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彼を異常に意識してしまう

Author: 吉乃椿
last update Last Updated: 2025-06-03 06:00:41

その夜、梨央は、また夢を見た。

燃え盛る炎の音。剣の音。

神殿の石壁に刻まれた古い呪文。

そこで彼女は、またあの瞳と出会った。

だが今回は、前回と違っていた。

彼が剣を抜いたとき、その刃の先が自分ではなく、彼自身へと向けられたのだ。

(なぜ?)

夢の中で動けないまま、ただ見つめるしかなかった。

「……君だけは、守りたかった」

彼がそう呟いた気がした。

声は風にかき消されたが、その想いだけが、胸に刺さったまま残った。

(……私を、守ろうとしていた?)

夢が揺らぎ、景色が崩れていく。

目を覚ました梨央は、布団の中で固く拳を握っていた。

目尻に、また一粒だけ涙がにじんでいた。

 

翌朝、いつものように出社し、給湯室で湯気の立つカップを手に取った時。

彼が、向かい側のテーブルで資料に目を通していた。

「……篠原さん」

名前を呼ばれただけで、梨央の心臓が跳ねる。

「昨日の分、ありがとうございます。

 その……無理、してませんか?」

有馬のその一言に、梨央は一瞬言葉を失った。

なぜ、そんな風に気づけるの?

なぜ、その瞳があの時のように優しいの?

どうしてだろう。同じ部署の同僚なのに……
そう思わなきゃいけないのに、普通に“ひとりの男性”として感じてしまってる自分がいる。
……そんな自分に、戸惑ってるのは、他でもない私自身だった。

机の上の書類に目を落としながらも、視線の端で彼を追ってしまう。

意識しないようにすればするほど、胸の奥がざわついていく。

(だめ。何やってるの、私……)

そのときだった。

ふいに、有馬がゆっくりとこちらを振り返った。

「篠原さん、これ……さっきの議事録、確認してもらえますか?」

「……あ、はい」

声をかけられただけなのに、喉の奥が少し詰まる。

手渡された紙を受け取るとき、指先がほんのわずかに触れそうになる。

梨央は慌てて引っ込めたけれど、有馬は特に気にした様子もなく、自然に微笑んだ。

(その微笑み、やめて……)

なぜか、涙が出そうになる。

優しくされるたびに、心の中の“何か”が軋む。

あの夢の中で、炎の中から剣を抜いたあの人の目と、重なる気がして。

(……記憶なんてないはずなのに、なんで)

温度も距離も、全て同じであるわけがないのに。

胸の奥が痛くなるほど、その空気が似ている……そんな気がしてしまう。

「……じゃあ、前回のプレゼン資料をベースにして、ここは少し方向性を変えた方がいいかもしれませんね」

有馬の声は、いつも通り静かで落ち着いている。

けれど、静かなその声の響きが、今日は妙に近く感じる。

同じ会議テーブルに座っている。

距離は充分あるはずなのに、鼓動だけがやけに早くなる。

「……はい。そうですね。ここのデータは最新のに差し替えておきます」

声が少し掠れてしまった。

視線を合わせるのが怖くて、資料に目を落としたまま応じる。

有馬が手元のタブレットを操作しながら、ふとこちらを見た。

「篠原さん、昨日の件……気にしてませんか?」

「え?」

驚いて顔を上げると、有馬は目を細めて微笑んでいた。

「会議中、少し表情が固かったから。気のせいだったらいいんですけど」

「……そう、だったんですか?」

(気づかれてた……?)

内心がざわつく。そんな些細な表情の変化に気づく人なんて、今までいなかった。

「……すみません。ちょっと、私情が……」

「大丈夫ですよ。無理しないでください」

言葉は優しかった。

けれど、その言葉の奥に、もっと何か――名付けられない想いのようなものが滲んでいる気がした。

一瞬、視線が交わる。

有馬の瞳に映る自分が、なぜか“今”の自分じゃないような気がした。

(やめて。そんなふうに見ないで……)

心の奥が、またあの夢の続きに触れそうになる。

「じゃあ、残りの調整は、僕のほうで進めておきます。篠原さんはデータ整えをお願いしますね」

「……はい、ありがとうございます」

有馬が席を立つ。

彼の背中が離れていくのを、無意識に目で追ってしまう。

(……私、また見送ってる)

その言葉が、喉の奥で詰まった。

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