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第4話

Author: 忘憂
「やっぱり澪さんだ。さっき遠くから見て、そっくりな人がいるなって。でも景はこんなところにいるはずがないって〜」

彼女の視線が、私の手にある求人チラシに落ちると、すぐに意味ありげな笑みを浮かべた。

「なるほど、仕事を探してるんだ。でも、どうしてわざわざウェイトレスなんて選ぶの?」

「景さんに腹を立てたからって、自分をこんなふうに傷つける必要ないでしょ......?」

私は何も言わなかった。

この求人チラシは、さっき通りで配っていた女の子から受け取ったものだった。

真冬の寒い中で配っていたので、なんとなく受け取っただけだ。

私が黙ってチラシを握りしめているのを見て、音の目に得意げな光が一瞬走り、口元はますます上がった。

「仕事を探してるって言えばよかったのに。私にできることがあったかもしれないよ?」

「みんな家族なんだから澪さんがちゃんとしてくれたら、景の将来も、子どものためにも安心できるし、私も心配しないで済むわ」

その瞬間の私の沈黙は、まるで彼女の言葉を認めたかのようだった。

最初は困惑した表情を浮かべていた景の顔色が、一変する。

彼は眉をひそめ、唇を一文字に結び、私を見る目には軽蔑が浮かんでいた。

「手助けするまでもないよ。わざわざ医者の仕事まで辞めたんだ。今さら道端で飢え死にしても、誰も同情なんてしないだろう」

「澪、まさか子どもを諦めさせたいがために、ここまで手段を選ばなくなるとは思わなかったよ。がっかりしたぞ」

彼のよく知っているはずの顔を見ているのに、私は今、その顔にまったく見覚えがないような気がした。

思い出すのは、結婚したばかりの頃。

病院での内部競争が激しくて、ポジションが変わるかもしれないと悩んでいた私が、仕事を辞めて転職しようかと考えていたとき。

景は私を抱きしめながら、背中を優しくなでて言ったのだ。

「夫婦は一心同体。君がどんな決断をしても、俺は応援するよ」

「辞職なんて大したことないよ。澪のことは、俺がずっと支えていくから」

でも今は、彼は私が他の女に侮辱されても、ただ黙って見ているだけ。

かつての言葉も、かつての愛情も、今の彼にはもう何の意味もないらしい。

その後ろには、義父母もまた軽蔑したように首を振っていた。

「子どもも産めないくせに、家にもろくに帰らず、音の足元にも及ばないわ」

「お前みたいな女なら、景が他の人に行くのも当然だろう。文句言う前に、自分の魅力のなさを反省しな」

二人の言葉はどんどんエスカレートし、通りすがりの人たちもこちらを好奇の目で見始めた。

私は拳を握りしめ、爪が掌に食い込むのも構わず、ただじっと堪えていた。

口を開こうとしたそのとき、音が急に近づいてきた。

「私たち、今から家族写真を撮りに行くところなの。澪さんも一緒に行きましょうよ。これからの人生、景と子どもが頼りにしてるんだから」

私は彼女を一瞥したが、何も言わなかった。

それを見た景はすぐに不機嫌になり、音をかばうように抱き寄せ、冷たく鼻で笑った。

「音は優しいよ。でもこういう人に善意なんて通じないよ」

「そんな顔して誰に見せてるんだ?来たくないなら来るなよ。お前なんかが写ったら、家族写真の格が下がるだけだ」

そう言い捨てると、彼は音の手を引き、写真館の方へと歩き出した。

「じゃあ、もう行くね。澪さんは、引き続きお仕事探しがんばって〜」

立ち去る前、音は意味深な視線を私に投げかけた。

彼らの背中を見送りながらも、私の心にはもう何の波も立たなかった。

他人から見れば、どんなに仲の良い一家に見えることだろう。

でも、もしそれが景の望んだ未来なら、

私はもう、手放してあげよう。

残り三日でこの街を去るという時、院長からメッセージが届いた。

以前お願いしていた専門医が、ちょうど今日国内のフォーラムに出席しているので、義母の喘息を診てもらえるという内容だった。

義母はずっと喘息を患っていて、ここ数年は落ち着いていたものの、時々再発することもあり、以前は救急で運ばれたこともあった。

私がずっと体調管理をしていたのだ。

そのため、研修中も同僚たちにお願いして、喘息関連の症例を集めてもらっていた。

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