子をかぶり、最後にサングラスで目元まで覆い隠す。

それは、普段の彼女とはまるで違う装いだった。

藤の貴公子が結婚したことで、噂は平民にまで広がり、王都は大騒ぎになっている。

だから新婚旅行では、二人だと気づかれない服装にしよう――そう言ったのはキルエンだった。

その言葉を受けて、メイドのサーシャが慌てて揃えてくれた服である。

鏡に映る自分は、見慣れたマーガレットではない。

別人の真似をしているようで、どうにも落ち着かなかった。

そして――彼女が覚えているのは、そこまでだった。

このあたりの記憶は、どれもひどく曖昧だ。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。

マーガレットは、その新婚旅行の日に殺された。

そして一か月後、蘇りの秘薬によって再び生を得たのだ。

これは、失われた記憶をたどる物語。

愛そうと努力した夫に裏切られたひとりの女が、やがて激しく歪んだ執着を向ける伯爵に見初められ、再び愛という感情を知っていく物語である。

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