LOGIN丘を越えた先に、その村はあった。
森に囲まれた小さな集落。 けれど、その静けさは自然の穏やかさではなく、不自然な沈黙に包まれていた。 「……なんか、変だな」 ユウリがつぶやいた。 村の中には人の気配がある。家の窓から人影が見え、洗濯物が風に揺れている。 けれど、誰ひとりとして声を発しようとしない。 こちらに気づいても、目を逸らし、足早に家へと戻っていく。 「歓迎されてない、ってことかな」 セリアが苦笑気味に言うが、笑いはすぐに消える。 村全体が、まるで“言葉そのもの”を恐れているようだった。 「……こんにちは」 ユウリが勇気を出して声をかけてみる。 近くにいた老女がびくりと肩を震わせた。 そして、恐る恐る口を開きかけたその瞬間—— ズキン、と頭に鋭い痛みが走った。 「……っ!」 ユウリは頭を押さえて膝をつく。 直後、セリアも顔をしかめてその場にしゃがみ込んだ。 「い、今のは……何?」 「わからない……けど、声を出した途端に……!」 老女は何も言わず、申し訳なさそうな目をして、ただ頭を下げると足早に去っていった。 「もしかして……言葉に反応する“呪い”?」 「可能性はあるね。詩の影響を受けた結界かも」 二人は言葉を交わすのをやめ、ジェスチャーで合図を送りながら村を歩き出す。 村の中央には、大きな大木が立っていた。根元には石造りの台座があり、その上に古びた本が封印されている。 本は鎖で縛られ、ページは風でめくれぬよう押さえつけられていた。 ただそこにあるだけで、周囲の空気が重く、圧し掛かるような圧力を放っている。 「……あれが、この村を縛ってる“詩”の正体かもしれない」 ユウリが無言でうなずく。 声を発すれば痛みが走る。 けれど、魔導書を読むには、言葉が必要だった。 沈黙の村に、ふたりの旅人は深く足を踏み入れていく。 セリアがゆっくりと台座に近づいた。 古びた魔導書は、錆びた鎖と重々しい鉄の枷で封じられている。 表紙は黒ずんでいたが、中央に刻まれた文様だけがわずかに光を放っていた。 “詩の結界” その言葉が、セリアの脳裏をよぎった。 彼女は慎重に手を伸ばし、表紙の縁に指先を触れる。 その瞬間—— 風が止まった。 次の瞬間、激しい魔力のうねりが村全体に広がる。 大木の根元から広がるように、薄く透明な膜が走り、村全体を覆う結界が再活性化した。 ユウリの喉に、鋭い痛みが走った。 「っ……!」 声を出す前に、身体が拒絶するような感覚。 喉が締まり、息を吸っても“言葉”が通らない。 セリアもまた、口を開こうとして顔をしかめた。 「声が……出ない……っ」 ふたりの身体に、無数の詩文が浮かび上がってくる。 まるで“話そうとしたこと”すら見透かされ、それが呪いの代償として刻まれていくようだった。 ——言葉に痛みを。 ——詩に罰を。 ——記すことすら、禁じられた地。 ユウリは目を見開く。 この呪いは、“言葉そのものを憎んだ詩”の産物。 誰かが強い想いで、“沈黙”を願った結果だった。 魔法も使えない。詩も詠めない。 その時、森の外れにいた少年がひとり、姿を見せる。 彼だけが、何事もなかったかのように歩いてきた。 その手には魔導書もなく、声も持たない。 だが彼は、迷いなく台座に近づくと、そっと手をかざす。 刹那、空間が震えた。 少年の掌から滲み出た魔力が、封印の魔導書と共鳴した。 彼の中に、“詩を読まないまま読む”力があると知ったユウリは、息をのむ。 結界の一部がゆるみ、村の奥へとつながる道が現れる。 その先に——少女の気配があった。 現れた道を進んだ先にあったのは、村の奥にひっそりと佇む祠だった。 木々に覆われ、長らく人の手が入っていないのか、入口には苔と蔓が絡まっている。 けれどその中央には、確かに“誰かが眠っている”気配があった。 ユウリとセリア、そして無言の少年が祠の中へと足を踏み入れる。 そこには、透明な詩文の結界に包まれた石の祭壇があり、ひとりの少女が静かに横たわっていた。 年の頃はユウリと同じか、やや年下。 淡い銀髪が肩まで流れ、目元には疲れたような静けさ。 けれど、その額には小さく光る“花紋”が、かすかに脈打っていた。 「……花紋者?」 セリアが思わず息をのむ。 少女は眠っているのではなかった。 瞳をうっすらと開いている。だが、何も語らず、口も動かさない。 “話せない”のではなく、“話すことを封じられている”——そう感じさせる表情だった。 ユウリはそっと近づいた。 少女と目が合う。けれど、何も聞こえない。 その沈黙の中で、確かに“言葉にならない声”が、ユウリの胸に届いた。 (……助けて) 言葉ではなかった。音でもなかった。 ただ、その瞳の奥に宿る感情が、ユウリの心を揺さぶった。 「名前……ある?」 無理だとわかっていても、問いかけてしまう。 すると少女は、ごくわずかに唇を動かす——が、やはり声は出ない。 その代わりに、魔導書がひとりでに浮かび上がり、ページが一枚だけ開いた。 そこに書かれていたのは、詩文ではなかった。 ただひとつ、手書きの文字でこう記されていた。 《トア》 名前——それが、少女のすべてだった。 ユウリは魔導書を握りしめ、強く誓うように目を伏せた。 「俺が……お前の声になる」 ユウリは、トアの瞳から目を離さなかった。 言葉も、魔法も届かない場所にいる彼女の中に、何かが確かに咲こうとしていた。 それは、詩でも呪文でもない。もっと原始的で、もっと静かな“願い”。 ——誰かに伝えたい。 それだけが、祠の空間を満たしていた。 「俺は、詩を咲かせるのが苦手だ。 ずっと、言葉が足りなかった。 だけど……今なら、わかる気がする。 言葉ってのは、届くためにあるんだ」 ユウリは、自分の魔導書をそっと開いた。 通常の詩文が記されたページではなく、まだ一度も使ったことのない白紙の最終頁。 そこに、彼は自分の言葉を――手で、書いた。 『トアへ 君の声は、ここにある。 だから、もう怖がらなくていい。』 それだけを綴ったページが、光を帯び始める。 詩文ではなく、“想いの綴り”が魔力として共鳴した瞬間だった。 祠を包む結界が軋み、透明な膜がひとつ、またひとつと崩れていく。 ユウリの本のページが勝手にめくられ、彼の書いた“言葉”が、音もなく空間に放たれていく。 それは花のようだった。 形も、色も、香りもないけれど、確かに“咲いて”いた。 誰の詩でもない。 誰かから教わった言葉でもない。 ただ、彼自身の“声”だった。 次の瞬間、トアの目元から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 「……ありが、と……」 かすれた、小さな声。 けれどその声が、確かに“結界を破った”。 祠を覆っていた詩の檻が完全に消失し、少女はゆっくりと身体を起こす。 「……トア……!」 セリアが驚いた声を漏らす。 少年も、ただ静かに彼女を見つめていた。 ユウリはそっと手を差し出した。 「行こう。君の言葉を、これから一緒に探そう」 トアは頷き、はじめて自分の意思でその手を取った。 静かに、旅がまた動き出した。それから、一年が経った。八人は世界中を旅し、無数の街や村を訪れていた。言葉の守護者として、人々を助け、言葉の大切さを伝え続けている。ある日、八人は懐かしい場所へ戻ってきた。「無音図書館」——旅の最初に訪れた場所の一つ。「懐かしいわね」セリアが微笑む。図書館の前には、サイレンティウスが立っていた。今では「調和司書」として、多くの人々に慕われている。「お帰りなさい」サイレンティウスが温かく迎える。「言葉の守護者たち」「ただいま」八人が笑顔で応える。図書館の中は、以前とは様変わりしていた。静かに読書する人々もいれば、活発に議論する人々もいる。静寂と音、両方が調和している。「素晴らしい場所になったわね」トアが感動する。「あなたたちのおかげです」サイレンティウスが礼を言う。八人は他の街も訪れた。「真語市」では、フォルサスが優しく真実を伝える詩を朗読していた。「共存市」では、ミラーリア女王が多様な視点を尊重する街作りを進めていた。「多様表現市」では、ヴォイスとソノラスが手話と音声の両方を教えていた。「調和市」では、パーフェクタが個性を育てる教育をしていた。すべての街が、八人の教えを守り、言葉を大切にしていた。「みんな、幸せそうね」エスティアが嬉しそうに言う。「ああ」ユウリが頷く。「俺たちの旅は、無駄じゃなかった」しかし、旅はまだ続く。新しい街で、新しい問題が待っている。八人は、それらを一つ一つ解決していく。ある街では、言葉の壁で苦しむ人々を助けた。別の街では、誤解で争う人々を仲裁した。また別の街では、沈黙に閉じこもる人々を救い出した。八人の名声は、世界中に広がっていった。
絶対沈黙を救った八人は、ついに最後の場所に到着した。「言葉の聖域」——そこは、想像を超える美しさだった。無数の言葉が光となって舞い、虹色の輝きを放っている。「ありがとう」「愛してる」「頑張れ」「ごめんなさい」——世界中のすべての言葉が、ここで生まれ、ここへ還る。聖域の中央には、巨大な泉があった。そこから、新しい言葉が湧き出ている。「これが……言葉の源……」セリアが感動する。泉のそばに、ロゴスが立っていた。「よく来ましたね」ロゴスが微笑む。「最後の試練を、すべて乗り越えて」「ロゴス様……」ユウリが一歩前に出る。「あなたたちは、本当の意味で『言葉の守護者』となりました」ロゴスが八人を見つめる。「ニヒルワードを救い」「セレクトの試練を乗り越え」「アブソリュート・サイレンスを救済した」「これ以上の資格を持つ者は、いません」ロゴスが泉を指差す。「さあ、見てください」「これが、言葉の真実です」八人が泉を覗き込むと、そこには世界のすべてが映っていた。優しい言葉で癒される人々。励ましの言葉で立ち上がる人々。愛の言葉で結ばれる人々。しかし同時に——傷つける言葉で泣く人々。罵倒の言葉で絶望する人々。嘘の言葉で裏切られる人々。光と影、両方がある。「言葉は、完璧じゃない」ロゴスが語る。「人を幸せにすることもあれば、不幸にすることもある」「癒すこともあれば、傷つけることもある」「それが、言葉の真実です」ユウリが頷く。「それでも……」「言葉は必要だ」「なぜ?」ロゴスが問いかける。「不完全で、
完全な沈黙が、世界を支配した。八人は声を出そうとするが、音が出ない。魔法を発動しようとするが、詠唱ができない。心の声すらも、届かない。アブソリュート・サイレンスの力は、絶対的だった。「無駄だ」アブソリュートだけが、声を発することができる。「私の領域では、私以外は沈黙する」「お前たちは、言葉を守ると言った」「だが、言葉がなければ何もできない」「それが、言葉の弱さだ」アブソリュートが手を振ると、八人に攻撃が襲いかかる。沈黙の刃、無音の爆発——声を出せない八人は、防御も反撃もままならない。「くっ……」ユウリが吹き飛ばされる。セリアが癒しの魔法を使おうとするが、詠唱できない。トアが花を咲かせようとするが、言葉が出ない。八人は、ただ一方的に攻撃を受ける。「これが現実だ」アブソリュートが冷たく言う。「言葉に頼る者は、言葉を失えば無力」「私は何千年も前から、言葉の脆さを知っていた」「だから、すべての言葉を消し去ることにした」空間に、アブソリュートの過去が映し出される。遥か昔、彼は偉大な詩人だった。その言葉は人々を動かし、国を変え、歴史を作った。しかし——彼の言葉は、戦争を引き起こした。彼の詩は、憎悪を煽った。彼の演説は、無数の命を奪った。「私の言葉が……人を殺した……」古代のアブソリュートが絶望する。「なら、言葉など消してしまえ」「二度と、私の言葉で誰も傷つかないように」彼は究極の魔法を編み出し、自らを「絶対沈黙」へと変えた。そして何千年も、言葉を消し続けてきた。「あなたも……言葉で苦しんだのね……」セリアが声にならない言葉で思う。しかし、アブソリュートには届かない。
ニヒルワードを救ってから二日後。 八人は奇妙な分岐点に立っていた。 二つの道がある。 一方は「言葉の世界」へ続く道——これまで歩いてきた道。 もう一方は「沈黙の世界」へ続く道——言葉が存在しない世界への道。 「これは……」 セリアが戸惑う。 道の間に、一人の存在が立っていた。 それは光でも闇でもない、中立の存在。 「ようこそ、選択の地へ」 存在が語りかける。 「私は『選択の番人』セレクト」 「選択の番人……?」 ユウリが問う。 「そうです」 セレクトが二つの道を指差す。 「あなたたちに、選んでもらいます」 「言葉のある世界で生きるか」 「言葉のない世界で生きるか」 八人が驚く。 「言葉のない世界……?」 トアが首を傾げる。 「はい」 セレクトが「沈黙の世界」への道を示す。 その道の先には、美しい光景が広がっていた。 人々が笑顔で暮らしているが、誰も言葉を発していない。 すべてが、心の繋がりだけで成立している世界。 「言葉がなければ、誤解もありません」 セレクトが説明する。 「傷つけることもありません」 「嘘もありません」 「心と心が直接繋がり、真実だけが伝わる」 確かに、その世界は平和に見えた。 争いもなく、悲しみもなく、ただ穏やかな日々が流れている。 「一方、言葉のある世界は……」
言葉の源流を後にして一日後。八人は異様な気配を感じた。空が暗くなり、風が冷たく、すべての音が歪んでいく。「これは……」セリアが警戒する。前方から、巨大な黒い影が現れた。それは人の形をしているが、顔は見えない。全身から、言葉への憎悪が溢れ出ている。「ようやく……見つけた……」影が低い声で呟く。「お前たちが……『言葉の守護者』か……」影から、恐ろしい圧力が放たれる。これまでの敵とは、格が違う。「誰だ、お前は!」ユウリが身構える。「私は……」影がゆっくりと姿を現す。それは、かつて人間だった何か。無数の言葉の傷跡が、体中に刻まれている。「『言葉の破壊者』ニヒルワード」影が名乗る。「言葉を、この世から消し去る者だ」空間に、ニヒルワードの過去が映し出される。彼は幼い頃から、言葉によって傷つけられ続けた。親からの罵倒、友人からの裏切り、恋人からの拒絶——「お前は無価値だ」「生まれてこなければよかった」「死んでしまえ」無数の言葉が、彼を殺し続けた。やがて彼は、すべての言葉を憎むようになった。「言葉など、この世に要らない」若きニヒルワードが絶望する。彼は禁断の魔法を習得し、「言葉の破壊者」となった。目的は一つ——世界からすべての言葉を消し去ること。「そうだったのか……」セリアが理解する。「でも、それは……」トアが言いかける。「黙れ!」ニヒルワードが叫ぶ。その叫びが、言葉を破壊する魔法となって放たれる。「《言語崩壊・虚無への帰還》」周囲のすべての言葉が消滅し始めた。看板の文字が消え、本の中身が真っ白になり、人々の会話が無音
真心村を後にして二日後。八人は、旅の終わりが近づいていることを感じていた。空気が変わり、風が違う意味を持ち始めている。「もうすぐね……」セリアが呟く。「ああ」ユウリが頷く。「言葉の源流が、近い」これまで八十以上の街や村を巡り、様々な言葉の問題と向き合ってきた。そして、ついに——前方に、巨大な光の柱が見えた。「あれが……」トアが息を呑む。「言葉の源流」八人が声を揃える。光の柱の根元に向かうと、そこには古代の神殿があった。「原初言語の神殿」と呼ばれる、世界で最初の言葉が生まれた場所。神殿の入り口には、不思議な文字が刻まれている。それは、どの言語でもない——いや、すべての言語の原型。『言葉を理解する者のみ、入ることを許す』八人が神殿に近づくと、扉がゆっくりと開いた。中は幻想的な空間だった。無数の言葉が光となって飛び交い、美しい交響曲を奏でている。「綺麗……」マリナが見とれる。神殿の最奥に、一人の存在が座っていた。それは老人でもあり、子供でもあり、男性でもあり、女性でもある——すべての姿を同時に持つ、不思議な存在。「ようこそ」存在が語りかけてくる。その声は、すべての言語で同時に聞こえた。「私は『言霊の守護者』ロゴス」「言葉の源流を守る者です」「ロゴス……」ユウリが一歩前に出る。「あなたたちの旅を、ずっと見ていました」ロゴスが微笑む。「よく、ここまで辿り着きましたね」「私たちは……」セリアが言葉を探す。「知っています」ロゴスが頷く。「あなたたちは、言葉の真実を求めて旅をしてきた」「そして、多くのことを学びました」