Se connecterその後流星は、川村と共に山川温泉の華月旅館でのんびりと温泉に浸かっていた。
平日ということもあり、温泉の露天風呂は自分たち二人しかいない。川のせせらぎが聞こえて来て、少しひんやりとした風が頬をすり抜けていくのが気持ち良い。
「いいお湯ですね」
流星は、はーっと一息吐いた。
先ほどの、瞳の最後の言葉が気になってしまって、ずっとモヤモヤしている。せっかく、滅多に体験できない高級温泉旅館に宿泊出来るというのに……ああ!忘れろ!忘れてしまえ!
流星は自分の頭にそう言い聞かせていた。
川村はそんな流星の様子に気づかず、流れる汗を拭い外の風景に目を移している。「本当にいいお湯だな。有名な温泉でもないのに、さすが久保田課長だよ。よく、知っている」
だが、しばらく温泉を楽しんだ後は、少し緊張が取れたのだろう。先ほどの倉坂瞳についてつぶやいた。
「18万はぼったくりだよ。1万でも考えるね」
突然、川村から前触れもなく言われた言葉に、流星は忘れることを諦めた。
「18万なんて、俺の初任給の手取り1か月分ですよ」
そう批判めいた口調で、流星も川村に合わせようとした。
川村もその反応に満足そうな顔をして、話を続ける。「ああいう人の足元を見る商売をする奴らが、俺は一番嫌いなんだ。遺族にああいうのが、たかるんだよ。占いとか、宗教とか」
その気持ちはとてもよく分かったので、流星も頷く。
被害者や遺族に、わざと誹謗中傷をしてくる人や、先祖の供養が悪いからこうなったのだと言ってくる人、霊に呪われているのだという霊媒師や、警察以上に調査できるという言葉で商売する探偵など……
人の不幸を商売や思想に使う人間を、流星も軽蔑していた。
そして、そんな家族の苦しみを知っているくせに、18万をふっかけたあの女性に、川村が嫌悪を持つのも当然……
ただ、彼女が売り込みに来たわけじゃなくて、今回は俺たちが押しかけたのだ。
そうなると、自分たちも同じことをしていることにならないか?そして、あの能力……嘘だと言い切っていいのか?
電子タバコのトリックはどうなっていたのだろう? 瞳が川村係長の名前を言い当て、俺たちがここに泊まることがなぜわかったのか?そう考えると、再びドツボのループにはまっていく。
だめだ!彼女のことが頭から離れない!
「先に上がらせてもらいます」
ザバッ!
流星は、勢いよく立ち上がり、温泉から出て川村がまだ温泉にいることを確認する。
そして、ロビーで、久保田に今日の報告の電話を入れて、状況を伝えた。「それ、立て替えてくれるか?必ず戻ったら払う。あの女の子には、それだけの価値がある」
へっ?
「いや、でも……」
まさか、18万を払うというとは思わなかった。
「久保田課長……定年後、詐欺電話に騙されますよ」
流星は、どう説得してやめさせようか考える。
だが、久保田は、彼女に対しての疑いを全く持っていなかった。「お前はあの子のことを知らないからそんなことを言うんだ。受けてくれるなら確実だ。川村には言わず、遺留品を彼女の元に持っていけ!こっちに戻って仕事を作るから、お前はあと1日、滞在しろ!いいな」
…… いいなって――
それ拒否権ないよな。
「……わかりました」
しぶしぶ、不服そうに返事をしたが、久保田の気持ちも分からないでもない。
あの電子タバコ……本当に彼女の能力を持っていて、俺たちの素性を調べたのだとしたら、最強すぎだろ。
少なくとも、久保田課長は、倉坂瞳の力は本物だと思っているんだから話は平行線だ。最後に瞳が言い残した言葉よりも、あの電子タバコのトリックが気になっていた。
もう一度話せば、彼女の人となりが見えるかもしれない。
そして、もう一度彼女の力を見てみたい。流星は、友達と会うことになったので、もう1日ここで過ごすことにしたと川村に告げた。
「そうなのか?俺は、別件のホシが動き出したみたいだから、明日には戻らないと……」
「そうなんですか?それじゃ、課への土産は、俺がひとり旅に行ったことにして買って帰りますから……」
久保田課長がうまく根回しをしてくれたみたいだ。
課長から、仕事を振られたらここに残る選択肢はなくなるもんな。ここを訪れていることは課内の誰も知らない。
別に土産なんていらないだろうが、課長の金で来ている手前、なんとなく手ぶらも悪い気がする。流星は、何個買って帰ろうかと頭の中で計算を始めた。
「大川、依頼はダメだったし、遺留品は倉庫に返しておくよ」
川村に手を差し出され、やっぱりそう言われるよなと流星は、こっそり遺留品とすり替えた鉛筆を川村係長に渡す。
自分が持っていた鉛筆を、同じくらいの長さまで削った。
同じメーカーで同じ塗装の鉛筆だ。 多分、大丈夫だと思うけど……遺留品の鉛筆は、事件現場に残されていた子供が使っていた鉛筆だ。
川村は、ダミーの鉛筆を手に取り、少し確認した後、普通にカバンに入れた。
流星は、ほっと心の中で安堵する。
「じゃあな」
翌朝、旅館を後にした川村はレンタカーでそのまま駅に向かう。流星は手を振りながら、川村を見送り、一人で瞳に会いに行く後ろめたさを感じた。
(川村係長、すいません)
流星は、旅館のフロントから、タクシーに乗り込んで瞳のところへ向かう。
昨日の不穏な言葉と、あの影のある瞳の姿が頭にこびりついていた。 同時に、彼女と会えることに気持ちが高揚している自分に気づいていた。その頃の流星は、まさか瞳がそんな修羅場の渦中に巻き込まれていることなど、想像もしていない。そして、自分自身の身にもとんでもないことが起きていた。「川村が……死んだ?」流星は、久保田を助手席に乗せて幕田警察署に急ぐ。本当は、奈央のことが終わったら、帰りに瞳を乗せて下心ありの夜のドライブデートに連れ出そうと思っていた。まさかこんな事になるとは……ハンドルを握る手に力が入る。久保田も、もう退職まであと2週間ほどだ。何も、こんな土壇場で川村が出てこなくても……という気持ちになる。「先ほど渋谷主任から連絡が入った。自殺だろうと……」「自殺……まあ、逃げ場がありませんよね」流星の脳裏に、最後に温泉で会話をした記憶や、見たこともない形相で自分に刃を向けてきた最後の姿が蘇り、ぞわっと震えた。逃亡すると言っても、職はない。持っている金を使い果たして終わりになる。日雇いやホームレスにも限界があるだろう。署に着くと、室内はすでに騒然としていた。川村が元係長というポストにいたこともあり、全員が彼を知る関係者だ。過去の事件も関係していることから、現場に向かう者と、情報整理や報道向けのプレス準備をする者に別れる。「現場に行って、川村の顔を見たらすぐ戻ってくるよ」久保田の言葉に、周りの人間もその複雑な心境を慮って頷く。「俺も……行かせてもらっていいですか。その……川村と最後に会ったのは俺だから……」流星も、先輩刑事たちに頼み込む。「まあ……お前も複雑だよな。だけど、マスコミが来るからここで情報の整理をしてもらえないか」「いや……でもさ、署内で息子から事情を聞いてるんですよ。流星は被
どうしよう!奈央さんっ!待ってください!瞳は、タクシー代を立て替えたあと、ピンクのネオンが光るホテルの中に飛び込んだ奈央を必死に追った。当たり前だが、瞳の人生においてラブホテルに入るのは初めてだ。 こんなことなら、富山さんがラブホテルの潜入調査の話をした時に、早めに入っておけば良かった!一瞬、怖くなり足がすくみそうになるが、もう入るしかない。だが、ピラピラとカーテンがはためく中に入った後は、静かに並ぶ車が見え、人の影はない。更には、奈央の姿も夫の姿も、誰の姿も見えず不安になる。うそっ!もうホテルの中に入ってしまったの?瞳は、急いでホテルの入口と思われるところを探した。小さな自動扉が目立たない様に見える。「あれかしら?」瞳は、急いでその入り口の柱に触れようとした。そこを奈央とその夫たちが通ったかどうか確認するためにだ。だが、そんなことをする必要はなかった。何やら、自動扉の先で、すでに修羅場が始まったと思われる凄まじい怒鳴り声が聞こえていた。「奈央さん!待って!」証拠を取るんじゃなかったの?当初の予定と全く変わっている。瞳は、慌てて止めに入るために、声の方向に向かって走り出した。入ってすぐそこには、薄暗いホールに多くの部屋の一覧とそのボタンの明かりが光っている。そして奈央とその夫と愛人と思われる3人が揉めていた。「奈央さん!」瞳は、急いで側に駆けつけると、奈央が涙交じりに夫を罵っていた。「彼女が体調が悪いというから、とりあえずここに連れてきただけだよ」奈央の夫と思われる男が、ブスッと不貞腐れた顔で言い放つ。「よく言うわ。この人が元気よく歩いてる時から、私たちはつけていたわよ、しかも今まで手まで仲良くつないで!ねぇ!」そう同意を求められて「は、はい!」と瞳も思わず返事する。「お前は誰だ?」奈央に新たな加勢が加わったことで、殺してやると言わんばかりの勢
流星さん……すいません。接点を持たないように気をつけているのに、あんなに他人のふりをしたのに……どうやら私は、筋金入りの巻き込まれ体質のようです。瞳は奈央に腕を掴まれたまま、早足でバス停から離れ、奈央の夫を追っていた。「あっ!あいつ、車に乗ってどこかに行くわ。ちょっと私たちもタクシーに乗るわよ!」「へっ!」いや、きっと奈央だって怖くて不安なのだろう。瞳の腕を握るその手は、明らかに震えていた。だからこそ、ここで「さようなら」と瞳は言えなかった。(巻き込まれだけでも十分なのに、私は運が悪すぎるわ!)ただハンカチを届けるだけなら、事務所への帰りが遅ければ富山もおかしいと気づいてくれただろう。流星だって、こんな日に呼び出しがなければ、家に帰ってこない瞳を心配してくれたのかもしれない。つまり、誰からもこの状況に気づいてもらえない。どうすればいいの!瞳は、言われるがまま、奈央の夫をつけるためタクシーに乗っていた。「前の車をつけて!」「ええっ?」タクシーの運転手もあまりない指示に怪訝な顔つきになる。「夫と愛人が乗っているの。お願い……」「はあ、わかりました。やってみますけど……頭を引っ込めといてくださいね」タクシーの運転手も、動揺しつつ後ろを追いかける。奈央の夫は、よくある白のコンパクトカーに乗っていた。車のナンバーは「・410」だ。「4月10日は私たちの入籍日なの。その車を使って不倫なんてどんな神経してるんだろう」奈央の顔が般若の様につり上がり、車内の雰囲気がピリピリし始める。「……あの女の人は知り合いですか?」「直接の面識はないけど、私や夫のSNSにいいねをしてきてたの。今から思えばマウントを取りに来てたのね」「いいね…&he
川村……って言ったよね?久保田さんと流星さんが慌てて席を外さなければならないことが、起きたんだ瞳は、川村から襲われそうになった日のことや、その息子の浩介から石を投げられた憎悪の表情を思い出し、思わず目をつぶった。だが、室内にシクシク泣く声がする。奈央だ。「あ……あの……コーヒーにしましょうか」瞳は、こんな時にどう声をかけていいか迷って、知らんふりを決め込んでいる富山に視線を送った。じーーーっ!瞳のなんとかしてくださいという視線のおかげか?富山の困っている人は放っておけない性格がやっと発動したのか?富山は、渋々、奈央に声をかける。だが――「お前もあのヘタレが好きなのか?」やれやれという顔つきで、富山は渋い顔をして奈央に声をかけた。富山さんっ!「お前も」の「も」はおかしいでしょう!!瞳は思わず目に力を込めて富山に抗議するが、富山は素知らぬ顔だ。「へたれ……ホントそうですよね。あの頃、明らかな素振りで絶対私のこと好きだろうなって分かっていたのに……」奈央は呟くように笑いながら答えた。「も」についてはスルーされたようだ。瞳は、ぐったり脱力した。「好きなのかどうか……夫がいうように忘れてなかったのかもしれませんし、思い出が美化されているからかも……もしくは、夫に不倫相手がいるから対抗したいのかもしれません。オープンマリッジっていうのかな……」「オープンマリッジ?」瞳と富山は何それ?という顔で見合わせる。「結婚生活を続けながらそれぞれに相手がいる形です……別れずこのまま結婚生活を続けている、お互いそれで……私も相手がいるからって言いたいだけかも&h
奈央は、瞳が手袋の過去からみた姿とは少し違っていた。今日は胸元まである髪を下ろしている。綺麗に化粧も施されていて、百貨店に勤めているだけありおしゃれな可愛らしい大人の女性だった。これで、私と同じ歳!初めて安い化粧品で化粧を始めたばかりの自分とは、全く違う。更に、瞳は衝撃を受けた。奈央が、自分と同じショコラブラウンの髪色で同じ髪型だったからだ。流星が美容師に指示したわけではなく、流行のカットにしただけだ。それでも動揺は隠せず、瞳は奈央を案内した後は、お茶を入れるふりをしてその場から離れた。深く息を整える。とにかく、動揺を気取られないようにしなければならない。ほぼ同じ時刻に、久保田と流星もやってきて、瞳は机に全員の茶を置き、気配を消すように応接セットから素早く離れた。瞼がパンパンに腫れている瞳を見て、久保田はハッとしたように息を呑んだが、奈央の手前他人のふりをするしかない。声をかけずに知らないふりをしながら、久保田は雑談を続けた。同様に、流星からも少し視線を感じたが、奈央が流星に声をかけたので、そのまま瞳から奈央に視線が移動していった。「夫と結婚したのは、この4月で……でも交際期間は高校からだから8年付き合いました……」奈央が、みんなに経過を説明している声が聞こえる。流星が、高校で告白しそびれた話をしていたし、長い付き合いだったのねと感じながら、瞳は離れた事務机で溜まった仕事をしようと手を伸ばした。だが、離れていても気になる。能力を使って、この溜まった依頼の証拠を探さないといけないのに集中できない。結局、一件も着手出来ないまま、聞き耳を立て続けた。「結婚式でも仲良かったし、誰が別の女性がいるようには感じなかったけどな……」流星の相手を気遣うような優しい声が聞こえてくる。それが自分にかけてくれる温かい声と重なり、瞳の胸をチクっと刺した。「それが&
寝たか……一人で病院まで行くだけでも緊張したのだろうに、その後スマホで知った過去の仕事のその後を受け止めるだけでもう精神的にも限界だったのだろう。流星が抱きしめて5分もしないうちに瞳は寝息を立て始めた。 暗闇の中で顔が見えないのが悔しい。 きっと可愛い寝顔に違いない。流星は、さりげなく抱きしめる腕に力を入れる。 だが、同時に瞳を言いくるめるようにして、こんな関係になっていることに後悔もしていた。どう考えても友人の域を超えた。 どさくさに紛れて一緒に寝る提案をしてしまったが、やっぱりこの距離感は恋人から夫婦の距離だ。理由をつけて好きな子を抱きしめたいという自分の欲に負けたのもあるし、本当に誰かが瞳を抱きしめてやらないと、壊れる気がしたし……ここまで許してくれたなら告白しては? いや、告白しない方が不誠実なんじゃないか? もっと、いやらしい考え方をして仕舞えば、ここまでの関係になれば、瞳は告白されたら断られない気がしていた。だが……瞳さんの性格を考えると……流星の不安な部分は、瞳は、信じると決めた人への心のハードルが低すぎるのが問題だった点だ。 自己肯定感の低さから、どんどん悪化している。普通の女性なら、こんなふうに誘導されたら拒否するか、私のことをどう思っているの?と聞くだろう。 ところが、ここまでされても断らず、身を委ねる瞳の性格を考えると、告白はやはりないと思いとどまった。どんなに断ってもいいと伝えても、言われたから付き合わなければならないと思いかねない。 信じた人から嫌われるのが怖いのか、信じている人に言われたら仕方ないと考えてしまうのか。ああ……流星は、これから瞳が自立して家を出るようになる頃まで告白ができないことを考えて、自分が保てるのか不安になってくる。 今だって、どさくさに紛れてキスしたい衝動に駆られているのに。厄介なのは、多分、自分も瞳以上の女性ともう出会えない気がしていて、片想いなのに誰かと両思いになるより上の存在になっていることだ。