LOGINその日の夕食は、ビョルンの歓迎会の為に最近出来たレストランを予約していた。その店では一般的なフロアに加えて、人数に応じた個室や小規模のパーティー会場まで備えている。凛華達は、個室で祖父母と叔父一家、そして凛華とビョルンとで楽しく過ごしていた。「ここのお料理はどれもとっても美しいわね。」「食材が新鮮だからか、味付けがシンプルでもとても美味しいよ。」「お店の雰囲気もいいし、また皆で来よう。」そんな話をしていると、廊下から男の叫び声が聞こえた。続いて女の悲鳴のような声が聞こえたかと思うと、何やら騒がしくなっていった。そのうちスタッフらしき声が廊下に響き渡った。「個室にいらっしゃるお客様!危険ですので廊下には出ないでください!それから、お医者様がいらしたらご協力お願いします。」凛華がすぐに立ち上がった。「行ってくる。」「僕も行く!」「危険だって言ってる。ビョルンはここにいて。」「だからだ。一緒に行く!」凛華は、きっぱりと言い放つビョルンの揺るぎない瞳に圧倒されて固まった。しかし、「二人とも気を付けて行きなさい。」誠嵩の静かな声に、すぐ我に返って頷いた。 二人でドアの隙間から廊下の様子を伺うと、数メートル先に刃物を持った男が警備員やスタッフに取り囲まれていた。男は何かを叫びながら威嚇している。その一団の少し手前で、男性が腹部から血を流す女性を抱きしめながら叫んでいた。「誰か!早く医者を!」凛華とビョルンは頷き合って、そっとドアから出て怪我人の元に向かった。「落ち着いてください。私は医者です。すぐに手当てをします。」そう言って凛華が傷を確認しようとドレスに触れた途端、それまでぐったりしていた女性が凛華の手を跳ね除けた。「ダメ!触らないで!」「でも、出血が多いです!すぐに止血しないと命にかかわります!」「嫌!必要ない!救急隊がすぐ来るわ!」「楓華、落ち着いて。少しでも早く止血しないと!」「知らない人に触られたくない!」「そんなこと言ってる場合じゃないだろう!」「この人、ほんとに医者なの?」「本当です。研修医ですが、救急センターでの経験があります。」「ほら!研修医なんて信用出来ない!」「楓華……。」そんな問答をしているうちに、救急隊が到着した。楓華は再びぐったりして、抵抗することもなくすぐに担架に乗って運び出さ
先日の様子ではとてもそうは見えなかった。もし、望まないのであれば何らかの手助けをするべきなのか、成り行きに任せるしかないのか。凛華はいろいろと思い悩みはしたが、わざわざ自分から楓華に関わろうとは思えなかった。3月もいよいよ終わりに近付いた頃の週末、華織から連絡が入った。「凛ちゃん、今日こっちに帰ってくる?」「少し遅くなるかもしれないけど、帰ろうとは思っています。」「そう!良かったわ。時間の目処がたったら連絡して。車を迎えに行かせるわ。」「わざわざ来なくても、自分で帰りますよ。」「そう言わないで。いろいろ心配なのよ。」「わかりました、時間がわかったら連絡しますね。」その日は、作業が予想以上にスムーズに進み、8時には若桜家に帰り着く事が出来た。「凛ちゃん、おかえりなさい。夕食の用意が出来ているわよ。」華織はいつも以上に上機嫌で迎えてくれた。何かいいことでもあったのかなと、特に気にもせずに食事を終えてリビングに行くと、華織と清麗が上機嫌で待っていた。「何か良いことでもあったのですか。」「まぁね。ねぇ凛ちゃん、明日何か予定あるの?」「特にはないですよ。」「良かったわ!じゃ、明日の午後は予定を入れないでね。一緒にお客様を迎えに行って欲しいの。」「どなたが来られるのですか。」「それは内緒よ。」「?……私も知っている人ですか。」「明日のお楽しみよ。」「?……わかりました。」翌日の午後、凛華は清麗と共に空港に向かった。相変わらず詳しい事は知らされ無いまま、清麗と雑談しながら出迎えの人混みの中で待っていた。暫くして、国際線の到着ゲートから見知った人物を見つけると、思わず声が出てしまった。「えっ?なぜ?」唖然とする凛華と、ニコニコと嬉しそうな笑顔の清麗を見つけた彼も事情を察して笑顔で声をかけた。「久しぶり、凛華。元気だった?」「ビョルン!どうしてあなたが?」「歓迎してくれないの?」「会えたのは嬉しいわ。でも、あなた学校は?」「留学する事にしたんだ。2年間の予定で。」「どうして教えてくれなかったの?」「急に決めたんだ。間に合うか分からなかったから心配させたくなかった。でも、どうしても来たくて凛華のパパに頼んだんだ。」「……。」驚き過ぎて言葉を無くしてしまった凛華に清麗が声をかけた。「ビョルン、サプライズ成功ね。ここ
「これを調べて見て。」「これは?」「今日凛ちゃんが誰かから贈られたプレゼントよ。」「誰かから?心当たりないの?」「はい。翔月さんと話している時にテーブルに置いて、そのまま忘れていました。」「きっと宗像さんが、翔月さんから凛ちゃんへのプレゼントだと勘違いして嫉妬して持っていったのよ。」彩愛の言わんとする所を察した勇真は、すぐに秘書を呼んで調べさせた。その頃にはパーティーもほぼ終わりだったので、その日はそのまま解散する事にした。月曜日、凛華は憂鬱な気持ちで出勤をした。土曜日の午後に勇真から連絡が入り、やはりあのイヤリングの箱には発信機が付いていたと言うことだった。ロックスマンの名前が入っていたので、送り主は恐らく研究所の関係者だろう。誰かを疑いたくはないが、警戒は必要になってしまった。取り敢えずその日、 陽子にだけは金曜日の事について話を聞いてもらうためにマンションに誘った。「想像通り、シンプルな部屋ねぇ。」陽子の第一声がそれだった。「この部屋は殆ど寝るためだけに帰っているようなものですから。」「まだ十代の女の子でしょう?趣味とかないの?」「ありますよ。そう言うのは母の実家に置いて貰っているんです。週末はそちらに帰る事が多いですね。」陽子を部屋に招き入れた後、三十分程で夕食を作り食事を済ませた。そろそろ話を始めようとすると陽子が、「リンカって知れば知るほど驚かされるわね。」「何がですか?」「何がって、シンプルな部屋で無趣味かと思えば料理はプロ級だし、部屋着はすごく可愛いし。」「あ〜、それはよく言われますね。自分では普通のつもりなんですけど…。」「ふふっ、そういう反応はイメージ通りね。さて、じゃあ話を聞かせてくれる?」凛華は金曜日の出来事を話した。陽子は真剣な表情で聞きながら、イヤリングやメッセージや手紙などを手に取って見ていた。そして、話が終わってまずひと言尋ねた。「リンカって〈凛華〉って書くのね。日本名があるの初めて知ったわ。」「!?……、そう、ですよね。だとしたら…?」「ええ、相手は研究所関係者だけとは限らない。こちらでの知り合いの誰か、若しくは完全なストーカーの可能性もあると思うわ。例の噂話もあるし、お母様のご実家に相談してきちんと調査してもらうべきなんじゃない。研究所内の事については、取り敢えずジョニーに
「嫌な予感がするわ。何かあったらどうしよう。そうだ!翔月さんにもすぐに来てもらおう。」彩愛はすぐに翔月に608号室に来るように連絡をして自分たちもその部屋へ向かった。二人が部屋の前に着いた時、なぜか翔月は既に部屋の前にいた。「翔月さん、どうしてこんなに早く?」「楓華ちゃんが電話で、酔ってしまったから休憩したいって言って来たんだ。だからフロントに頼んで612号室を借りて楓華ちゃんを待ってた。そしたら彩愛さんからも連絡が来たから廊下に出てたんだ。一体何があったの?」彩愛が事情を説明する間に、勇真は既に608号室のチャイムを鳴らしていた。少しして、ドアがゆっくりと開いた。中から、上半身裸で赤ら顔の向井がにやにやしながら顔を覗かせた。「遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ。」向井は彩愛を見るなり手首を掴んで部屋の中に引き入れようとした。しかし勇真がすかさず彩愛を抱き寄せて、彩愛の顔を胸元に抱き込んで視界を塞いだ。翔月はドアを勢いよく押し開けて中へと入って行った。「凛ちゃん?何処にいるんだ!大丈夫か!」彩愛と勇真もその後に付いて入って行った。「おい!君たちは誰なんだ!なんで勝手に入って来るんだよ!」「うるさい!変態野郎!凛ちゃんは何処だ!」「凛ちゃんて誰だよ!俺が待ってるのは楓華ちゃんだよ!」「……楓華?……待ってた?そんな格好で?お前、楓華に何するつもりだったんだ!」「何って……、いや、違うよ。これは、お酒を零してしまって……。そうなんだよ!それで、今フロントに着替えを頼んでいるところなんだ。」向井はようやく自分の姿を思い出して慌ててバスローブを羽織り、説明をした。結局、室内に凛華の姿はなかった。三人で困惑している中、彩愛はふとテーブルの上の紙袋に目が行った。「あれって……。」何かに気づいたように袋の中を覗いて見ると、思った通りのカードが入っていた。「あの、これがどうしてここにあるのですか?」「それ?それは楓華ちゃんが置き忘れて言ったんだ。誰かからのプレゼントらしいよ。」「宗像さんが貰ったものだと言っていたのですか?」「そうだったと思うよ。」「……。何かの間違いのようですよ。 ロックスマンさんは私の友人です。これは私の友人が貰ったものです。」彩愛はそう言うとカードを取り出して見せた。「………。きっと何処かで取り違え
「お願いします。友人は今、ちょっと取り込み中で……。すぐ上の階なので、そんなにお時間も取らせません。私……もう、辛くて……。」凛華に支えられながらソファーにもたれ掛かり、益々辛そうに言う楓華を放置出来ない。かと言って同行するのも不安だ。どうしたものかと躊躇っていると、偶然通りかかったホテルのスタッフが声を掛けてくれた。「お客様、何かお困りですか。」「ちょうど良かったです。この方が気分が悪くなられたようで、お部屋まで送って欲しいと仰っているんです。でも、私も友人を待たせているのでどうしようかと困っていたんです。」「失礼ですが、お二人はお知り合いではないのですか。」「はい、知人です。」「いえ、お名前もちゃんとは存じません。」スタッフの女性は楓華と凛華の異なる反応に困惑したが、すぐに無線で応援を呼んだ。そして楓華に向かって言った。「お客様、よろしければ私達がお手伝いいたします。間もなく応援の者も参ります。いかがでしょうか。」そう言うと、腕を伸ばして凛華に代わって楓華の身体を支えた。楓華はそれ以上凛華にこだわる事もできずに、スタッフに向かって、「……お願いします。」と言わざるを得なかった。その後、間もなくやって来た女性スタッフ達に支えられながらエレベーターへと移動して行った。楓華は去り際に、凛華に向かって厳しい視線を向けた。しかしそれは一瞬の事で、すぐに弱々しい表情に戻りその心中は誰にも気付かれることはなかった。一方で、凛華は化粧室に行ってからすぐに会場に戻った。彩愛達と合流しようと二人の姿を探してみたが見当たらない。二人だけでなく、翔月もいない。 まさか自分を残して帰ってしまったのか。不安が募り始めた頃、バッグの中から微かな振動が感じられた。急いで携帯を取り出し確認すると、彩愛からの着信だった。「もしもし……、」「凛ちゃん!良かった!何処にいるの?無事なのね?」「えっ?何かあったんですか?私は会場にいますけど。」「会場?ずっといたの?」「いえ、少し前に戻ったところです…。」「無事なら良かったわ。今から会場に戻るから動かないで待っててね。」「はい。」首を傾げながら着歴を見てみると、彩愛や勇真や翔月からの10回以上の着信があったようだ。僅か30分程の間に何があったのだろう。首を傾げていると、慌てた様子の三人が戻って来た。
しかし、それを察した楓華は素早く一歩横にずれて避けた。そして、「あっ、向井さん、もうお友達とのお話は終わったのですか?では皆様、友人が戻りましたので私はこれで失礼しますね。」と言うと二人でその場を去って行った。相手の男性は去りながら、「人前だからって気にせずに俊哉で良いのに。急にいなくなったから驚いたよ。気に入った品は決まった?すぐに予約しに行こう。約束通りプレゼントするよ。」と楽しそうに話しかけていた。彩愛と凛華は呆れたような顔で楓華たちを見送った。翔月はと言うと、僅かに微笑みながら、「漸くあの娘(こ)にも彼氏が出来たのかな。これでひと安心だ。」と安堵の表情を浮かべた。彩愛は堪らずに翔月に問いかけた。「翔月さん、宗像さんとどういうお知り合いなの?ネックレスまでプレゼントするのに他の男性と行ってしまっていいの?」「彼女は妹みたいなものだよ。彼女が高校生の時に偶然に再会してね。僕のアドバイスの影響でわざわざ九州から同じ学園に進学してきたんだ。知り合いもいなくて心細いって言うから相談に乗ったりしているんだ。」「それだけなの?」「それ以外に何があるの?」全く訳が分からないと言う様子の翔月に、彩愛がさらに問いかけた。「私達が見た感じては、少なくとも彼女はそれだけではない様子だったわ。気づかなかった?」それまで何も言わず状況を見ていた凛華も、「そうですね。彼女、プレゼントの事とっても嬉しそうでしたよ。」「それは気に入ったアクセサリーが手に入るからじゃないの?」当然のように言う翔月に、彩愛は呆れたように返した。「翔月さんて意外と女心に疎いのね。女の子はね、何を貰うかより誰から貰うかの方が大事なのよ。」「そうなんだね。だったら彩愛は僕からのプレゼントなら喜んでくれる?」直ぐ近くまで来ていた勇真が彩愛に声をかけた。「勇真さん。もちろんよ。皆さんとのお話は終わったの?」「ああ。せっかくのショーの間に側にいられなくてごめんね。それより、翔月君と何の話をしていたの?」「大したことじゃないわ。」「そうですよ。僕はまだ挨拶できていない方々がいらっしゃるのでこれで失礼します。凛ちゃんのこと、よろしくお願いします。」「分かったよ。行ってらっしゃい。凛ちゃんのことは任せて。」「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫ですよ。」翔月が去った後
「来月には凛ちゃんも3歳になるのよ。みんなでお祝いしましょうね。」「はい!ありがとございます。」そうか、今は4月か。前世で事故に遭ったのは3月だったから少し時間はズレているらしい。母がいる日は母と離れで過ごし、出掛ける日は母屋で過ごす日々の中で、更に状況が分かってきた。母にはお互いに想い合う恋人がいた。私を身籠った事をきっかけに、父は海外に住む家族に結婚の報告をするために帰って行った。その途中で事故に遭い長い間昏睡状態だったようだ。意識は戻ったものの今だに寝たきり状態らしい。母は経済的に自立して、父を養えるようになって結婚する事を目指している。私にはあの男ではなく、本当の父がい
冷たい水が口の中をすっきりさせて、喉の奥にスーッと流れ込んできた。するとさっきまでの不快感が消え去っていった。「ありがと。」凛華がお礼を言うと、その女性は安心したように微笑んで、「どういたしまして。今日の凛ちゃんはとってもお利口さんね。」と言ってまた優しく頭を撫でてくれた。凛華はこの女性を知っている。だが、自分の記憶にあるこの女性はもっと窶(やつ)れて暗い顔をしていた。声も小さく弱々しかった。今の白くてシミ一つない美しい肌も、大きくて澄んだ瞳もふっくらとした花びらのような唇も遠い昔のものだったはず。こんなふうに若々しく美しかったのは、まだ自分がほんの物心ついた頃のことのはず。
「辞令を見ても何も言わなかったじゃないか。」「言ったら撤回してくれたのですか?」「もう決まった事だ。しつこいとクビにして無一文で若桜家に送り返すぞ。それが嫌なら大人しく言うことを聞け。颯生さんにも余計なことは言うな。」「何で……何でいつも勝手に決めてしまうんですか!家でも会社でも命令ばかり!私にも心はあるんです。少しは尊重してくれてもいいんじゃないですか!」「そんなに契約違反をしたいのか。何なら明日にでも離婚して家に返そうか?ご両親の反応が楽しみだな。たっぷり躾けられた後何処かの爺さんの後妻にでも売られるんだろうよ。そう言えばお前まだ処女だったな。さぞかし高く売れるだろうよ。これが最
凛華は元は東雲グループのイベント企画会社に就職していた。しかし、就職間もなく楓香の事情に巻き込まれて翔月と契約結婚する事になった。その時、どうしても働き続けたいと言う凛華の意向を受けて、翔月は監視を兼ねて彼が社長を務める商社の秘書室に出向させた。結婚の話が出た時、東雲家からは会社は辞めて家で家事に専念するように言われた。が、そんな事をしたら離婚後また若桜家に戻って家政婦のように働かされ、その内誰かと政略結婚をさせられるに違いない。凛華としてはそれは絶対に避けたかった。そのためにはちゃんとした仕事を確保しておく必要があった。離婚後こそは自立してようやく自分らしく生きていくのだ。3日後、待ち







