Masukバカで純粋で厄介なガキだと思いつつも、和彦はそんな千尋が嫌いではなかった。尻尾を振って頭を撫でてくれるのを待つような犬っころぶりが、愛しくすらある。
「――……先生、入れるよ」 内奥から指が引き抜かれ、我慢できないように千尋の高ぶりが擦りつけられてくる。ビクリと背をしならせた和彦は、慌てて制止する。 「バカっ……、こんなところでやめろっ」 「オヤジとなら、車の中でもいいのに?」 和彦が言葉に詰まると、すかさず千尋のものが内奥に侵入してくる。 「うあっ……」 「先生、正直だね。俺、鎌をかけただけなのに」 悔しくて唇を噛んだ和彦だが、すぐに堪え切れない声を上げることになる。千尋に腰を掴まれ、生気を漲らせた猛々しい欲望を内奥に突き込まれたからだ。 「ああっ、あっ、あっ、んああっ」 鉄製のドアとはいえ、こんなに声を上げてしまっては通路にまで響いてしまうとわかってはいるが、あえて和彦に声を上げさせるように、千尋は腰を突き上げてくる。 痛みと異物感が嵐のように和彦の中を駆け巡り、吐き気すら催しかけたが、欲望を和彦の内奥深くにしっかり埋め込んで吐息を洩らした千尋は、すかさず今度は快感を与えてくる。 和彦のものを片手で握って素早く扱きながら、胸の突起を弄り始めた千尋が、舌先で耳朶を舐めてきた。 「千尋……」 「先生はペットと遊ぶ感覚だったかもしれないけどさ、俺、けっこう本気で、先生にハマってたんだよ。医者なんてしてる先生みたいにカッコイイ人がさ、年下の俺の下で喘いで、甘やかしてくれて、話をきちんと聞いてくれて。この人には、絶対に俺の家のことは知られたくないと思ったんだ。ずっと先生に相手してほしかったから。組のことを知ったうえで、俺とつき合ってくれるなんて都合いいこと、あるわけないしね」 内奥に収まった千尋のものがゆっくりと動かされ、粘膜を擦られる。途端に腰から背筋にかけて、ゾクゾクするような疼きが駆け上がってきた。 「あっ……、うぅっ」 「なのに、この状況だろ? 俺の大事な人が、オヤジに取られたんだ。あのオヤジのことだから、どうせ汚い手を使ったんだろうけど、俺と先生を引き離したいだけなら、オヤ「……悪いが、さすがに今日は、遊んでやれないぞ。お前と一緒にできることと言ったら、せいぜい同じベッドで、仲良く並んで寝ることぐらいだ」「うん、それでもいいよ」 本当に嬉しそうな顔で返事をするから、千尋は怖い。和彦は大きくため息をつくと、千尋の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。「昼食にはまだ早いから、コーヒーぐらいならつき合える」「コーヒーはいいから、マンションに帰る前にちょっとだけ俺につき合ってよ。すぐに済むから」 何事かと、露骨に訝しむ視線を和彦が向けると、苦笑しながら千尋に腕を取られて引っ張られる。「先生、鷹津って刑事相手に、派手にやらかしたんだろ」「失敬な。派手にはやらかしていないぞ。円満に話し合いを――」 千尋からニヤニヤと笑いかけられ、和彦は顔をしかめる。鷹津との間でどんなやり取りを交わしたか、和彦自身の口から説明はしなかったのだが、あのとき側にいた組員によって詳細に長嶺組内に伝わったらしい。 エレベーターに乗り込みながら千尋は、まるで自分のことのように嬉しそうに語る。「オヤジとやり合ったこともある嫌な刑事相手に、一歩も引かなかったんでしょ? 先生って荒っぽいことは絶対嫌ってタイプかと思ってたけど、なんか最近、どんどんイメージが変わってきてるよ」「それは……、堅気らしくなくなってきたってことか?」「そういうんじゃなくてさ、なんていうか――、うちの組の連中は最初、先生のことを、オヤジが気まぐれで連れてきた風変わりな愛人としか思ってなかったんだ。俺もそれは肌で感じてた。だけど、今はそう思ってない。先生は、オヤジや俺だけじゃなく、組そのものにとって必要な人になった」「そうやって甘いことを言うのが――」「ヤクザの手口?」 言いたいことを先に言われ、ますます和彦は顔をしかめて見せる。すると千尋は楽しそうに声を上げて笑った。 ただ、和彦にとっては笑いごとではない。ヤクザに認められるということは、世間からの乖離が大きくなったということだ。ヤクザの世界に馴染んでいき、抜け出せなくなりそうな感覚は日々味わっているうえに、鷹津と対峙
**** 和彦は十日ほど、自宅に戻れない日々が続いた。一時も目が離せない患者に付き添い、容態が落ち着くのを待ってから、早急に二度目の手術を行う必要があったからだ。 ヤクザのオンナなどになってから、もっとも禁欲的な日々だったかもしれない。患者の傍らにいる間、とてもそんな気分にはならなかったし、何より、医療行為以外に使う体力が残っていなかった。 賢吾と千尋、それに三田村が部屋を訪れなかったのは、幸いといえるだろう。 床に敷いたマットの上で寝返りを打った和彦は、少しも疲れが取れていないのを自覚しつつ、仕方なく体を起こす。最初から仮眠程度のつもりで横になったのだ。 部屋を出ると、組員二人がダイニングで雑魚寝をしていた。和彦が外に出られないため、ここでの生活や治療に必要なものを彼らに頼んで運び込んでもらっているが、本来の仕事は、護衛だ。マンションの周囲でも、長嶺組の組員たちが交代で見張っているらしい。 恐れているのは他の組の襲撃などではなく、警察――というより、鷹津だ。令状をでっち上げて踏み込んでくる事態を想定しているのだ。 患者を動かせないため、別の部屋に移動するわけにもいかず、和彦だけでなく、長嶺組にとっても緊張感の高い日々が続いているようだ。 顔を洗って戻ってくると、もう一人の組員がテーブルの上にせっせと朝食を並べていた。目が合うと、いかつい顔に似合わない笑顔とともに、聞きもしないのに教えてくれた。「いつもの、組長からの差し入れです」 どこかのレストランで作らせた朝食を、毎朝賢吾はこの部屋に運び込ませている。和彦の体調に配慮しているらしい。朝からこんなに食べられないという訴えは、当然のように無視されていた。 朝食をとる前に和彦は、患者の様子を診る。二度目の手術も終え、容態は安定している。ただ、固形物を食べられるようになるには、しばらく時間はかかるだろう。刃物で裂かれた臓器をあちこち縫い合わせているため、当分はベッドの上での生活となる。 傷が癒えても、日常生活ではかなり苦労するだろうが、少なくとも一命は取り留めた。この結果に賢吾は満足したようだ。 点滴や、傷口の
患者の容態が気になるが、焦りを読み取られないよう、和彦は必死に強気を装う。すると鷹津は唇を歪めた。「――今日は、肝が据わった目をしてるな。ヤクザのオンナらしくない、ムカつく目だ」「なんとでも言ってくれ」 ここで鷹津が、脱ぎかけていた靴を履き直す。そして和彦に笑いかけてきた。「俺の用は、お前に携帯電話を届けにきただけだからな。友人同士、楽しくお茶を飲んでいたところを邪魔して悪かった」「いいえ。ご親切にありがとうございました」 たっぷりの皮肉を込めた会話を交わし、このまま鷹津は玄関を出ていくかと思ったが、ふと何かを思い出したように振り返った。思わず舌打ちしそうになった和彦だが、寸前で堪える。「まだ何か?」「携帯電話を届けてやったんだから、礼に茶の一杯ぐらい飲ませてもらえないかと思ったんだ。なんなら、ここで飲んでやってもいい」 和彦は、鷹津を睨みつける。さっさと帰れと追い返そうとしたところで、のらりくらりと躱されるだけだと、一瞬にして悟った。 どうするべきか――。そう考えたのは、わずかな間だった。「お茶なんかより、もっといいものがある」 和彦の提案に、鷹津は薄笑いを浮かべた。「興味があるな。なんだ」「――ヤクザのオンナからのキス」 鷹津の表情が凍りついたのを、和彦は見逃さなかった。畳み掛けるように言葉を続ける。「滅多にもらえないものだろ。男も女も関係なく、あんたは誰からも好かれそうにないからな。ぼくからの〈好意〉だ。受け取ってくれるだろ?」 鷹津は、何も言わなかった。唇を引き結び、憎々しげに和彦を睨みつけて玄関を出ていく。和彦はドアがゆっくりと閉まるのを見届けてから、即座に鍵をかける。 鷹津がまたやってくるのではないかという危惧もあるが、悠長に身構えている時間はなかった。 この先の対応は、長嶺組の人間で決めてくれと言い置いて、急いで手を洗い直してから患者の元に戻る。 自分の言動が鷹津を刺激したのは確実で、どんな報復があるのだろうかと怖くもあるのだが、今は、手術に集中する。それが和彦の役目で、面倒事の始末は、ヤクザの役目だ。
射殺されそうな眼差しを鷹津から向けられた。普段の和彦であれば怯むどころか、足が震えるだろうが、今は違う。嫌悪感しか与えてこない鷹津に一撃を与えられたと、ただ確信していた。 今度は和彦が、ニヤリと笑う番だった。ここまでの慇懃な口調をかなぐり捨て、挑発的に言い放つ。「その様子だと、あんたにも有効みたいだな、この手は。――なら、さっそく見せてもらおうか。一般市民がお茶を飲んでいるところに押しかけてきて、部屋を見せろと言い張る根拠ってやつを」「一般市民? ヤクザのオンナが、人並みのこと言うな」「そのことを責めるなら、やっぱり根拠が必要だ。ヤクザと寝ることは犯罪だという、根拠が。一般市民の住居に踏み込むのに、刑事の道徳心を振りかざすだけでどうにかなると思ってるのか、あんた」 和彦と鷹津は睨み合う。先日、秦と一緒にいるところを急襲されたときは、この得体の知れない男相手にどう対処すればいいのかわからなかった。何より、一般人である秦に迷惑をかけられないという思いがあった。 しかし今の和彦は、人一人の命をこの手に預かっている最中だ。だからこそ自分の身を守らなければならない。皮肉だが、和彦のこの姿勢は、部屋で身を潜めている組員たちを守ることにもなる。 冷静に考えてみれば、この場で鷹津に救いを求めれば、何もかも終わるはずなのだ。どれだけ嫌悪していようが、刑事という鷹津の立場は強力だ。和彦を確実に、長嶺組から切り離してくれるだろう。だが、そんなことはできないと、自分でわかっていた。 和彦は、自分が置かれた境遇に愛着にも似た感情を抱き始め、それを簡単には投げ出せない。「どうしても入りたいと言い張るなら、警察と弁護士立ち会いの下でだ。ここに警察はいる、なんて言うなよ。まともな警察を呼ぶ。……もっとも、まともな警察なら、ぼくじゃなく、あんたを排除すると思うが」 どうする、と低く問いかけると、鷹津は返事をしないまま、ただ和彦を見つめてくる。身を潜めた大蛇のように、ただ静かでひんやりとした賢吾の目とは違い、今日の鷹津の目はドロドロとした感情で澱み、熱を孕んでいる。燃え上がることのない、燻り続けるだけの厄介な熱だ。
動揺は、鷹津に対する嫌悪感が押し殺してくれる。それほど和彦は、鷹津という刑事が苦手――というより、生理的に受け付けられない。理屈を必要としないほど、嫌いなのだ。「何か用でしょうか、刑事さん」 素っ気なく問いかけた和彦の目の前に、携帯電話が突き出される。和彦が落としたものだ。思わず鷹津を睨みつけると、笑って言われた。「わざわざ届けてやったのに、いらないのか?」 仕方なく受け取ろうとしたが、寸前のところで躱された。このときにはもう、鷹津は笑みを消し、恫喝するような鋭い表情となっていた。「ここで何をしている?」 今度は、和彦が笑みを浮かべる番だった。背後の組員をちらりと振り返ってから答える。「〈友人〉と、お茶を飲みながら談笑していたんですよ」「ヤクザのお友達か?」「さあ。友人は友人ですよ。……最近の警察はサービスがいいですね。携帯電話をわざわざ、友人とお茶を飲んでいる場所にまで届けてくれるなんて」 和彦が手を差し出すと、やっと鷹津は、てのひらに携帯電話をのせる。が、携帯電話ごと手を握り締められていた。鷹津の体つきそのものの、大きくごつごつとした硬い手だ。「――こんなところで、ヤクザのオンナとヤクザが何をしている? 只事じゃないはずだ。長嶺組の組員が、わざわざお前を迎えに来て、ここに連れてきたんだ。中で、何かしているはずだ」「だからお茶を――」「ふざけるなっ」 鷹津が大声を上げ、鉄製のドアを拳で殴りつける。その迫力に身が竦んだ和彦だが、意地でも表情は動かさなかった。鷹津の手を乱暴に振り払い、携帯電話を取り戻す。 大きく息を吐き出し、あくまで落ち着いた口調で応じた。「友人に迎えに来てもらって、お茶を飲みながら話していたんですよ。それは違うと言い張るなら、何か証拠でもあるんですか」「中を見せろ」「かまいませんよ」 和彦の返事に、背後で組員が小声で呼びかけてきた。「先生、それは――」 ニヤリと笑った鷹津がさっそく靴を脱ごうとしたが、すかさず和彦は、片手を突き出した。「ぼくは医者なんで詳
「先生の知り合いで、渡したいものがあると言い張っているんです。そもそも、今ここに先生がいることは、組員でも一部の者しか知りません。多分、先生を乗せた車が尾行されたんだと思います。相手が本当に刑事かというのも怪しいですが、ここに長嶺の人間がいるとわかったうえで、先生と会わせろと言っているのだとしたら、厄介です。もし刑事なら、下手をしたら踏み込まれるおそれもあります」 あることが脳裏を過り、和彦は尋ねずにはいられなかった。「ドアの向こうにどんな男がいるか、レンズを覗いてみたか?」「大柄で、濃い顔をした男です。歳は、四十になるかならないかぐらいで。それに、レンズの死角に入っていてよく見えませんが、いるのは一人ではないようです」 それを聞いて和彦は、乱暴に息を吐き出す。忌々しいが、ここに押しかけてきた男が誰なのか、わかってしまった。そして、決して無視して済む相手ではないことも。 腹を開いたままの患者を見つめてから、和彦は覚悟を決める。 バイタルサインを一定に保つことだけに集中するよう助手の女性二人に指示を与えると、血塗れのラテックス手袋を捨ててから、手術着とスリッパを脱いで部屋を出る。 気色ばんだり、浮き足立っている組員たちに対して、すべて自分に任せるよう開口一番に言い放った和彦は、速やかに指示を与えた。 玄関に並ぶ靴を片付けさせてから、一人の組員を残して全員、空いている部屋へと移動させたのだ。何があっても物音を立てないよう言っておくことも忘れない。「あんたは、ただぼくの後ろにいて、話を合わせればいい。余計なことは絶対言うな」 インターホンを通して、〈自称・刑事〉という男と話した組員にそう言いつけてから、和彦はやっと玄関に向かう。慌ただしく指示を出している間も、まるで嫌がらせのようにインターホンは鳴りっぱなしだったのだ。 乱暴にドアを開け、目の前に立つポロシャツ姿の男を認識した瞬間、和彦の全身を不快さが駆け抜ける。「――……やっぱり、あんただったか」 嫌悪感を隠そうともしない和彦に対して、本物の刑事である鷹津はニヤリと笑いかけてくる。相変わらず無精ひげを生やし、長めの髪をオールバックにし