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第721話

Auteur: 桜夏
美月は何も言わず、ただ泣き続けていた。雅人も立ったまま、黙して彼女が泣き止むのを待っていた。

一、二分ほど膠着状態が続いたが、雅人はもう彼女をなだめようとはしなかった。美月はついに観念したように、事実を認めざるを得なくなり、すすり泣きながらぽつりぽつりと話し始めた。

「ごめんなさい、お兄さん……でも、あの時の理恵さんからの仕打ちが忘れられません……

私が理恵さんを辱めようとしたって言うけど、じゃあ、理恵さんが先に私にしたことは?私が受けた屈辱だって、決して軽くはないです……

あの時、個室の外で理恵さんが私をどんな言葉で罵ったか、お兄さんも聞いていたはずです。

それに、理恵さんと彼女の兄のせいで、私は十五日間も留置場に閉じ込められましたよ……」

彼女は柚木兄妹から受けた屈辱をことごとく並べ立て、自分は「仕返しをしただけ」だと主張し、同時に被害者の立場を演じて同情を引こうとした。

その言葉は効果がなかったわけではない。雅人はそれを聞き、胸に鋭い痛みを感じた。

理恵が妹に強い敵意を抱いていることは承知していた。確かに、聡が彼女を「必要以上に」十五日間も留置場に入れたことも事実
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  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1613話

    「透子、透子?聞こえてる?通話、切れてないよね?」透子は答えた。「切れてないよ。家族に返信していたの。お兄さんから『通話中になってる』ってメッセージが来たから、理恵と話しているところだって返したの」雅人の名前が出た途端、電話の向こうで理恵の声が少し止まった。数秒ほど沈黙してから、理恵は言った。「じゃあ、いったん切るね。先にご家族と話して。きっと私より心配してるから」そう言って、理恵は電話を切った。透子は雅人へ折り返そうとした。けれど、祥平と美佐子からも着信が入っている。ひとりずつかけ直すより早いと思い、透子は家族のグループ通話を発信した。すぐに三人が通話に入ってきた。「栞、今どこにいる。もう安全な場所へ戻っているのか」「運転手はそばにいるの?どこか怪我はしていない?」「今すぐそちらへ迎えを向かわせる。十分後には着くから動くな」三人の声がほとんど重なった。張り詰めた心配がそのまま押し寄せてくる。透子は三人の声からあふれるほどの心配と気遣いを感じながら、落ち着いて答えた。「お父さん、お母さん、お兄さん。私は大丈夫です。安全なところにいますから、心配しないでください。お兄さん、迎えは出さなくて大丈夫です。新井のお爺様の様子を少し見てから帰ります。帰る時は、運転手に送ってもらいますから。外の記者たちがいなくなってから出ます。囲まれないようにしますし、自分の身はちゃんと守ります。だから安心してください」透子がそう言うと、三人は一瞬黙った。本音を言えば、今すぐ彼女に帰ってきてほしい。あの病院になど一秒も残ってほしくない。けれど、透子の固い意志を無理に曲げることもできない。三人はしぶしぶ了承した。だが雅人はそれでも安心できず、透子を確実に守るために、橘家のボディーガードを数人、病院へ向かわせた。その頃、病院内では。透子は祥平たちともう少し話したあと、通話を切った。すでに新井のお爺さんの病室の前まで来ていたからだ。透子は扉を軽く叩き、それから中へ入った。けれど、病室には誰もいなかった。透子は近くにいたボディーガードに尋ねた。だが、そのボディーガードは病棟周辺の警備担当で、新井のお爺さんの行き先までは知らなかった。ボディーガードはすぐに同僚へ確認を取った。しばらくして、新井のお爺さんがリハビリ室にいる

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    透子は小さく頷き、その場を離れた。フェンスの外では、記者たちがすっかり正義の使者を気取って、まだ熱病に浮かされたように声を上げ続けている。透子が歩き出すと、背中へ向かって何か叫ぶ者もいた。だが少し距離が空くと、その声もすぐに聞こえなくなった。周囲が静かになって、透子はようやくポケットの中でスマホが震え続けていることに気づいた。取り出して見ると、着信は理恵からだった。透子が電話に出ると、ロック画面には理恵からのメッセージが何件も並んでいるのが見えた。着信履歴にも、理恵の名前がずらりと並んでいる。連絡してきていたのは理恵だけではない。雅人、祥平、美佐子、スティーブからも、それぞれメッセージや着信が入っていた。透子は、皆が申し合わせたように同じタイミングで連絡してきていることに一瞬戸惑った。だが、順にメッセージを開いて、すぐにその理由を察した。新井グループの病院前で起きた騒ぎは、そのままSNSのトレンドを席巻していた。京田市の上流階級に関わるスキャンダルは広まるのも早い。病院前に透子が現れたことも、すでにゴシップ系メディアの格好の餌食として大きく取り上げられていた。透子は祥平、美佐子、雅人、スティーブへ順に無事を知らせる返信を打った。スマホは通話状態のままにしてあり、スピーカーからは理恵の切羽詰まった声が次々と流れてくる。「透子!なんであんな時に病院へ行ったの?自分から火の中に飛び込んでるようなものじゃない!もう、ライブ配信で見てたけど、あの人たち完全におかしくなってたよ!ゾンビの群れに囲まれてるみたいで、見てるこっちが冷や汗かいたんだから!今は安全なの?ちゃんとボディーガードに守ってもらってる?さっき何回も電話したのに出ないから、本当に生きた心地がしなかったんだよ!」透子は家族への返信を急いで送りながら、理恵に答えた。「大丈夫、私は無事よ。ボディーガードの人たちが守ってくれているから。さっきは外がうるさすぎたの。着信音も小さくしていたから、全然気がつかなくて」透子の声が落ち着いていて、周囲の騒音も聞こえない。それで理恵はようやく少し胸を撫で下ろしたようだった。「無事ならよかったけど……でも、今日わざわざ行く必要なんてなかったじゃない」理恵は咎めるように言った。それから少し沈黙してから、探るように

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    「栞さん。お願いだ、この警備員たちに言って、俺を中へ入れてくれ。俺は本当に親父の容体が心配なんだ。親父がこの病院へ移されてから、蓮司は俺を一度も中へ入れようとしない。親父がどこまで回復しているのかさえ、俺には全く分からないんだ。俺は親父のたった一人の息子だぞ。こんな時に、病床のそばで息子として尽くせないなんて、あんまりじゃないか。たしかに昔、俺は親不孝を重ねた。だが、それと親を思う気持ちは別だろう」博明の言葉には、妙な切実さがこもっていた。若い頃に犯した過ちまで、自ら進んで認めてみせている。新井家の内側にあった醜聞は、少し前の騒動ですでに世間に知れ渡っている。ここでただ親思いの善良な息子を演じるだけでは、かえって嘘くさく見えるのだ。だから博明は、あえて自分の過去の失敗を口にした。「栞さん、頼む。一言だけ言ってやってくれ。俺は本当に親父が心配でたまらないんだ」博明はさらに訴えかけた。その目も、表情も、今にも崩れ落ちそうなほど悲痛に歪んでいる。博明は片手を上げ、目尻に浮かんだ涙を乱暴にぬぐった。「俺は子供の頃から、親父の自慢の息子にはなれなかった。大人になってからも反抗ばかりして、親父の望みに逆らって、自分の愛した女を選んだ。そのせいで、親父にはすっかり愛想を尽かされてしまった。もし今、親父の身に何かあったら……最後の一目すら会えずに終わるなんてことになったら、俺は一生悔やむ。俺は、俺自身を一生許せなくなるんだ」博明は五十を過ぎた男だ。一応はグループ内の会社を率いる立場にあり、新井のお爺さんの唯一の息子でもある。相応の権力も地位も持っている。その男が今、無数のカメラや報道陣の前で体面もプライドも投げ捨て、親の死に目に会わせてほしいと泣き訴えているのだ。声を震わせ、目尻を何度も拭いながら、病院に入れてくれと訴え続ける。それは、見る者の同情と感情を揺さぶるには十分すぎるほどの芝居だった。周囲の人間は、博明の過去の不義理をたちまち忘れ去った。今そこにいるのは、死にゆく父に会いたいと涙を流して悔いる、哀れな息子なのだと、誰もが錯覚し始めていた。「新井社長が、実の息子である博明氏を父親の見舞いから締め出す正当な理由なんてないはずだ!」一人の記者が、義憤に駆られたように声を上げた。「そうだ!新井社長が頑なに面会を拒むのは、

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1610話

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  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1609話

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  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1608話

    「その後の数日も、新井さんのほうから姿を見せることはなかった。今日も会っていない」それを聞いて、雅人の張り詰めていた顔つきがようやく少し緩んだ。「新井も、そこだけは分かっているらしいな」雅人は唇を引き結んで言った。透子は祥平へ視線を戻し、最初に聞かれたことへ答えた。新井のお爺さんは、このところ新井グループで起きている騒ぎを知らない。執事からも、新井のお爺さんの前でうっかり口を滑らせないよう頼まれているのだ。祥平はそれを聞き、眉をわずかに寄せた。「新井のおじ様がご存じないのなら、なぜ新井グループの内部では、あれがおじ様の意向だという話になっているんだ」「分かりきったことだ。連中がそこを突いている」雅人が横から言った。透子は父と兄の会話を聞き、思わず尋ねた。「何かあったんですか?」「何でもない。大したことじゃない」雅人は短く答えた。透子の前で、蓮司に関わる話を少しでも出したくなかった。透子は小さく頷いた。祥平と雅人は、もう遅いから早く休むよう透子に言い、部屋の前を離れた。扉が閉まると、透子は眉をひそめて考え込んだ。父も兄も、何かを隠している。こういう時は、新井家の人間に直接聞くのが一番早い。透子はスマホを手に取った。だが、画面の時刻を見て、執事へ送ろうとしたメッセージを消した。明日、病院へ行った時に直接聞けばいい。……翌日。透子が午後に病院へ向かうより前、理恵からSNSで話題になっている投稿が送られてきた。透子が開いてみると、映っている場所は新井グループ傘下のプライベート病院だった。フェンスの外側を記者たちが取り囲んでいる。横断幕まで掲げられ、現場からは生配信も行われていた。画面越しでも、騒ぎが大きくなっているのが分かる。横断幕を持っている人間をよく見ると、その中に見覚えのある顔があった。蓮司の父親、博明だ。動画の中で、博明は片手で横断幕を握り、もう片方の手で拡声器を持っていた。フェンスの内側へ向かって、大声を張り上げている。「蓮司!孫の分際で何様のつもりだ!実の息子であるこの俺を親父に会わせないとは、どういう権限があってのことだ!親父が重病で倒れているのに、身内を外へ締め出すとは何事だ!親の容態すら俺に隠し立てする気か!病床の親父に尽くす、息子の務めまで邪魔する権利が、お前にあ

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第667話

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  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第713話

    男性たちはビジネスの話に熱中し、女性たちは世間話に花を咲かせている。その喧騒から離れた、会場の端にあるテーブルで。理恵は退屈そうにシャンパンを一口含み、すでに会場を後にしたい気持ちでいっぱいだった。「運命の人」探しなど、笑止千万。今宵の若い男性たちは皆、美月に引き寄せられるように集まり、彼女の周りを蜂のように取り囲んでいる。兄の様子を確認すると、まだ人と話し込んでいる。理恵はもう少し待って、兄に一言声をかけてから先に帰ろうと決めた。彼女が一人佇んでいる場所から斜め向かいで、美月は自分に取り入ろうとする令嬢たちからシャンパングラスを受け取りながら、視界の隅で理恵の姿を捉えた。

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