LOGIN何事もなかったように御堂が正面を向く。和彦は困惑しながら、たった今交わされた二人の会話を頭の中で反芻する。具体的なことは何一つわからないが、ただ、ぼんやりと湧き起こるものがあった。
伊勢崎玲という青年は、本当にただの高校生なのだろうかという疑問が。*
*
ホテルのレストランでの朝食の味は、正直よくわからなかった。
同じテーブルについた玲と御堂、そして綾瀬との一見和やかな会話に加わりながら、和彦はさりげなく視線を周囲のテーブルへと向ける。一つのテーブルには、和彦たち三人の移動中からついていた護衛が。別のテーブルには、綾瀬の護衛が座っている。 いまさら、この状況について何か言うつもりはないのだが、護衛に囲まれている自分の立場については、あれこれと思いを巡らせる。 酸味の強いオレンジジュースを一口飲んだところで、吸い寄せられるように玲と目が合った。周囲を、特殊な立場にある大人たちに囲まれながらも、玲は落ち着いて見えた。 地元では護衛はついていないと言っていたが、本当なのだろうかと要領が悪い自分ではなく、その人に植え付けの手伝いも頼めばよかったのでは、と和彦の頭に疑問が浮かんだが、口には出さない。あえて虎の尾は踏みたくなかった。南郷の場合、百足だが。 急にうすら寒さを覚えて身震いした和彦は、南郷に指示されるまま長靴に履き替え、軍手をする。外水道に長いホースを取りつけ、ずるずると引っ張りながら、ポットや鉢に植えられた苗木に水をかけていく。一方の南郷は地面に穴を掘り始める。 二人は黙々と作業を続ける。着ているものが汚れそうな作業は基本的に南郷がこなし、和彦は水を撒くか、苗木を運ぶ程度の軽作業だ。 南郷は掘った穴に、腐葉土と堆肥を景気よく入れて混ぜる。腰の入ったシャベル使いに、つい和彦は声をかけていた。「ほぼ素人とか言ってたわりに、慣れてますよね」「穴を掘るのは、な。何も植物を植えるためだけじゃないからな」 すぐに不穏な想像をしてしまい、うっ、と声を洩らす。すると南郷が小馬鹿にするような一瞥を寄越してきた。「想像力が豊かだな、先生」「……ぼく、何も言ってませんよ」「言ってるようなものだ」 もう少し人の神経を逆撫でしない会話ができないものだろうかと、心の中で抗議する。「――あんた相手なら、偉そうに踏ん反り返るふりも、格好をつける必要もないから、作業に没頭できていい。隊の連中が一緒だと、隊長の手を汚させるわけにはいかない。自分たちがやるからと言って、シャベルを取り上げられるからな」「それ遠回しに、ぼくは気が利かないと言ってます?」「あんたは、それでいいだろ。周りの男たちに甲斐甲斐しく世話されるのが似合ってる。男たちのほうも、そのほうが安心できる。あんたは天性のタラシという役割を、俺は偉そうな隊長という役割を務めてるってだけだ」 水を含んで土が柔らかくなった苗木をポットから丁寧に抜き出し、根を切らないよう解していく。「そっちの鉢のほうは、そのままでいい。鉢でしばらく育てて様子を見る」「はいはい」 和彦のおぼつかない手つきに待てなくなったのか、土にシャベルを突き立ててから、南郷もポットから苗木を抜き取っていく。
ひとまず長嶺組には状況と現在地を知らせておこうと、スマートフォンで素早くメッセージを打ち込んで送信する。そこに、大きな足音を立てて南郷が一階に下りてきて、サンダルに履き替えて庭に出てくる。和彦を探すように辺りを見回してから、縁側に目をとめる。なぜか、ニヤリと笑いかけられた。 作業に入る前に昼食をとると言われ、ここに来る途中の弁当屋で購入した弁当を、縁側に並んで腰かけて食べる。大きな体を維持するのにエネルギーが必要なのか、南郷は焼肉弁当二つに手をつけている。ちなみに和彦は幕の内弁当だ。 南郷の隣では食事が喉を通らないのではと危惧したが、朝早くから呼び出されて一仕事を終えたあとのため非常に空腹で、問題はなかった。自分の神経の図太さへの呆れは、ペットボトルのお茶と共に飲み下す。 食後のデザートだと、弁当屋のレジ横で売っていたという小さな大福も勧められるまま食べながら、和彦はぼんやりと庭を眺める。この庭で人が亡くなったという話を唐突に思い出して、無理やり頭から追い払う。「――もっと萎れているのかと思ったが、案外平気そうだな」 食後のたばこを吸いながら南郷に言われる。なんのことかと和彦は眉をひそめてから、やっと察した。「祖父のことでは、いろいろとお気遣いいただいて――」「ああ、いい。そんなつもりで言ったんじゃない。ただ、葬式から戻ってきて早々に仕事に引っ張り出されて、あんたも大変だと思ったんだ」 大変、と口中で反芻する。南郷から心労を慮られるというのも、正直なところ妙な感覚だ。これまで、誰よりも和彦に心的にも肉体的にも負担をかけてきたのは、間違いなくこの男なのだ。「理由があって、母方の実家とぼく個人はつき合いが希薄でしたから……。険悪だったというわけじゃないです。実際、年始に顔を合わせたときは、わだかまりもなかったですし。だから、ショックではあるんです。これからもっと親密につき合っていけると思っていたところだったので」「そうやって別れを惜しむ気持ちが持てたということは、あんたの祖父君は人格者だったんだろう……。っと、そうなると初七日も向こうに?」「いえ、連休明けにクリニックを再開しま
** 総和会本部の〈寮〉で庭ができあがっていく過程を眺めているうちに、自分の手でやりたくなったのだと、ホームセンターで庭木の苗木や園芸用品を選びながら南郷は言った。 異常に悪目立ちする南郷の後ろをついて回るうちに和彦は既視感に襲われたが、いつだったか御堂について、ホームセンターでの買い物につき合ったことを思い出した。 水と油のような性質の二人でも、緑を育てたいという同じ目的に至るのだなと妙な感慨を覚えたが、しかし、南郷には立派に打算があったようだ。「庭が手入れされた家を、人はあまり警戒しない。少なくとも荒れたままにしておくのはよくないな。俺は日曜大工の知識はそれなりにあるが、花木についてはほぼ素人だ。今の時期なら、ホームセンターに並んでる苗木を適当に植えても育つだろう。もちろん、肥料と水を与えて」「……南郷さん自らやるんですか?」「これでも俺は几帳面で、何をどこに植えるかぐらいはやっておきたい。なんといっても、俺の隠れ家のことだ」 後部座席のシートを倒して購入したものを運び入れたところだった。しっかり手伝わされた和彦は、露骨に顔をしかめて南郷を見る。「それって――」「一度あんたを連れて行ったことがある場所だ」 そして再び、和彦を連れて行くつもりらしい。車に乗るよう言われて躊躇するが、助手席のドアを開けて促されると逆らえない。なんとか平然と話している和彦だが、内心では相変わらず南郷は怖いのだ。 移動の最中も気を張り詰め、うっかりウトウトすることもできない。和彦はじっと外の景色に目を向け続けていて、ふと気がつく。いつの間にか護衛の車が見えなくなっていた。南郷が気づかないはずもないが、何も言わないし、焦った様子もない。先行させたのか、あえて見えない位置まで距離を空けたのか。 首を傾げ続けているうちに、目的地が見えてきた。 前回は、夜間であっても見ることができた四角くて黄色い建物は、外壁を塗り替えたらしくありふれたクリーム色となっていた。当然、元保育所だとわかりやすく示していた可愛い動物の絵もなくなっている。変わったのはそれだけではない。重々しい鉄門扉と鎖のセットは相
訝しんだ和彦は眉をひそめて隣を見遣る。居心地悪そうに顔をしかめた加藤は、場繋ぎのつもりなのか物騒なことを話し始めた。「――拳銃が使われかけたようです」「はあ?」「さっき佐伯先生が診た患者のことです。相手が拳銃を出したそうで、それで取っ組み合いとなってガラスに……。拳銃はこちらで確保しています」 それを聞いた瞬間、ゾッとして鳥肌が立った。相手は、総和会の人間を本気で殺すつもりだったのだ。「はっきりとした目的があってのことか、たまたまそうなったのかは、これから調べるそうです。ただ、外にいる人間に対して、注意するようにと連絡が回っています」「……あー、だから今さっき、小野寺くんに嫌味っぽく言われたのか」「あいつはいつでも、あんな話し方です」 加藤は大まじめな顔で言い切った。「ということで、念のため護衛シフトを変更させてもらいます。そう、指示があったので」 表に出ていた小野寺が、こちらに向かって大きく手を動かす。行きましょうと加藤に言われて素直に従う。エントランスを出たところで、見覚えのある4WDが目の前に停まった。ここですべてを察した和彦は本能的に後退ったが、逃げ出すまでには至らない。運転席のウィンドーが下ろされ、ほんの数日前に会ったばかりの南郷が姿を見せる。「先生、車に乗ってくれ」 もちろん助手席に。いそいそと小野寺が助手席のドアを開けたので、否も応もなく和彦は乗らざるをえなかった。「これは……、どういうことですか……」 ドアのほうに体を寄せながら和彦はきつい視線を向ける。一方の南郷はハンドルを握りながら、今にも鼻歌を歌い出しそうな様子だ。 突然のことに軽く頭が混乱しているが、それでも和彦は一つ一つ状況を整理する。その間にも、どこに向かっているのか車は走り続けている。背後からぴったりとついてくる車は、南郷の護衛だろう。「これ?」「月に一度、本部に顔を出すという決まり事のことです。ぼくは五月一日に出向きましたよね。次は来月に――」「本部の外で
**** 今現在まで連休らしいことを何一つできていないなと、テレビの画面から流れる行楽地の様子を眺めながら、そんなことを思う。未練がましい気持ちからではなく、純然たる事実だ。和彦は濡らしたタオルで顔や首筋に浮いた汗を拭い、ふうっと大きく息を吐きだす。 連休らしいことどころか、労働を一つ終えたところだった。 クリニック再開に向けて手抜かりはないはずだが、何か見落としているのではないかと、早朝から目が覚めてベッドの中でゴロゴロしていたのだ。そこに、総和会から仕事の呼び出しがかかった。祖父の葬儀から戻ってきたばかりという和彦の事情を慮り、別の医者に回そうとはしてくれたらしいが、見事に皆、都合がつかなかったという。何も手につかないほど落ち込んでいるわけではないと、苦笑を浮かべて説明しておいたが、どうにも過剰に気遣われている。総和会の中で和彦は、総和会会長のオンナで、統括参謀などという大層な響きの肩書きを手に入れた男が後見人に就いているため、仕方がないともいえる。 そうして速やかに連れてこられたのは、これまで何度か治療のため利用したことがある雑居ビルの一室だった。 外国人グループとの〈ささやかな〉トラブルから暴力沙汰になったという男二人を並べて、まとめて治療にあたった。一人は刃物傷だが、もう一人は取っ組み合いの最中にガラスに突っ込んだというだけあって、なかなか派手な傷となっていた。ガラス片は探すのが手間なのだと、虫眼鏡で傷口を覗きながら和彦はぼやかずにはいられなかったが、幸いにも二人とも太い血管や神経は傷ついてはいなかった。相手のグループはどうなったのかと縫合の最中になんとなく尋ねてみると、大した問題にはなりませんよと、どう受け止めていいのか図りかねる答えが返ってきた。 怪我を負った二人の男は総和会直参の構成員だと、連絡をもらったときに告げられている。最初は直参の意味がわからなかったが、移動の車中で教えてもらったところによると、会長なり幹部会からの推薦によって総和会の一員になったということを示すのだという。推薦とは、盃を交わしたとも言い換えられ、総和会の中ではエリートの扱いとなる。 そんな男たちがトラブルに巻き込まれたのだ。事態の処理に
「ありがたいけど、お前が若いうちにできる経験を奪ってるんじゃないかと、申し訳なくもなってくる……。言っておくが、今のぼくはとても後ろ向きになってるからな。あれこれといろんなことが心配になって、不安なんだ。それで眠れなくて寝酒しようとしてたところに、お前が忍び込んできた。鬱陶しくてもつき合えよ」「三十過ぎてもそんな感じの和彦が、可愛いくてたまんない」 腕にしがみついてくる千尋に、ただ苦笑が洩れる。半日前まで沈鬱な気持ちに支配されていたというのに、今はこうして能天気な会話を交わしているのだ。日々を生きていくというとはこういうことだろうなと、妙に感慨深い。「――和彦が考え込む前に言っておくけど、俺、稜人が本宅に住むようになっても、和彦とはいままで通りつき合うから」「それはいいけど、大事なのは稜人に対する配慮だからな? 一般的な価値観とか道徳とか、そういうのがしっかりしてくるまでは、あまり刺激が強いのは……」「ヤクザの組長の自宅で暮らすのに、刺激云々は無茶じゃない?」「日常的に抗争してたり、血まみれの組員が出入りしてるわけじゃないだろっ。……ぼくはたまに本宅で接待を受けてる、よくわからない人扱いでいいよ。稜人が大きくなるまでは」 必死に考えながら話しているというのに、なぜか千尋の手が和彦の体を這い回る。「おい」「今のところ、一般的じゃない家庭で育った男が三世代揃っているから、稜人のことは任せて」「そういえばそうだったな。いや、でも、その三世代を見ているからこそ、不安なんだが」 話している間にも千尋の手は、パジャマ代わりのTシャツの下に入り込んでくる。軽く睨みつけると、あざとい上目遣いで見つめ返された。「心配してくれてる和彦が可愛くて……」「お前、そう言えばぼくを丸め込めると思ってるだろ」 悪びれもせず頷かれた。和彦がふっと息を吐いて力を抜くと、さっそく千尋にTシャツを脱がされた。千尋は最初から上半身裸だ。 ぐいっと頭を引き寄せられ、抱き締められる。本当に体温が高いなと思いながら和彦