LOGIN「わかっている。だから俺は、先生がいなくなったあと、真っ先にここに来た。先生は、俺の……俺たちの手の届かないような場所に一人ではいかないと、信じていた」
こちらに歩み寄ってきながらの三田村の言葉に、ふっと心が軽くなる。ヤクザの言葉なんて信じないと言い続けていた和彦だが、本当はずっと、信じたかった。だから、三田村の言葉は信じられる。三田村だけではない。千尋や、何度も騙されて悔しい思いをしていながらも、賢吾の言葉ですらも。 目の前に立った三田村に頭を引き寄せられ、素直に肩に顔を埋める。 和彦はやっと、しっくりくる答えを見つけ出せた。元の生活に戻ることにためらいを覚えるほど、今の生活に愛着を抱いているのではない。自分を求めてくれている男たちを――愛しいと感じているだけだ。「先生がここにいるとわかったら、それでいい。俺は外で待っているから、気が済むまで――」「もう、いいんだ。もう、一人はいい……」 次の瞬間、三田村にきつく抱き締められ、和彦も両腕をしっかりと三田精悍な体つきと不遜な眼差しが印象的な加藤と、見た目はまるで苦労知らずの大学生のようだった小野寺の顔が、同時に蘇る。中嶋は、加藤と体の関係を持っており――。 和彦が向けた胡乱な視線に気づいたらしく、中嶋はわずかに目を逸らした。「若い奴らは、本当に血の気だけは多くて、嫌になりますよ。殴り合いの原因も、どうやら小野寺が、俺のことで加藤にちょっかいをかけたらしくて。でも二人とも、はっきりとは原因を言わないんですよ。周囲にいたのが、俺より下の連中ばかりだったから、大ごとにならなくて済みましたけど。上にバレたら、二人とも隊からつまみ出されても不思議じゃなかった」「どっちが、君を殴ったんだ」「加藤です。正確には、加藤が小野寺を本気でぶちのめそうとして、俺が割って入ったんです。あいつ、格闘技やってるから、下手すりゃ、小野寺を殺しかねない。それで俺がこの様です」「よく、それで済んだな……」「寸前のところで、加藤が手を止めようとした結果です」 二人は同じタイミングでソファの背もたれに体を預け、息を吐き出す。 中嶋が、今日の秦からの誘いを断った理由は、これで納得できた。殴られた顔を見られたくなかったというのもあるだろうが、事故にせよ加藤から殴られたという事実を、秦の眼前に突き出すわけにはいかなかったのだろう。「――……こういうお節介は性に合わないんだが、秦と別れるつもりなのか?」「あの人から言い出すならともかく、俺からは、そのつもりはまったくありませんよ」「だったらどうして……」「秦さんらしくない行動を目の当りにしてから、今さらながら、合わせる顔がなくて。……自慢じゃないですけど、俺、前は二股、三股なんて当たり前だったんですよ。仕事みたいなものでしたから。だから、自信があった。上手くやれる。割り切れる。本気ではあるけど、溺れるような関係にはならない、って」「どちらとも?」 中嶋は自分の頬を撫で、頷いた。「どちらとも」「それで結局、どちらとの関係に溺れたんだ」「&hell
自分たちがいると不審がられるからと、寒いのに店の外で待っていた組員たちと合流し、駐車場へと向かう。 途中、頬にぽつりと冷たい粒が落ち、反射的に空を見上げる。ここに来るまで雨が降りそうだと思っていたが、そろそろ危なそうだ。 車に戻った和彦は、もう寄るところはないからと組員に声をかけ、マフラーを外す。秦から受け取った紙袋にちらりと視線を向けてから、余計なことを聞くのではなかったと後悔していた。 秦と中嶋の仲がこじれたままだとしても、二人で解決してくれなどと言ってしまった手前、首を突っ込むべきではない。そう、頭では理解しているのだが、こじれる瞬間を目の当たりにした身としては、まったく知らん顔をするのは道義にもとる気もする。 秦はともかく中嶋は、裏の世界での数少ない友人なのだ。 コートのポケットから携帯電話を取り出し、少しの間見つめていた和彦だが、低く一声唸ってから電話をかけた。** ドアを開けた中嶋の顔を一目見て、和彦は目を見開く。口を開こうとしたところで、素早く腕を掴まれて玄関に引き込まれた。ドアが閉まる寸前、部屋までついて来てくれた組員に、車で待っていてくれと早口で告げた。 中嶋が不自然に顔を背けようとしたので、容赦なくあごを掴んで阻む。それからじっくりと、顔を覗き込んだ。「――……これは確かに、人前には出られないな」 左頬が赤紫色になって腫れており、只事ではない事態が中嶋の身に起こったとわかる。ハンサムな顔が台無しだ。 秦と別れたあと、車中から中嶋に電話をかけて話したとき、和彦は漠然とした違和感を感じた。その違和感を無視できなくて、結局、本宅に戻るのをやめ、こうして中嶋のマンションに押し掛けてきたが、その判断は間違っていなかったようだ。 中嶋のほうは、隠し通そうとしたものがバレてしまい、甚だ不本意そうではあるが。「先生、勘がよすぎですよ……」「医者を舐めるな。電話越しに、君の話し方がいつもと違うと思ったんだ。それだけ腫れてたら、口も開けにくいだろ」 中嶋は否定せず、部屋に上がるよう言ってくれた。
やや胸を張って答えた秦には申し訳ないが、和彦はムッと顔をしかめる。去年と同じじゃないかと即座に言い返しそうになったが、さすがにそれは行儀が悪い。しかし、表情には出てしまう。秦は、ニヤリと笑った。クリスマスの飾り付けがきらびやかな店内にあって、それでも十分目を奪われる美貌が、一層華やかに彩られる。「今回は、木製のオーナメントなんですよ」「はあ……。ぼくのクリスマスツリーは今、長嶺の本宅にあるんだ。去年君からもらったものも合わせて、さぞかしきらびやかになるだろうな。ぼくだけじゃなく、組員もちょこちょこと小さなおもちゃを飾り付けているから」「長嶺組長もおもしろがって、こっそり飾りを足しているそうですよ」 それは初耳だ。和彦が片方の眉を跳ね上げると、わざとらしく秦が口元を手で覆う。ヤクザの組長と怪しげな青年実業家は、他人のクリスマスツリーの飾り付けについて話すことがあるらしい。「ぼくが子供だったなら、そういう遊び心も無邪気に喜べるんだが――」 自分で言った『子供』という単語に、和彦自身の記憶が刺激される。ふと脳裏を過ったのは、もしかして存在しているかもしれない、千尋の次の跡目のことだ。子供にとってクリスマスというイベントはきっと特別なもので、プレゼントをどれだけ楽しみにしているか想像に難くない。 賢吾は、プレゼントどころか、クリスマスツリーも買ってやったのだろうかと考えたとき、和彦は自分がどんな表情を浮かべたのかわからなかったが、秦がやけに慌てた様子で付け加えた。「もちろん、オーナメントだけじゃありませんよ。先生に似合いそうだと思ったストールも入っています」「……ありがとう」「よかったら、先生が手に取っていたブランケットもプレゼントしますよ」「いいよ、これはぼくが買う。――気前がいいのはけっこうだが、もっと大事な人間のプレゼントは買ったのか? 抜け目ない君に、こんなことを聞くのは野暮かもしれないが」 一瞬浮かんだ秦の微妙な表情に、和彦はあれこれと想像を巡らせながら、ひとまず自分の買い物を済ませてくる。 戻ってみると、秦は場所を移動し、店内に展示された小さなク
電話がかかってきたのは、ほんの十分ほど前だ。和彦は、話しかけてくる千尋を片手で制しつつ、あとでかけ直すという短い留守電を聞いてから、こちらから電話をかけてみる。 応じたのは、滴り落ちそうな艶を含んだ声だった。『――ご機嫌いかがですか。先生』 たった今、心療内科を受診したばかりだと言ったら、電話の相手である美貌の男はどんな顔をするのだろうかと、皮肉めいたことを考える。「すこぶるいい。寒いけど、天気がいいからな」『でしょうね。声を聞けばわかる』 元ホストらしい調子のよさに、堪らず和彦はくすくすと笑ってしまう。一方の千尋はあからさまにムッとしながら、口の動きだけで問いかけてくる。誰、と。「それで、何か用か?」『今日の先生の予定をお聞きしたくて。実はお渡ししたいものがあります』「はっきり言ってくれ。――秦」 にじり寄ってくる千尋に聞かせるよう、はっきりと呼びかける。電話の向こうの敏い男は、和彦の状況を察したらしく、息遣いが弾んだ。『お世話になっている先生に、今年もクリスマスプレゼントをお渡ししたいんです』 少し気が早くないかと指摘したかったが、和彦も他人のことは言えないため、寸前のところで自重した。** 昼間、さんざん千尋とあちこちで買い物をしたのに、また心が浮き立ってしまう――。 北欧の輸入雑貨を扱っている店内で、和彦は自分の目がキラキラと輝いているのを自覚していた。とにかく、魅力的な商品が多すぎる。特に今はクリスマスシーズンということもあり、この時期ならではのデザインのものが揃っていた。 目の毒すぎると、つい顔を背けた先で、使い勝手のよさそうなクッションを見つけ、ふらふらと歩み寄る。その隣には、暖かそうなブランケットがある。ソファに掛けて使えそうだと、思わず手を伸ばしていた。「――楽しそうですね、先生」 傍らから声をかけられて我に返る。いつから和彦の様子を眺めていたのか、今いる店の紙袋を下げた秦が顔を綻ばせていた。「ここなら、きっと先生は喜んでくれると思ったんです。まあ正直、待ち合わせ場所に現れた先生が、どことなく
「――食事はしっかりとれているか? もう少し太ってもいいぐらいだが、まあ痩せすぎというわけでもなさそうだ。……お前はなあ、食事に関しては本当に危なっかしい。学生の頃は、王子様みたいな見た目のくせして、いつもモソモソと菓子パンかじってただろ。同じ教室の女子たちが心配して、よく食い物を差し入れしてたよなあ」 昔のことをよく覚えているなと呆れていると、橘の傍らに立つ看護師の口元がわずかに緩んでいる。さすがに恥ずかしくなった和彦は、慌てて弁明する。「一年生の頃の話だっ。一人暮らしに慣れてからは、きちんと食事はしていた」「いやいや。誰彼と、お前をメシに連れ回してたからだろ。……本当に、今はきちんとやってるのか?」「ぼくよりしっかりした人間に、面倒を見てもらっているから、心配するな」 橘が、おやっ、という顔を一瞬したが、和彦は気づかないふりをする。そんな和彦の態度を、橘も見逃すはずもない。あごひげを撫でると、橘は目元は柔和なまま医者の顔となる。「眠れなくなる以外に、気になる症状はあるか?」 友人同士としての語らいはここまでだと察し、和彦は姿勢を正すと、患者として質問に答え始めた。** 病院を出ると、すぐ側のバス停に並ぶ人たちの列が視界に入った。緩やかなスロープを下りながら、なんとなく眺めていた和彦だが、その列の向こうに立つ千尋に気づき、目を見開く。すぐに駆け寄った。「何してるんだっ」「病院には入ってないよ」「……へ理屈を言うな」 冷たい風が吹きつける屋外にいて寒くないはずもなく、千尋は両手をダウンジャケットのポケットに突っ込み、首をすくめている。道路を挟んで向かいにある薬局にまで当然のようについてこようとするので、好きにさせた。「――病院から出てきた和彦が、いままで見たことないような顔してた」 いつもより数回分多めに処方された安定剤を受け取り、病院の駐車場に引き返していると、こんなことを千尋に言われた。「どんな顔だ?」「ちょっと怖い顔。もしかして、どこか悪いって言わ
「よお、来たな。佐伯」 男の羽織った白衣の胸元には、〈橘〉と記された名札がついている。この男が、和彦の友人であり、心療内科の担当医だった。 さあ座れと言うように、一人掛け用のソファを示される。和彦は一応、こう提案してみた。「……処方箋だけ出してくれたらいいんだが……」「お前は毎回、同じことを言うなあ。それで頷く心療内科医がいると思うか?」「他の医者には言えないから、橘さんに言ってるんだ」「――橘先生」 すかさず訂正され、和彦は露骨に顔をしかめて見せる。千尋に説明したとおり、橘は遠慮なくがさつな笑い声を上げた。人によっては眉をひそめるかもしれないが、和彦は違う。聞き慣れた笑い声に覚えるのは、安心感だった。 和彦がソファに腰掛けると、橘もファイルを手に、小さなテーブルを挟んで向かいに座る。橘の傍らには、にこやかな表情の看護師が立った。「ぼくのことは、『先生』をつけて呼んでくれたことがないくせに」「俺は、この男前の顔をどうこうしたいとは思わないからなあ。天地がひっくり返っても、お前が担当医になることはないな」「脱毛もやっている」 思わず、といった様子で橘が、あごを覆う強いひげに手をやる。ひげだけではなく、癖のある髪もぼさぼさで、ついでに言うなら眉は太く濃い。「俺の毛を、一本もお前に抜かせる気はないからな」「わかってるよ……」 こんなやり取りは、いつものことだった。おそらく橘は、他の患者相手にもこんな感じなのだろう。 見た目は、はっきりいってむさ苦しい四十男だ。顔の輪郭はごつく、大きな口が特徴的で、間違っても美男子と呼べる容貌ではないのだが、驚くほど目元が柔和で、それが人の警戒心を解いてしまう。学生時代から、子供と老人受けは抜群だった。 橘は、こちらに質問をしてくる前に、開いたファイルにさっそく何かを書き込み始める。互いに黙り込んだところで、音量をかなり抑えた音楽が流れていることに気づく。 ずいぶん昔に流行ったクリスマスソングで、これは橘個人の好みな
さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自
「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」 和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。 和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。 大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっく
「――先生」 呼ばれて、おずおずと振り返ると、そこに真剣な賢吾の顔がある。何か言われたわけでもないのに、和彦は小さく喘いでから賢吾の唇にそっと自分の唇を重ねた。すると、賢吾のもう片方の手に、和彦の柔らかな膨らみは包み込まれる。 「ひっ、あぁっ」 泡で滑る手に柔らかく揉みしだかれ、たまらず和彦は、ビクッ、ビクッと腰を震わせ、背をしならせる。下肢が、甘く溶けてしまいそうだった。 「あとでたっぷり、ここを揉んで悦ばせてやる。最近、弄られるのがよくなってきたみたいだからな。今は、洗うだけだ」 賢吾の的確に動く指は貪欲に、和彦の官能を刺激する
外から男二人のにぎやかな話し声が聞こえてくる状況で、求められるまま、やむをえず舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を痛いほど吸われると、たまらず和彦は鷹津の肩にすがりついていた。 ますます鷹津の腕の力が強くなり、和彦の中で奇妙な変化が起こっていた。鷹津のことがどうしようもなく嫌いで、嫌悪しているのに、そんな男にねじ伏せられるように口づけを交わしていると、高揚感に襲われ、体の奥深くから強引に官能を引き出される。 官能に形を借りた、サソリの毒かもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過る。鷹津の毒を注入され、体も心も侵されていくのだ。 思わず身じろごう