初めての診察日は、五日後の午後だった。産科は基本女性しかいないのと、コウノトリプロジェクトがなかなかデリケートなことなので、俺の場合は、午前中の外来が終わった後に診察と治療が行われるんだという。
しんとしていて、ほとんど人がいない大学病院のフロアは独特の静けさがある。パステルピンクを基調とした産科のフロアは明るくて、どことなくやわらかなやさしいにおいがする。
「独島さんはぁ……身長が一六〇センチで、体重が五〇キロ……血圧は……」
診察はいつも体重と血圧を測ることが義務付けられているらしく、今日は初回なので看護師にやってもらっている。
「血圧は問題ないですけど、ちょっと独島さん細めなので、なるべくたくさん食べてくださいね。そうするとお薬も効きやすいし、赤ちゃんもできやすいので」
「あ、はい」
「このあと先生からお薬の説明がありますので、お待ちくださいねぇ」と言いながら、看護師は忙しそうに診察室を出て行く。
入れ替わるように俺の主治医となった蓮本先生が入ってきて、心音を聞いたり体調を訊いたりしてきた。
「で、これがこれから独島さんに毎日飲んで頂くお薬です」
そう言って、薄いオレンジ色の風邪薬みたいな楕円形の錠剤の並ぶシートを差し出された。これを、毎日欠かさず三食飲むことから治療が始まる。
「効用は個人差ありますが、数カ月くらい飲むと少しずつ体が変化してくると思います。胸が張るような感じがしたり、お腹……下腹部ですね、がじんわり痛くなったり。それらはホルモンによる副作用です。ほとんどはすぐに回復しますが、あまりにツラかったらご連絡ください。緊急事態でなければリモート診察いたしますので」
「はい、わかりました」
「何か、わからないことや、気になることはありますか?」
「え、ッと、あの……薬飲んでる間って、その……セックスってしていいんですか?」
「ああ、はい。体調がいいのであれば問題ありません。ちゃんと射精もしますよ。ただ、薬の効き目が強くなってくると、射精量は減ると思いますが」
「あの、それでデキるってことは……」
「うーん、それはあまり可能性がないかと。腹腔に着床させる治療ですからね。そういう事での妊娠例もいまのところありませんし。そもそも、この段階の薬を飲む程度ではそこまで妊娠しやすくはなりにくいですから」
服薬で順調に体調が変わってくれば、早ければ二~三か月ぐらいで点滴治療も加わるんだという。そうして段々身体を変化させていって、妊娠できるようにしていくんだ。そうして妊娠できたなら、最短で一年弱くらいで子どもを産むことになる。
一年弱……その間、俺は薬や点滴をして身体を変えていきながら、ディーヴァもやっていくことになるのだ。いつまで俺がディーヴァでいられるのかはわからないけれど、出来るだけ長くたくさん唄っていけたら、とは考えていた。もし万一俺が死んだとしても、すぐにこの世からディーヴァが消えてなくならないように。
「ところで、独島さんのお仕事って何ですか? 立ち仕事だったりします? 何か重たいものを持ったりだとか」
唐突に仕事のことを訊かれ、俺は一瞬ディーヴァであるかどうかを告げるのをためらった。ディーヴァであることは、ごく限られた人間の間でしか共有されない秘密としているからだ。
とは言え、ここは患者の命を預かる病院であり、特にここはコウノトリプロジェクトという究極のプライバシー事項を扱う病院でもある。そう考えたら、素直に事実を告げておく方がいいだろう。
「歌を、唄ってるんです」
「ほう、歌手ですか。アーティストって言うんですかね。僕もディーヴァとか良く聴くんですよ。もしかして歌声への影響を心配されてます?」
「あ、はい……俺、そのディーヴァなんで、歌声が大きく変わったら困るんです」
俺の答えに蓮本先生は目を大きく見開いた表情をし、「そうなんですか?」と、声を潜め、控えめに驚いていた。診察室で大きな声を出すわけにはいかないとは言え、それでも感情を隠せないのがちょっとおかしかった。
俺がディーヴァであると知った先生は、「それならかなりお忙しいのでは?」と、訊いてくる。
「えーっと……ライブ本番はいまのところ月一~二くらいで、そのリハと、他にレコーディングもあって……」
ざっくりと俺の普段の仕事のスケジュールを話すと、先生は腕組みをして少し考えこみ、やがて考え考えしながら口を開く。
「そうですねぇ……ホルモンの影響で多少……若干ですが、声に影響は出るかもしれません。急にものすごく音が高くなるとかではないと思うんですが、もしかしたら、プロの方は気になるかもしれません」
「あ、そうなんですね……なるほど」
「声もですけれど、何よりライブとか仕事におけるプレッシャー、緊張されることもありますよね? そういうものがホルモンによって影響を強く受けることもあるかもしれない、という事は頭の隅に置いておいてください。情緒不安定になるケースもなくはないので」
ホルモンのバランスを変えるのだから、それは仕方がいない副作用だと先生は言い、より詳しい影響の書かれた資料のQRコードを教えてくれた。
基本、ホルモン剤を投与する治療の間は、治療というけれどサプリを摂取する感覚に近い、とも蓮本先生は言っていたので俺は少し安心する。薬がものすごく苦かったりしたら毎日続けるのにちょっと困るからだ。
ただ少し、声への影響が心配ではあるけれど、こればかりはやってみないとどれくらい影響が出るかわからないらしい。
「副作用の強さは個人差が大きいですし、独島さんは初めての事ばかりなので不安も大きいかと思います。もし少しでも不安があったり、いつもと違うなと思うことがあったらいつでもご連絡ください。リモートでカウンセリングもしますので」
にこやかにやさしくそう言ってくれた蓮本先生と、付き添いの看護師の雰囲気に安心して、俺はこの病院で治療を受けることを決めて良かったと思った。
病院を出るともう午後遅い夕暮れ近い空になっていて、帰りつくともう夕方の六時過ぎだった。
早いけれどもう夕食にしようと思いながら冷蔵庫を開け、蓋を開ければすぐできるインスタントのパスタを取り出す。パスタを食べながら、ふと、こう言う食事とかもあんまりしていたらなんか言われるのかな? と思ったけれど、とりあえず今日はいいか、と思いながらそのまま食べた。
食後、さっそくもらってきた薬を一錠手のひらにとる。薄オレンジの楕円形のラムネのような薬。
ミネラルウォーターでぐいっと一気に飲み込むと、すーっと喉を通って腹の中に落ちて言った気がした。
「……まあ、さすがにまだ何にも変化ないか」
なんとなく胸元を触ったり、下腹部まで手を伸ばしてみたりしたものの、さすがにいますぐに何かが変わる様子はない。処方された薬は次の診察日――翌月の今日、同じ時刻までなのでかなりの量がある。
これをこれから毎日毎食後か……もうさっそく軽くうんざりしつつも、望みを叶える為の一歩なのだからと、俺はひとつ息をついて薬を片付けに行った。
「あれ? 唯人風邪でもひいた?」
十日後、珍しく朋拓と一緒に出掛けて外で食事をした時、さり気なく薬を飲もうとしたら、目ざとく見つかった。
ここで、「実は――」とでも言えれば良かったのだろうけれど、生憎そこは騒がしい音楽のかかっているダイニングレストランだったし、そもそも声を張り上げるようにしてまで口にする話題には思えなかったし、何よりこの前の言葉がまだ俺は引っ掛かっていた。
だから俺は、ただ首を横に振って、「風邪じゃないよ」とだけ告げる。
「じゃあ、|腹痛《はらいた》?」
「病気じゃないって。サプリみたいなもんだよ」
「…………」
「何、その目」
俺の言い訳に朋拓が何か|訝《いぶか》しげな眼をしているので、ムッとして問うと、朋拓は少し首を傾げて答えた。
「いや、なんかいままでそんな、健康志向なこと言わなかったのになーって思って」
「俺だってサプリぐらい飲むよ」
「ふぅん……それ、本当にサプリ?」
疑うようなことを珍しく言われ、胸が音を立てる。でも、まだ投薬始めたばかりで特に体に変化もない段階で、妊娠のための治療をしているといっても信じてもらえないだろうし、何より先日の朋拓の考えを聞いてしまった手前、もう既に治療を始めているとは言い出せない。そんな危険なことを勝手にして! と言われるんじゃないかと思ったのだ。
「わざわざ俺がいるところで見せつけるように飲むってあやしい~」
でも朋拓が言いたいのは何か違うところにあるようで、俺は水で薬を飲み下しながらゆったり微笑んでこう囁いてやった。
「――じゃあ、本当にサプリかどうか、確かめに行く?」
朋拓の耳元に息を吹き付けるように言うと、その耳が赤く染まっていく。やっぱり、朋拓はいま俺が飲んだのは、いわゆる媚薬的な何かだと思っているようだ。
赤く染まった耳から離れて顔を見つめると、その顔が鼻先まで染まっている。でも目は恥じらっている様子はない。むしろ嬉しそうに細められている。
「いいね、行こうよ」
朋拓がうなずいたが早いか、俺は彼の手を取って席で会計を済ませ、そのまま店を後にした。そうして、朋拓からの“チェック”を受けるために裏通りに並ぶラブホ街へと並んで歩いて行く。
けばけばしいネオンがふたりを歓迎するように瞬いていた。
コウノトリプロジェクトの治療を始めたとはいえ、やっていることは薬を飲むことだけなので、いまのところ生活にも体調にも大きな変化はない。毎食後に投薬すること以外、俺の生活にも取り巻く景色にも変わったところは見当たらない。 基本的に、自宅で歌の録音をしたり曲作りをしたりしている日々なので、人に会わないとなるととことん会わない生活だ。ちょうど朋拓の仕事も繁忙期に入ったとかで連絡がメッセージアプリ経由ばかりだ。 なんだ、思っていたよりはたいしたことないな――そう、思い始めて五回目の診察日を控えた前日の夜だった。「……ごめん、ちょっと、今日無理かも」 久々に、いつものように朋拓の部屋に遊びに行って、デリバリーの食事をとって映画を見ながらじゃれ始めたのだけれど、妙に胸やけがして気持ちが悪くて、俺はキスをしてくる朋拓をそっと押しとどめる。 吐きそうだけれど、そこまで込み上げていない中途半端な気持ち悪さで、とてもセックスできそうになく、俺は押し倒されて横たわったまま寝返りを打つ。 朋拓は心配そうに俺の額を撫でていて、「大丈夫? 救急とか行く?」と、スマホを手のひらに起動させておろおろしている。「大丈夫、そこまでないから……」「顔色悪いな……水分取った方がいいんじゃない?」「じゃあ、水ちょうだい」 オッケー、と言いながら朋拓がいそいそとキッチンの方に向かった隙に、俺は服のポケットからいつもの薬を取り出し、口に含む。おそらくこれのせいで具合が悪い気がして、やっぱり治療のことを言えないと思った。 朋拓が水入りのグラスと何かを持って戻ってきて差し出してくる。「なにこれ?」「痛み止め。頭とか痛かったら飲んだらどうかなって思って」「頭は痛くない。平気だよ」 そう言ってひったくるようにグラスを受け取り、一気に半
初めての診察日は、五日後の午後だった。産科は基本女性しかいないのと、コウノトリプロジェクトがなかなかデリケートなことなので、俺の場合は、午前中の外来が終わった後に診察と治療が行われるんだという。 しんとしていて、ほとんど人がいない大学病院のフロアは独特の静けさがある。パステルピンクを基調とした産科のフロアは明るくて、どことなくやわらかなやさしいにおいがする。「独島さんはぁ……身長が一六〇センチで、体重が五〇キロ……血圧は……」 診察はいつも体重と血圧を測ることが義務付けられているらしく、今日は初回なので看護師にやってもらっている。「血圧は問題ないですけど、ちょっと独島さん細めなので、なるべくたくさん食べてくださいね。そうするとお薬も効きやすいし、赤ちゃんもできやすいので」「あ、はい」「このあと先生からお薬の説明がありますので、お待ちくださいねぇ」と言いながら、看護師は忙しそうに診察室を出て行く。 入れ替わるように俺の主治医となった蓮本先生が入ってきて、心音を聞いたり体調を訊いたりしてきた。「で、これがこれから独島さんに毎日飲んで頂くお薬です」 そう言って、薄いオレンジ色の風邪薬みたいな楕円形の錠剤の並ぶシートを差し出された。これを、毎日欠かさず三食飲むことから治療が始まる。「効用は個人差ありますが、数カ月くらい飲むと少しずつ体が変化してくると思います。胸が張るような感じがしたり、お腹……下腹部ですね、がじんわり痛くなったり。それらはホルモンによる副作用です。ほとんどはすぐに回復しますが、あまりにツラかったらご連絡ください。緊急事態でなければリモート診察いたしますので」「はい、わかりました」「何か、わからないことや、気になることはありますか?」「え、ッと
「あらぁ、そう。でもそれはまあそうでしょうねぇ」 翌日、自分の部屋に戻りながらの道中、次の曲のコンセプトの話し合いをレコーディングスタッフとリモート会議の前に、平川さんと二人で話をする時間があったので昨日の話……というか、愚痴を言った。そしたらこの反応。「それはそう、って……でもさぁ、もしかしたら俺がそういうのを望んでいるかもってチラッとでも想像してくれたって良くない?」「まあそうではあるけれど、それはちゃんと口にしてみないとわからないことだしねぇ」「事務所の社長だっていいっていてくれたし、平川さんだっていいと思ってくれてるし、何よりあいつは俺とのこと家族になりたいと思ってくれていると思ったのに……」「仮定の話であっても彼は唯人のことが心配なんだよ、命がけなのは確かなんだから」 良い彼氏じゃない、と言う平川さんの言葉も、朋拓の考えも間違いだとは俺には言い切れないし、似たような理由でコウノトリプロジェクトに強く反対する人は多いし、断念する人たちもいる。それだって相手を想ってこその考えから来ている。 だからこその今回の公費の増額が決まったのだろうし、逆に言えばそうまでしないとこの国の人口減少は止められないとも考えられる。 じゃあ俺の望みはその人口減少を食い止めたいからプロジェクトに参加するという志なのか、と言うと、そうではなく、ただひたすらに個人的な望み――俺と血を分けた我が子を抱き、俺が唯一知る子守唄を歌い継ぎたい、という望みを叶えたいだけだ。それをワガママだと言われてしまえばそれまでの話になってしまうのだけれど。 単純に俺が朋拓を愛しているから、コウノトリプロジェクトにいますぐにでも朋拓の賛同得て妊娠出産を、と考えるのにはもう一つワケがある。 コウノトリプロジェクトには、自然妊娠が難しい女性の身体を妊娠させる治療と、男性の身体を母体としての妊娠と出産を行うために治療を施すことがあり、俺が挑みたいのは後者だ。 そのためには自
コウノトリプロジェクトに参加、という形で生殖医療の治療を受けて妊娠できるようになるためには、実施している病院の窓口に問い合わせをして、定期的に開催されている説明会に一度は必ず参加しなくてはいけない。説明会は大体月一で開かれているようで、夫婦(夫夫・婦婦)ならそのふたりで、シングルであれば本人のみでも参加できるという。説明を受けてカウンセリングなんかも受けた上で、本当に治療に臨むのかを決める。 治療、特に妊娠~出産は主に母体となる側の負担が大きく、何より命がかかっている。そのため“ふうふ”であろうと、シングルであろうと、他の家族の同意書が必要になるそうだ。その点で言えば俺は天涯孤独ではあるけれど、一応家族同然となっている平川さんと事務所の社長の意向くらいは聞かないといけない。数少ない、ディーヴァの正体を知る存在なんだから。「社長、案外あっさりオッケーくれたね」「そうね。社長は唯人には甘いからね」「ディーヴァだから?」「そりゃそうよ。プラチナムで一番の稼ぎ頭なんだから。活動に支障がないならいいよって話なのよ」 事務所からの許可は得られたと思うので、その点は大丈夫だろう。 治療については、まず妊娠できる体にするために、女性ホルモンの凝縮されたような効果がある薬を毎日飲むことや、時々点滴もしなきゃいけない。 女性はもともと子どもを宿し育てられる子宮があるので、相手の細胞を採取してそれで精子を作り、母体になる相手の卵子と体外受精させて胎内に着床させればいい。だから妊娠出産の成功例がとても多い。 しかし、男性はもともと子どもを宿すという機能が備わっていないのに、そこに妊娠をさせて出産をさせるので、高度な危険が伴うと言われている。そもそも着床率が女性に比べて格段に低いんだそうだ。 基本的治療として行われる、細胞を採取して卵子を作り出すことは比較的容易とされているし、受精卵を作るのも体外受精ならば問題はないはずなのだが――(でも、男は腹腔ってところに着床させて妊娠に持ってかなきゃだから&hell
昔と違って男性同士でも結婚をこの国でも出来るようになってずいぶん経つけれど、俺と朋拓はいまのところ互いの家を行き来する恋人同士の関係に留めている。 そろそろ同棲したいみたいなことを朋拓がよく言うこともあるし、そうするなら結婚してしまった方がいいんじゃないの? と周囲からは言われているし、実際結婚している同性愛者の知人は多い。 でもせっかく家族になるのなら、俺は自分のたっての望みを叶えたいと思っている。それに賛同してくれるなら、朋拓と一緒に住んでもいいかなと考えてはいる。 考えてはいるのだけれど、それを叶える為に協力して欲しい話を俺はもうかれこれ数か月切り出せないままでいる。「そうは言っても、いつまでもいまのままじゃいけないんじゃない?」 レコーディング前のリモートのミーティングで、俺のマネージャーであり、俺がディーヴァであることを朋拓以外で知っている数少ない存在のうちの一人である平川さんが呆れたように言う。 平川さんは俺がネット上にひっそりと投稿していた俺の歌声を拾い上げてくれた恩人で、家族のいない俺の親代わりのようなところも担ってくれている。「だってさぁ、“お前の子どもが欲しいから家族になってくれ!”なんて旧時代すぎて退かれちゃいそうな気がして。それじゃなくても、あいつに俺との子どもが欲しいかどうかって気持ちがあるかもわからないし」「でも、ディーヴァであることは結構あっさり受け入れてくれたんでしょう?」「声が似てると思ってたんだよね! って言ってるくらいに勘が良いからね……正直、ディーヴァであることを明かした時の方が気持ちが楽だった」 付き合いだしてすぐ、朋拓が家に遊びに来た時にうっかり仕事部屋を覗かれてしまって、趣味で歌を唄っていると最初は誤魔化せていたのだけれど、俺があまりに頑なにディーヴァを避けるものだから、逆に怪しまれて質問攻めにされたのだ。 その上、朋拓は俺の仕事の人ディーヴァのライブが重なっていることにも気付き
どこかでアラームが鳴っている。寝ぼけながら中空に手をかざすと、音は聞こえなくなった。センサーに体温が反応して目覚めたと感知したのだろう。 アラームのせいで意識は覚醒してしまったので薄っすら目を開けると、隣では根元が黒い金色の乱れた髪のガタイの良い若い男が眠っている。 カーテンを開けると窓の外は今日もいつもと変わりなく快晴の穏やかな風景が広がっていて、眼下の道を自動運転の車が音も立てずに行きかっている。 時刻は朝の九時過ぎで、昨日抱き合う前に少しインスタントのパスタを摘まんだくらいなのでさすがに空腹を覚えていた。「朋拓、起きて。俺お腹減った。なんか食べに行こうよ」「ん~……」 ベッドに座って朋拓を揺り起こすと、朋拓は大きな身体を反転させながらこちらを向いて大きくあくびをする。 ぐずぐずとシーツに伏せたりなんだりしてようやく朋拓は顔を上げ、「……おはよ、唯人」と弱く笑った。「ねえ、なんか食べに行こうよ。もう九時過ぎだし。腹減ったよ」「そうだなぁ……んじゃあ、原宿の方まで出る? スープデリの店ができたんだって」「いいね、行こう。あ、通行アプリの申請の期限切れてない?」「あー……大丈夫だったはず……」「ちゃんと見といてよ。また朋拓の保証人になるのいやだからね」 環境汚染が進みすぎた結果、いま街は汚染された空気を互いに流入させないために、区域ごとに分厚いガラスドームに覆われて区切られている。そして居住区からどこかへ移動する際には国がリリースしている通行アプリをダウンロードして、通行申請をしないといけない。申請には期限があって、それが切れているとよその街には行けないようになっている。「そうだよね、保証人なりすぎるとその人も通行規制入るんだもんね」「ディーヴァが