LOGIN透子は少し迷ってから返信した。【違うよ。ごまかそうとしたわけじゃないの。ちょうど今、理恵からもメッセージが来て……二人ともタイミングが良すぎる。どちらも真っ先に、聡さんの仕業だって見抜くなんて】その頃、瑞相グループ支社の社長室では、雅人がパソコンのチャット画面を見つめていた。雅人は指先でデスクを二度軽く叩き、キーボードに手を置いた。【君と聡さんの性格を知っている人間なら、誰の仕業かすぐに分かる】【まあいい。ほかに何もないなら、この件はこれで終わりだ。ただ、これからは聡さんと一緒になって妙なお膳立てをするのはやめなさい。あの男の悪知恵に感化されるぞ】透子は雅人から届いた軽い注意を見て、すぐに素直で誠実な謝罪を返した。もう二度としない、ちゃんと気をつける、と素直に反省の言葉を並べた。雅人とのやり取りが終わると、透子は理恵とのトーク画面を開いた。話を聞く限り、理恵たちは透子たちよりずっと早く帰っていたらしい。透子が状況を尋ねると、理恵は二人でシアターに入って十数分で出てきたこと、その後はそれぞれ家へ帰ったことを話した。ついでに、聡からかなり大きなものをせしめたから、そのうち車で透子をドライブに連れていく、とも言った。しばらくして、理恵からまたメッセージが届く。【そうだ、明日空いてる?買い物に付き合って。橘さんに弁償する服を買いたいの】透子はすぐに返した。【明日は大丈夫だよ。海外に行く話がなくなったから、会社の人事のほうで改めて調整中なの。正式な配属がまだ決まっていなくて、この二日くらいは時間があるよ】送信したあと、透子はなぜ服を弁償するのかと尋ねた。すると、理恵から音声通話がかかってきた。文字で説明するのが面倒だったらしい。透子は、理恵の早口でまくし立てる説明を最後まで聞き、要点を拾って言った。「つまり、理恵とうちのお兄さんは、その時に抱き合ったってこと?」電話の向こうで、理恵が一瞬詰まる。「……そこは重要じゃないの!重要なのは、私が橘さんの服を汚したから弁償しなきゃいけないってこと!」透子は思わず小さく吹き出した。「うん、分かった。明日、一緒に買いに行こう」電話の向こうで、理恵がすぐに噛みついた。「ちょっと、透子。今笑ったでしょ?笑わないでよ!だいたい、透子だってお兄ちゃんに協力して私をだました
理恵は一階から二階を見上げ、勝ち誇ったように声を投げた。「どうしたの?逃げないの?」聡は眉間を指でつまみ、ひとまず宥めるように声を落とした。「身内で争うのはやめよう。ここは平和的に話し合わないか。俺は善意で手を貸しただけだ。お前を困らせるつもりなんてあるわけないだろ」聡はここぞとばかりに情へ訴えた。「結果が出なかったのは、さすがに俺のせいじゃない」理恵がまた噛みつこうとした瞬間、聡は慌ててその前に言葉を重ねた。「どうしたら気が済む?今回のことは、これで手打ちにしてくれ」理恵がじっと聡を見上げる。聡はさらに魅力的な条件を並べた。「Cブランドの新シーズンのオートクチュールを全ラインそろえるか?それとも、ヴァンティスのジュエリーがいいか?」理恵はその甘すぎる条件を聞き、内心で鼻を鳴らした。どうやら聡は、自分が透子との仲を本気で邪魔するのを相当恐れているらしい。「そこまで誠意があるなら、今回だけは大目に見てあげてもいいわ」聡はようやく胸を撫で下ろした。こういう時は、服やバッグやジュエリーで機嫌を取るのが一番手っ取り早いのだ。だが、聡がそう高をくくった直後、理恵はさらりと条件を上乗せした。「でも、それだけじゃ足りないわ。最近買ったあのマクラーレンも欲しい」聡の顔が固まった。「あれは透子に贈るつもりの車だぞ」「知らないわよ。もう一台買えばいいでしょ。私も同じのが欲しい」「あれは世界限定モデルなんだよ。金を積んでも二台目は手に入らないんだ」理恵は聡をじっと睨んだ。それでも理恵も、そこだけは簡単に譲る気になれない。聡がどうしても首を縦に振らないため、結局、理恵は彼から別モデルのスポーツカーを一台せしめることで、ようやく渋々納得した。柚木家のドタバタとした騒動がようやく収まった頃、場所は変わって、橘家の邸宅にて。帰宅した透子はシャワーを浴び、ベッドに横になったまま、今夜起きたことをぼんやりと思い返していた。透子はスマホを手に取った。理恵に相談してみようかとも思ったが、相手が彼女の兄であることを思うと、気まずさが勝って打ちかけた文字を消してしまった。理恵を信用していないわけではない。ただ、どうしても気恥ずかしかったのだ。透子は結局、スマホをそっと置いた。その時、スマホが短く震えた。画面を
理恵が地を這うような声で問い詰めた。「私と橘さんにホラー映画をわざと見せたの、あなたでしょ?」聡はそれを聞き、片方の眉をわずかに上げた。否定しない。それはつまり、あっさりと認めたも同然だった。理恵はカッと目を見開き、勢いよくソファから立ち上がると、聡に向かって怒りを爆発させた。「よくも私をはめてくれたわね!今夜、私がどんな目に遭ったか分かってるの!?もう本当に、死ぬほど恥ずかしかったんだから!実の妹をこんなふうに陥れる兄がどこにいるのよ!父さんと母さんに言いつけてやるんだから。覚悟しなさいよ、これで終わると思わないで!」言い放つなり、理恵は手元のハンガーを握りしめ、聡めがけて突進した。聡が逃げ、理恵が追う。二人のドタバタとした足音が、リビング中に響き渡った。聡は振り下ろされるハンガーをひらりとかわしながら、涼しい顔で言い返した。「どこがはめたことになるんだ。関係を進展させたいなら、あれが一番手っ取り早いだろうが」理恵が怒鳴り返す。「どこが手っ取り早いのよ!そんなにいい方法なら、あんたと透子もホラー映画を観たんでしょうね!?絶対嘘よ。今すぐ透子に電話して聞いてみるから!」そう言って理恵が足を止め、本当にスマホを取り出そうとしたのを見て、聡は慌てて口を挟んだ。「俺たちは別の映画を観た」理恵は聡をギロリと睨みつけた。その両目は、今にも火を噴きそうだった。「やっぱり私をはめたんじゃない!なんで自分たちは観ないのよ!」聡は両腕を組み、妙に堂々とした顔で理恵を見返した。「で、効果はあったのか?ホラー映画は、橘さんとの距離を縮めるにはかなり有効だ。怖い場面で自然に手を繋げるし、流れで抱きつくこともできる。これは翼が何度も検証して導き出した、確かな経験則だ」理恵は一瞬、呆れて言葉を失った。──類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。ろくでもない人間は、やはりろくでもない人間同士でつるむらしい。よりによって、兄は翼お兄ちゃんからそんな余計なことばかり吹き込まれているのだ。聡は理恵の表情を観察しながら、さらに首を傾げた。「まさか、まったく効果がなかったのか?お前、ああいうのは苦手だっただろ。それとも怖さが足りなかったのか?全然怖くなかったとか」理恵は聡を射抜くように睨みつけた。怒りのあまり今すぐ殴りかかりたいが、いく
見かねた聡が、先に声を落とした。「いったん離そうか」そう言って、そっと手を引く。横目で様子をうかがうと、手が離れた瞬間、透子の身体からふっと強張りが抜けた。下がった肩のラインが、その変化を何よりはっきり物語っている。聡は胸の内で小さくため息をついた。寂しさも、やるせなさもある。けれど、まったく希望がないわけではなかった。今夜、聡から様子を見るように手を繋ぎにいった時、透子は戸惑いながらも拒絶はしなかった。むしろ最後には、自ら歩み寄ろうとしてくれていた。隣でスクリーンを見つめている透子もまた、意識は少しも映画に向いていなかった。右手には、まだ聡と握り合っていた時の熱が残っている。なのに、心の奥は妙に静かで、特別な高揚感やときめきを覚えたわけではなかった。さっきの一件は、聡に無理やり手を握られたわけではない。彼はただ様子をうかがおうとしただけで、透子の緊張を察してすぐに手を引こうとした。「ゆっくりでいい」とも言ってくれた。それを引き止めるように握り返したのは、透子の方なのだ。だから二人は、あのまましばらく手を繋いでいた。その時の自分の気持ちを、透子自身もうまく言葉にできない。胸の内でいちばん大きかったのは、やはり拭いようのない居心地の悪さだった。相手が聡だと分かっていても、何の抵抗もなく受け入れることがどうしてもできない。――もしかして私、この先ずっと、男性と近い距離で触れ合うことができないんじゃ……透子はそんな悲観的なことまで考え始めていた。まるで体の方が勝手に防衛本能を働かせ、男性を拒絶しているかのようだ。そんな葛藤を抱えたまま四十分あまりが過ぎ、映画は終わった。結局、物語が何を描いていたのか、透子にはほとんど頭に入っていなかった。上映が終わり、二人はシアターを出た。そこはVIP用のプライベート区画であり、廊下はしんと静まり返っている。他の客の姿もない。階段に差しかかった時、心ここにあらずだった透子は足元をよく見ていなかった。つま先が段差に引っかかり、身体が前へ大きくのめる。「あっ」透子が短く声を上げた瞬間、隣にいた聡がとっさに腕を伸ばした。彼女の腕を掴み、ぐっと引き寄せる。次の瞬間、透子は聡の腕の中にすっぽりと収まっていた。服越しに身体が触れ合う。近すぎる距離の中で、互いの香水の香りま
雅人が口を開いた。「もう出していい」理恵は「うん」と短く返し、視線を前へ向けて車を発進させた。二分ほど走ったところで、理恵が声をかけた。「……座りづらかったら、シート下げていいからね。普段、ここに座るのはせいぜい透子くらいなの。彼女は小柄だから平気だけど、あなたにはたぶん窮屈でしょう」雅人は言われた通りにシートを少し下げた。だが、窮屈さの原因はシートの位置ではなく、この車そのものにあった。このスポーツカーはもともと女性向けに設計されたモデルであり、車内の空間はどうしても手狭だった。しばらくして、理恵がまた尋ねる。「家?それとも会社?」雅人が答えた。「会社」理恵は「分かった」とだけ相槌を打ち、それ以上は何も言わなかった。いい時間まで食事をしていたというのに、これからまた会社へ戻って仕事とは。さすがは仕事の鬼だ。理恵はナビに従って車を走らせた。この時間帯はまだ道が少し混んでいて、思うようには進まない。彼女の運転は安定していた。余計な話はせず、ただ前方の信号と周囲の車にだけ注意を向けている。雅人は正面を見ているふりをしながら、視界の端で、運転席に座る理恵の横顔を捉えていた。レストランを出てからずっと、理恵は髪を下ろさず、お団子ヘアにまとめたままだ。その髪型は顔の輪郭や顎のラインをすっきりと見せ、彼女の清潔感と、きびきびとした雰囲気をいっそう引き立てている。とりわけメイクを落とした今の素顔は、飾り気がないぶん、元々の顔立ちが持つ自然な透明感を際立たせていた。もちろん、メイクをした理恵が美しくないというわけではない。ただ、受ける印象が違うのだ。素顔の彼女はより無防備で生身に近く、どこか清らかに見えた。そんなことをぼんやりと考えていた雅人の脳裏に、ふいに、先ほどのシアターでの一幕が蘇った。息が触れ合いそうなほど近く、互いの呼吸が混ざり合う、逃げ場のない距離。見つめ合ったあの数秒のあいだ、雅人の胸にはたしかに、得体の知れない何かがよぎっていた。もしあの時、理恵が先に身を引いていなかったら、次に何が起きていたのか。それは雅人自身にも分からなかった。そこまで考えて、雅人はわずかに唇を引き結んだ。車内の沈黙の中で、ひとり思考の底へと沈んでいく。――なぜ、あの時、あんな衝動に駆られたのか。雅人が物思い
「もう……落ち着いたか」理恵が聞き返した。「何が?」「さっきの映画。だいぶハードだっただろう」理恵は絶句した。──よりによって、そこ突く?話題それしかないわけ?心の中で思い切り毒づく。ホラー映画と言われた瞬間、自分が雅人の太ももの上に飛び乗ったことも、その腕にしがみついて離れなかったことも、涙と鼻水でメイクを崩して化け物みたいな変顔になっていたことも、一気にフルセットで脳内再生されてしまった。これ以上、一秒たりとも思い出したくない。「平気よ」理恵は内心がとっくに死んだも同然だというのに、口から出た声は驚くほど落ち着いていた。雅人が言った。「ならいい」その口調も表情も、たしかに穏やかだ。少なくとも、今にも泣き出しそうな気配はない。それでも、さっき全身を震わせていた彼女の様子を思い出すと、雅人の胸の奥がわずかに締めつけられる。「こういうのって、その場は平気でも、夜になってから来ることがある。思い出して眠れなくなったりするから、今夜は小さい灯りでもつけて寝た方がいい」雅人は真面目な顔で続けた。「わかった。ご忠告はどうもありがとう」理恵は、社内メールに返信するような、極めて事務的な口ぶりで答えた。ちょうどその時、スタッフが車を回してきた。理恵は運転席に乗り込み、ドアを閉めてシートベルトを締める。エンジンをかけようとして、ふと横を見て、まだその場に立っている雅人が視界に入った。「帰らないの?自分で運転するの、それとも迎え待ち?」雅人は答えた。「運転手に送ってもらった」本当は喉元まで出かかった別の言葉があったが、雅人はそれを飲み込み、代わりの言葉を選んで口にしていた。「スティーブが今、別の用事で動いてる。もう少ししたらここに来るから、君は先に行っててくれ」理恵は眉をひそめた。「送ってくれた運転手って、スティーブ?」「……ああ」「彼ってあなたのアシスタントでしょ。ドライバーまで兼任するってこと?万能すぎない?」本当は「いくら何でもこき使いすぎじゃない?」と言いかけて、さすがに飲み込んだ。アシスタントの仕事だけでも山ほどあるはずなのに、その合間に送迎までさせられている。雅人は専属の運転手を雇うお金に困っているわけでもないのに、なぜそこまでスティーブ一人に負荷をかけるのか。「今
里香は唇を噛みしめ、何も言えずに相手を睨みつけた。「ねえ、あなた、私に喧嘩を売ってるの?それとも、私の友達に?彼女が新人だからって、みんなでいじめてるんでしょう?あなたみたいな人、私にはお見通しよ」理恵は再び鼻を鳴らした。「この話を収めてほしいなら、それでもいいわよ。でも、私の友達をいじめた人間を調べさせてもらうわ。もし見つかったら、さっさとこの京田市から出て行ってもらうから~」理恵は椅子に座り直し、優雅に足を組んで、腕を組んだ。彼女が透子の味方をするのを見て、以前、透子に罪をなすりつけたり、特に彼女の経歴詐称を密告した者たちは、皆、慌てふためいた。「斎藤さん!早く謝り
「受付係でもないのに、なぜそんな仕事をしている?俺のためにわざわざ淹れたコーヒーじゃないとでも言うのか」その言葉に、透子は思わず拳を握りしめ、怒りを込めて相手を睨みつけた。他の役員たちは、最初の驚きから戸惑いへと変わり、今や呆然と愕然とするばかりだった。聡は……公然と透子をからかっているのか?そのため、皆の二人に対する憶測はさらに微妙で曖昧なものとなり、その眼差しはゴシップへの好奇心に満ちていた。向かい側では、駿が眉をひそめた。彼は、透子が理恵の件で聡と顔を合わせたのだと思っていたが、今の様子を見る限り……彼は、かすかに恋敵の匂いを嗅ぎ取った。「コーヒーをお淹れした
新井の爺さんであるはずがない。今朝、すべてをきちんと話し合ったんだから。もし他の経路から情報が漏れたのなら、弁護士を入れる必要も出てくるな。向こうの蓮司は答えなかった。透子は彼がくだらないことを言っているのを聞き、我慢できずに言った。「言わないのね。じゃあ、切るわよ」蓮司はその言葉に歯ぎしりし、こう言うしかなかった。「警察に通報して、お前が失踪したと届け出た。これで満足か?」透子は思った。……本当に、イカれてる。もう離婚したのに。美月のために場所を空けてあげたのに、どうして蓮司はいつまでもしつこく付きまとうの?「あなたとはもう終わったの。これが最後の電話よ。いく
「わざわざ私を迎えに来てくれたんでしょう」「いや、ただの通りすがりだよ」駿は言った。透子は唇を引き結び、信じていない様子だった。「本当だよ。昨夜君を送ってから、うちと同じ方向だって気づいてね。それで、たまたま今朝も通りかかったんだ」駿は真に迫った様子で言った。透子が横を向くと、男は今日、黒のスーツに身を包み、香水までつけていた。明らかに、念入りに身なりを整えた様子だった。「先輩、いくつか、はっきりお話ししたいことがあります」透子は切り出した。「もし僕が聞きたくないことなら、言わないでほしい」駿は答えた。透子は彼を見つめ、小さくため息をつくと、やはり口