「……この地図、変よ。」
ネフィラの一言に、会議室の空気がピリリと張り詰めた。
「どうした?見慣れた地図じゃ――。」
「そう、“見慣れてる”はずなのに……この区域、前は“湖”だったのよ。」
ネフィラの指先が指す先――そこには、現在“乾いた草原”と記されている。
「湖が……干上がったの?」
「違うわ。記録上は最初から“草原”になってる。でも、私の記憶では確かにここは“蒼の水鏡湖”だった。」
「記録と記憶が、またズレてる……?」
ユスティアが眉をひそめる。
「誰かが、“土地の記憶”を操作した可能性がある。」
「土地の記憶……それって、“存在そのもの”を塗り替えるってこと?」
「うん。そして、その中心部で“謎の揺れ”が観測されたの。」
「行くしかないわね!エリシア探検隊、出動よ!」
「そんなノリで国家の調査隊を出すなぁ!」
◆◆◆
数日後、調査隊一行は“元・湖”だったとされる草原地帯へ到着する。
「……ここが、あの蒼の水鏡湖……のはず、なんだけど。」
エリシアが歩を進めると、突然、空気がひんやりと冷たくなる。
「魔力濃度、異常に高い……。この空間、“魔力の傷跡”だわ。」
「何かが、ここで“封じられた”……あるいは“消された”。」
そのとき、風に乗って、誰かの歌声が聞こえた。
『……忘れられた風を追い、影は静かに舞い降りる……』
「歌……?」
声の方へ歩を進めると、ひとりの少女が現れた。
淡いピンクの髪、透き通るような水色の瞳。
そして儚げな歌声を口ずさみながら、湖跡に咲く一輪の花を見つめている。
「……あなた、誰?」
エリシアが声をかけると、少女は微笑んで振り向いた。
「わたしは――“セーネ”。この場所の、記憶の残り香よ。」
「記憶の……?」
「あなたたちが来るのを、ずっと待ってた。“二番目の恋”を綴る者が来る日を。」
「……っ!?」
エリシアの心が、なぜかざわめいた。
セーネの瞳は、まるで“全てを知っている”かのようだった。
「……あなたが“記憶の残り香”?どういうこと?」
エリシアが問いかけると、セーネは水面のない湖跡を見つめながら、静かに語り始めた。
「この地にあったのは、“記録されることを拒んだ湖”。誰かの願いが、世界の記憶そのものを歪めたの。」
「誰かの願い……?」
「“この場所の記憶を、誰の心にも残さないで”という願い。それは、愛する人を“忘れさせるため”だった。」
セーネの指先が、虚空をなぞると、そこに一瞬だけ水面が現れる。
そして、そこには若い男女が肩を寄せ合って微笑む幻影が映し出された。
「……これが、“かつての恋”。」
「じゃあ、“二番目の恋”って……。」
セーネはゆっくりエリシアの方を見つめる。
「わたしは、この湖に残された“想い”が形になった存在。そして……あなたの“次の恋”が、この記憶を動かす鍵になる。」
「え?わ、私が“次に恋をする”ってこと?」
「そう。“最初の恋”が失われた場所に、“次の恋”が芽吹けば――記憶は解放される。」
エリシアは混乱しながらも、胸の奥が不思議と高鳴っていることに気づいた。
(……まさか、私が誰かに“本気になる”ってこと?)
そのとき、風が吹いた。
幻影の水面に映ったふたりの影が、カイラムとエリシアの姿に重なる。
「っ……!」
セーネが囁く。
「その想いは、忘れられるためではなく、“残すため”のもの。」
「……私が、“誰かを本当に想う”ことで、この湖が蘇る……?」
「そう。だから、選んで。記憶に抗う恋か、記録に残す恋か――。」
◆
グランフォード帰還後。
「ふーん。“恋することで湖が蘇る”って、随分詩的ねぇ。」
ネフィラが書類をぱらぱらとめくる。
「でもまあ、うちの国家、“恋の記録”で建国してるようなもんだし、あり得る話かも。」
「……そうかなぁ。恋ってそんなに、国とか記録とか左右するかな……。」
エリシアはベッドに寝転びながら、窓の外の星空を見上げる。
そのとき、ふと背後のドアがノックされた。
「……エリシア、起きてるか?」
「カイラム君?」
扉を開けると、彼は少しだけ頬を赤らめていた。
「……散歩しよう。話したいことがある。」
月明かりの下、ふたりの影が並んで歩き始める。
“記憶に抗う恋”か。“記録に残す恋”か。
その夜、エリシアの心に、“二番目の恋”の輪郭が、確かに芽吹きはじめていた。
——〈次話〉“記録の底と、遺された魔力”
どうも、エリシアです。王都広場で「黒い王の影法師」を倒してから数日。でも私たちは全然安心できなかった。むしろ逆。「黒い囁きの本体は、まだ眠っている」リビアの言葉が、胸にずっと引っかかってる。——その夜。「王宮の地下に、封じられた“旋律の間”がある」そう言ったのはレオニスだった。「古くからの伝承で……王族さえ詳しくは知らない。ただ“音を封じた石室”と呼ばれている」「怪しいに決まってるじゃん!」私は即答。「そうだな」カイラムが渋い顔で腕を組む。「囁きの源泉があるならそこだ」ユスティアは地図を開きながら首をかしげる。「しかし記録には“旋律の間”の位置が抜け落ちている……意図的に消されたのかもしれません」「消された記録と囁きの契約……どっちも怪しさ満点」私はパンをかじりながら言った。——翌朝。私たちは王宮の一角、古い礼拝堂に足を踏み入れた。壁はひび割れ、長年使われていないせいで埃まみれ。「ここに地下への入口が……」セリオが壁を押すと、石板がずれて階段が現れた。「やっぱり隠してたんじゃん!」「うむ、腰に悪い階段だ」父が腰をさすりながらぼやく。地下に降りると、空気がひんやりしていて、かすかに音が響いていた。——いや、音じゃない。“耳の奥に届く気配”。「従え……差し出せ……」また来た!囁き!私は思わず叫ぶ。「パン食べろーっ!!」全員が慣れた様子でパンをかじる。……もうこれ儀式みたいになってきたな。奥へ進むと、大きな石の扉が立ちはだかった
どうも、エリシアです。王都の「仮面会議」で裏切り者を暴いたのはいいけど……全然終わってなかった。「黒い契約の“本体”が潜んでいる限り、囁きは広がり続ける」ユスティアの言葉に、みんな黙り込む。「……本体って、どこにいるの?」私の問いに、リビアが羽をばさり。「記録を追えば、囁きは王の近衛に紛れ込んでいると見て間違いない」「つまり……王のすぐそば?」「そうだ」カイラムが頷いた。 「だからこそ危険だ。王都中枢そのものが乗っ取られかねん」——その夜。城下の広場に妙な人だかりができていた。見れば、派手な衣装の道化師が舞台の上で踊っている。ピエロみたいな格好で、笛と鈴を鳴らしながら。「さあ、皆の者!耳を澄ませ!王の声を聞け! “従え……差し出せ……”」うわ、出た。道化師の演舞に混じって、囁きが観客に染み込んでいく。人々がふらふらと舞台に近寄り、懐から金や装飾品を差し出し始めた。「待って!それは囁きよ!」私の声はかき消される。「暴君、どうする!」カイラムが構える。「とりあえずパン投げる!」「またか」道化師は不気味に笑った。「ははは!パンで影を止めるか!だが私を止められるものか!」そう言うと、舞台の背後に黒い幕が開き、巨大な影の人形が現れた。王の冠を模した仮面をかぶった、影法師——。リビアが顔をしかめた。「……まさか。王を模した影を操り、囁きの王を作るつもりか!」ユスティアは記録帳を震える手で開く。「これが“王都の心臓”を乗っ取るための仕組み……!」
どうも、エリシアです。王都の玉座で黒い影を撃退してから数日。表向きは落ち着いたように見えるけど、裏ではかなりピリピリしてる。「仮面会議を開く」そう告げたのはレオニスだった。「仮面……?」と首をかしげたら、ユスティアが補足してくれた。「王都では、身分や立場に囚われず意見を出す“秘密会議”があるんです。仮面を被って互いの素性を隠すので、公平に話せると」「へぇ~面白そう! でも顔隠したらパン食べにくいじゃん!」「そこか」カイラムが呆れ声。——夜。仮面会議の会場に案内される。高い天井にランプが吊るされ、円卓の椅子には仮面の男や女がずらり。王都の有力者、貴族、騎士、学者……でも誰が誰なのかはわからない。「議題は黒い契約と王都の安全保障」進行役の仮面が告げると、ざわざわと声があがった。「囁きは恐ろしい。グランフォードのやり方に頼るのは危険だ」「しかし、あの国のパンには確かに効果があった」「いや、あれは一時的なものに過ぎない。本体を見つけなければ!」私は立ち上がって声を張った。「だからこそ一緒に探そうって言ってるの! 王都もグランフォードも、パンは分け合えば美味しいでしょ?」場が一瞬静まり……次の瞬間、どっと笑いが広がる。「妙な理屈だが、悪くない」「パンを分け合う……確かに心は和む」——しかし。会議の隅で、ひとりだけ動かない影がいた。仮面の奥から冷たい視線が突き刺さる。「……王都を導くのは血筋のみ。外の者が口を出すな」場が凍りついた。リビアが羽を広げる。「こやつ、囁きに染まっているぞ」仮面の下から、黒い煙が漏れ出した。「しまった…&hell
どうも、エリシアです。いよいよ——王都に向かうことになりました!「暴君、ついに王都潜入か」カイラムが腕を組んで険しい顔。「潜入って……観光みたいに言わないでよ」私は苦笑い。馬車に揺られ、王都の城壁が見えてきた時、胸が少しざわざわした。幼い頃に婚約を結ばされ、そして破棄された街。記憶は苦いけど、それでもどこか懐かしい。「王都の空気は重いな……」リビアが羽をすぼめる。「囁きが満ちてるんだ。民衆の不安がそのまま響いてる」ヴァルターが低く言った。——城門前。セリオが兵士に証文を見せると、すんなり通された。「王都は表向き平穏を装っています。しかし中では……」案内されたのは宮廷の一角。かつて私が一度だけ足を踏み入れた、豪奢な回廊だった。煌びやかなシャンデリア、広い赤絨毯。けれど空気はどこかひんやりしていて、壁に映る影が妙に長い。「……やだなぁ」私は小声でつぶやいた。「気を抜くな」カイラムが隣で囁く。そこへ、見慣れた姿が現れた。金髪碧眼、堂々とした微笑み——レオニス。「エリシア……よく来てくれた」一瞬だけ、胸がきゅっとなった。でもすぐに思い出す。私はもう、前に進んでる。「王都の現状、説明するわ」レオニスは真剣な顔に変わった。——玉座の間。王と貴族たちの前で、囁きが議論を乱していた。「誰かが裏切っている!」「いや、契約に従えば救われるのだ!」重厚な空間に、不安と恐怖の声が渦を巻く。私は深呼吸して叫んだ。「パンを食べろーっ!」貴族たちが一斉に振り返る。……シーン。「…&
どうも、エリシアです。黒い契約の笛吹きを倒した数日後。町はすっかり落ち着いて、帰還祭の余韻でまだ浮かれてる……はずだったんだけど。「エリシア様、急報です!」ユスティアが走ってきた。息を切らして手にしていたのは王都の封蝋で閉じられた書簡。「王都……?」「はい。今朝、王都で“黒い囁き”による混乱が発生しました」私は思わずパンを落としそうになった。「ちょっと!王都でも聞こえるの!?」「ええ。被害は小規模ですが、民衆が一時的に我を失い、広場で暴動寸前に……」カイラムが険しい表情で腕を組む。「やはり……あれは囁きの“試し撃ち”に過ぎなかったか」「本体が動き始めたということだな」リビアが羽を広げる。父は腰台に腰を下ろしながら、「腰は船底。沈む前に補強せねばならん」と真顔。母は「はいはい、まずは食べてから」とパンを配り始めた。……うちの家族は変わらない。——午後。王都から来た使者の話を聞くことになった。馬車から降り立ったのは、淡い紫の外套を纏った騎士だった。「お初にお目にかかります。私は王都直属の調査隊、セリオと申します」彼は礼儀正しく頭を下げ、真剣な眼差しで告げた。「王都は“影の契約者”に狙われています。あの笛吹きは前哨にすぎません。本体は……王都の中枢に潜んでいる可能性が高いのです」ざわつく一同。「つまり、内部に裏切り者が?」「はい。王族、あるいは高位貴族の中に……」エリシア=私の心臓がどきりと跳ねた。「……レオニスは大丈夫なの?」「第一王子殿下は健在です。むしろ“囁き”の被害を防ぐため、民の前に立たれました」
どうも、エリシアです。帰還祭はなんとか最後まで無事に終わったけど……胸の奥にずっと残ってるのよね、あの「囁き」の気配。パン食べても完全には消えない“ざわっ”とする感じ。嫌な予感は大体当たるんだよなぁ……。——翌朝。広場の隅にいた少年は、すっかり元気を取り戻していた。「ありがとう、エリシア様!本当に助けられました!」両手にパンを抱えてぺこぺこ。……元気すぎる。ユスティアはその少年から詳しい話を聞き取り中。「囁きが最初に聞こえたのは、王都から来た旅芸人を見た時……?」「はい。黒い外套をまとった笛吹きでした。曲に合わせて“従え”って声が頭に……」「音楽媒介型の契約か……」リビアが羽をばさり。「普通なら強い魔力が必要だが、笛の旋律で弱い心を捕まえる……厄介な手だ」カイラムは腕を組み、「ならば囁きは、すでに各地で広がっているかもしれない」と唸る。「……もしかして王都も?」と私。「その可能性が高い」ヴァルターが即答する。「だからこそ俺はここに来た。王都の中枢に巣食っている影を直接暴くことはできない。だが、君たちなら……」「またうちに丸投げ?」私は眉をひそめる。「いや……力を借りたいんだ」ヴァルターの声は真剣だった。父が横から登場。「腰は船底。抜いたら沈む。つまり、祭りの腰を守るのは家の役目だ」……要するに協力するってことね。分かりにくいなぁ。母はパン籠を差し出して、「まずは朝ご飯食べてから話しましょう」と笑顔。あいかわらず、この国の合言葉は“パンから”だ。