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読めない魔法と、語らない少年

作者: 吟色
last update 最終更新日: 2025-08-03 02:30:42

足元の草がざらりと鳴った。

森の奥深く、そこは明らかに“何かが違う”空間だった。

風の流れは不規則で、葉擦れの音も不自然に間延びしている。

空気そのものがねじれているような感覚——それが“詩の干渉領域”。

「この先……普通の地形じゃないかもしれない」

セリアが立ち止まり、周囲を見渡す。

彼女の魔導書のページが、一枚だけふわりと浮き上がった。

文字がにじみ、読めないほどに歪んでいる。

「詩が……乱れてる?」

「うん。“咲かれなかった詩”や、“読まれなかった記録”が沈んだ場所に近いと、こうなることがあるの。

空間そのものが“未読の言葉”に引きずられて、現実が揺らぐのよ」

ユウリも自分の魔導書を開く。

すると、一ページが勝手にめくられ、そこに奇妙な詩文が浮かび上がった。

それは詩というにはあまりに未完成だった。

単語の羅列、断片的な韻、途中で終わった言葉たち。

けれどその断片が、なぜか心に引っかかる。

「これ……なんだろう。俺の記憶じゃないのに、懐かしい感じがする」

「それ、“記録反応”かもね。誰かの“読めなかった言葉”が、この空間を通して共鳴してるのかもしれない」

そう言い終わるか終わらないかのうちに、空気が揺れた。

草の色が一瞬だけ褪せ、空が白く反転する。

景色が砂のように崩れ、別の何かへと塗り替わる。

幻覚——そう呼ぶにはあまりに生々しい。

“何かの記憶”を、無理やり見せられているかのような強制力がそこにはあった。

「っ……ユウリ、目を閉じて!」

セリアがとっさに詠唱を始める。

癒光の詩が空間を包み、歪みを押し戻していく。

ユウリは目を閉じながら、ただ一つの“気配”を感じていた。

——誰かが、いる。

それは、森の奥から流れてきた。言葉のない、けれど確かに“呼ばれている”ような、そんな感覚。

「……誰かが、読まれるのを待ってる」

ユウリの声に、セリアがそっと魔導書を閉じた。

そして二人は、言葉なき呼び声に導かれるように、森の奥へと足を踏み入れた。

森の奥は、不自然なほど静かだった。

風も止み、木々のざわめきさえ途絶えている。

そこに立っていたのは、ひとりの少年だった。

年齢はユウリより少し下に見える。

灰色の髪は短く整えられ、瞳はどこか虚ろ。

身なりはぼろぼろで、手には魔導書らしきものは見当たらない。

「……人?」

ユウリがつぶやいた瞬間、少年の背後に何かが浮かび上がった。

まるで“詩の残響”のような、形のない魔力の揺らぎ。

少年はなにも言わず、なにも読まず、ただ手を前に出した。

すると、地面から咲いた。

光の花——それは雷にも火にも似ていない、ただの“気配”のような魔法だった。

けれど、確かに空間をねじ曲げ、干渉領域の歪みを押し戻していく。

「……詠唱が、ない……?」

セリアが息をのむ。

「魔導書もない……なのに、どうして……?」

ユウリは目を見開いていた。

自分たちが必死で読んでいた“詩”を、この少年は言葉ひとつ発さずに咲かせていた。

少年は振り返らない。

ただ、森のさらに奥へと歩いていく。まるで“来い”と言わんばかりに。

ユウリは一瞬だけセリアを見た。

彼女は無言でうなずく。

「……追うよ」

「うん」

二人は、少年の背を追った。

その歩みはまるで、忘れられた本のページを一枚ずつめくっていくようだった。

やがて、森がひらける。

そこには苔むした廃屋と、崩れた小さな祠。

誰かがかつて暮らしていた痕跡が、静かに息を潜めていた。

そして、少年はその場で立ち止まる。

何も言わず、振り返らず、ただ、静かにそこにいた。

まるで、誰かの“記憶”そのものが立っているようだった。

少年が立っていたその場所には、かつて人が暮らしていた形跡があった。

半壊した家屋、風化した家具。床には朽ちた日記の切れ端や、割れた食器。

すべてが時の流れに飲まれ、そこに誰かがいたという記録だけを残していた。

「ここ……村だったのか」

ユウリが辺りを見渡しながらつぶやく。

セリアはゆっくりと地面に膝をつき、土に埋もれていた石板を指先で払った。

「……見て」

石板の表面に、詩文のような文字が刻まれていた。

けれどそれは通常の魔導書に記された“詩”とは違い、感情の断片のようだった。

「これは……誰かの記録?」

「ううん。これは“詩”だよ。けれど、読むためじゃなく、遺すための詩」

その言葉に、ユウリは黙って見入った。

内容は断片的だった。

『言葉を忘れた』『詠う声が出ない』『それでも咲かせた』

そんな記録が、途切れ途切れに続いている。

「……言葉を失っても、魔法が咲いたってことか?」

「そうみたい。読み上げる詩じゃなく、“記憶”で読んだ……そう書いてある」

ユウリは視線をあげた。

あの少年が、魔導書も詩も使わずに咲かせた魔法を思い出す。

「……じゃあ、あの子が」

「記憶で読む詩……そんなこと、本当にできるのかな」

セリアの声には、わずかな震えがあった。

それは常識の否定でもあり、自分たちが積み重ねてきた“魔法の在り方”への揺さぶりだった。

少年は何も言わない。

だがその背中からは、確かに何かを伝えようとする意志があった。

読めない詩のように、形にはならず、意味だけが残る感情。

ユウリはゆっくりと歩み寄った。

少年の横に立ち、もう一度その顔を見ようとした。

だが、少年は一歩、距離を取った。

まるでそれ以上は“近づいてはいけない”とでも言うように。

「……まだ、言葉にはならないんだね」

ユウリは魔導書をそっと閉じた。

そして、黙ったままの少年と、静寂の中に立ち尽くした。

風が吹いた。

木々の隙間から差し込む光が、少年の輪郭を淡く照らす。

その姿は、まるで物語の中から抜け出してきた登場人物のようだった。

ユウリは、迷いながらも口を開いた。

「……名前、あるのか?」

少年は答えなかった。

ただ一度、瞳が揺れた。けれど声は出さない。口も動かさない。

「聞こえてるなら、それでいい。言葉じゃなくても……伝えられることがあるって、少しだけわかったから」

セリアが、静かにユウリの隣に立った。

「あなたの魔法は、たしかに咲いてた。詩も、言葉もないのに。

もしかしたら、それは“記憶”で読まれた詩なのかもしれない」

少年のまなざしが、ほんの一瞬だけ彼女に向く。

けれどやはり、言葉はない。

「無理に追わない。けど……」

ユウリが言いかけたその時、少年が踵を返して歩き出した。

森の奥へ、声ひとつ発さずに去ろうとする。

その背中を見つめていると、ふとした瞬間——

少年のうなじあたりに、淡く光る模様が浮かんだ。

それは“花”に似ていた。

花紋——ユウリの手の甲と同じ、けれどどこか歪んだ、複雑な輪郭。

「今……見えた?」

「……うん。あれ、花紋だったよね」

「でも、あんな形……」

セリアは言葉を濁した。

ユウリもまた、混乱と興味の間で言葉を失っていた。

少年の姿は、すぐに木々の影に溶けた。

まるで初めから存在しなかったかのように。

残された静寂の中、ユウリは胸元の魔導書をそっと抱えた。

「行こう。次の標を探すんだろ?」

「ええ。あの子のことも、ちゃんと残しておこう。言葉にならない記憶だとしても」

二人は歩き出した。

やがて、木々の向こうで陽光が揺れ、旅の続きを照らしていた。

その陰で、さっきの少年が一人、じっと立ち尽くしていた。

無表情なまま、それでもわずかに——その指先が、何かを“読もう”としていた。

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