ANMELDEN「それでも減らず口を叩く度胸は褒めてやる。だが、頭はよくない。この状況でそういうことを言えば、半殺しにされても文句は言えんぞ」
鷹津の片手が振り上げられるのを見て、咄嗟に顔を背けてきつく目を閉じる。殴られると思ったのだ。だが、鷹津は予想外の行動に出た。 和彦が着ているシャツの襟元を掴み、一気に引き破ったのだ。声も出せず見上げた先で、鷹津は下手なヤクザよりよほど獰猛な笑みを浮かべていた。「自覚がないようだから、教えてやる。お前は弱くはない。むしろ、したたかだ。したたかで妖しい、〈オンナ〉だ」 鷹津の彫りの深い顔が近づいてきて、有無を言わせず唇を塞がれた。和彦は喉の奥から引き攣った呻き声を洩らし、足をばたつかせ、顔を押し退けようとしたが、鷹津は容赦なかった。 あごを掴む指に力が加わり、骨が砕かれそうになる。同時に、もう片方の手が下肢に伸び、カーゴパンツの上から和彦のものは強く握り締められた。 痛みに、身じろぎもできなくなる。何より、筋肉質で厚みのある鷹津の体は、圧倒的に和彦より重い。この体勢では押し退けられない。守光に対する賢吾の言動を見ている限り、南郷が言ったようなことはありえないと思うのだが、賢吾ほどの男なら和彦を欺くのは容易だと、これまでの経験で骨身に染みてもいる。 急に、賢吾と部屋で二人きりになることが怖くなり、和彦は慌てて布団に潜り込む。そのまま身を固くしていると、しばらく経ってから、引き戸がゆっくりと開く音がした。「――先生、寝たのか?」 低く囁くような声がかけられたが、体を横にして背を向けた格好となっている和彦は、顔が見えない位置なのをいいことに、返事をしなかった。賢吾はそれ以上声をかけてこず、隣で寝る準備をしている気配がする。 それを背で感じていた和彦だが、このまま眠ることはできそうにないため、一度深呼吸をしてから口を開いた。「……今回のことで、ぼくの存在を面倒だと思わなかったか?」 背後で動く気配が止まり、和彦は反射的に身を竦める。数秒の間を置いて聞こえてきたのは、低く抑えた笑い声だった。「先生は、優しすぎるな。もっと傲慢になったらどうだ。人生をめちゃくちゃにしたヤクザ共は、自分のために少しぐらい苦労したほうがいいと。そう思ったところで――いや、それでもまだまだ優しいし、甘いな」 和彦は寝返りを打つと、隣の布団の上で胡坐をかいている浴衣姿の賢吾を見上げる。「別れ際に兄さんから、父さんの伝言を聞かされた。顔を見せに帰ってこい、と……。この言葉を聞いたとき、ものすごく嫌な感覚がした。ぼくの父親は、何があっても、自分の思う通りに息子を従わせるつもりだと」「まさか、父親とも会う必要があるなんて、言うんじゃねーだろうな」 賢吾が大仰に片方の眉を動かして言った言葉に、和彦は目を丸くしたあと、苦笑を洩らす。「少なくとも……、今は必要ない。兄さんと会って、よくわかった。ぼくの要望は、受け入れられない。あの人たちの野心のために自分の身を差し出せるほど、ぼくは優しくも甘くもない」「先生の話を聞いていると、つくづく思う。世の中、いろんな家族の形があるもんだってな」 賢吾が布団を軽く叩いたので、意味を察した和彦は起き上がる。
賢吾が立ち上がろうとしたが、次の守光の発言で動きを止めた。もちろん、和彦も。「――総和会会長の権限で、先生をここで預かりたいと考えている」「権限、か」 発せられた賢吾の声は、静かではあったが、ゾッとするほど冷たかった。守光もまた、同じような声で応じた。「わしにとって、総和会も長嶺組も、同じぐらい大事だ。そのどちらも守るために最大限の努力と警戒をしなければならん」「ここに置いて、先生の身が安全だと言い切れるのか?」 賢吾の問いかけで、和彦の脳裏を過ぎったのは、南郷の顔だった。反射的に和彦は立ち上がり、長嶺の姓を持つ男二人は、わずかに目を丸くする。頭で考えるより先に、口が動いていた。「……ぼくが、総和会と長嶺組から距離を置きます。この世界の組織とはそういうものだとわかってはいますが、父子間で『権限』なんて単語を使われると、側で聞いているぼくが、心苦しいです。組織同士で難しい事態になるというなら、原因となっているぼくが、長嶺の人間と無関係になってしまえば――」「面倒くさい長嶺の男たちなんて、いらねーか?」 軽い口調で賢吾に言われ、和彦はつい睨みつけてしまう。ムキになって言い返していた。「そんなことは言ってないっ。ただ――……」 さらに言い募ろうとしたところで、守光が片手をあげて制する。そして、子の成果を誇る親のような顔で、賢吾を見た。「わしとお前が争う姿は見たくないそうだ。父子関係で個人的に思うことがあるのかもしれんが、わしがこの先生を気に入っているのは、この性質だ。この先生は、長嶺の男たちを繋ぎ、総和会と長嶺組を繋ぐ。それに、お前の執着心の結果として、さまざまな男たちを繋ぐ。使える男たちを」「――……俺以外の男に言われると、けっこうムカつくもんだな」「狭量な男は嫌われるぞ」 賢吾が苦虫を噛み潰したような顔をする。和彦としては、二人が険悪な雰囲気にならなかったことに素直に安堵すべきなのか、戸惑わずにはいられない。所在なく立ち尽くしていると、守光に促され、ぎこちなくイスに座り直す。「まあ、先生に
「面倒や迷惑っていうなら、それはこっちの台詞だ、先生。俺たちはとっくに、先生に面倒も迷惑もかけ通しだ。いや、そんな言葉じゃ足りない。先生の順風満帆な人生を奪ったんだからな。寝首を掻かれても、文句は言えない」「……そんなこと、ぼくにできるはずがないと、思ってるんだろ」 和彦がきつい視線を向けると、予想に反して賢吾は表情を引き締め、自分の首筋に片手をかけた。「やりたいなら、やっていいぞ。組の跡目はもういるからな。こっちの古狐が睨みを効かせている間は、うちの組にちょっかいを出す輩もいないだろうし、千尋でもなんとかなるだろう」 賢吾が本気で言っているわけではないとわかってはいるが、冗談にしても毒気が強すぎる。さきほどから黙っている守光が、さすがに苦笑を浮かべていた。「自分の父親の前で、よくそんなことが言えるな」「――さすがのあんたも困るか? 俺がいなくなると」 こう言ったときの賢吾の声には冷たい刃が潜んでいるようで、聞いていた和彦が驚いてしまう。一体何事かと思い、父子を凝視する。守光は、穏やかな口調で応じた。「困る、困らないという話ではないだろう。息子を失うということは。それにお前は、長嶺組の大黒柱だ。折れることはもちろん、亀裂一本、入ることは許されん。その点では、千尋は柱どころか、ただの若木だ。すんなり伸びて美しいし、しなやかではあるが、弱い。あれはこれからもっと、わしとお前とで鍛えてやる必要がある」「長嶺組に大事があれば、それは、総和会に細い亀裂が一本入りかねない、ということか」「亀裂一本とは、控えめな表現だな。巨体が傾ぎかねんと、わしは考える」「巨体とは、何を指しているんだ。総和会か、それとも――」 賢吾が意味ありげな視線を、守光に向ける。守光は堂々とその視線を受け、笑った。守光のこの余裕は一体どこからくるものなのだろうかと、和彦は考えていた。賢吾を育ててきた父親としてのものなのか、巨大な組織の頂点に立つ者としてのものか。 無意識のうちに息を詰め、二人のやり取りを見つめていた和彦に気づいたのだろう。ふいに賢吾がこちらを見て、わずかに表情を和らげた。「びっくりさせたな、先
「あんたを、長嶺の本宅に直接送り届けなかったのには、それなりの理由がある。わしに――総和会会長に対して、報告の義務を果たしてほしかったからだ。あんたと佐伯家の人間を接触させることに、多少なりと危険を冒したつもりだ。わしも、賢吾も」 長嶺の男は、甘くはない。 和彦は、賢吾の表情をちらりとうかがう。守光の言葉に異を唱えなかったということは、賢吾も同じ意見なのだろう。ここが総和会の本部である以上、会長である守光を立てなければならないということもあるだろうが、賢吾もまた、長嶺組組長として組織を背負っている責任がある。 和彦が頷くと、賢吾に促されてイスに腰掛ける。正面に、賢吾と守光が並んで座ったが、荒々しさを感じさせない顔立ちと物腰の二人から、圧倒されるほどの凄みを放たれ、和彦は息を呑みつつも、改めて実感していた。 背負い、身の内に飼っている生き物は違えど、この二人は血が繋がった父子で、同じ世界に生きる極道なのだと。 和彦の緊張を感じ取ったのだろう。賢吾がわずかに唇を緩めた。「そう、硬くなるな、先生。いつも俺に世間話をしているように、自分の兄貴と何を話したか、教えてくれればいい。何を聞かされても、少なくとも今は、佐伯家にちょっかいを出す気はねーからな」「……今は?」「長嶺の男から、先生を取り上げようとするなら、こっちにも考えがあるということだ」 本当に話していいのだろうかと、急に不安に駆られたが、男たちが何を考え、もしくは企んでいるのか、和彦に読みきることは不可能だ。口を噤んでいることも。 英俊の怜悧な眼差しを思い浮かべ、覚悟を決めた。放っておいてほしいというこちらの気持ちを無視しようとするのなら、ささやかに牙を剥く権利を与えられても許されるだろうと、誰に対してかそう言い訳をしながら、和彦は口を開く。 英俊から聞かされた内容そのものには、特に驚かされるものがあるわけではない。鷹津が得てきた情報が確かなものであったと裏づけが取れたようなものだ。重要なのは、佐伯家が和彦を必要としていると、英俊の口から告げられたことだ。「ぼくの後ろに誰かがいると、感づいているようだった。だけど――…&hell
**** 日曜日の夕方まで、山の中にある隠れ家で過ごした和彦は、説明もないまま車に乗せられて移動する。総和会との関わりで、必要な情報を与えられないまま連れ回される情況に、さすがに慣れた――というより、諦めてしまった。 だからといって、何も感じないわけではないのだ。 車がどこに向かっているのか、さすがに察してしまうと、これだけは慣れない緊張感に襲われる。車が停まったのは、総和会本部だった。 まだ、総和会の人間に囲まれる状況が続くのだろうかと、表現しようのない不安に心が揺れる。促されるまま車を降り、いつものようにエントランスホールを通って、一人でエレベーターに乗り込むと、四階に上がる。 和彦が知る限り、守光の住居空間を守るための配慮なのか、四階には人気がないことが多いのだが、今日は違った。エレベーターの扉が開くと、正面のラウンジに数人の男たちがおり、真剣な――というより、緊迫した面持ちで話していた。一瞬、自分は上がってきてよかったのだろうかと困惑した和彦だが、男の一人がすぐにこちらに歩み寄ってきた。守光の身の回りの世話をしている男だ。「お疲れ様です、佐伯先生。会長がお待ちです」「は、い。……あの、何かあったんですか?」 男は曖昧な笑みを浮かべ、守光の住居のほうを手で示す。「行かれたら、おわかりになると思います。先生でしたら大丈夫でしょう」 気になる物言いだが、男たちの様子は、あれこれと質問できる雰囲気ではない。ますます緊張を募らせて、廊下の突き当たりにあるドアの前に立つ。インターホンを鳴らすと、誰何されることなくドアが開き、着物姿の守光が姿を見せる。「大変だったな、先生。さあ、入りなさい」 温和な表情で守光に出迎えられ、和彦は戸惑う。さきほどの男たちの緊迫した様子と、すぐに結びつかなかったからだ。ぎこちなく玄関に足を踏み入れると、そこに、革靴が並んでいた。和彦は、意識しないまま小さく声を洩らす。「さっきから、あんたの到着が遅いと言って、機嫌が悪い。早く顔を見せてやるといい」 守光に促されてダイニングに向かうと、スーツ姿の
「素直になったな、先生」 唇を吸い合う合間に、そんなことを南郷が言う。和彦は弾んだ息を誤魔化すため、抑えた声で応じた。「ぼくが暴れたところで、あなたは簡単に押さえ込めるでしょう。……ぼくは、痛い思いはしたくないんです。痛い目に遭うぐらいなら、多少の不快さは我慢できます」「不快、か。あんたは、弱いんだか、強いんだか、わかんねーな。まあ、今はっきり言えるのは、俺はあんたとのキスを、かなり気に入ってるってことだ」 次の瞬間、南郷が覆い被さってきて、和彦はベッドに仰向けで倒れ込む。また、体に触れられるのかと身構えた和彦に対して、南郷が甘く恫喝してきた。「セックスみたいなキスをしようぜ、先生。俺を満足させてくれ」 唇を吸われて呻き声を洩らした和彦だが、それ以上の抗議も抵抗もできなかった。南郷が大きな手で髪を撫でながら、下唇と上唇を交互に甘噛みしてくる。合間に歯列を舌先でくすぐられ、肉欲の疼きが体の内から湧き起こる。 昨夜からずっと、南郷によって官能を刺激され、鎮まりかけても巧みに煽られ続けていた。南郷は不気味な男だが、〈オンナ〉である和彦の扱いをよく心得ている。恐怖と屈辱と羞恥だけではなく、しっかりと快感を味わわせてくるのだ。「――今、発情した顔になったな」 唇を離した南郷に指摘され、カッとした和彦は肩を押し退けようとする。おどけた仕種で南郷は体を揺らし、和彦のささやかな反抗を簡単に受け流した。ますます和彦がムキになろうとしたそのとき、部屋のドアがノックされた。「南郷さん、そろそろ出発の時間です」 ドアの向こうからそう声がかけられ、おう、と短く応じた南郷があっさりと体を起こした。唇を拭う和彦を見て、気を悪くした様子もなく南郷が言った。「先生ともっと遊びたかったが、俺の時間切れだ。これでも隊を率いていて、何かと忙しい身でな」「……失点がどうとか言ってましたが、本当は、あなたがここに来るほど、切迫した理由はなかったんでしょう」「切迫した理由はなかったが、来る必要はあった。怖い長嶺組長の目が届かない状況なんて、そうはないからな。先生とは、もっと打ち解けてお
すっかり色づいた胸の突起を指の腹で擦り上げながら、鷹津はもう片方の手で頬に触れてくる。指で唇を割り開かれたので、和彦はその指に噛み付いてやった。 「ぼくは、あんたのものじゃない。あんたが、ぼくの番犬になったんだ」 「ああ、そうだったな……」 鷹津の肩を押し上げると、あっさりと体の上から退く。手を掴んで引っ張り起こしてもらった和彦は、格好を整えた。そんな和彦を眺めながら鷹津は、今日は不精ひげを剃っているあごを撫でる。 「佐伯、一つ忘れるなよ」 「……なんだ」 乱れた髪を手櫛で適当に整えながら、和彦はさりげなく立ち上がる。こん
** 和彦が深く息を吐き出すと、それが肌を掠めてくすぐったいのか、賢吾が小さく体を震わせた。顔を上げると、微かな笑みを返される。うろたえるほどの気恥ずかしさを覚えた和彦は、再び賢吾の胸に頬を押し当てた。 大きなベッドの上で三人で淫らに絡み合い、快感を極め合ったあとだけに、とにかく体が重い。まるでたっぷりの蜜を吸ったようだ。 今は賢吾がこうして和彦の枕になってくれているが、さきほどまで枕になっていた千尋は、シャワーを浴びに行っている。 賢吾の肩にまで彫られた大蛇の巨体を撫でてから、そっと唇を押し当てる。すると賢吾に髪を掻き
なのに今、和彦と鷹津はこうして肌を重ねて、睦言めいた会話を交わしている。 唇を吸い合い、差し出した舌を緩く絡め合ってから、鷹津にきつく舌を吸われる。和彦の胸の奥で、消えることを許されない情欲の火がじわじわと大きくなる。「長嶺組は、でかい組だ。潰すのは容易じゃない。だが、長嶺賢吾という男の面子を潰すことは可能だ。昔と違って、今はあいつの側には、大事なオンナがいるしな」「そのオンナと寝てるだろ、こうして。……ぼくに組長を裏切れとでも、囁く気か?」「あの男を裏切れるか? それこそ、蛇みたいに執念深くて、怖い男だぞ。サ
ああ、と声を洩らして中嶋は苦笑する。怪我をした秦の治療を、和彦に頼んだことを思い出したらしい。 「今になって考えるんですよ。あのときの俺の選択は正しかったのかどうか、と。結果として、秦さんは無事だったし、先生との距離も近くなりましたが……その分、しっかり代償を払ったような気もします」 「君と秦さんとの距離間が、わからなくなってきたか」 中嶋は驚いたように和彦を見て、皮肉っぽく唇の端を持ち上げた。 参ったな……。先生と秦さんが、普段どんなことを話しているのか、すごく気になりますよ。その様子だと、俺のことも聞いているんでしょう?」 「彼の







