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第6話

Author: 夕凪 こと葉
もちろん、私は他の同僚たちと同じように、承弥と優奈の婚約を祝福するメッセージを送った。

そして——その直後に、彼に関するすべての連絡先を削除した。

飛行機が着陸し、A市の空港に降り立った私を、両親が出迎えてくれた。

母は私の手を取り、心配そうに顔を覗き込む。

「詩織……こんなに遠くで大学も就職も頑張って、ほら、こんなに痩せちゃって……」

父は私の肩をぽんぽんと叩いて、ほっとしたように言った。

「帰ってきてくれて、本当に良かった!」

その隣に——

まっすぐな背筋、広い肩に細身の腰。

年齢は私より数歳上だろうか。

上質なスリーピーススーツを纏った男性が、静かにこちらを見つめていた。

整った眉目に、柔らかな眼差し。

唇に浮かぶ薄い笑みが、不思議と胸をざわつかせる。

その視線に思わず頬が熱くなり、私は彼の正体にすぐ気づいた。

両親が微笑みながら紹介してくれる。

「詩織、こちらが祁堂煌真さんよ」

私は彼に手を差し出す。

彼も大きな手のひらで、そっと私の指先を包み込んだ。

「婚約者さん、おかえり」

その言葉に、私は顔中が真っ赤になった。

父と母は目を細めて笑い、まるで二人を押しつけるかのように、私の背中を煌真の方へと押してきた。

引いていたスーツケースも、煌真がさっと受け取ってくれる。

その瞬間、彼の視線が私の手首へと向いた。

「手首、どうしたの?」

私は咄嗟に言葉を選び、

「ちょっと……熱湯に触れてしまって……」

とだけ答えた。あんな惨めな出来事は、口にしたくなかった。

彼はほんのわずか目を細めたあと、

私の頭をやさしく撫でて、穏やかに微笑んだ。

「これからは、君は俺の妻なんだから。大事にされるのに、ちゃんと慣れておいて」

「……うん」

その優しさが、胸に刺さるように沁みた。

私はまだ、うまく受け止められない。

それでも——

家に着くと、煌真はすぐに薬箱を開けてくれた。

水泡を丁寧に潰し、傷口を清潔に拭いて、薬を塗ってくれる。

その所作は、まるで長年連れ添った伴侶のようだった。

私の心の中には、まだ前の関係の影が色濃く残っている。

そんな状態で、すぐに新しい関係に飛び込むのは、やはり戸惑いがあった。

けれど煌真は、そんな私の気持ちをすべてわかっているかのように、優しく言った。

「……急がなくていい
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