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第21話 解かされる呪縛

Penulis: 霜月イヅミ
last update Terakhir Diperbarui: 2025-08-22 20:05:49

 辺境伯の城での日々は、静かに、しかし着実にセレスティナの内なる世界を変えていった。

 彼女に与えられた部屋は、華美ではないが清潔で、窓からは鉛色の空だけでなく、遠くに連なる山々の稜線まで見渡せた。毎朝、侍女のマルタが温かい食事を運び、夜には湯浴みの準備が整えられる。それは、彼女が罪人として全てを失ってから初めて経験する「人間らしい生活」だった。

 最初の数日、セレスティナはまるで客人のように、部屋の中で息を潜めて過ごした。ライナスはあの日以来、彼女の前に姿を現さない。その不在は、彼女を安堵させると同時に、得体の知れない不安をかき立てた。あの男は、自分をこの城に連れてきて、一体どうするつもりなのだろうか。彼の言った使···という言葉の意味を、彼女は測りかねていた。

 変化のきっかけは、侍女のマルタがもたらした。

 ある日の午後、マルタはいつものようにセレスティナの食事を運んできた後、部屋を出て行かずに、彼女の前に一つの包みを置いた。

「閣下からです」

 無愛想な口調はいつもと変わらない。包みを開けると、中から出てきたのは数冊の真新しい本と、上質な羊皮紙、そして羽ペンとインクのセットだった。

 本。その文字を見た瞬間、セレスティナの心臓が、とくん、と大きく鳴った。

 彼女は、震える指でその本を手に取った。それは、薬草学に関する専門書と、この辺境の地方史について書かれた書物だった。

「閣下は、貴女様の知識が必要だとおっしゃいました。ですが、今の貴女様は、まるで翼をもがれた鳥のようだ、と。再び飛ぶためには、まず翼を休め、そして使い方を思い出す時間が必要でしょう」

 マルタは淡々と、しかしその言葉の端々に、わずかな温かみを滲ませて言った。

「書庫は、いつでもお使いください。必要な書物があれば、私が取り寄せます」

 それだけ言うと、マルタは一礼して部屋を出て行った。

 一人残されたセレスティナは、ただ呆然と、手の中の本を見つめていた。

 ライナスが、これを。

 彼の意図が分からない。自分を駒として使うのなら、なぜこのような配慮を見せるのか。彼の行動は、常に彼女の予測を超えてくる。

 だが、今は彼の真意を探ることよりも、目の前にある本への渇望の方が強かった。彼女は、まるで恋しい人に触れるかのように、そっとそのページをめくった。インクの匂い、羊皮紙の滑らかな感触。その一つ一つが、彼女の凍てついていた知的好奇心を、ゆっくりと呼び覚ましていく。

 彼女は、夢中になって本を読み始めた。

 薬草学の書は、彼女が知らなかった辺境特有の植物について詳しく記されていた。父と共に学んだ知識が、新たな情報と結びつき、頭の中で再構築されていく。地方史の書には、この土地の成り立ちや、かつての戦の記録、そして辺境伯が代々担ってきた役割が記されていた。

 知識は、彼女に光を与えた。それは、ただの情報の羅列ではない。自分が今いるこの世界を、客観的に理解するための座標軸だった。なぜこの土地は疲弊しているのか、中央との関係はどうなっているのか。その背景を知ることで、漠然とした恐怖や絶望が、分析可能な「問題」へと変わっていくのを感じた。

 何よりも、書物を読むという行為そのものが、彼女に「自分」を取り戻させてくれた。彼女はただの罪人でも、人形でもない。知識を愛し、真実を探求することを喜びとする、セレスティナ・アルトマイヤーなのだと。

 その日から、彼女は日中のほとんどを書庫で過ごすようになった。

 城の書庫は、王都のそれと比べれば小規模だったが、実用的な書物が分野ごとに整然と並べられていた。セレスティナは、まるで乾いた砂が水を吸うように、次から次へと書物を読み漁った。歴史、地理、鉱物学、そして兵法書まで。

 書庫を管理する初老の文官は、最初こそ彼女を訝しげに見ていたが、その驚異的な集中力と、専門的な質問を投げかけてくるほどの深い知識に、次第に敬意を払うようになっていった。

 ライナスは、そんな彼女の様子を、遠くから静かに見守っていた。彼は、彼女が自らの力で心の氷を溶かすのを、ただ辛抱強く待っていたのだ。

 ある夜、セレスティナがいつものように書庫に籠っていると、ライナスが音もなく姿を現した。

 彼は、山積みになった書物の中で熱心に何かを書き写している彼女の姿を、しばらく黙って見つめていた。やがて、静かに声をかける。

「熱心だな」

「か、閣下…!」

 セレスティナは驚いて顔を上げた。彼がここにいることに、全く気づかなかった。

「何か、分かったか」

 ライナスは、彼女が調べていた羊皮紙の地図を覗き込んだ。そこには、彼女の細やかな文字で、辺境の村々の位置と、それぞれの水源、そして近くに自生する薬草の種類などがびっしりと書き込まれていた。

「この辺りの村々では、数年おきに原因不明の熱病が流行っているようです。ですが、こちらの古文書によれば、この山の麓に自生するリンドウの一種が、その熱病に効果があると記されています。もしかしたら、この薬草を計画的に栽培し、各村に配備することができれば…」

 彼女は、夢中で説明を始めた。その瞳は、かつての虚ろな光ではなく、知的な探求心に満ちた、生き生きとした輝きを放っている。

 ライナスは、彼女の説明を黙って聞いていた。そして、彼女が話し終えると、静かに言った。

「見事な分析だ。明日、ギデオンに命じて、その薬草の調査隊を編成させる」

「本当ですか…!」

「お前の知識は、ただの飾り物ではない。この辺境を救う、本物の力だ」

 ライナスの言葉には、何の飾りもなかった。だが、その率直な賞賛は、どんな甘い言葉よりも深く、セレスティナの心に染み渡った。

 自分の力が、役に立つ。

 この城で、この男の元でなら、自分はただ守られるだけの存在ではなく、共に戦うことができるのかもしれない。

 その思いが、彼女の心を温かいもので満たした。

 だが、平穏な日々ばかりが続くわけではなかった。

 ある日、城にライナスの側近であるギデオンが、苦々しい表情で駆け込んできた。

「閣下! 町で、また中央の連中が問題を起こしました。鉄狼団の兵士と、奴らの私兵との間で、小競り合いがあったとのことです」

 ライナスの執務室に、セレスティナも同席していた。彼女は、薬草園の計画について、彼に報告している最中だったのだ。

 ギデオンの報告によれば、町の酒場で酔った私兵たちが、鉄狼団の兵士に因縁をつけ、乱闘騒ぎになったという。怪我人は双方に出たが、問題はその後だった。中央の役人たちが、一方的に鉄狼団の非を鳴らし、兵士の身柄引き渡しを要求してきたのだ。

「奴ら、我々を挑発しているのです。ここで弱腰な態度を見せれば、ますます増長するでしょう」

 ギデオンは、怒りを露わに言った。

 ライナスは、腕を組んだまま、黙って報告を聞いていた。その金色の瞳は、静かに燃える炎のように、冷たい光を宿している。

 セレスティナは、この状況が、ただの小競り合いではないことを理解していた。これは、この辺境における二つの権力の、明確な衝突だった。ライナスがどう対応するかで、今後の町の力関係は大きく変わるだろう。武力で応じれば、中央との全面的な対立を招きかねない。かといって、引き下がれば、彼の威信は地に落ちる。

 彼女は、思わず口を開いていた。

「閣下。その件、私に一つ、考えがございます」

 ライナスとギデオンが、驚いたように彼女を見た。

 セレスティナは、臆することなく続けた。

「力には、力で応じるだけが能ではありません。時には、法と、作法で相手を縛ることもできます。彼らは中央の貴族社会の人間。ならば、彼らが最も嫌うやり方で、その鼻を明かしてやるのです」

 彼女のすみれ色の瞳には、かつての令嬢が持っていた、したたかで、誇り高い光が宿っていた。

 それは、虐げられた白百合が、初めて自らの意志で、狼の戦いに牙を剥こうとした瞬間だった。

 解かされ始めた呪縛は、彼女をただのか弱い令嬢に戻すのではない。より強く、より賢く、そして戦う術を知った、新たな存在へと生まれ変わらせようとしていた。

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