LOGIN目的の人物は直ぐに見つかった。
予想通り、人が最も集まっている中心地にいた。
やっぱり彼も背が高い。
*
大手ゼネコン藤嶋建設の創業家一族の直系で次期社長。
現在は副社長の地位にあるが、社長である父親・藤嶋
彼の周りに群がっている人たちは彼より二十歳は年上だろうに、彼に向けるその媚びた表情から王に謁見する臣下にしか見えない。
彼の傍には美しい女性。
そして彼によく似た幼子。まるで“幸福”を絵に描いたような家族。
でもこの三人は“家族”ではない。
正確には「まだ」家族ではない。
なぜなら藤嶋蒼の妻は私なのだから。
*
蒼は私と離縁し、あの女性、いま蒼に笑顔を向けている
私は離婚を拒んでなどいない。
その証拠に、彼の前から姿を消す前に記入済みの離婚届を黒崎さんに渡しておいた。
それなのに、「一応確認しておけ」と凱に言われて役所で戸籍を確認したら、今日の午前中はまだ私は藤嶋
こんな状況であっても私と離婚しない蒼が理解できない。
このパーティーは社長である藤嶋司の誕生日を祝うもの。藤嶋家主催で、息子の蒼の名前で開かれている。
そのパーティーで、蒼の傍で微笑んでいるのは白川茉莉。
そして次期後継者と紹介するように二人の傍にいる子ども。誰がどの角度から見たってこの三人が家族だ。
本当に何を考えているのか分からない。
でも、もう分かりたいと思っていない。
『凱』
視線を蒼に向けたまま凱に声をかけると、隣の凱の気配が変わるのを感じた。野生の獣が、これまで消していた気配を一気に開放して飛び掛かるような雰囲気だ。
『Mr.Fujisima』
張りのある凱の美声が一瞬で会場を支配し、呼ばれた蒼だけじゃくて全員の目がこちらに向いた。
二人が視線を交わしたのは一瞬で、蒼の視線はそのまま隣の私に向けられた。二人ほどではないけれど、私も日本人女性としては背が高いほう。
敵意のこもる目が、一瞬で驚きに変わる。
そして驚きから、「どうしてここに?」という疑問に。
驚くのは分かるけれど、この状況でそれ?
そんな気持ちを込めて、笑っていない微笑みを蒼に向けて、目線をほんの一瞬だけ、その隣の白川茉莉に向けた。
蒼も、ハッとして隣にいる白川茉莉を見る。
違うんだと、弁明するような蒼の目にすうっと心が冷える。
蒼も普通の男と変わらない。
愛人との浮気現場を押さえた妻の気分を味わいはしたけれど、美味しくはない。
予想はしていたけれど、ひどく苦い。
でもそれを、なんとか飲み干して笑みを浮かべる。
この日のために練習してきた渾身の微笑みだ。
『キャメロット日本支社、副支社長のヒナ・『おやすみ』
『……本当に一人で大丈夫か?』
パーティー会場を出てからずっと、凱はこの調子。
大丈夫かって何度も尋ねてくる。
そのたびに大丈夫って言うのに凱は信じていない。
ううん、信じさせられていない。でも、こればかりはどうにもならない。
心の問題。
『大丈夫』
そう言うしかない。
凱もそれを分かっているのだろう。
ホテルの部屋に入るのを諦めて、それでも何かあったら呼ぶようにと何度も念を押されたけれど、凱は追い出されてくれた。
*
一人になって、力が抜けた。
このまま眠ってしまいたいほど疲れたけれど、ドレス姿で眠れるわけないし、いつもより濃い目のメイクだから真っ白な寝具がすごいことになってしまう。
シャワーを浴びた。
久し振りに湯につかるのもよいかと思ったけれど、そこまでの元気はなかった。
整髪料を落とすのに二回もシャンプーして、ようやくスッキリ。
備え付けのバスローブを羽織り、ちょっと考えてルームサービスでビールを頼んだ。
お祝いといえばシャンパンかもしれないけれど、日本のビールが懐かしかった。やはりビールは日本に限る。
瓶ビールと冷えたグラスが届く。
窓枠に腰掛けて、グラスにビールを注いで、東京の夜景を見る。
凱には会場から離れたホテルを予約して文句を言われたけれど、久し振りの日本だから東京タワーの見えるホテルを選んだ。
この部屋がしばらくは私の家になる。
「お帰り、私」
そう言って窓ガラスに映るのは化粧気のない私の顔。
日本にいたときの、いつも目立たないようにしていた私の姿。
パーティー会場で、全ての中心にいた蒼のことが思い浮かぶ。
*
蒼との出会いというか、私は藤嶋蒼という男を一方的に知っていた。
蒼と私は同じ高校の出身。
私が入学した年、二歳上の蒼は高校三年生だった。
私は施設育ちの特待生で、学業とバイトに必死でお洒落のひとつもしない地味な生徒。学校カーストの底辺にいた。
一方で蒼は一流企業の跡取りで、学年一の秀才で、運動神経抜群。その上にイケメン。天に何物も与えられていた。そんな蒼は、当たり前だけど学校カーストの最上位だった。
そんな蒼だったから、廊下の角でぶつかるみたいな出会いがなくても私は蒼を知っていた。
ちなみに、高校生の私は蒼のことを好きだったわけではない。憧れてさえもいなかった。
ただ……感心?
「すごい人がいるんだな」と思ってはいたけれど、あまりに出来すぎのキャラ設定だったから、アニメや漫画のヒーローを見ているような気分でいた。
大学を卒業して、私は藤嶋建設に就職した。
蒼のことを追いかけたわけではない。蒼が卒業したあとは「そんな人もいたな」とたまに思い出すだけで、大学を卒業する頃には蒼のことは忘れていた。
藤嶋建設を就職先に選んだ理由は給与だった。
入社後に蒼が載った社内報をみて「そういえば、いたな」と思い出しはしたが、特に関りがあったわけでもないから思い出もなく、「いたな」で終わった。
こうして思い返しても、よく蒼と結婚することになったなと我ながら思う。
*
入社して研修を終えると、私は設計部に配属された。
そして三年後、設計部の部長が蒼になった。
まあ、このときでも私が蒼の視界に入ったかは分からない。いつでもどこでも人が集まればカーストは生まれる。
専務への登竜門である設計部の部長に若くして就いた蒼に対して、不可はないくらいの評価で恋愛小説で言えばどうしたって『モブ』に分類されたであろう私。
交流などあるわけがない。
それに、当時の蒼と交流したいなど欠片も思っていなかった。
なにしろ蒼は『暴君』だった。
振る舞いが粗野なわけでもないし、ハラスメント野郎でもない。
ただ人の心がない。蒼個人の能力が高いからか、できない人の気持ちが分からない。本人に悪意も、恐らくそんな意図もないのだろうが、他人のメンタルをポキポキ折りまくる乱暴者。
それが蒼だった。
入社当時から蒼の心無い所業は噂で聞いていたが、噂には分厚い衣がかかっていた。
蒼が部長になって、上司の上司になった蒼の仕事ぶりをみると想像以上の暴君さだった。
関わりたくないと真剣に思っていた。
……本当に、よく蒼と結婚したな。
目的の人物は直ぐに見つかった。予想通り、人が最も集まっている中心地にいた。やっぱり彼も背が高い。 *藤嶋蒼。大手ゼネコン藤嶋建設の創業家一族の直系で次期社長。現在は副社長の地位にあるが、社長である父親・藤嶋司を遥かに凌ぐ実力とカリスマ性から、藤嶋建設の実権は彼が握っているといっても過言ではない。彼の周りに群がっている人たちは彼より二十歳は年上だろうに、彼に向けるその媚びた表情から王に謁見する臣下にしか見えない。彼の傍には美しい女性。そして彼によく似た幼子。まるで“幸福”を絵に描いたような家族。でもこの三人は“家族”ではない。正確には「まだ」家族ではない。なぜなら藤嶋蒼の妻は私なのだから。 *蒼は私と離縁し、あの女性、いま蒼に笑顔を向けている白川茉莉と再婚したと思っていた。私は離婚を拒んでなどいない。その証拠に、彼の前から姿を消す前に記入済みの離婚届を黒崎さんに渡しておいた。それなのに、「一応確認しておけ」と凱に言われて役所で戸籍を確認したら、今日の午前中はまだ私は藤嶋陽菜のままだった。こんな状況であっても私と離婚しない蒼が理解できない。このパーティーは社長である藤嶋司の誕生日を祝うもの。藤嶋家主催で、息子の蒼の名前で開かれている。そのパーティーで、蒼の傍で微笑んでいるのは白川茉莉。そして次期後継者と紹介するように二人の傍にいる子ども。誰がどの角度から見たってこの三人が家族だ。本当に何を考えているのか分からない。でも、もう分かりたいと思っていない。『凱』視線を蒼に向けたまま凱に声をかけると、隣の凱の気配が変わるのを感じた。野生の獣が、これまで消していた気配を一気に開放して飛び掛かるような雰囲気だ。『Mr.Fujisima』張りのある凱の美声が一瞬で会場を支配し、呼ばれた蒼だけじゃくて全員の目がこちらに向いた。二人が視線を交わしたのは一瞬で、蒼の視線はそのまま隣の私に向けられた。二人ほどではないけれど、私も日本人女性としては背が高いほう。敵意のこもる目が、一瞬で驚きに変わる。そして驚きから、「どうしてここに?」という疑問に。驚くのは分かるけれど、この状況でそれ?そんな気持ちを込めて、笑っていない微笑みを蒼に向けて、目線をほんの一瞬だ
『大丈夫か?』隣にいる男、李凱(リー・カイ)から異国訛りのある日本語で気づかわれた。170cm弱あるから私も日本人女性としては背が高いほうだけど、190cmを超える凱の顔は遥か上にある。だから凱の顔を見るときは首の後ろがキュッとなるのだけど、こうして見上げる角度に慣れているのもは彼も同じくらい背が高かったからだろうか。いや……そうじゃない。いけない。浮かびかけた彼とのいい思い出を頭を振って追い払う。『陽菜、無理ならやめよう』頭を振った理由を凱には無理だと勘違いされた。でも、そうではない。大丈夫。だって、こんなチャンスは次はいつくるか分からない。『大丈夫ですよ、支社長』“支社長”と役職をつけたことがトリガーとなって、凱の表情がやや硬くなった。英国に本社のある世界的に有名な建築事務所キャメロットの日本支社長に相応しい顔だ。凱はこのパーティーに上客として招待されているから、おそらく彼が自ら挨拶にくるだろう。『大丈夫か?』 『うん』 『それなら、行こう』凱の表情は“上等”と言わんばかりに満足気だったけど、その腕は“傍にいる”というように優しくて、私はこの腕に安心させられる。 *『しかし、周りの目が少々鬱陶しいな』凱は不満げだけど、こんな視線に慣れていることを知っている。品の良い顔立ちにアウトローの雰囲気を併せ持つ男。危険な魅力に満ちた凱に老若男女は目を奪われる。特に女性。彼女たちの視線は凱を搦めとらんばかりにギラギラと熱いし、その隣にいる私には鋭利は刃物のように鋭く刺さる。 『視線の主は美女たちよ?』『美女なんてどこにいるんだい?』わざとらしくキョロキョロとフロアを見渡した凱は私にウインクをする。『俺がいまエスコートしている女性以上の美女を連れてきてくれないか?』『馬鹿ね』気障な台詞。 でも、凱にはよく似合っている。『……ありがとう』緊張をほぐしてくれた凱に感謝しながら、私たちはフロアを横断してバンケットホールに向かう。ちらほらと見知った顔が増えてきた。 目的地が近い。 緊張が戻ってくる。『俺を見て、My Dear』凱の優しさと、甘さの籠った声に周囲が騒めく。向けられたのは私なのに、周囲の女性が被弾して顔を真っ赤にしていた。うん、素晴らしい。 今日のパートナーに本当に相応しい。