市場に立ち込める潮の香りが、いつもより濃く感じられる朝だった。
グランフォードの海辺に、また一隻の船がやってくる。
今度は帆に鮮やかな翡翠の紋が描かれていた。特徴的なその意匠に、リビアが鋭く目を細めた。「……あれは、東方諸島連邦の使者か。随分と慎重な連中だと思っていたが……」
エリシアは、口元を引き締めながらも笑顔を崩さず、港へと歩を進める。
「歓迎の意は忘れずにね。でも、ただの挨拶で済むとは思えないわ」
今回訪れたのは、連邦の外交顧問とされる女性──名を「ソハナ・ルミエ」。
淡い翡翠色の瞳と、異国風の揺れる衣装。異様なほど整った立ち居振る舞いが、ただの使者ではないことを物語っていた。「あなたが、エリシア殿ですね? こうして直接対面できて光栄です」
ソハナは、軽く一礼するとすぐに話を本題へと向けた。
「本日は、連邦より“ある提案”をお持ちしました。これは貴国の未来を左右する、大きな選択となります」
エリシアの眉が、かすかに動いた。
「ふむ、その“提案”というのは?」
「“友好の証として、あなたに我が連邦の王子を婿入りさせたい”と──」
その瞬間、背後でなにかが割れた。
見ると、リビアが持っていた水差しを落としていた。「婿入り……? 逆ハーレム構築、進行中……?」
「聞こえてるわよリビア。いやまぁ、間違ってないけども」
ソハナは微笑を絶やさないまま、さらに続ける。
「実は王子には、ある“才能”があります。“音律魔法”という、特殊な波長で魔力を操る術。それは、最近“この地”でも反応しているらしく……」
その言葉に、アゼルが顔を上げる。
「まさか、“失われた旋律&rdq
会議タイトル:第一回・国家戦略会議(仮)副題:逆ハーレム計画、倫理と実務とときどき胸キュン。場所:グランフォード中央議事堂・小ホール参加者:エリシア、カイラム、ユスティア、クレイン、ネフィラ、ヴァルド、リビア、アゼル、シハール、ライハルトオブザーバー:エリシア父母(差し入れ担当)、市民代表×2(くじ引きで選出)――開会の鐘――エリシア「はいっ!本日の議題、『逆ハーレム計画を真面目に詰める』よ!」リビア「国家会議で言う文言ではないと思うが……。」ユスティア「先に前提を確認する。私の理解では“多夫型の同意に基づく共同体モデル”だ。人格尊重と政治的中立、労働と感情の公平分担を条件に成立……で合っているか。」エリシア「要するに“みんなで幸せになろう計画”よ!ただし恋愛は自由意志、強制なし、仕事はちゃんと分ける、嫉妬は話し合いで解消すること!」ヴァルド「規則は大事だが、まずは腹が減った。議題よりスープを寄越せ。」クレイン「了解。今日は“和風だし春野菜ポタージュ”。脳に優しい。」ネフィラ「では実務からいきましょう。募集・選考・配置・教育・評価。響きの国際交流も含め、枠は『戦・文・芸・食・政・学』の六部門で。」エリシア「部門長案、読み上げるわ!戦:カイラム(現場総指揮)文:ライハルト(古語解読と外交文)芸:アゼル(音律と式典)食:クレイン(厨房総責任者)政:リビア(宰相。反対意見は受付つつも最後は押し切る)学:ユスティア(結界・教育・テスト作成)監査:ネフィラ(耳と足。舞いながら歩く)安全衛生:ヴァルド(全部でかい声でOK)」カイラム「“逆ハーレム”と言いながら半分は政務だな。」エリシア「国家事業だからね!恋はインフラよ!」【資料1:評価指標(KPI)】・幸福度(本人
風の王子ライハルトが示した“音律の源泉”と“グランフォードの記録”。それらの言葉は、まるで過去と未来をつなぐ糸のように、エリシアたちの胸に引っかかっていた。「まずは、グランフォードにある“記録”とやらを探さないとね」エリシアは地図を広げながら言う。「だが、どこを探せばいい? 記録なんて王家の書庫にも、魔王の遺産にもなかった」ユスティアが眉をひそめる。「あるとすれば……建国以前の文書、もしくは失われた言語で記された何か。あの旧図書塔が怪しいかもな」そう言ったのはリビアだった。彼は長く宰相として国中の資料に目を通してきたが、古文書のなかでも未解読の一群があったという。「ライハルト様、少しお時間いただけますか? あなたの王国で使われている古語と、我々の文書を照合したいのです」ライハルトはすぐに頷いた。「もちろんです。私の兄がかつて古語研究をしておりました。私も少し心得があります」それから始まった、深夜の解読作業。図書塔の地下室に集まったのは、エリシア、カイラム、ライハルト、リビア、そして文書管理長の老魔族レメルド。埃をかぶった巻物、朽ちかけた羊皮紙、微かに魔力の残る石板……それら一つ一つに目を通していく。「これは……風の祠に関する伝承文か?」カイラムが読み上げたのは、かろうじて解読できた一文。『東より吹く風は、旋律を呼び覚まし、眠れる神を揺り起こす』「眠れる神……それが音律の源泉の守護者というわけね」エリシアが目を細めた。そして、夜明け前のこと。ライハルトが声を上げた。「ありました!“鍵”に関する記述です!」皆が駆け寄る。その文にはこう記されていた。『音の鍵とは、奏者の魂に宿る共鳴なり。真なる音を奏でし時、門は開かれん』
神殿の事件から数日後、グランフォードの中央議事堂には珍しく静かな緊張が漂っていた。「王都からの報告書……やはり、音律魔法の再興は諸外国にも波紋を広げているみたいね」エリシアは届いた文書を見つめながらため息をついた。「風の王国からも正式な使者が派遣されるって噂がある。東方との関係も……難しくなるぞ」ユスティアが真剣な顔で告げる。だがエリシアの目は、窓の向こう──神殿のあった丘を見ていた。あの場所には、まだ秘密が残されていると感じていた。そんな折、リビアが部屋に飛び込んできた。「お嬢様、例の“風読みの石版”が反応を示しました!」「……まさか、風の記録がまた?」石版は古代より“風の預言”を記すとされる神器で、過去に一度だけエリシアの夢と連動して動いたことがある。今回は“交差する運命と、風に舞う誓い”という文言が浮かんでいた。「これは、あの丘にもう一度行けって言ってるのかもしれないわね」エリシアは静かに立ち上がった。その夜、エリシアは再び神殿の丘を訪れた。草木の揺れる音だけが響く静かな場所。だが、その静寂のなかで“誰かの足音”がした。「……来たのか」現れたのはカイラムだった。珍しく、彼の表情は複雑だった。「どうしたの?また神殿のこと?」「いや……俺のことだ」カイラムは少し黙ってから言った。「俺がこの地で果たすべき役目が、やっと見えた。だが、それを選べば……もう、戻れない気がする」「選ぶのが怖いの?」「……違う。失いたくないものがあるんだ」その瞳に浮かんだのは、迷いでも恐れでもなく、決意の火だった。「でも、俺は
東方諸島連邦の王子・シハールとの協定を経て、エリシアたちは彼の案内で、かつて封印された“音の神殿”へと向かうこととなった。神殿があるのは、グランフォードの北西──魔王領との境界付近。森を抜け、霧が常に立ち込める山のふもとに、その古代遺跡は眠っている。「ここが……音の神殿?」ユスティアが呆然と呟く。神殿は思った以上に小さく、石碑といくつかの柱だけが辛うじて形を保っていた。だが、空気が違う。重く、粘るような静けさがあたりを包んでいる。「この“静寂”……何かが封じられている気がする」リビアが警戒を強めた。シハールは一歩進み、指先で神殿中央の祭壇をなぞった。「封印の音は、いまもここに残っている。だが解くには、“失われた旋律”を奏でなければならない」「その旋律って、アゼルが探してた……?」エリシアが問うと、アゼルが小さく頷いた。「今なら……奏でられる気がします」彼は静かに楽器ケースを開き、銀糸のような弦の張られた竪琴を取り出した。ひとつ、指が触れた。――ポロン。微細な振動が空間を伝い、霧がわずかに揺れる。続けて弾かれた旋律は、決して華やかではない。けれど胸の奥を撫でるような、懐かしい音色だった。風が吹いた。神殿の天井にあたる部分がわずかに震え、古い文様が浮かび上がる。「これは……地図?」「いや、“記憶”だ」シハールが息を呑む。「この神殿自体が、音を通して記憶を保存していたんだ」浮かび上がった光は、やがてひとつの光景を映し出す──それは、かつてこの地にあったもうひとつの王国の記憶だった。「この場所……
市場に立ち込める潮の香りが、いつもより濃く感じられる朝だった。グランフォードの海辺に、また一隻の船がやってくる。今度は帆に鮮やかな翡翠の紋が描かれていた。特徴的なその意匠に、リビアが鋭く目を細めた。「……あれは、東方諸島連邦の使者か。随分と慎重な連中だと思っていたが……」エリシアは、口元を引き締めながらも笑顔を崩さず、港へと歩を進める。「歓迎の意は忘れずにね。でも、ただの挨拶で済むとは思えないわ」今回訪れたのは、連邦の外交顧問とされる女性──名を「ソハナ・ルミエ」。淡い翡翠色の瞳と、異国風の揺れる衣装。異様なほど整った立ち居振る舞いが、ただの使者ではないことを物語っていた。「あなたが、エリシア殿ですね? こうして直接対面できて光栄です」ソハナは、軽く一礼するとすぐに話を本題へと向けた。「本日は、連邦より“ある提案”をお持ちしました。これは貴国の未来を左右する、大きな選択となります」エリシアの眉が、かすかに動いた。「ふむ、その“提案”というのは?」「“友好の証として、あなたに我が連邦の王子を婿入りさせたい”と──」その瞬間、背後でなにかが割れた。見ると、リビアが持っていた水差しを落としていた。「婿入り……? 逆ハーレム構築、進行中……?」「聞こえてるわよリビア。いやまぁ、間違ってないけども」ソハナは微笑を絶やさないまま、さらに続ける。「実は王子には、ある“才能”があります。“音律魔法”という、特殊な波長で魔力を操る術。それは、最近“この地”でも反応しているらしく……」その言葉に、アゼルが顔を上げる。「まさか、“失われた旋律&rdq
港町アウラに春の風が吹く。グランフォード領の西端、海に面したこの町は、今や新興国家の交易と外交の拠点として活気づいていた。「ふふん、この町に“海の市場”を作るのが、わたしの小さな夢だったのよね~」エリシアは潮風に髪をなびかせながら、完成間近の港の市場を見渡す。魚介、塩、香辛料、異国の果物──交易品を並べる屋台がいくつも並び、準備に走る人々の声が、かすかに潮騒と混じって響いていた。そんな中、一隻の小型船が静かに港へ入ってきた。白い帆に刻まれた紋章──それは、南方の島国“ミルカナ”のものであった。「ミルカナ……って、確か音楽と舞の国、だったよね?」ユスティアが資料をめくりながら呟く。船から降り立ったのは、一人の少年だった。絹のように柔らかい黒髪と、楽器ケースを抱えるその姿は、旅の音楽家にしか見えない。「ようこそ、グランフォードへ。あなたが、ミルカナからの“使者”ですか?」問いかけると、少年はそっと頷いた。「名はアゼル・リン。……私は、歌と音をもって、真実を伝える者です」その声は穏やかで、しかしどこか心に触れる不思議な響きを持っていた。エリシアは彼を歓迎し、国の案内を始める。だがその道中、アゼルの目がどこか遠くを見つめていることに気付く。「……もしかして、何かを探している?」「……“失われた音”を」アゼルは静かに答える。「かつて、我が国の楽譜に記された“始まりの旋律”が、盗まれたのです。それは神話と共に歌われ、国を一つにする力を持っていた……けれど、今は誰も奏でられない」彼の言葉に、エリシアの目が光った。「ふむふむ、つまりそれを探して旅してるのね?」「はい。そして、あな