LOGIN影継の谷が静かに崩れていく。光が差し込み、影の濃度が薄れていくその様は、まるで永い夜がようやく明けていくようだった。「出口が安定しているうちに戻るぞ!」 カイラムの声が響く。私たちは黒契約者を拘束したまま、影道を急いで戻った。足元の影はもう生き物のように蠢かず、ただの薄暗い通路に近づいている。リビアが羽根を震わせながら言う。 「主殿、影の侵食は受けていないか?」「うん、大丈夫。ほら。」 胸に抱いた“光の欠片”は、まるで心臓のようにふわりと脈動していた。ユスティアが安堵の息をつく。 「光の核が完全に正常値です。影化を完全に止めました。」「さすがエリシア様……!」レーンがニカッと笑う。 「いや、本気でどうなるかと思ったけどな!」「正直、私も……」 私は苦笑しつつ、胸の光をそっと撫でる。 「あの神様の声がしたの。だから怖くなかった。」出入口の黒い鏡面が見えてくる。その向こうは、いつもの空と風。「帰ろう。みんなが待ってる。」私たちが井戸から地上へ出た瞬間――「エリシア様ーーー!!!」涙声が飛んできた。走ってきたのはメイド長、そして私の母。「もう! もう心配したのよ!! 戻らないなんて言うから……!」「お母様、ただいま……!」ぎゅうっと抱きしめられる。影の重さが一気に抜けて、私は思わず涙をこぼした。父はと言えば――「無事ならよしっ!! 腰は無事!! 腰は船底、抜いたら沈む!!」と、意味不明なテンションで飛び跳ねていた。……腰、大丈夫そうでよかった。落ち着く暇もなく、町の人たちが次々に駆け寄ってくる。「エリシア様ーっ!」 「みんな帰ってきたんだな……!」 「魔物は!? 敵は!?」カイラムが一歩前へ出て、落ち着いた声で告げた。「脅威は去った。黒契約者は確保した。」その言葉に、周囲がどっと安堵の息をつく。……でも、気になることがあった。黒契約者は捕まってなお、ただ静かに俯いている。負けたと落ち込んでいるというより、何かを待っているような……そんな気配。ユスティアが私に耳打ちする。 「エリシア様。あれは……単なる狂信者ではありません。背後がいます。」「うん、私もそう思う。」“影王”“光の王”そして新たに姿を見せた“黒契約者の組織”世界心臓を救っても、まだ終わりじゃないんだ。その時だった。黒契約者が顔を上げ
影継の谷の奥へ進むにつれ、空気がさらに重たくなった。光は吸い込まれ、声すらひそめたくなるような圧迫感。けれど私たちは止まらなかった。止まったら、きっと取り返しがつかなくなるから。「影の反応が強くなっています……!」 ユスティアの手元で記録板が震える。「中心はこの先だな。」カイラムが剣を構えた。影道を抜けると、半球状の巨大なホールに出た。天井は見えず、無数の影が渦を巻いている。その中心――黒い祭壇。そこに、黒契約者のローブ姿が立っていた。手の中の“祝福の欠片”はすでに半分が黒く染まり、空気に触れるたびに低い唸りを上げている。「間に合ってよかったよ、勇者の末裔。」 影は口角をゆがめた。「やめて! 本当に危ないんだから!」「危ない? 違うさ。これこそが“正しい影”だ。光と影は共にあって完全となる。ならば影が光を呑み込むことも、ひとつの完成だろう?」レーンが怒鳴る。 「ふざけんなよ! それで世界が壊れかけたんだろうが!」影は肩をすくめた。 「世界など、壊れてもまた作ればいい。だが“闇の王”は違う。あのお方を完全に復活させれば……我らは本当の姿を取り戻せる。」リビアが厳しく目を細めた。 「闇の王……影継の民が封じた存在か。」「封じた? 違う。奪われたのだ。“光の王”によってな。」胸がざわりと揺れた。光の王。神様が最後に残した言葉。世界の始まりに関わった“存在”。影は続ける。 「勇者の末裔よ。お前の魂に宿る光、その純度こそが最後の鍵だ。さぁ――祭壇へ来い。」「行くわけないでしょ!!」影が指を鳴らす。次の瞬間、祭壇の裏から巨大な影の獣が浮かび上がった。狼のようで、蛇のようで、翼を持つ異形。影が肉体めいた形になっている。「よけろ、エリシア!!」 カイラムが私を抱き寄せ、影の牙を雷の軌跡で弾き飛ばす。レーンが拳で地を叩く。 「ユスティア! あいつの影の流れを読む!」「はいっ!」 ユスティアは素早く記録板を操作し、影獣の動きを解析する。リビアは羽根を震わせ、広範囲の光障壁を展開した。 「主殿! あの獣は“影核”を破壊すれば散る! 影核を探せ!」私は息を呑む。「影核……どこ!?」「エリシア、感じてみろ。」カイラムが私の手を握った。 「お前は光を選ぶ力を持っている。影との違いに気づけるはずだ。」私は目を閉じ、影の渦を見つめる。真っ黒
世界心臓から戻った瞬間、空気の重みが変わった。足元には柔らかな土、肌を撫でるのはいつもの風。白い光に包まれていた世界の反動のせいか、景色が妙に懐かしく、そして少しだけ心細く感じた。「……帰ってきた。」 私が呟くと、カイラムが肩越しに言う。 「当然だ。世界が安定したんだ。戻る場所が消えるはずがない。」ユスティアは杖を握り直し、深く息をついた。 「でも……この空気。何か、嫌な予感がします。」レーンは素手で地面に触れ、小さく眉を寄せる。 「地脈が……揺れてる。整いきっていないのか?」リビアが羽を震わせた。 「いや、違う。これは“外部”の揺らぎだ。」「外部?」 私が聞くと、リビアは空を見上げた。「グランフォードで、何かが起きている。」胸がぎゅっと掴まれたように痛んだ。「……急いで帰ろう!」◆◆◆全員で足早に森を抜け、丘を越えた先――遠くに見える我が国グランフォード。 家々の煙、賑わう市場の声……はずなのに。静かすぎた。レオニスが険しい顔で言う。 「警備の姿が見えない。」「門が……開きっぱなしです。」ユスティアが呟く。嫌な汗が背中を伝った。 走る。とにかく走った。門へ駆けつけた瞬間、私は叫んだ。「な……何これ……!」門の外、荷馬車が横転。地面には倒れた木箱、散乱した食材。そして――魔力の残滓。レーンが急いで地面の痕跡を読む。 「戦闘の跡がある……でも相手の気配が薄い。まるで“跡を消しながら進んだ”みたいだ。」「誰が侵入したか、わかる?」レーンはしばらく沈黙し、顔を上げた。「……見たことのない魔力。けど一つだけ言える。」「な、何?」「“黒い契約(ダークパクト)”を使ってる。」全員の顔が強張った。「黒い契約……まさか、まだ残党が?」リビアが低く唸る。 「違う。これは“新しい契約者”だ。以前とは質が違う。」「新しい……ってことは、誰かがまた――」そのとき、町の奥から声が響いた。「エリシア様ぁぁぁーーっ!!!」見慣れた大柄の男が、泣きながら全力で走ってきた。「お父様!?!?!?」父は私に飛びつき、腕を掴んだ。「よかった……! 無事でよかったぁぁ……!」「どうしたの!? 何があったの!?」父は肩で息をしながら答えた。「黒いローブの集団が突然現れて……国の“祠の護り”を奪っていったんだ!」「護り……って、まさ
光の祠が開いた瞬間、世界はまるで大きく息を吸ったように揺れた。空間そのものが震え、白い霧のような光が足元から天へと上がっていく。「ここが……“世界心臓(ワールドコア)”?」 私は思わず息を呑んだ。そこは祠でも神殿でもなく――ただひたすら、広かった。天も地も見えず、淡い光が雲のように流れるだけの空間。けれど中心には確かに“何か”があった。脈動だ。空間そのものが、ゆるりと脈を打っている。まるで巨大な心臓に包まれているような感覚。足元から伝わる鼓動が、胸と同じ速度で震えている気がしてくる。「……これはすごいな。」 カイラムが剣を鞘に収めたまま、慎重に歩を進める。 「世界が丸ごと生きてるみたいだ。」「生きてますよ。ここは世界の“核”ですからね。」 ユスティアが記録板を見ながら言った。 「地脈、風脈、雷脈、氷脈……全ての魔力が一点で交わっています。」「つまり、世界中の魔力がここを通ってるってことか?」 レーンが辺りを見渡す。リビアが静かに頷く。 「ここは“世界を作った時の名残”だ。神性が渦巻く場所――本来、我らのような下位存在が足を踏み入れるところではない。」「でも入れちゃった。」「それは主殿が“招かれた”からだ。」招かれた――つまり、神様が私たちにここまで来いと言った、ということだ。光の祠で会った少女――神様は言っていた。“五つの核をひとつに繋げば、世界は続く”と。その“核”が今、光の向こうで脈動している。「エリシア。」 カイラムが私の名を呼ぶ。 「お前が中心に立て。これはお前が始めたことだ。」「うん。」私は風晶を胸に抱え、一歩、また一歩と中心へ進んだ。光が集まってくる。四属性の輝き――蒼、白、金、緑――そして中央に浮かぶ“白の欠片(ひかり)”。全てが触れあった瞬間――――世界心臓が、目を開いた。「っ……!」風が、一気に吹き抜けた。 雷が低く唸り、地が震え、氷の気配が頬を撫でる。世界中の祠から魔力が逆流してくるのがわかった。「これは……!!」 ユスティアが記録板を必死に押さえる。 「祠の魔力が、全部ここに集まっています! でも量が……桁外れです!」「耐えられねぇぞ、こんなの!」カイラムが叫ぶ。だが、崩れかけた魔力の奔流の中――“光の欠片”だけが静かに私の手の中へ降りてきた。『――大丈夫。全部、あなたが選んだ世界だよ。
世界の色が、少しずつ変わっていく。空は昼と夜が混ざったような紫紺色。海は光を反射しながら、まるで鏡のように空を映していた。「……空と地の境がなくなってる。」丘の上でユスティアが記録板を覗き込みながら呟いた。「魔力の分布も不安定です。 まるで世界そのものが“息を吸ってる”みたいです。」「つまり、神が“起きる準備”をしてるってことね。」私は風晶を手に取って言った。掌の中で、四色の光が回り続けている。その中心――微かに“白い欠片”が瞬いていた。「これが、“光の祠”への鍵。」 「……光の祠って、どこにあるんだ?」カイラムが腕を組み、険しい顔をして空を見上げる。「風、水、雷、地。どれも地上にあったが……光だけは、どこにも記録がない。」「記録がないということは――記す必要がなかったんです。」ユスティアが顔を上げた。「つまり、“世界そのもの”が光の祠なのかもしれません。」「世界が……祠?」リビアが羽をたたみ、低く唸る。「あり得る話だ。光の祠は、“創世の神”が最初に立った場所。 もし神が世界を作ったのなら、その核こそが祠だ。」「じゃあ、そこに行くには――」「核へ降りるか、あるいは昇るか、だな。」カイラムが淡く笑った。「どうせどっちも危険なんだろうが。」「まぁ、上も下も関係ないよ。 私たち、もうここまで来ちゃったし。」私は少し笑って、風晶を掲げた。すると、風晶がまるで応えるように輝き出した。「……え、なにこれ。自動ナビ?」「光の祠まで案内してくれてるのかも。」ユスティアが分析する。「でも……方向が、上空?」「空にある祠ってこと?」「うわー、絶対落ちるやつじゃん。」カイラムが顔をしかめる。 だが、風晶の光は迷わず“天”を指していた。空の彼方――淡い光が集まって、輪のような輝きを放っている。「……あれが、祠か。」リビアが見上げる。「雲の上の、さらに上。 “空の門”と呼ばれた場所だ。 神が降り、世界に息を吹き込んだ場所。」「そういえば……昔、聞いたことある。」私はふと思い出した。前世で読んだ絵本の中の一節。――神は空に門を開き、 風と地に息を与え、 その息が世界を動かした。まさか、それが本当に“門”だったなんて。 「……行こう。」私がそう言うと、皆の視線が集まった。「もう迷わない
雷の国・ヴァンデルを出て、数日。 ようやく嵐の音も静まって、空には晴れ渡る青が戻ってきた。だけど――どこか、胸の奥がざわついていた。「……静かすぎない?」 馬車の中でぽつりと呟くと、 隣のカイラムが腕を組んで頷いた。「だな。風も雷も落ち着きすぎてる。 まるで“地”が息を潜めてるみたいだ。」「“地”が?」「この世界の魔力は風・水・雷・地の四属性で流れてる。 そのうち“地”は根の役割をしている。 もしそれが止まったら――」「全部が、倒れちゃう?」カイラムは黙って頷いた。 ユスティアが記録板を開いて補足する。 「現時点で、地脈の流れは各地で減少しています。 グランフォード領でも、地下水位が下がっている報告が。」「それって……」「はい。次の祠――“地の祠”が、すでに不安定化しています。」 「そっか。最後の祠、だもんね。」 私は深く息をついた。 風、氷、雷。 それぞれの祠には“止まった心”があった。でも、“地”って……止まるというより、 “沈む”感じがする。まるで、眠るように。 やがて地平線の向こうに、 巨大な断層のような亀裂が見えてきた。「……あれが、“地の門”か。」 ユスティアが小さく呟く。 「地表が裂け、祠が沈んだ跡です。 この先に、古代都市《テッラ・ロウ》が眠っています。」「眠る都市……」 「その中心に“地の祠”があるはずだ。」 亀裂の縁に立つと、 地面の下から低いうなり声が響いた。 地鳴りのようでいて、まるで“心臓”の鼓動みたいだった。「……ねぇ、これ、生きてるよね?」 「そう聞こえるな。」カイラムが剣を抜く。 「油断するな。地は優しいようで、いちばん重い。」 亀裂の中へと降りていく。 道は暗く、湿っていて、 壁には古代文字のような刻印が続いていた。「読める?」 「……“根は眠り、芽は夢を見る”」 リビアが呟いた。 「これは“地の神”の古い祈り文。 眠りとは再生、という意味を持つ。」「じゃあ、祠が“眠ってる”っていうのは…… 再生の前兆?」「ならいいんだがな。」カイラムが険しい顔をする。 「問題は“何が夢を見てるか”だ。」 やがて、開けた空間に出た。 広大な地下都市――。 崩れた神殿や石像、 枯れた木の根が天井から垂れ下がっている。