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言葉を拒む村

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-08-04 00:39:18

丘を越えた先に、その村はあった。

森に囲まれた小さな集落。

けれど、その静けさは自然の穏やかさではなく、不自然な沈黙に包まれていた。

「……なんか、変だな」

ユウリがつぶやいた。

村の中には人の気配がある。家の窓から人影が見え、洗濯物が風に揺れている。

けれど、誰ひとりとして声を発しようとしない。

こちらに気づいても、目を逸らし、足早に家へと戻っていく。

「歓迎されてない、ってことかな」

セリアが苦笑気味に言うが、笑いはすぐに消える。

村全体が、まるで“言葉そのもの”を恐れているようだった。

「……こんにちは」

ユウリが勇気を出して声をかけてみる。

近くにいた老女がびくりと肩を震わせた。

そして、恐る恐る口を開きかけたその瞬間——

ズキン、と頭に鋭い痛みが走った。

「……っ!」

ユウリは頭を押さえて膝をつく。

直後、セリアも顔をしかめてその場にしゃがみ込んだ。

「い、今のは……何?」

「わからない……けど、声を出した途端に……!」

老女は何も言わず、申し訳なさそうな目をして、ただ頭を下げると足早に去っていった。

「もしかして……言葉に反応する“呪い”?」

「可能性はあるね。詩の影響を受けた結界かも」

二人は言葉を交わすのをやめ、ジェスチャーで合図を送りながら村を歩き出す。

村の中央には、大きな大木が立っていた。根元には石造りの台座があり、その上に古びた本が封印されている。

本は鎖で縛られ、ページは風でめくれぬよう押さえつけられていた。

ただそこにあるだけで、周囲の空気が重く、圧し掛かるような圧力を放っている。

「……あれが、この村を縛ってる“詩”の正体かもしれない」

ユウリが無言でうなずく。

声を発すれば痛みが走る。

けれど、魔導書を読むには、言葉が必要だった。

沈黙の村に、ふたりの旅人は深く足を踏み入れていく。

セリアがゆっくりと台座に近づいた。

古びた魔導書は、錆びた鎖と重々しい鉄の枷で封じられている。

表紙は黒ずんでいたが、中央に刻まれた文様だけがわずかに光を放っていた。

“詩の結界”

その言葉が、セリアの脳裏をよぎった。

彼女は慎重に手を伸ばし、表紙の縁に指先を触れる。

その瞬間——

風が止まった。

次の瞬間、激しい魔力のうねりが村全体に広がる。

大木の根元から広がるように、薄く透明な膜が走り、村全体を覆う結界が再活性化した。

ユウリの喉に、鋭い痛みが走った。

「っ……!」

声を出す前に、身体が拒絶するような感覚。

喉が締まり、息を吸っても“言葉”が通らない。

セリアもまた、口を開こうとして顔をしかめた。

「声が……出ない……っ」

ふたりの身体に、無数の詩文が浮かび上がってくる。

まるで“話そうとしたこと”すら見透かされ、それが呪いの代償として刻まれていくようだった。

——言葉に痛みを。

——詩に罰を。

——記すことすら、禁じられた地。

ユウリは目を見開く。

この呪いは、“言葉そのものを憎んだ詩”の産物。

誰かが強い想いで、“沈黙”を願った結果だった。

魔法も使えない。詩も詠めない。

その時、森の外れにいた少年がひとり、姿を見せる。

彼だけが、何事もなかったかのように歩いてきた。

その手には魔導書もなく、声も持たない。

だが彼は、迷いなく台座に近づくと、そっと手をかざす。

刹那、空間が震えた。

少年の掌から滲み出た魔力が、封印の魔導書と共鳴した。

彼の中に、“詩を読まないまま読む”力があると知ったユウリは、息をのむ。

結界の一部がゆるみ、村の奥へとつながる道が現れる。

その先に——少女の気配があった。

現れた道を進んだ先にあったのは、村の奥にひっそりと佇む祠だった。

木々に覆われ、長らく人の手が入っていないのか、入口には苔と蔓が絡まっている。

けれどその中央には、確かに“誰かが眠っている”気配があった。

ユウリとセリア、そして無言の少年が祠の中へと足を踏み入れる。

そこには、透明な詩文の結界に包まれた石の祭壇があり、ひとりの少女が静かに横たわっていた。

年の頃はユウリと同じか、やや年下。

淡い銀髪が肩まで流れ、目元には疲れたような静けさ。

けれど、その額には小さく光る“花紋”が、かすかに脈打っていた。

「……花紋者?」

セリアが思わず息をのむ。

少女は眠っているのではなかった。

瞳をうっすらと開いている。だが、何も語らず、口も動かさない。

“話せない”のではなく、“話すことを封じられている”——そう感じさせる表情だった。

ユウリはそっと近づいた。

少女と目が合う。けれど、何も聞こえない。

その沈黙の中で、確かに“言葉にならない声”が、ユウリの胸に届いた。

(……助けて)

言葉ではなかった。音でもなかった。

ただ、その瞳の奥に宿る感情が、ユウリの心を揺さぶった。

「名前……ある?」

無理だとわかっていても、問いかけてしまう。

すると少女は、ごくわずかに唇を動かす——が、やはり声は出ない。

その代わりに、魔導書がひとりでに浮かび上がり、ページが一枚だけ開いた。

そこに書かれていたのは、詩文ではなかった。

ただひとつ、手書きの文字でこう記されていた。

《トア》

名前——それが、少女のすべてだった。

ユウリは魔導書を握りしめ、強く誓うように目を伏せた。

「俺が……お前の声になる」

ユウリは、トアの瞳から目を離さなかった。

言葉も、魔法も届かない場所にいる彼女の中に、何かが確かに咲こうとしていた。

それは、詩でも呪文でもない。もっと原始的で、もっと静かな“願い”。

——誰かに伝えたい。

それだけが、祠の空間を満たしていた。

「俺は、詩を咲かせるのが苦手だ。

ずっと、言葉が足りなかった。

だけど……今なら、わかる気がする。

言葉ってのは、届くためにあるんだ」

ユウリは、自分の魔導書をそっと開いた。

通常の詩文が記されたページではなく、まだ一度も使ったことのない白紙の最終頁。

そこに、彼は自分の言葉を――手で、書いた。

『トアへ

君の声は、ここにある。

だから、もう怖がらなくていい。』

それだけを綴ったページが、光を帯び始める。

詩文ではなく、“想いの綴り”が魔力として共鳴した瞬間だった。

祠を包む結界が軋み、透明な膜がひとつ、またひとつと崩れていく。

ユウリの本のページが勝手にめくられ、彼の書いた“言葉”が、音もなく空間に放たれていく。

それは花のようだった。

形も、色も、香りもないけれど、確かに“咲いて”いた。

誰の詩でもない。

誰かから教わった言葉でもない。

ただ、彼自身の“声”だった。

次の瞬間、トアの目元から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

「……ありが、と……」

かすれた、小さな声。

けれどその声が、確かに“結界を破った”。

祠を覆っていた詩の檻が完全に消失し、少女はゆっくりと身体を起こす。

「……トア……!」

セリアが驚いた声を漏らす。

少年も、ただ静かに彼女を見つめていた。

ユウリはそっと手を差し出した。

「行こう。君の言葉を、これから一緒に探そう」

トアは頷き、はじめて自分の意思でその手を取った。

静かに、旅がまた動き出した。

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