Share

*20

last update Last Updated: 2025-06-27 17:00:52

 淹れたてだったコーヒーがゆっくりと冷めていくのを眺めたまま、俺も朋拓も黙っている。ふたりの間に流れる時間が音もなく留まっているように静かだ。

「唯人は、どうして唄い続けているの?」

 しばらくの沈黙ののち、ぽつりと問われた言葉に顔をあげると、見慣れた人懐っこい顔が少し泣きそうな表情をしてこちらを見ている。

 彼が俺を愛し、必要としてくれている理由のひとつは、俺がディーヴァであるということなんだろう。

 それを知った上でも俺がディーヴァを続けている理由……少し考えて、俺は口を開いた。

「唄うことが俺の生きていく|術《すべ》だったんだ。居場所も金も食べ物も、欲しいものはすべて唄うことで手に入れてきたから。でも――血を分けた家族だけは、どうしても手に入らなかった。だから、本当の家族を捜すために唯一知っている子守唄を唄ってネットに投稿したりもしてるんだけど……それでディーヴァになっちゃって、そのおかげで朋拓とも出会えた。俺が、命がけで子どもを産みたいと思える、愛する人に」

 生きていくために作り上げた|偶像《ディーヴァ》は、俺に居場所とか金とかあらゆるものを与えてくれて、そして愛しい人とも引き合わせてくれた。それに関しては感謝している。だからたとえ周りが俺自体ではなくディーヴァしか見ていなくても、それでいいと言い聞かせていた。心のどこかが言いようのない泣き声をあげていても、聞こえないふりをした。

 だけど、ディーヴァによって引き合わせられた彼は、俺がディーヴァでなくても愛してくれている。偶像でない俺を見てくれている。何もないつまらない俺を、愛しいと言ってくれる……それがたまらなく嬉しかった。心の泣き声がどんどん小さくなっていくにつれ、俺の中で密かに抱いていた望みが膨らんでいった。

 それが、朋拓との子どもを産みたいということだ。

 俺の言葉に、朋拓は痛みを堪えるように目を潤ませ、「そっか……そうだったんだね…

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 覆面ディーヴァの俺は最愛の我が子に子守歌を唄いたい   *21

     触れ合うのって、いつ以来だろう――ソファに組み敷かれながら朋拓の舌先に唇にふれられていく肌が、自分でもわかるぐらいに赤く染まっていく。 組み敷いて、シャツを捲りあげて胸元に口付けまでした段階になって、朋拓の動きが停まる。「どうしたの?」「……ここから先、シてもいいのかなぁって思って……」 そうだ、治療を始めたこと自体でもめてしまっていたから、生活をしていく上での細かい注意事項をちゃんと伝えられていなかったのを今更に思い出した。いかに俺らはすれ違い食違いしていたのかを思い知らされる。ふたりの子どもが欲しいと思っていたのに、心の距離がわからなくなるくらいに離れていたなんて。 改めて気づかされた現実に俺は胸が苦しくなってきて、腕を伸ばして朋拓を抱き寄せた。「唯人?」「……ごめん、朋拓……俺、全然朋拓のこと考えきれてなかった……朋拓との子どもが欲しいって思ってるのに、色々話せてなかった。大丈夫、全然問題ないから、シよう」 抱き寄せて涙声になる俺を、朋拓はそっとやさしく撫でてキスをしてくれる。触れられたところがほんのりと熱い。 抱き合った体勢のまま、朋拓は俺の肩のくぼみに顔をうずめてきつく口付けてきた。噛みつかれるようなそれは甘い痛みがあって、俺が彼のものにされている印が刻まれているのがわかる。それが今日はたまらなく嬉しい。 そのまま朋拓は舌先で鎖骨の輪郭をなぞり、それからすぅっと露わになっている胸元へたどり着く。チュッと音を立てて胸元に吸い付き、なぶるように舌先で味わっている。「っは、あぁ、んぅ」「唯人、ずっと触ってなかったからかな……すごく甘い味がする」「なっ、何言っ……あ、んぅ!」 胸

  • 覆面ディーヴァの俺は最愛の我が子に子守歌を唄いたい   *20

     淹れたてだったコーヒーがゆっくりと冷めていくのを眺めたまま、俺も朋拓も黙っている。ふたりの間に流れる時間が音もなく留まっているように静かだ。「唯人は、どうして唄い続けているの?」 しばらくの沈黙ののち、ぽつりと問われた言葉に顔をあげると、見慣れた人懐っこい顔が少し泣きそうな表情をしてこちらを見ている。 彼が俺を愛し、必要としてくれている理由のひとつは、俺がディーヴァであるということなんだろう。 それを知った上でも俺がディーヴァを続けている理由……少し考えて、俺は口を開いた。「唄うことが俺の生きていく|術《すべ》だったんだ。居場所も金も食べ物も、欲しいものはすべて唄うことで手に入れてきたから。でも――血を分けた家族だけは、どうしても手に入らなかった。だから、本当の家族を捜すために唯一知っている子守唄を唄ってネットに投稿したりもしてるんだけど……それでディーヴァになっちゃって、そのおかげで朋拓とも出会えた。俺が、命がけで子どもを産みたいと思える、愛する人に」 生きていくために作り上げた|偶像《ディーヴァ》は、俺に居場所とか金とかあらゆるものを与えてくれて、そして愛しい人とも引き合わせてくれた。それに関しては感謝している。だからたとえ周りが俺自体ではなくディーヴァしか見ていなくても、それでいいと言い聞かせていた。心のどこかが言いようのない泣き声をあげていても、聞こえないふりをした。 だけど、ディーヴァによって引き合わせられた彼は、俺がディーヴァでなくても愛してくれている。偶像でない俺を見てくれている。何もないつまらない俺を、愛しいと言ってくれる……それがたまらなく嬉しかった。心の泣き声がどんどん小さくなっていくにつれ、俺の中で密かに抱いていた望みが膨らんでいった。 それが、朋拓との子どもを産みたいということだ。 俺の言葉に、朋拓は痛みを堪えるように目を潤ませ、「そっか……そうだったんだね…

  • 覆面ディーヴァの俺は最愛の我が子に子守歌を唄いたい   *19

     退院はそれから三日ほど後に決まって、当日はやっぱり朋拓の都合がつかなくて平川さんが迎えに来てくれた。 退院したとはいえ、また来週にも定期健診で来なくてはいけないので名残を惜しむような別れなんてない。また来週ね、なんて言われて手を振られ、迎えの車に乗り込む。「この前も話したけれど、しばらくは自宅での制作にあたってもらうから」「曲作りだけでいいの? 歌は?」「無理じゃないならお願いしてもいいかしら。家である程度作り込めるだろうから、作った音源をこっちに送ってちょうだい。そのあとは共演者に任せてアレンジとかしてもらうから」「つまり、ライブをしないってこと? 収録したものも?」「そうね、収録もあったとしても数は減らしていくわ。とにかく唯人の体に負担をかけないようにしていくことにしたから」「べつにまだ妊娠すらしてないし、妊娠してたって少しは唄ってもいいって言われてるんだけどな」「いまは、の話でしょう? でも妊娠はいつするかわからないし、今回の件だってまだ安静にしておくようには言われているんだから、ひとまず仕事を減らしていくのがいいんじゃないかと思ったの」 退院にあたっての注意事項はしばらく安静にということ。身体が薬でどんどん変化してきているのでそれに対応するには体にあまり負担をかけない方がいいのだと言われた。 俺がディーヴァであることを知っている蓮本先生は、どうして俺が倒れるまで仕事をしているのかその理由がプロとしてのプライドというより意地にあるわかってくれたようだ。だから余計に、無理をしないようにともきつく言われている。「世界中の注目の的であることのプレッシャーは、僕らが考えているよりもずっと強いものだと思います。その中でこれから妊娠に向けて身体が変化していくので、なおのことそういったものへ過剰に反応していく恐れがあります」 だから、ライブを控えるようにと強く言われたんだろう。その理由は納得がいくし、唄うことまで止められていないので俺はひとまず安堵していた。家を出るこ

  • 覆面ディーヴァの俺は最愛の我が子に子守歌を唄いたい   *18

    「最近すごくお疲れみたいですけど、何かありました?」 朋拓と通話した日の翌々朝、いつもの検温をしてもらっていたら有本さんが不意にそんなことを訊いて来た。 今朝は泣き腫らしてもいないし、昨日の夕食だってその前だってちゃんと全て食べたのに、有本さんは俺の曇っている胸中を見透かすようなことを言ってくるのだ。「え、別に何も……。なんでそんなこと訊くんです?」「んー、看護師の勘、って言うと|胡散臭《うさんくさ》いですけど、患者さんの心が上の空な時ってなんとなくわかるんですよね。表情がいつもより晴れていないとか、逆に妙に明るいとか。ご本人は無意識なんでしょうけれど、平静を装うとしているのがわかるんです」 なんて、胡散臭いですよね、やっぱり……と、有本さんは苦笑しながら検温や血圧測定の道具を片付け始めたのだけれど、俺はその鋭さに言葉が出なかった。 唖然としている俺をよそに、有本さんは更にこうも言う。「独島さん、いつも素っ気なくはあるけど私の処置とかちゃんと見てるし、お薬の説明もちゃんと聴いてるのに、なんか一昨日くらいからちょっとぼーっとしてる感じがして、大丈夫かなぁって思ってるんですよ」 俺としてはいつも通りを装いきれていると思っていたのに、プロの目というのはごまかしが効かないんだなと改めて痛感させられる。 衝撃を受けてうつむく俺に、有本さんがいつもと変わらない明るさでこう言ってくれた。「パートナーの方と、何かあったんですか?」「え……」「踏み込んだこと訊いてしまってごめんなさい。でも、患者さんの体調とかメンタルに影響するような方なら先生に相談した方がいい気がしたんで」 あの日以来、一番理解してもらいたい朋拓と連絡を取り合えていない。正確に言えば、俺からテキストで、だけれどメッセージを送っても返

  • 覆面ディーヴァの俺は最愛の我が子に子守歌を唄いたい   *17

     結局その日は気まずくそのまま通話を終え、俺はそのまま夕食が運ばれてくるまでベッドに潜り込んでいた。 看護師の有本さんが夕食を運んでくるまでベッドの中に潜り込んでいたのだけれど、物音と気配で被っていた掛け布団を跳ねのけて起き上がったら有本さんがぎょっとした目で俺を見ている。「……ごめんなさい、起こしちゃいましたね」「いや、別に……」「ご飯、ここに置いておきますけど……食べられそうですか?」「え? あ、はい……」 無理しなくていいですからね、と心配そうに言われて夕食の病院食の載ったトレイを有本さんは置いていったのだけれど、その表情はひどく心配そうにしていた。 そんなに俺のいまの顔ヘンなんだろうか……そう思いながら部屋に備え付けの洗面所まで手を洗いに行った時にふと覗き込んだ鏡を見て愕然とした。あまりにひどい顔をしていたからだ。髪はぼさぼさで目許は泣き腫らして赤くなり、いかにも泣きまくっていたことが丸わかりな姿だった。 朋拓との電話の後、俺はベッドの中に潜り込んで泣いている内に泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。心なしか声も嗄れ気味で、これでは心配されても無理はない。むしろ心配してくれと言わんばかりだ。 この姿を写真にとって朋拓に送りつけてやろうかなんて一瞬考えもしたけれど、あまりにバカらしくて溜め息も出なかった。それじゃあ構ってくれと駄々をこねる子どもと一緒じゃないか、と。 そんなことをしたところで朋拓が俺の子どもを産みたいということを理解してくれるとは思えないし、むしろ逆効果だ。「だからって、あんなに反対されるなんて思わなかったな……。俺が大事なことはわかるけど、あんなに頑なに反対しなくてもいいのに……」 朋拓には俺に家族がいなかったことや施設育ちであることはなんとなく言って

  • 覆面ディーヴァの俺は最愛の我が子に子守歌を唄いたい   *16

     入院してから体調が格段に安定してきたのですぐに点滴も取れ、行動範囲がだいぶ広がった。 毎日のように平川さんは見舞いに来てくれて、今後の話をしていく。 朋拓とは、一応毎日メッセージをやり取りしたり、時々ホログラムでの通話をしたりしている。 感情が高ぶってしまってまともに話せなかったあの日のことをお互いに謝り合いはしたのでとりあえずの和解はしたけれど、なんとなくあれから今までのようになんでも腹を割って話せているような感じがしない。ホログラム越しだからというだけでなく、なんとなく俺と朋拓の間には見えない膜のようなものがある気がする。『この前の絵、正式にジャケットに採用されたよ』「そうらしいね。昨日平川さんから聞いた。おめでとう」『ありがと、唯人』 本当ならば俺と直接会って喜びを分かち合いたいだろうに、何か遠慮しているのか、朋拓はあの日以来見舞いに来ていない。 ふたりの間に膜が張っている気がするのは、やっぱりあの治療のことを明かしたことが原因なんじゃないだろうかと思っているし、それしか考えられない。そうでないなら、一体何が俺らの間を濁してしまっているというのだろうか。 ディーヴァの新曲の限定アナログ盤ジャケットに採用されたことで朋拓はより一層有名になり、SNSやメタバースの管理もそろそろ自分一人では限界が来そうだと苦笑している。「じゃあ、個人事務所でも立ち上げたりするの?」『うーん……そうするほどなのかなぁと思ってて。だってまだ今はたまたま世間に知られてるだけかもしれないし、この先も続くかわからないし』「案外慎重だね、朋拓」『フリーランスだからね。それに、人を雇うと色々お金もかかるから……やるならAIに管理してもらうかもな』 とは言え、そろそろお金のことは人間の専門家に頼むかもという話をしたり、ディーヴァきっかけでまた新たに音楽関係の仕事が入ったりしているという話をしたり、一見する

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status