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第8話(38)

Author: 北川とも
last update Last Updated: 2025-12-10 17:00:24

 ギシッと微かにベッドを軋ませながら覆い被さってきた賢吾が、無遠慮に和彦の顔を覗き込んでくる。

「――先生は、精神状態がわかりやすいな」

 芝居がかったような優しい表情で賢吾が言い、対照的に和彦は、不機嫌な表情で応じた。

「人が調子が悪いと言っているのに、ズカズカとベッドの上まで乗り上がってくるな」

「自分のオンナの体調を気にして、何が悪い?」

 悪びれることのない賢吾の言葉に、さらに和彦の気分は滅入る。ふいっと顔を背け、ブランケットでしっかり口元まで隠す。

「……仕事はしっかりやっている。今日は、死なせるなと言われている患者の治療もしたし、ヤク中のガキの口に活性炭も放り込んできた」

「まずくて堪らないらしいな、活性炭ってのは。――普通は水に溶いて胃に直接流し込むものらしいが」

「まずいからといって死にはしない。いい教訓だろ。薬で一時気持ちよくなったところで、あとがつらいって」

「うちの組に出入りするガキどもの、生活指導の先生もやってみるか?」

 和彦はますます眉をひそめ、とうとう頭までブランケットを被ろうとしたが、すかさず剥ぎ取られ、賢吾に唇を塞がれそうになる。和彦は本気で抵抗して、顔を押し退けた。このとき、賢吾の目から一切の感情が消え、凍えるほど冷たい眼差しを向けられる。

「本当に調子が悪そうだ」

「さっきからそう言っている」

 ようやく和彦の上から退いた賢吾が、ベッドの端に腰掛ける。

「――何かあったのか、先生? 繊細な先生が、ときどき思い出したように塞ぎ込むことはあったが、今回は少し様子が違う」

 賢吾の片手が伸びてきて、怯える猫の機嫌をうかがうように髪に触れてくる。

「心配事でもあるのか」

「別に……」

「そんな憂鬱そうな顔をして、別に、はないだろ。気づいてくれと言っているようなものだぞ」

 口元に笑みを湛えている賢吾を、和彦は見上げる。言いたいこと――というより、告白したいことはいくらでもあるが、どうしても声となっては出てこない。
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