Share

1-4

last update Last Updated: 2025-05-10 01:13:01

 定時で仕事を終えて家に戻ると荷物の整理を始めた。もし私が別れを告げたら、引き止めてくれるだろうか?

 片付けをしながらふとそんなことが頭の片隅によぎった。万が一引き止められたとしても私はここに残るつもりはない。

 今日彼が帰ってきて別れを告げてから出て行くつもりでいた。

 そのためにはある程度の資金が必要だ。二人で結婚のために貯めていた通帳を確認する。

 折半すればマンションもすぐに借りられるはず。しかし残額を見て私は言葉を失った。ゼロだった。

「ひどい」

 完全に信用していた私も悪かったが、絶対に修一郎は私のことを裏切らないと信じていたのに無断でお金を使っていたなんて……。深く裏切られたような気がした。

 学生時代は好きだと言って大切にしてくれたのに、いつから心が離れていたのだろう。

 震える手で通帳を持って確認しているとドアの開く音がした。彼が戻ってきたのだ。喉の奥がぎゅうっと締め付けられるような感覚に陥る。どんなふうに話を切り出したらいいのかわからない。

 怖くて不安で体に震えが走ったが、しっかりと考えを伝えて完全に関係を終わらそう。

 リビングのドアが開くと修一郎と目が合った。

「ただいま。腹減ったんだけど」

「……修一郎、大切な話があるの」

「話? 後にしてくれないかな。今日めちゃくちゃ腹が減ってるんだよね。まさか作ってないとか言わないよな?」

 ネクタイを外してソファーの上に投げ捨てる。ジャケットを脱ぎそれもそのままだ。全部拾い上げてシワができないようにハンガーにかけるのも私の仕事だった。

 めんどくさいと言ったような態度でソファーにドカッと腰をかける。

「ったく、何?」

 そこで彼は初めて私の手に通帳があるのに気づいたようだ。一瞬、表情をこわばらせたがすぐに真顔に戻る。

「ごめん。大事な用事とか続いて金がなくなってちょっと借りただけだよ」

「これは二人の結婚費用にって貯めていたものだよね。勝手に使うなんてひどいよ。困っているなら言ってくれたらよかったのに」

「お前は優秀だからいつも残業ばかりじゃん。話しする時間なんてなかったんだよ」

 まるで私が悪いというように言う。明らかに修一郎が悪いのに謝ろうとしないのだ。

 その態度を見ていると悪いことをしたのは自分なのではないかと思ってしまう。怯んでしまいそうだったが私は強い視線を向けた。

「私のこと家政婦としか思っていなかったんでしょ?」

「はぁ?」

「杏奈ちゃんと話しているのが聞こえたの」

「盗み聞きしてたのか。悪趣味だな」

「たまたま聞こえてしまっただけだよ。……いつから気持ちが冷めていたの?」

 なぜそんな質問をしてしまったのかわからない。もし解決の糸口があれば修復できるかもしれないと思ってしまったのだろうか。

「出会った頃から俺にとっては都合のいい女。掃除も洗濯も料理も完璧にしてくれて、夜の相手にもなる。今はそういう対象にはもう見れなくなってるけどな」

 血の気が引いていくような気がした。自分から質問をしておいて深く傷ついてしまった。

 でもせめて生活費だけは確保しなければいけない。

「全部とは言わないけど、お金、少し返してもらえないかな」

「悪いけどもう何もない」

「……そう」

 お金は頑張って働けばまた手に入るかもしれないけれど、時間だけはどうしても返ってこない。大切な時間を奪われていたことに気づかなかったのだ。そんな自分にも腹立たしい。

「私の大切な時間を奪ったんだね」

「はぁ? お前何言ってんの。自分で選んで住んで俺と過ごしてたんだぞ」

 その通りで何も言えない。ここにいたらまた永遠に同じことを繰り返してしまう。

 やはり今すぐに出ていかなければならないと判断して私は立ち上がった。

「出て行くね」

「どうぞ、ご勝手に」

 引き止めてくれるかもしれない。そう一瞬でも考えてしまったことがバカバカしくなった。

 まとめた荷物を部屋から取ってきて、修一郎の横を通り過ぎようとする。するとおもむろに彼は口を開いた。

「お前は色で言うと白だ。俺の言う通りの色に変わってくれたから心地よかっただけ。しばらくの間一緒に住んでやっただけでも感謝しろよ」

 めんどくさそうに頭を掻いて、テーブルの上にあるリモコンでテレビをつけた。バラエティ番組の笑い声すら虚しく聞こえる。

 何年間もこの部屋で過ごしたのに、一瞬で自分の空間ではなくなった。

 玄関のドアを閉める時に遠くで聞こえるテレビの音がやけに切なく感じた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   おまけ

     私たちは結婚式の準備で大忙しだった。  でもこれから幸せな毎日が訪れると思ったら、  全然苦ではない。  今日は私たちは自分たちの家で、  結婚式をどのように執り行うか打ち合わせをしていた。 「圭介君、あまりお金もかけたくないし、ウェディングドレスはレンタルでいいよ」 「そんなわけにはいきませんよ。愛する妻にはとっておきのドレスを用意したいと思っているんです」  カタログをパラパラと見ながら発言する私の手を止めて、彼はじっと見つめてきた。  吸い込まれそうな素敵な表情に心臓はドキドキしてくる。 「いいよ、レンタルで」 「よくないんですって」  それの言い合い。  なんだか、ハッピーすぎる。 「わかった。そうする」  彼の熱意に負けてしまった。  夫婦になるなんてすごく不思議な気持ちだ。  仕事が忙しいはずなのに、  私の気持ちをしっかりと聞いてくれるし、不安なところは解消しようとしてくれる。  本当に優しくて素敵な人。  こんな大好きな人と結婚できるなんて私は幸せで、どうにかなってしまうのではないかと思う。 「ウエディングドレス姿すごく楽しみにしてます」 「私も。タキシード姿楽しみ。王子様みたく素敵なんじゃないかな」  素直に気持ちを打ち明けると彼は恥ずかしそうに顔を赤く染めた。  こういうピュアなところも大好きだ。 「あまり可愛いこと言うと襲っちゃいますよ」 「え?」  いきなりスイッチが入ったようで瞳が真剣に変わる。そして手を伸ばしてきて強く抱きしめられた。 「ちょっと待って、結婚式の打ち合わせをしてからにしようよ」 「もう我慢できません。可愛いことを言うから……」  顔を近づけてきて唇が重なった。  彼の甘くて長いキスに私は溺れていく。 「真歩さん……大好きです」 「ありがとう」 「真歩さんは?」   私の気持ちなんてとっくに知っているはずなのに、言葉で聞きたいとでも言いたいような顔をしている。   好きだと伝えるのは何だかくすぐったくて恥ずかしい。   でも彼が求めてくれるならちゃんと素直に伝えたい。 「好きに決まっている」  照れを隠しながら言うと、彼は嬉しそうに笑った。 「ありがとうございます。 一生大事にして離しませんから」  長い腕で抱きしめられて、私は素直に彼の

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3−12

     翌日の授賞式では、直接社長から賞状を受け取った。 その後はホテルで立食パーティーが開かれて、たくさんの仲間に祝福してもらった。 途中、社長に声をかけられて少し席を外す。何を言われるのかと緊張して後ろをついて行った。 用意されていたのはソファーとテーブルがある歓談室だ。「手短に話したいから立ったままで」「わかりました」「詳しくはまた今度ゆっくり話をしようと思っているのだが」 緊張でつばをゴクッと飲んだ。「素晴らしい活躍本当にありがとう」「こちらこそありがとうございます」「……圭介もかなり頑張ってくれて、跡取りとして任せることができると思うようになっているんだ。一人息子だから心配でたまらなくてね」 私は社長の話に耳を傾けていた。「まだ少し早いが、こうして成長した圭介なら家庭を持ってもいいかと思っているんだ。息子をお願いしてもいいかな?」 まさかお許しをいただけるなんて思わずに私は固まってしまった。 するとそこに岩本君が入ってくる。 二人で話しているところを見てかなり焦り、私の前に守るように立ってくれた。「お父さん、真歩さんに何をする気ですかっ!?」 社長は面白そうに笑って冗談を言うのだ。「相野さんに大事な話をしようと思って呼び出した」「父さんがどんなに反対しても、僕たちの関係は崩れることはありません! 昨日プロポーズさせていただきました」 反対されると思っているようでかなり必死だ。 社長は嬉しそうな顔をして大きく拍手をしてくれた。「もうプロポーズまでしたのか? それはよかった。おめでとう」「え?」 混乱している岩本君に私は説明をした。 社長が私たちの結婚を認めてくれたと伝えると、こわばっていた顔が柔らかくなって、今まで見た中で一番素敵な笑顔を見せてくれた。

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3−11

     半年という月日は長いような、短かったような。仕事も順調で時間の経過が早く感じたのかもしれない。 四月の下旬になり、アメリカから岩本君が戻ってくる。 あれから社長と出くわすたびに微妙な空気が流れていたが、私は心から愛した人とこれからも一緒に過ごしていきたいと自分なりに決意をしているところだ。 空港の到着ロビーで待っていると、手を振りながら近づいてくる人の影が見える。岩本君だ。私は嬉しくなって走ってかけよった。 それと彼は両手を大きく開いて受け止めてくれる。「ただいま」「お帰りなさい」「会いたかったです」 会えない間寂しいからと一度も泣くことはなかったけれど、一回りも二回りも成長して戻ってきたように見える。 身分を隠して新入社員として一緒に働いていた時とは別人のようだった。年下なのにかなり頼れる存在というオーラを感じる。「真歩さん……」「岩本君……」「家に戻ってイチャイチャしましょう」 そう耳元で囁かれて私は恥ずかしいけれど、コクリと頷いた。 荷物がたくさんあったのでタクシーで岩本君のマンションに戻ってきた。 部屋に入ると同時に岩本くんにハグをされる。そして何度も何度も口づけを交わす。「すみません。真歩さん不足だったんで」 少し落ち着きを取り戻した岩本君が顔を赤くしていた。 リビングに入ると、彼はポケットの中から小さな箱を出す。「僕と結婚していただけませんか?」 ダイヤモンドの指輪はキラキラと輝いていた。断る理由なんてない。「ありがとう。こちらこそよろしくお願いします」 大企業との御曹司との結婚は、そう簡単にはいかないかもしれない。でも二人の思い合う気持ちがまずは大切なのではないかと、プロポーズを受け止めることにした。「父のことは絶対に説得します。幸せになりましょうね」 岩本君が力強く私のことを抱きしめてくれた。「ずっと岩本君についていく」「ええ。でもそろそろ名前で呼んでもらえると嬉しいのですが……」「そうだったよね……」 恥ずかしくてたまらないけれど、期待に満ちた瞳をされるので私は大きく息を吸った。「圭介君」「…………うわぁ、たまらないですね」 名前を呼んだだけなのにこんなにも喜んでくれるなんて。彼の反応があまりにもかわいかったので私は満面の笑みを浮かべる。「明日は社内の授賞式ですね」「うん」 ゲ

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー10

     毎日がめまぐるしく過ぎていく。 他社の商品の企画なども担当しつつ、パルティとのやり取りを繰り返していた。あまりにも忙しくて岩本君とオンラインで話せる日数も限られていた。 そして気がつけば三月になっていた。『ティーオーユーデザイン企画 相野様いつもお世話になっております。商品が完成しました。本日送らせていただきますのでご確認お願いいたします』 パルティの担当者からメールが届いていた。 翌日、実際に商品が届き段ボールを開く。部署内のメンバーも集まってきて中身を確認していた。 私が考えたデザインがゲームのパッケージとなっていて、実際に手に持つと言葉では表すことができない感動が胸いっぱいに広がった。「すごいですね!」「おめでとうございます」「いいか? 皆も頑張ったら、こういう結果を出すことができるんだぞ」 課長が言うと後輩社員たちの瞳がキラキラと輝きだした。諦めないで続けて夢を叶えることができて本当に嬉しかった。 仕事を終えて家電量販店のおもちゃ売り場に足を運ぶ。 本当に並んでいるのかなと緊張しながら行ってみたら、特設コーナーは設置されており、しっかりと商品が並べられていた。これを見て本当に夢が叶ったんだと実感した。 買い物に来ている仕事帰りのサラリーマンや、子供を連れた人がゲームを次々と手に取っていく。 ゲームの内容はかなり楽しそうで私もプレイしてみたい。 幸せそうに嬉しそうに、ゲームを手に取ってレジへ向かう姿が印象的だった。 この感動をどうしても愛する人に伝えたくて、私はスマホで電話をかけていた。すぐに岩本君が電話に出てくれる。「今大丈夫?」『そろそろ電話をしようと思っていた頃ですよ。今日は商品が発売日でしたね。本当におめでとうございます』「家電量販店に見に来たんだけど、特設コーナーが設置されていたの」『素晴らしいですね。隣で一緒に見たかったな』「……そうだね。帰ってきたら一緒にゲームしてみない?」『それはいい考えですね』「うんっ」 休日には亜希子のお墓で手を合わせて報告をしてくることもできた。 その後、クライアントから連絡が来て売れ行きは好調とのことだった。連日のようにテレビや雑誌でも紹介され、売り上げがどんどんと上昇していく。 そのうちにパッケージデザインのことまで注目してもらえるようになった。 私はアイ

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー9

    *   *   * 九月下旬に修一郎は福岡支店の営業職として転勤することになったと発表された。事実上の左遷である。 デザイン部から営業職に変わる人は社内では初めてらしい。 修一郎が転勤する最後の日まで、私と言葉を交わすことはなかった。 同じ会社で働いている限り、またどこかで会うかもしれないけれど、本当にこれで修一郎と別れることができると思えた。 さようなら、修一郎。 十月になり、岩本君がアメリカに飛び立つ日になった。 有給休暇をもらって私は空港に見送りにいく。「真歩さん。しばらく会えないと思うと寂しくなってきました」 守る時は守ってくれて、しっかりしている時はかなりしっかりしていて頼れる存在なのに、こういう時に甘えてくるので私の胸はかき乱されてしまう。 私だって会えなくなってしまうのはすごく寂しい。 お泊りして、朝まで一緒に過ごしていたのだから。「休みが取れたら会いに行こうかな」「ぜひ!」 私は手を差し出した。岩本君はかっちりと握手を交わしてくれる。「頑張ってきてね」「はい。毎日連絡します」 そのまま手をぐっと引っ張って思いっきり抱きしめられた。そして公の場だというのに唇に優しくキスをされたのだ。「行ってきます」「行ってらっしゃい」 彼は颯爽と歩き出す。こちらを振り返って何度も手を振りながら。4 岩本君がアメリカに行ってから一ヶ月後、私の作品は無事コンペで選ばれた。 そして正式にゲームパッケージとしてクライアントに案を提出することになった。 修正や予算案を詰めていく作業があり、連日残業続きだったけれど、夢を叶えるために私は奮闘していた。 クライアントに無事に提出し、素晴らしいアイディアだと絶賛されて来年の春に発売されることになった。『おめでとうございます』 パソコンの画面に映っているのは、オンラインでつながっている岩本君だ。お祝いだからと彼はシャンパンを手に持っている。 私が寂しくないように頻繁にメッセージを送ってくれて、時間が合う時はオンラインで話をしているから遠い地にいるという感じはしなかった。『ご友人も喜んでくれていますね』「うん。ゲームが発売されたらお墓に行ってこようと思ってるの」『真歩さんが頑張っている姿が自分にもいい刺激になってますよ』「私こそ、岩本君のおかげ」『そうですか? では、ご褒

  • 隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて   3ー8

     その日の夜。引越し先が決まり荷造りをしていると岩本君が帰宅した。「裏で動いてくれていたんだね。本当にありがとう」「いえ。それで相野さんがコンペ用に最初に考えていた案を何とか使ってもらえないかとお願いしているのですが……」 私は首を横に振る。「あのことがあったおかげで、コンペに出せた作品がさらに洗練されたものになったと思うの。辛い経験だったけど、今はこれでよかったなと思っている」 彼は優しそうな表情を浮かべて頷いた。「そう言ってくれるなら安心しました。僕がアメリカに行ってからコンペの結果が出るのですね」 そうなのだ。どんな結果になったとしても受け止めるつもりでいたけれど、できればそばで見守ってもらいたかった。「本当に引っ越ししてしまうんですね」「無事に家を見つけることができたから、今までお世話になって本当にありがとうございました」 心から寂しいと言った目をする岩本君が急に後ろから抱きしめてきた。「ちょっと……」「嫌ですか?」「……ううん。でも、年の差もあるしふさわしい人がいるんじゃないかなと思って」「僕がふさわしいと思ったのは真歩さんですよ」「ありがとう」 岩本君が私の目の前に回ってきて、ずっと瞳を見つめてくる。「もし辛いなら一緒にアメリカに行きませんか?」「辛いけれど、必ずわかってくれる人がいる。私は自分の作り出したアイディアたちに様々な色を込めたの。『私を見て』って。もう少し頑張ってこの世界で勝負をしていきたい」 岩本君が深く頷いた。「その言葉を聞いて安心しました。僕も半年アメリカで頑張ってきます。戻ってきたら、その時はプロポーズさせてもらおうと思います」 まっすぐな彼の言葉が矢のように胸に突き刺さる。 彼の自分を見てほしいというアピールがものすごく強いかもしれない。「わかった。私も頑張ってるから」「ええ」 自分の会社の御曹司との恋愛というのは、かなりハードルが高いかもしれないけれど、御曹司だから好きになったわけではなく、好きになった人がたまたま御曹司だった。 様々な困難はあると思うけど乗り越えていきたい。 私と岩本君はゆっくりと顔を近づけてキスをした。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status