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第9話

作者: 一時
蓮司は妊娠検査結果を握りしめ、手が震えて止まらなかった。目はみるみるうちに充血していく。

菖蒲が……妊娠しているだと?

意識を取り戻した後、医者は身体へのダメージが大きく、子供を授かるのは難しいと診断していた。

蓮司は、菖蒲が子作りのために体調を整えながらも、他の家の子供たちを愛おしそうに見つめる姿を幾度となく見てきた。彼自身も、子供を望まないはずがなかったのだ。

彼女との間に、二人の愛の結晶を、子供を持つことを夢見ていた。

そして今、本当に子供ができたのだ。

蓮司は大きな喜びに包まれた。

なんとしても菖蒲を連れ戻さなければ。機嫌を直して、家に帰してもらわなければ。

彼女はただ少し拗ねているだけだ、と蓮司は思い込んだ。

この間、菖蒲には辛い思いをさせてしまったと反省している。

しかし、それもこれも、菖蒲の苦労を思えばこそだった。渚の子供を彼女に育てさせれば、きっと菖蒲も救われるだろうと考えていたのだ。

菖蒲に母親になる喜びを味あわせてやれるし、ついでに渚への復讐もできる。

一石二鳥、完璧な計画だと思っていた。

だが、計画を説明する前に、菖蒲に勘違いされてしまった。彼女が腹を立てるのも無理はない。

彼女が一番好きなバラの花束と、サプライズを用意すれば、きっと機嫌を直してくれるだろう。

菖蒲は優しいから。

蓮司は抑えきれない焦りで、すぐに秘書に電話をかけた。「菖蒲は今、どこにいるか!すぐに彼女の居場所を探せ!」

数分後、秘書から連絡が入った。

「藤原社長、奥様の居場所、分かりました……奥様はB市を離れ、N市に戻られたようです」

N市に戻った?

蓮司は一瞬呆気に取られたが、すぐに安堵の息を吐いた。

実家に帰っただけなら、まだ最悪の事態ではない。

彼はすぐに指示を出した。「N市行きの最初の航空券を予約しろ。それから、この間海外で落札したあの宝石と、高級ブランドの今年の全部の新作をまとめて、それから……」

他にどんなプレゼントを用意すれば菖蒲の機嫌が直るか考えていると、背後からか細い声が聞こえた。

「蓮司……菖蒲さんのところへ行くの?」

渚がいつの間にか近くにきていた。顔にはほどよい心配の色を浮かべている。

蓮司は彼女を見て、少し穏やかな口調で言った。「ゆっくり休んでてくれ。彼女を連れ戻せば、すべて丸く収まる」

「でも……
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