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第35話(27)

作者: 北川とも
last update publish date: 2026-06-18 08:00:21

 和彦は答えず、千尋の髪を撫で続ける。千尋にしても追及してくるわけではなく、何事もなかったように和彦の胸元に甘えてくる。

 何度も唇を押し当て、舌を這わせたあと、肌を強く吸い上げた。千尋は、自分がつけた鬱血の跡を食い入るように見つめたあと、同じ行為を繰り返す。まるで、和彦が自分のものであると確認しているような行為だった。

 これが今の千尋にできる精一杯の所有欲の表し方なのだと思うと、ずっと強張っていた心を、羽毛のような柔らかな感触でくすぐられた気がした。

 自分は度し難いほど欲深い人間だと、和彦は強く実感する。男たちから求められることに対して、底なしに貪欲だ。

 一緒に逃げるかとまで言った鷹津が、警察を辞めたうえに消息不明となり、そこに俊哉の接触も重なって呆然とし、怯えてもいながら、千尋から求められることで、拠り所を得たような気持ちになるのだ。

 現金なものだと自嘲しながらも、心の中に閉じ込めていた情愛がトロリと溢れ出してくる。

 そんな自分を恥じた和彦は、千尋の肩を押し退けようとしたが、ムキになったように肌に吸い付かれ
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  • 血と束縛と   第35話(28)

     ベッドの上で体を引きずられた和彦は、仰向けで横たわった状態となる。すかさず千尋が覆い被さってきて、抱きついてきた。和彦は声を上げ、なんとか抜け出そうともがき、両手足をばたつかせるが、千尋はがっちりと押さえ込んでくる。 あっという間に和彦の息は上がり、悠然と見下ろしてくる千尋を睨めつける。「……ぼくと、プロレスごっこでもしたいのか?」「じゃれてるだけ。好きだよね、先生。俺をでっかい犬っころ扱いして甘やかすの。……今は、男を甘やかすより、犬っころを甘やかすほうが気が楽だと思ってさ」 千尋が胸にしがみついてきたので、反射的にしなやかな体に両腕を回す。鼻を鳴らした千尋が、ペロリと首筋を舐めてきた。さらにもう一度舐められて、和彦は小さく笑みをこぼす。「くすぐったい」「じゃあ、もっと舐めてあげる」 千尋の舌先が肌を滑り、さりげなくパジャマの上着を脱がされていく。それに気づいた和彦が声を上げようとしたとき、剥き出しになった肩先に軽く噛みつかれた。「――……本当に犬だ」 千尋の髪を掻き乱しながら、ベッドの上で抱き合い転がる。ときおり思い出したように千尋が顔を上げ、戯れのような口づけを交わす。すぐに夢中になった千尋が、和彦をベッドに押さえつけてこようとするが、柔らかな口調で窘める。「じゃれてるだけ、だろ?」「そうだけど……、少しぐらい過剰なスキンシップになっても……」「なんなら、空いている部屋で寝るか? マットぐらいは敷いてやるから」 千尋が大仰に首を横に振り、和彦の肩に額を押し当てる。「……我慢します」 和彦は微苦笑を洩らすと、反対に千尋をベッドに押さえつけて、その上に乗り上がる。驚いたように千尋が目を丸くした。「先生……?」「お前が言ったんだろ。ぼくが、甘やかすのが好きだって」 短パンの上から、千尋の両足の中心をまさぐる。さきほどから気づいていたが、欲望が硬くなってい

  • 血と束縛と   第35話(27)

     和彦は答えず、千尋の髪を撫で続ける。千尋にしても追及してくるわけではなく、何事もなかったように和彦の胸元に甘えてくる。 何度も唇を押し当て、舌を這わせたあと、肌を強く吸い上げた。千尋は、自分がつけた鬱血の跡を食い入るように見つめたあと、同じ行為を繰り返す。まるで、和彦が自分のものであると確認しているような行為だった。 これが今の千尋にできる精一杯の所有欲の表し方なのだと思うと、ずっと強張っていた心を、羽毛のような柔らかな感触でくすぐられた気がした。 自分は度し難いほど欲深い人間だと、和彦は強く実感する。男たちから求められることに対して、底なしに貪欲だ。 一緒に逃げるかとまで言った鷹津が、警察を辞めたうえに消息不明となり、そこに俊哉の接触も重なって呆然とし、怯えてもいながら、千尋から求められることで、拠り所を得たような気持ちになるのだ。 現金なものだと自嘲しながらも、心の中に閉じ込めていた情愛がトロリと溢れ出してくる。 そんな自分を恥じた和彦は、千尋の肩を押し退けようとしたが、ムキになったように肌に吸い付かれる。「千尋っ……」「ダメだよ。先生は、俺のオンナなんだから、俺が求めるんなら、応えてくれないと。それに――」 千尋の舌先が、尖りを見せ始めた胸の突起をチロチロとくすぐってくる。微かに生まれた疼きに、和彦は息を詰めた。「先生も嫌がってない」「……突き飛ばす元気がないんだ」「いいよ、俺が元気にしてあげる」 自惚れるなと、力ない声で呟いた和彦は、千尋を突き飛ばす代わりに、手荒に髪を掻き乱してやる。子供っぽい仕種で首を竦めた千尋が、次の瞬間には鋭い表情を浮かべ、上目遣いに和彦の反応をうかがいながら、再び胸の突起に吸い付いてきた。「あっ……」 凝った突起を執拗に舌先で弄ってから、そっと歯を立ててくる。もう片方の突起は指先で擦り、摘まみ、抓り上げてきた。かと思えば、幼子のように一心に吸い上げ、和彦は痛みに声を上げるが、それでも千尋は離れない。 ビクビクと胸元を震わせ、押し退けようとして千尋の肩に手

  • 血と束縛と   第35話(26)

     ハッとした和彦は反射的に本を閉じ、傍らを見る。千尋が強い光を湛えた目で、じっと見つめていた。ただ、表情そのものは、知らない場所で放り出された子供のように不安げで、頼りない。 この表情が演技だという気はないが、必要なときに和彦の心を効果的に揺らす術を、千尋は心得ている。甘ったれに見える青年も、立派に物騒な男の一人なのだ。 和彦は本をベッドヘッドの上に置くと、千尋の生乾きの髪に指を絡める。「お前、きちんと髪を乾かさなかったな」「少しでも早く、先生の側に行きたかったから」 臆面もなくこういうことを言える素直さが少し羨ましいと、和彦はわずかに唇を緩め、千尋の頭を引き寄せる。すると、胸元に顔を伏せて千尋が言った。「――……先生、鷹津のことが好きなの?」 和彦は、千尋の頭を撫でようとした手を止める。「よく、わからない……。鷹津のことは嫌な男だと思っていたし、話していても、素直に会話を楽しむことなんてなかったし……。でも、その嫌な男なりに、ぼくに情を注いでくれたし、大事にしてくれた。言葉は悪かったけど、ぼくのことを心配してくれていたんだ」「俺も――俺たちも、そうだよ。先生のことは大事にしてる。もちろん、言葉で表せないぐらい、大好きだ。だからこそ、どこにも行かせない」 目を丸くした和彦は、千尋のつむじを見下ろしていたが、ようやく声を発することができる。「そうだな……」 千尋を抱き締めると、もぞもぞと身じろいで和彦の胸に強く顔を擦りつけてくる。パジャマの布越しに、千尋の吐息の熱がじんわりと伝わってきた。 おとなしくしている千尋を可愛いとは思うが、その正体は、何かの拍子に暴れ出す獣だ。シャワーを浴びたばかりだということを抜きにしても、抱き締めている体が戦くほど熱くなり始めていることに、和彦はとっくに気づいていた。 今のうちにベッドから蹴り出してしまおうかと、なかなかひどいことを考えているうちに、千尋がさらに身じろぎ、とうとう和彦の両足の上に乗り上がってくる。これでは蹴り出すことはおろか、自分が逃げ出すこ

  • 血と束縛と   第35話(25)

     確かに、部屋を解約し、携帯電話すらも繋がらなくなったため、残しておくべき情報はない。しかし、名すら残しておくことを許さないと、賢吾は行動で示した。 もしかすると、和彦の中にある鷹津の記憶すら、できることなら消去したいと考えているのかもしれない。 ため息をつきそうになった和彦だが、それは賢吾に対する背信行為のように思え、寸前のところで堪えた。 もう一台の携帯電話を取り上げると、メールが届いている。こちらの携帯電話は里見との連絡専用に使っているもので、そうなると当然、送り主は決まっている。 俊哉と電話で話して以来、里見からの連絡には一層神経質になっているのだが、今のところ、俊哉の話題が出ることはない。和彦と接触したことを、俊哉は里見に知らせていないのかもしれないが、こればかりは、機械を通した文面だけでは推測できない。だからといって、電話をかけてまで確認しようとは思わなかった。 自分のせいで、鷹津は職を失ったと和彦は思っている。同じような状況に、里見が陥らないとは限らないのだ。 里見の当たり障りのない内容のメールに、簡潔な返信をする。里見にとっては内容よりも、和彦から反応が返ってくること自体が、大事なのだそうだ。 周囲の男たちから注がれる配慮という名の優しさが、和彦の胸を苦しくさせる。 今夜も安定剤を飲んで休まなければいけないなと、ぼんやりと考える。そんな和彦の耳に、インターホンの音が届いた。 ありえないとわかっていながら、一瞬、鷹津ではないかと思ったが、即座にその可能性を否定する。このマンションの周囲を、長嶺組だけではなく、総和会が見張っているかもしれないのだ。あの男が迂闊に近づくはずがない。 もう一度、遠慮がちにインターホンが鳴らされる。和彦はほぼ相手を確信してインターホンに出た。** ベッドの上で、クッションにもたれかかって本を読んでいると、静かにドアが開き、人が部屋に入ってきた気配がした。和彦は視線を上げないまま問いかける。「シャワーを浴びたか?」「うん……」「きちんと体と頭を洗ったんだろな。お前はいつもカラスの行水だからな」

  • 血と束縛と   第35話(24)

    「布団を敷かせるよう言って、ついでに、安定剤も持ってこさせる。飲んで、さっさと横になれ。――総和会のことは、当分気にするな」 顔を伏せたまま和彦は微かに頷く。厳しい追及を受けなかったことに安堵する余裕すらなかった。 静かに襖が閉められて再び一人になった途端、まるで自分自身を安心させるかのように考える。 俊哉が意味ありげに言った、準備が必要だという発言は、今すぐ総和会や長嶺組を相手に事を荒立てる気はないと判断していいだろう。 いくらか時間が稼げる間に、自分に何ができるか考えなければならない。情を注いで大事にしてくれる男たちに手が及ばないようできるかということが最優先だが、できることなら、鷹津の消息も知りたい。「――……最低だ、ぼくは……」 いまさらながら自分の多情さを心の中で罵り、和彦は小さくため息をこぼした。**** ラテックス手袋をゴミ袋に放り込んだ和彦は、すっかり強張ってしまった眉間を指の腹で押さえる。機嫌は確かによくないが、光量が十分でない場所でずっと目を凝らして縫合を行っていたため、気がつけば険しい顔になっていた。「お疲れ様でした、先生」 治療に立ち合っていた組員に声をかけられ、ああ、と短く応じる。すっかり和彦の手順を覚えたらしく、すかさずメモ用紙とボールペンが差し出される。受け取ると、必要なことを手早く書いていく。 メモ用紙を破り取って組員に手渡してから、手術衣を脱いだ和彦は、患者の男をちらりと振り返る。顔半分を覆うようにガーゼを貼った男は、悄然とした様子でイスに腰掛けていた。他の組の組員と乱闘になり、その最中に顔を切りつけられたそうだ。 和彦がここに到着したときは、妙な薬でも飲んでいるのかと思うような興奮状態だったが、無造作な手つきで縫合を始めたときには、人が変わったようにおとなしくなり、とうとう今のような状態となった。 首を傾げつつ部屋を出た和彦に、同行してきた組員が苦笑交じりに話しかけてきた。「切りつけてきた連中よりも、無表情で皮膚を縫い合わせる先生のほうが怖かったんで

  • 血と束縛と   第35話(23)

    「別にぼくは、今も悲しんではない。ただ、いろいろあって、疲れてるんだ。感情の箍が外れて……。今は、誰にも会いたくないし、話したくもない……」 あとで安定剤を持ってきてやると言われ、和彦は素直に頷く。そんな和彦のこめかみに、賢吾がそっと唇を押し当てた。「すまないが、もう少しだけ嫉妬に狂った男の戯言につき合ってくれ。昨日、お前が鷹津に連れ去られたと報告を受けてから、ずっと総和会――オヤジと連絡を取り合っていて、さすがの俺も少し疲れた」 ああ、と和彦は深い吐息を洩らす。賢吾も怖いが、それ以上に怖い存在が、総和会本部で待っているのだ。「一日だ。たった一日、お前の行方がわからなくなっただけで、組も総和会も大騒ぎだ。……俺の想定を超えて、お前の存在は特別になっちまった」「それは……」 自分が望んだことではないと言いたかったが、今となっては無駄な抗弁だろう。現実に和彦は、二つの組織と深く関わりを持っており、その二つの組織の頂点に立つ男たちと、深い仲になっている。「それは俺たちだけじゃなく、鷹津にとっても同じだ。人でなしが、人を想うようになると、簡単に狂う。嫌な縁のせいで、俺はそれなりに、あの男を知っているつもりで、ある程度は飼い慣らせると思った。実際、最初はそこそこ上手くいっていたしな。お前が鷹津を、情で飼い慣らした。……想定が狂ったのは、総和会のせいだ」 和彦は濡れた目でじっと賢吾を見つめる。賢吾は誰を思ったのか、一瞬不快そうに眉をひそめた。「――ツテを頼って探ってもらったが、どうやら県警のほうに、鷹津について密告があったらしい。総和会と不適切な関わりを持っている、とな。あいつは前科持ちだ。そういう噂が流れただけで、身動きが取りづらくなる。事実、関わりを持っているわけだし。ただ、組織犯罪を取り締まる側にいる鷹津という男は、取り締まられる側にとっては使い勝手がいい。持ちつ持たれつという関係だからな。好きこのんでその関係を壊す利点がない。少なくとも、俺には」「密告したのは、もしかして……」

  • 血と束縛と   第4話(18)

    「総和会から連絡したいことがあると、中嶋さんが来るの。奥さんがいる家より、こっちのほうが、難波さんが捕まりやすいんだと思う」  和彦の疑問を察したように教えてくれたが、その口調からは、愛人である自分の立場に対する引け目のようなものは一切感じ取れない。案外、仕事のようなものだと割り切っているのかもしれない。 「ねえ、佐伯先生、クリニックの話、本当?」 「あっ、まあ、クリニックを開くのは本当ですよ。今はまだ、準備中ですけど」 「だったら、開業したら、わたしのことも診てくれる?」  まだ二重瞼の手術を諦めていないのだろうかと思いながら、和彦は微

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  • 血と束縛と   第4話(13)

    「普段生活している場所だと、どんな雑菌がいるかわからないんです。その雑菌が傷に入ったら、大変なことになりますよ。それに処置するにしても、もっと明るい照明が必要です。瞼を少し切って、糸をすべて取り除くことになりますから」 「それで、お前が上手くできるという保証はあるのか? もしかすると、もっとひどいことになることもあるんだろう。場所を変える云々も、自分の腕に自信がないからだろう。だいたい、こんな若い医者の言うことが信用できるか」  さてどうしたものかと、和彦は中嶋と顔を見合わせる。聞き分けの悪い患者の相手は慣れているが、クリニックの仕事とはわけが違う。組の事情などという

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  • 血と束縛と   第3話(5)

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  • 血と束縛と   第1話(11)

     和彦の内奥を的確に指と道具で犯す男の背後に立ったのは、高そうなダブルのスーツをこれ以上なく見事に着こなした中年の男だった。四十代半ばぐらいだろうが、一目見て圧倒される存在感を持っていた。  全身から漂う空気は剣呑としており、それでいて威嚇するような攻撃的なものではなく、ただ静かな凄みを放っている。衰えを知らないような厚みのある体つきに相応しいといえた。何より、彫像のように表情が動かない顔は、冷徹そのものではあるが、端整だ。  だが、容貌はさほど重要ではない。男が持つ独特の鋭さや冷ややかさ、年齢を重ねているだけでは醸せない落ち着きが、男の存在自体を圧倒的なものにしてい

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