Home / 恋愛 / 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった / 第29話 また厄介者に遭遇した

Share

第29話 また厄介者に遭遇した

Author: 栗田不甘(くりた ふかん)
商業エリアの中心に、ひときわ目を引く五階建ての独立した建物がが建っていた。その外観は全面ガラス張りで、洗練された雰囲気を放っている。

今日は飯塚真理子がセレクトショップを再オープンする日だ。

三年間手をつけていなかったデザインを、今再び始めた。

三年前よりも立地は良く、店舗の広さも格段に大きくなった。

店内は独特な装飾が施され、華やかな照明が輝き、厳選された一流ブランドの服やジュエリーが並べられている。シンプルなガラス張りの外観は、通りすがる人々にその独自のセンスをさりげなくアピールしていた。

かつて、二人の独創的なデザインとセンスあるコーディネートが浜白の貴婦人たちの間で一躍話題となって、若い女性たちからも大きな注目を集めていた。

まだ正式にオープンする前から、店の前には長蛇の列ができていた。

並んでいるのは皆、家柄の良いお嬢様たちで、予約番号を手に順番を待っている。

三井鈴も今日、飯塚真理子に会社から呼び出されて、客のコーディネートを手伝うことになった。

午前中は忙しすぎて目が回りそうだったが、ようやくランチタイムに、少し人が減ったので、二人は疲れてソファに倒れ込んだ。

飯塚真理子は三井鈴の腕に抱きついて、「鈴ちゃん、今日の感じ、まるで昔みたいじゃない?」と笑いかけた。

「うん、一瞬で三年前に戻ったようだね」三井鈴は微笑みながら飯塚真理子の頬に軽く触れた。「真理子がそばにいてくれて、本当に良かった」

「私もよ」

その後、飯塚真理子は二階を見に行くと言って、三井鈴にはもう少し休むように促した。

一人ソファに腰掛けていた三井鈴は、ふと安田遥と佐藤若菜の姿を目にした。

安田遥はオフシーズンの高級ブランドドレスを着て、店内でひたすら自撮りをしていた。撮った写真を加工してから九枚をまとめてSNSにアップした。「最高級のバイヤーショップで爆買い中……」と得意げにコメントを添えて投稿した。

投稿が終わると、彼女は興奮したまま、佐藤若菜と店内をあちこち見て回りながら楽しそうにしていた。

安田遥は今シーズンの3600万円する高級ブランドのドレスを手に取り、期待に満ちた目で佐藤若菜を見つめて、「若菜さん、ねえ、このドレス、私に似合うと思わない?」と問いかけた。

その目線には、「あなたは私の義姉でしょ? しかもお金持ちなんだから、私にプレゼントして
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter
Comments (1)
goodnovel comment avatar
kaya
赤っ恥な2人。帰れよ。
VIEW ALL COMMENTS

Related chapters

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第30話 内緒で結婚した真相

    「ダフ屋から買った招待枠は、その場で無効になるのがルールよ」三井鈴は目を細めて、顔には嘲笑の色が浮かんでいた。「それに、店長自ら接客するなんてサービスは存在しないわ」「もちろん」彼女の視線が流れて、微笑んだ。「もしお二人が今日店内で10億円を使うなら、私が店長として接待することも可能よ」佐藤若菜はただの佐藤不動産の令嬢で、財布にそんな大金が入っているはずがない。前回は6億円も無駄に使ったばかりで、彼女が今財布の中が空っぽだと三井鈴は賭けていた。もし彼女が意地を張って散財してくれれば、それは飯塚真理子の売上に直接貢献することになる。まさに一石二鳥だった。だが、安田遥は何も考えずに焚きつける。「若菜さん、あんな女の店の商品、全部買い占めてやりましょ!あなたの財力を見せつけてやればいいのよ!」佐藤若菜は目を伏せて黙っていた。安田遥が何を言っても動かなかった。「もしかして、お金がないの?お金もないのに、見栄を張ってダフ屋からチケットを買ったわけ? そんなにこの店を見学したかったのね。なら仕方ない、警備員を呼んでお引き取り願おうかしら?」彼女の声は決して大きくはなかったが、店内の誰もがはっきりと聞き取れるほどの絶妙な音量だった。上流社会のマダムたちの間では、ヒエラルキーが厳然としている。すぐさま数人の好奇心旺盛な女性たちが、この出来事をグループチャットに投稿した。次の瞬間、いくつもの通知音が鳴り響き、各グループで話題が一気に爆発する。一瞬にして、安田遥と佐藤若菜の周りは嘲笑に包まれた。二人の顔色はまさに「見もの」としか言いようがなかった。言葉では表現しきれないほどの屈辱が浮かんでいる。「三井鈴!調子に乗るのも大概にしなさいよ」佐藤若菜は目を細め、顔は怒りのあまり真っ白になっていた。声にははっきりとした威圧感が滲んでいる。三井鈴は微笑みを浮かべながら、目はますます鋭くなっていった。「そう?私はこういう性格なんだ。不満でもある?」次の瞬間、黒いサングラスをかけた警備員が静かに現れ、佐藤若菜と安田遥の背後に立った。そして、無言で「お引き取りください」と言わんばかりの手振りをする。周囲の冷ややかな視線に耐えられず、二人は肩をすくめながら店を飛び出した。店の外に出た瞬間。佐藤若菜は、これ以上の屈辱はないと感じた。こ

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第31話 冷静になる必要も、話し合う必要もない

    三日後、市役所。弁護士同士で手続きを行う時間を決め、鈴と翔平は約束通り現れた。鈴は受け取った書類に迷いなく素早く記入していく。一方の翔平はというと、なかなか筆を進めようとしなかった。鈴はちらりと横目で見て、冷淡な声で言った。「安田社長、急いでるんだけど」催促されると、翔平の顔色は沈み、無言のまま書類に記入を始めた。書き終えた二人は、窓口の職員に書類を提出した。「待て」離婚届に判が押される寸前、翔平が突然口を開いた。職員は思わず手を止めた。まさか朝一番の客が、あの安田グループの社長とその秘書だったとは!最初は長年の付き合いを経て結婚しに来たのかと思いきや、それよりも驚きの展開――まさかの離婚とは!翔平は鈴を見据え、いつもの高圧的な態度で冷たく尋ねた。「本当に、それでいいんだな?」今この女が考え直すなら、勝手に離婚を切り出し、ドバイで自分に余計な出費をさせ、さらには若菜を傷つけたこと――それらはひとまず水に流してやってもいい。彼は、一度だけチャンスをやるつもりだった。「これ以上ないほど、ハッキリしてるわ」鈴は眉をわずかに上げ、赤い唇に余裕の笑みを浮かべた。「何?まだ私がふざけてるとでも思ってる?」翔平は、相手の揺るがぬ態度を見て、胸の奥が重く締めつけられるのを感じた。名もなき感情に引きずられるような感覚――不快だった。彼女が去った数日間、改めて思い知ったことがある。二人はまともに向き合って話し合ったことが、ほとんどなかった。そのせいか、翔平の口調は先ほどよりも幾分和らいでいた。「お前が冷静になる時間をやる。その上で、もう一度ちゃんと話し合おう。俺たちの結婚について……確かに、お互い話し合いが足りなかった」少し間を置いて、さらに言葉を続けた。「お前が安田グループに尽くしてくれたことは、ちゃんと見ていた。考え直すなら、安田家も安田グループも、いつでもお前を迎え入れる」言外に込められた意味は明白だった――彼は、離婚したくない。鈴にも会社を辞めてほしくない。「冷静になる必要も、話し合う必要もないわ」鈴は翔平の暗い瞳を真正面から見据え、冷たく決然とした声で告げた。その口調には嘲笑の色すら滲んでいた。「昔はね、心臓まで差し出す覚悟でいた。でもあなたは、それを見ようともしなかった。今さ

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第32話 でっち上げのゴシップニュース

    若菜の胸は、この上ない歓喜に満ちていた。長い間待ち続け、ようやくこの男が完全に自分のものになる――。もし翔平が今、彼女にプロポーズしてくれたなら、即座に受け入れるつもりだった。だが、宴の中心にいる翔平は、一向に杯を手に取ろうとしなかった。その表情は沈鬱そのもので、眉間には抑えきれない陰りが漂っている。硬く結ばれた唇からは、一言も発せられなかった。彼の脳裏には、鈴が颯爽と去っていく姿が、何度も何度も繰り返し映し出されていた――消えないままに。遥が、その気まずい空気に耐えかねたように言った。「お兄ちゃん、何か言ってよ!あんまり黙ってると、場が白けるよ!」「そうよ、翔平。あの厄介者を追い出せたんだから、一番喜ぶべきなのはあんたじゃないの? どうしてそんな浮かない顔をしてるの?」由香里は満足げに若菜を見やりながら、さらに続けた。「母さんはもう他のことはどうでもいいから、早く若菜をお前の嫁に迎えてちょうだい。そしたら、すぐにでも孫を抱けるわ!」若菜は頬を赤らめ、小さな声で答えた。「おばさん、それは翔平に時間があっての話ですけど……」しかし翔平は、その場の空気を一刀両断するような冷ややかな声で言い放った。「俺と鈴が離婚したことは、誰も祖母に話すな」若菜の表情が、凍りついた。どういうこと?翔平は自分と結婚するつもりがないってこと?じゃあ、お腹の子はどうなるの?名もないまま生まれるの?彼女の目が揺らぎ、涙が瞬く間にあふれ出した。「翔平……じゃあ、私とこの子は……どうすれば?」そう言ったと、震える手でお腹をそっと撫で、涙がぽつりと衣服に落ちた。翔平は深く息を吸い込み、胸中に渦巻く苛立ちを抑え込みながら答えた。「……その件については、きちんと話をつける」「俺は少し用がある、先に部屋に戻る」それだけ言い残し、食卓に残された三人を後にして、さっさと席を立った。若菜は、呆然としたまま動けずにいた。やっぱり、あの女のことを忘れられないんだ。そう思った瞬間、彼女の瞳に、怨みの色が浮かべた。三井鈴……絶対に許さない!傍らで由香里と遥が、慌てて若菜を宥める。「若菜、離婚っていうのは誰にとっても気分のいいものじゃないのよ。翔平も例外じゃないわ。少し時間をあげましょう」「そうそう、若菜さん!私、若菜さ

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第33話 パーティーの争い

    「鈴の選択を尊重するよ」電話越しの結菜の声は、冷静で歯切れが良かった。「何かあったらすぐに連絡して。私はいつでも味方だから」「ありがとう」鈴が電話を切ると、すぐに真理子が身を乗り出してきた。「ねえ、どうするつもり?あの女、ほんっとムカつく!」「明日の夜、陽翔兄に誘われて浜白商会のパーティーに行くの。浜白中の名家が集まる場よ。あの女を逃がさないわ」真理子は両手を握りしめ、興奮した様子で声を弾ませた。「最高!そこで思いっきりぶちかまして、あの女の顔を叩き潰してやろう!」パーティー当夜。会場には、豪華なシャンデリアの光がきらめき、華やかなドレスに身を包んだ名士たちがグラスを交わし合っていた。その喧騒の中――鈴は、ゆっくりと姿を現した。彼女が纏っていたのは、手作業で散りばめられたダイヤが輝くオートクチュールのドレスだった。完璧な曲線を描く体を美しく引き立て、気品と高貴さを漂わせていた。メイクも一分の隙もなく、まるで幻想の世界から抜け出したかのような美しさ。しかし、その艶やかな美貌の奥には、鋭い冷たさが宿っていた。彼女が現れるや否や、社交界の令嬢たちは、さっと視線を交わし、ざわめき始めた。遥はシャンパングラスを片手に、取り巻きの女性たちと談笑していたが、鈴の姿を認めると、すぐに嘲笑混じりの囁きが飛び交った。「ねえ、遥、あれって噂の三井鈴?本当にホットニュースのまんま、あなたの義姉なの?」「ほら、あの写真とそっくり。確かに綺麗だけど……」「ふん!あんな女が私の義姉?冗談じゃないわ!」遥は大げさに目を翻し、冷たく鼻を鳴らした。「うちの家族とあんなのを一緒にしないで。お兄ちゃんとはとっくに終わってるわよ!」そんな中、鈴は静かに遥を視界に捉え、唇に微かな笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいていった。遥は気づかずに続けた。「元々、あいつは小さなセレクトショップをやってただけのただの庶民よ。それが、お兄ちゃんと若菜さんの仲に割り込んで、無理矢理うちに転がり込んだの。どれだけ追い出しても居座るし、まるで寄生虫よ。しかも、お兄ちゃんは指一本触れてないのに?昼は会社の秘書、夜は家で家政婦。タダ働きのメイドみたいなものよ」それでも話し足りないのか、遥は喉を潤そうとバーに向かい、さらに声を張り上げた。「結局、ドバイ

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第34話 新旧の恨みを一緒に清算する

    翔平は、鈴の問いに完全に言葉を失った。これまでずっと、彼は由香里と遥の側に立ち、鈴の言葉をまともに聞いたことなどなかった。それが――彼女が離婚を決意した理由の一つだったのか?そう思った瞬間、何とも言えない罪悪感が胸を満たした。「謝れ」翔平は、冷え冷えとした声で遥に言い放った。遥は唇を噛み、視線を落としたまま、頑なに口を開こうとしなかった。「結婚していた三年間の侮辱に加えて、離婚後の誹謗中傷……たった一言の『ごめんなさい』で済む問題じゃないぞ」低く響く男の声が、静かな会場に鋭く響いた。冷ややかな怒りを湛えた陽翔は鈴の傍らにやって来た。彼の鋭い眼差しが安田家の人間を一瞥した。安田家で妹がどんな扱いを受けていたのかを思うと、こいつらの顔を見るだけで吐き気がした。陽翔の目が、ゆっくりと若菜へ向けられた。「ネット上で帝都グループの幹部を中傷する記事の件――すでに裏で手を引いていた人物を突き止めた」若菜の指先が、ぎゅっとドレスの裾を握りしめた。そんなはずない……誰にもバレるはずがない……記事の作成を依頼したのは匿名のライターだったし、証拠が残るようなことはしていない。「この記事は事実を曲げ、帝都グループの幹部を意図的に貶める目的で作られた。ネット上でも悪影響が広がっている。すでに警察が動いているので、佐藤さんには事情を聞かせてもらう必要がある」若菜の顔から、一瞬で血の気が引いた。心臓が喉元まで跳ね上がり、無意識に後ずさる。隣で翔平の視線が鋭く向けられると、彼女は必死に首を振った。すぐに涙を滲ませ、縋るような瞳で翔平を見上げた。「翔平……お願い、信じて。私がそんなことをするわけないわ……」翔平は若菜を庇うように前に出て、冷たい表情で陽翔を見据えた。「三井社長……何かの誤解では?」「こんなの、あの二人が若菜さんを陥れようとしてるに決まってるでしょ!」遥が慌てて若菜を庇いに入った。「若菜さんは妊婦なのよ!?こんなことでストレスを与えて、万が一流産でもしたら、どうするつもり?」鈴は冷笑し、グラスを揺らしながら遥を見下ろした。「そんなに庇うなら、一緒に警察へ行けば?」遥の顔が一気に紅潮し、怒りに震えた。「何それ!?どういう意味よ!」「自分のしたこと、もう忘れた?」鈴の目が鋭く光った。「数日前に私の店を襲った件

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第35話 賠償だけじゃ済まない

    「翔平、あんた何でこの厄介者に頭を下げるのよ!」由香里は翔平の腕を掴み、信じられないというように叫んだ。彼女は今まで、一度たりとも息子が鈴に対してこんなにも低姿勢で話す姿を見たことがなかった。これまでは、彼らが一方的に命じ、鈴は何も言わずに従うだけ。それが当然の関係だったのに、どうして今になって立場が逆転しているのか。苛立ちを隠そうともせず、由香里は鈴の前に踏み出し、傲慢な態度で言い放った。「ちょっと泥を塗ったぐらいで何よ?あんたに名誉なんてあるの?家で散々罵っても、一言も言い返せなかったくせに!」由香里は毒づきながらも、ふと翔平の険しい表情に気づいた。その瞬間、彼女はようやく自分が何を口走ったのか悟った。三年間、鈴をどう扱ってきたか――それを、今この場で自ら暴露してしまったのだ。陽翔はその様子を冷ややかに見下ろし、軽く鼻で笑った。「これが、お前が三年間尽くしてきた義母と小姑か?そんな連中のために、何もかも捧げてきたのか?」そう言ったと、陽翔は目を細め、少し息を吐いた。「決めるのはお前だ。ただし、三井家の名を汚したら、その時は俺が許さない」鈴は、冷たく笑みを浮かべながら兄を見つめ、静かに答えた。「陽翔兄、心配しないで」彼女は由香里に向き直り、余裕の笑みを浮かべながら言った。「私の予想が正しければ、これからあなたはこう言ったんでしょう?『娘が壊したなら弁償すればいいでしょ?』って」由香里はぎくりとしつつも、開き直ったように言い返した。「その通りよ!たかが小さな店でしょ?安田家の財力なら、そのくらいどうってことないわ!」「60億円でも?」鈴が淡々と告げると、由香里は思わず足を踏み外しそうになった。「な、何ですって!?あんな店がそんなに価値あるわけないでしょ!ふざけるのも大概にしなさいよ!」「信じられないなら、損害評価の明細を見せてあげる。そうすれば、あなたも納得するわ」鈴は冷たい目線で由香里を見つめた。「この厄病神!ぶっ殺してやる!」由香里は叫びながら、怒りに任せて鈴へ掴みかかろうとした。しかし、次の瞬間――「やめろ!」翔平が彼女を力強く制止した。その顔は、まるで嵐の前のように黒く沈んでいた。すでに、彼らの争いは会場中の注目を集めていた。浜白の名士たちは耳を澄ませ、事の経緯を把握すると、次々

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第36話 向井蒼真との繋がりのために

    警察が会場に現れ、周囲の状況を確認した後、まっすぐ歩み寄ってきた。「安田遥、佐藤若菜、警察署までご同行願います」由香里は二人が連れて行かれるのを見て、慌てて前に出ようとした。だが、焦るあまり足元のドレスの裾を踏んでしまい、そのまま派手に転倒。頭を床に打ち付け、その場で気を失った。翔平はすぐに駆け寄り、由香里を抱え上げると、そのまま会場を後にした。こうして、一連の騒動は幕を閉じた。宴会場にはまだ多くの賓客が残っていたが、騒ぎの中心だった安田家の人間が去ったことで、場の雰囲気は落ち着きを取り戻していた。陽翔は堂々と歩み出ると、鈴を伴い、会場の中心で挨拶をした。「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。改めてご紹介させていただきますが――三井鈴さんはすでに安田グループ社長秘書を辞し、本日より帝都グループ浜白支社の社長として新たな役職に就いております。今後、皆様とより多くのビジネスの機会を持てることを願っています」その言葉が落ちると同時に、会場では低い声でざわめきが起こった。「三井さんは安田グループを辞めたばかりなのに、もう帝都グループの支社社長?すごい昇進スピードだな。でも、三井社長と彼女、どういう関係なんだ?まさか親族?」「いや、それはないだろう。同じ苗字とはいえ、もし三井家の血縁者なら、どうして三年間も安田家の嫁として耐え忍んでいたんだ?」「とはいえ、安田家での扱いを考えれば、たとえ結婚中に浮気していたとしても仕方がないって思えてくるわね」陽翔という強力な後ろ盾があって、加えに安田家が自ら恥を晒したことで、ホットニュースの悪影響は一気に消え去った。「……」各界の名士たちは次々と鈴に接触を試みた。その夜、彼女はこれまで接点のなかった新たな財界の人物と顔を合わせることができた。その中でも、特に重要なのは――啓航グループの社長の向井蒼真だった。「三井さん、初めまして。向井蒼真です」そう言って、ワイングラスを軽く揺らしながら、ひとりの男が彼女の前に歩み寄ってきた。鈴は微笑み、グラスを掲げた。「向井社長、こちらこそお会いできて光栄です」帝都グループの医療研究プロジェクトは間もなく量産段階に入る。そこに必要なのは、信頼できるパートナー――そして、啓航グループこそが、彼女の第一候補だった。遥と若菜を警

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第37話 過去の行動が暴かれる

    安田家の屋敷には、重苦しい沈黙が漂っていた。翔平は、険しい表情でソファに腰掛け、長い間何も言わなかった。彼はつい先ほど警察署から戻ったばかりだった。何とか若菜の保釈には成功したものの、遥に関してはそうはいかなかった。セレクトショップの損害賠償はその場で即座に支払ったが、被害額が大きすぎる上、鈴側が一切の示談を拒否していた。弁護士の初期見解によると――遥には最低でも三年の実刑判決が下る可能性が高い。由香里は、ちょうど意識を取り戻したばかりだった。娘が三年も刑務所に入ると聞き、顔が真っ青になった。「翔平!あんた、お母さんの話をよく聞いて!遥ちゃんは絶対に刑務所になんて入れちゃダメ!」由香里の声は震え、信じられないというような表情を浮かべていた。「まだこんなに若いのに、あんな悪人たちと一緒に暮らせるわけがないでしょ!?きっと耐えられないわ!」「翔平……お願いだから、あの三井鈴って女に頼みに行って。態度を下げて、少しの間だけでも彼女の気を晴らしてやれば、きっと示談に応じるわ。ね?そうしましょう?」今になってようやく、彼女は折れる姿勢を見せた。翔平は眉間に深い皺を寄せ、低く言った。「ヤクザと結託して人の店を壊し、好き勝手に振る舞う……遥はあまりにやりすぎた」決して鈴と話をするつもりがないわけではない。だが、彼女は話す気すらない。最初から遥を刑務所に入れるつもりだったのだ。「何よ、それ!?」由香里は怒鳴った。「まさか、あんた本気で遥ちゃんを刑務所に入れる気?」「今こそ、彼女にしっかりとした罰を受けさせるべきだ」「違う!彼女がこんなことをしたのは、すべてあの女のせいなのよ!遥ちゃんは、あの女にひどい目に遭わされたから、仕返ししようとしただけなの!全部、あの女が悪いのよ!」由香里は涙声で叫んだ。翔平は一切反応を示さなかった。彼の沈黙を見た由香里は、次の瞬間、衝動的に窓のそばへと駆け寄った。そして、一歩足を外へと踏み出した。「いいわよ、分かったわ!あんたがあの女に頼みに行かないなら、お母さんはここから飛び降りて死ぬから!」若菜は驚き、慌てて駆け寄った。「伯母さん!危ないです!翔平、早く止めて!」「もういい!」翔平の怒声が、部屋に響いた。由香里は驚き、思わず足を引っ込めた。彼がこんなに怒るのを見たのは初めてだった。何も

Latest chapter

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第858話 運命を信じるより、運命を変えろ

    「雲城市リゾート開発プロジェクトは大崎家主導の案件だ。入札会が始まったってことは、田中陸が大崎雅とすでに合意を取ったってことだな。動きが早い」車内で、田中仁が電話に出た。声には一片の感情もなかった。「彼女は今、浜白にいる。それなのに短期間でこんなにも動けるなんて、誰かの手助けがなきゃ無理だ」「業界全体に伝えろ。この案件は、雲城市が主導してるわけでも、豊勢グループでも、大崎雅でもない。私が主導してるってな!」「非難されるのが怖い?わかるよ。揉め事は誰だって避けたい。でもな、私が手を下す時は、相手がそれを受け止められる覚悟がある時だけだって伝えておけ」通話が終わるまで、愛甲咲茉は隣でじっと息を潜めていた。田中仁の怒りは明らかだった。入札会が終わってからも、その怒気は収まるどころか、むしろ濃くなっていた。ようやく通話が終わると、愛甲咲茉がすかさず食事を差し出した。「朝から何も口にしてませんよ。胃に悪いです」田中仁はちらりと弁当を見てから、視線を窓の外の人混みに移した。車の速度は人の歩みより早い。すでに彼は雲山に到着しており、外には香を捧げる寺があった。参拝客が行き交うなか、彼はその中に、一人の見覚えのある姿を見つけた。静かに佇み、落ち着いた佇まい。あんな雰囲気を持つ人間は、三井鈴以外に考えられなかった。けれど、彼女の視線は別の人物に向いていた。秋吉正男は二本の線香に火を灯し、誠実に祈りを捧げてから、それを香炉に立てた。「坂本さんがこれ見たら喜ぶよ。今年こそ誰か紹介しないとね」三井鈴は冗談めかして言った。「おみくじも引いてきてって頼まれてるんだ」二人はおみくじ所へ向かったが、三井鈴はどこか上の空だった。周囲を見渡しても、田中仁の姿はなかった。こっそり電話をかけたが、応答はなかった。秋吉正男はすでに師匠の前に座っていた。「生年月日と生まれた時刻をどうぞ」周囲は騒がしく、三井鈴の耳には電話の冷たい女性音声「おかけになった番号は応答がありません」だけが残った。秋吉正男の声はほとんど聞き取れなかったが、彼が口にした生年月日はどこかで聞き覚えがあった。詳しく聞く間もなく、秋吉正男はおみくじを引き、その顔色がわずかに変わった。師匠はそれを受け取り、読み上げた。「風雲起こりて大雨となり、天災や運気の乱

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第857話 手の甲には火傷がなかった

    彼が提示した一部のデータは、田中陸すら把握していなかった。会議の間、田中仁の姿は一度も現れなかったが、浅井文雅の手元にあった原稿や発言内容は、すべて彼の手によるものだった。「私がいる限り、豊勢グループと雲城市リゾートの提携書類に、私の署名は絶対載らない」と。その一文を見て、三井鈴はすべてを悟った。まさしく田中仁らしい、あまりにも率直で苛烈な言い回しだった。表に出ない立場のまま、豊勢グループの内部に手を出す。この戦いが容易ではないことを、三井鈴は痛いほど理解していた。「仕事か?」秋吉正男がゆっくりとした足取りで、三井鈴の後ろをついてくる。ようやくスマホをしまいながら、三井鈴がふと顔を上げた。「今日は付き合ってくれてありがとう。コーヒーでもご馳走する?」「私はコーヒーは飲まない」何を勧めようかと考えていたとき、秋吉正男は道端に目をやりながら言った。「でも、甘いスープなら飲める」三井鈴はようやく笑みを浮かべ、露店を見て訊ねた。「いくつ買おうか?」「ひとつでいいわ」三井鈴はモバイルで支払いを済ませ、秋吉正男の疑問げな表情に答える。「私、甘いものそんなに得意じゃないの」秋吉は少し間を置いてから、「覚えておくよ」と口にした。スープを受け取った三井鈴は、それを秋吉に差し出した。「じゃあ、浜白でまた会いましょう」秋吉正男は礼儀正しく両手で受け取ろうとしたが、その瞬間、三井鈴がわずかに手を傾け、甘いスープが彼の両腕に一気にこぼれ落ちた――「ごめんなさい!ごめんなさい!手が滑っちゃって」三井鈴は急いでティッシュを取り出し、彼の袖をまくって手早く拭いた。「もったいない。どうしてこぼれちゃったの。もう一杯作りますね!」屋台の少女が驚いて声を上げた。秋吉正男はその場に立ち尽くし、手際よく動く三井鈴の様子をぼんやりと見つめていた。三井鈴はふと目を細めた。彼の腕は滑らかで、火傷の痕などどこにも見当たらなかった。通常、あれほどの火傷なら痕が残るはず。それがまったく見当たらないなんて、そんなことが?それとも、自分の思い違いだろうか?「三井さん?何を見てるんだ?」彼女の意識がどこかに飛んでいるのに気づき、秋吉正男は低い声で言いながら、手を引いた。我に返った三井鈴は、「服を汚しちゃったから、店で新しいのを買って弁

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第856話 背後に凄腕の助言者がいるに違いない

    どうやら大崎家は、大崎沙耶を完全に冷遇していたわけではなく、その外孫である安田悠叶に対しては、特別な期待を寄せていたようだ。「もしその外孫がまだ生きていたら、今ごろきっと、華やかな立場にいただろうね」それを聞いたスタッフは慌てて周囲を見回し、「お嬢さん、ここは大崎家の敷地内です。こういう話はタブーですから、くれぐれもお気をつけて」と注意した。三井鈴と秋吉正男は大崎家の敷地内を歩いていた。幾重にも続く中庭に、灯りが美しくともり、その光景は確かに見事だった。「大崎家にはすでに連絡を?」秋吉正男が自然な口調で訊ねた。「どうしてわかったの?」「安田家の件は気になって追ってたから。あなたの名前が出てこなかった。それで、なんとなくね」「あなた、茶屋の店主なんかやってる場合じゃないわ。刑事になったほうがいいんじゃない?頭が冴えすぎよ」三井鈴はくすっと笑って、からかうように言った。「警察は無理でも、探偵くらいにはなれるかもな」二人はゆっくりと歩いていた。前を行くスタッフが立ち止まり、言った。「この角を曲がった先は、大崎家の私宅です。ここから先は立ち入り禁止となっています」ちょうどそのとき、秋吉正男の携帯が鳴り、彼は静かに少し離れた場所へ歩いて行った。「その後は?」三井鈴が尋ねた。「大崎家は本当に、外孫を一度も迎え入れてないですか?」相手は少し考えてから答えた。「外では、かつて一度あったって噂されてます。本来は極秘だったんですけど、ある日、大崎家で火事があってね。小さなお坊ちゃんが腕に火傷を負って、急いで病院に運ばれました。それで初めて話が広まったんだけど、本当かどうかは誰にも分からないです。それ以降は何の情報も出てきてないですよ」名家の噂話なんて、所詮は茶飲み話の種にすぎない。だが三井鈴の中では、すでに一つの考えが芽生え始めていた。彼女は洗面所に向かった。出てくると、竹林の一角に「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた札が掲げられていた。そのとき、奥からふと聞こえてきた声、どこかで聞いたことがある。三井鈴が耳を澄ませたときにはすでに静まり返っていたが、彼女はそっと近づき、竹の間にかすかに揺れる人影をじっと見つめた。「奥様、仏間でずっと跪いておられる。そろそろお食事の時間だ、様子を見てきてくれ」「お坊さんが帰

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第855話 孫を連れて帰らなかった

    壁には無数の提灯が吊るされ、ステージ上の司会者が謎かけを始めていた。「次の問題です。ヒントは五つの言葉。さて、これを表す四字熟語は?」観客たちはざわつきながらも盛り上がり、次々に手が挙がる。秋吉正男もその中に手を挙げた一人だった。白いシャツ姿の彼は群衆の中でも一際目を引き、司会者の目に留まる。「どうぞ、答えてください」すぐに後方の大スクリーンに彼の顔が映し出された。端正ではないが、落ち着いた雰囲気が印象的だった。「二言三言です」司会者は即座に太鼓判を押した。「正解です!」提灯が手渡され、司会者が続けた。「ここで皆さんにもう一つお楽しみを。現在、壁の裏手にある雲城市の大崎家の旧邸が、三日間だけ一般公開されています。でも、予約が取れなかった人も多いんじゃないですか?」「そーだー!」秋吉正男は提灯を高く掲げながら、観客の中から三井鈴の姿を探す。逆流するようにこちらへと近づき、「勝ったよ!」と声を上げた。無邪気な笑顔を見せる彼は、普段の穏やかで寡黙な秋吉店長の面影が薄れていた。「続いてのなぞなぞに正解した方には、提灯だけでなく、特別公開中の旧山城家屋敷へのペアご招待券をプレゼントします!」会場は一気にざわつき、あちこちから歓声が上がる。三井鈴は苦笑して声を上げた。「子どもじゃないのに、そんなもの取ってどうするのよ!」「みんな貰ってるんだよ!」秋吉正男は耳元で叫びながら、ほんのり温もりの残る灯籠を彼女の手に押し付けた。後ろにはくちなしの木があり、大きな白い花がいくつも彼女の肩に落ちて、甘く柔らかな香りが鼻をくすぐった。「次の問題です。お題は、稲!これを漢字一文字で表すと何でしょう?」周囲からはざわざわと小声が漏れる。「稲って?」司会者が何人かを指名して答えさせたが、いずれも不正解だった。三井鈴は提灯から顔を上げ、司会者に指される前に大きな声で言った。「類!人類のるいです!漢字を分解すると米の意味になります!」その声には、自然と人を動かすような響きがあり、周囲は一瞬だけ静まり返った。司会者は一拍置いてから、舞台上の太鼓を叩き鳴らした。「おめでとうございます、正解です!」会場スクリーンに彼女と、その隣に立つ秋吉正男の姿が映し出され、観客のあいだから「あっ」と認識する声が漏れた。先ほどの正解者だ。

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第854話 彼は実は不安でいっぱいだった

    翌朝、三井鈴が目を覚ますと、田中仁の姿はすでに部屋になかった。朝食の合間に、三井鈴は土田蓮に入札の詳細を尋ねた。話を聞き終えて、「それなら今日は相当忙しいわね」と呟いた。午前中から準備が始まり、午後に入札が行われる。つまり、彼女には自由になる時間があるということだった。「ええ、当然です」「ちょっと外出するわ。夜の八時までには戻るから、もし仁くんが私を探しても、文化祭を見に行ったって伝えておいて。心配しないようにって」土田蓮は意外そうに聞き返した。「お一人で?」「あなたも行きたいの?」三井鈴が逆に聞き返す。「とんでもないです。心配しているだけです。もし田中さんが、私が三井さんを一人で外に出したと知ったら、きっと怒ります」細かくは説明できないが、三井鈴はピシャリと言った。「その発言、私もあまり気分が良くないわ。あなたが忠誠を誓うべき相手は私よ。彼じゃない」土田蓮はその意味を理解して、すぐに口を閉じた。外出前に、三井鈴はシャワーを浴びた。昨夜遅く、ぼんやりとした意識の中で、誰かに背後から抱きしめられた。体は濡れていて、風呂上がりの清潔な香りがした。熱が肌を這い、声もかすれていた。半分夢の中で、三井鈴はぽつりと問う。「あなた、もう寝たんじゃ……」田中仁は何も言わず、ただ彼女にキスを重ねた。完全に目が覚めた三井鈴が呟く。「私まだお風呂入ってない」「後で入ればいいさ」そう言って彼は彼女を抱き寄せ、灯りをつけたまま、彼女に主導を委ねた。三井鈴はこうしたことに対してはやや慎ましく、いつも彼に「明かりを消して」と頼んでいた。だが田中仁は決してそれを聞き入れず、彼女を掌握するように導きながら、すべての動きをその目で見届けさせた。今は見知らぬ土地。羞恥心は限界に近づき、同時に、感覚はかつてないほどに鋭敏になっていた。それは明け方の五時まで続いた。幾度となく、重なり合いながら。肌が触れ合うたびに、三井鈴は感じ取っていた。彼が内心、強い焦りを抱えていることを。豊勢グループ、MT、父、母、田中陸。あまりにも多くの重圧に囚われた彼は、そんな時いつも彼女に触れていた。繰り返し求めるその行為の中に、安らぎを見出し、自分は必要とされているという実感を確かめていたのだ。三井鈴は自分の身体に残る赤い痕を見つめて、思

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第853話 どうして来たんだ

    それを聞いた三井鈴はすぐに秋吉正男に視線を向けた。「大崎家は代々文化人の家系で、一般公開なんて滅多にない機会よ。浜白に戻るとき、一緒に見に行かない?」雨と街灯が後ろから彼女を照らし、濡れた髪がきらきらと光を反射していた。笑顔で誘われたその瞬間、秋吉正男には断るという選択肢は残されていなかった。「ちょうどいい機会だしね。店の修繕の参考にもなるかもしれない。それにあなたが誘ってくれてるのに、断るなんて無理だろ?」秋吉正男は微笑とも苦笑ともつかない表情で、店主にケーキを包んでもらい、それを三井鈴に渡した。幸いホテルはすぐ近くだった。秋吉正男は三井鈴をロビーまで送り届け、明日の出発時間だけを決めると、それ以上は何も言わずに立ち去った。少し冷たい風が吹き始めていた。三井鈴は腕を抱きながら、秋吉正男の背中を見送り、心の中でつぶやいた。まるで、拒む気配がまったくなかった。一日中動き回って、心身ともに疲れ切った。部屋の前まで来て、ふと足が止まる。ドアはきちんと閉まっておらず、薄暗い玄関の先に、ほのかな明かりが漏れていた。胸がひやりと冷える。三井鈴が足を進めると、玄関のそばに土田蓮が立っていた。困りきった表情で言う。「三井さん、ようやく戻られました。お電話、ずっと繋がらなくて……」彼の張り詰めた態度に、三井鈴はとっさに視線をリビングの方へ向けた。そこには、田中仁が堂々と腰掛けていた。シャツのボタンは二つ外され、引き締まった胸元が覗いている。まどろむように目を閉じていたが、物音に気づいてゆっくりと目を開け、彼女を見つめた。「おかえり」「どうして来たの?」三井鈴の声に喜びはなかった。ただ驚きと、ほんの少しの後ろめたさが滲んでいた。田中仁の視線が彼女の手元へと下がり、茶葉の入った紙袋に留まった。「街を歩いてたのか?土田は一緒じゃなかったのか」秋吉正男と出くわしていなければ、素直に言えたかもしれない。だが今は少しだけ、言葉を選ぶ必要があった。「個人的な時間よ」三井鈴は手に持った茶葉を軽く振って見せた。「夏川さんが勧めてくれたの。ここの抹茶は絶品だって」そのひと言で、田中仁の顔に浮かんでいた不機嫌はすっと消えた。彼は無言で、手を軽く動かして彼女を呼んだ。三井鈴は隣に腰を下ろしながら問いかけた。「見ててくれるって言ったじ

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第852話 雲城市の大崎家を知ってるか

    三井鈴は唇を開いて言った。「秋吉店長ほどの規模の店なのに、自分で仕入れに来るんですか?」「三井さんのネットでの影響力がなくなった今、店はもう潰れかけでね。坂本の給料も払えなくなりそうなんだ」秋吉正男の表情は明るく、彼女の冗談に合わせて軽口を返していた。夏川の名前はやはり通じた。店主はすぐに商品を出し、秋吉正男が彼女に薦めた。「これが一番正統で、香りも濃い。お茶好きなら絶対外さないよ」三井鈴は茶葉を一つかみ持ち上げ、鼻先に近づけて香りを嗅いだ。「すごくいい香り」「あなたって、あまりお茶飲まなかったよな」秋吉正男は彼女の横顔を見つめながら言った。「田中さんへの贈り物か?」三井鈴は否定せず、店主に茶葉を量るよう指示した。「私、選ぶの苦手で。でも今日あなたに会えてよかった。きっと彼、気に入るわ」「じゃあしばらくは、田中さんがうちの店に顔を出すこともなさそうだな」二人が並んで外へ出た頃には、小雨が降り始めていた。秋吉正男は通りで傘を買い、彼女と一緒に差した。三井鈴は断ろうとした。「秘書に迎えを頼んであるの」「車はこの路地まで入れない。外まで出るには迷路みたいな道を抜けないといけないし、あなたの秘書じゃ辿り着けないかも。送るよ」たしかに、さっきここに来るときもそうだった。「雲城市に詳しいんだ?」秋吉正男は手に持っていた茶袋を示しながら、平然とした顔で言った。「仕入れでよく来るからね」三井鈴は唇を引き結び、ふと思い出したように言った。「それだけ通ってるなら、雲城市の大崎家のこと、知ってる?」彼女は問いかけながら、秋吉正男の横顔に視線を送り、わずかな表情の変化も見逃すまいと注視していた。だが彼は平然としていた。「そういう名家には興味がなくてね。お茶と景色だけが関心の対象なんだ。どうして急にそんなことを?」「栄原グループのこと」三井鈴は足元を見つめながら言った。「大崎家の栄原グループはうちのライバルだから。つい職業病で聞いちゃっただけよ」秋吉正男は冗談めかして笑った。「三井さんは私を人脈扱いか。でも残念ながら、あなたの役には立てそうにないな」三井鈴の胸中には、別の思惑が渦巻いていた。もし安田悠叶が本当に生きているのなら、きっと大崎家のことを知っているはず。頭を振る。まさか秋吉正男を探りにかかるなんて、自分

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第851話 ちょうど彼に出くわした

    三井悠希は冗談めかして言った。「まだ気にしてるのか?」「彼を気にしてるわけじゃない。ただ、何か大事なことを見落としてる気がして……」だが、それが何なのか、自分でもはっきりとは分からなかった。三井悠希は了承し、「二日以内に返事するよ」と言った。雲城市は観光都市で、商業都市である浜白とはまるで空気が違った。町の中心を大きな川が流れ、のどかでゆったりとした時間が流れている。三井鈴が桜南テクノロジーの本社に足を踏み入れると、社員たちもゆとりあるペースで働いており、いわゆるブラック勤務とは無縁に見えた。「三井さん、はじめまして。私は夏川と申します。雲城市でお会いできて光栄です」相手は四十歳前後で、礼儀正しく、物腰の柔らかい人物だった。「夏川さん、お噂はかねがね伺っております」二人は会議室に席を取り、協業について具体的な話を始めた。「太陽光発電の業界が変革期に入っていて、将来性は間違いありません。さらに国家が積極的に基地局建設を支援しており、浜白もその対象地域の一つです。この分野で資金と企画力を両立している企業は多くありません。帝都グループは後発ではありますが、十分な自信と準備があります」三井鈴は静かに話をまとめた。夏川は何度もうなずきながら、冗談めかして言った。「帝都グループさんは最初、東雲グループとの提携を希望していたそうですね。でもあちらはもう栄原グループとの協業を発表してしまいました。我々桜南テクノロジーこそ、まさに後発です」そこに悪意は感じられなかった。三井鈴にもそれは分かっていて、思わずはにかんだ。「客観的にはその通りですけど、私たちには共通点があります。最初は誰にも期待されなかった。ならば、手を組んで見返してみませんか?」夏川は椅子にもたれ、少しの間考え込んでいた。彼らは業界のトップではないが、それなりの実績と経験を積んできている。一方の帝都グループは、資金はあるが経験は乏しい。そして今、自分の目の前には、美しさと説得力を兼ね備えた女性が座っている。三井鈴はその躊躇を見逃さず、ぐっと詰め寄った。「夏川さん、私と一緒にリベンジ戦、やってみませんか?」「リベンジ戦か」その言葉を面白そうに反芻し、机上の企画書に目をやると、立ち上がって手を差し出した。「いいですね、楽しい仕事になりそうです。よろしくお願いします!

  • 離婚後、私は世界一の富豪の孫娘になった   第850話 知るべきではなかったこと

    紙の上に、大きな墨のにじみが広がった。ようやく丁寧に書き終えた三井鈴の文字は、決して下手ではないが、美しいとは言い難かった。田中仁はその文字を見て、思わず吹き出しそうになった。「そんなに難しいか?」かつて、いくつかの名家の子弟たちが通っていた書道教室で、三井鈴の成績はいつも最下位だった。先生に残されて補講を受け、一文字につき十回、合計百回も書かされて、彼女は地獄のような思いをしていた。「私、そもそも字に向いてないんだってば!」三井家族の兄たちは退屈して授業が終わるなり飛び出していったが、田中仁だけは残って、筆の持ち方から丁寧に教えてくれた。その甲斐あって、ようやく半分は身についた。しかし時が経つにつれ、ほとんど忘れてしまっていた。三井鈴は苛立ちを隠せず、毛筆を放り出すと、冷蔵ボックスからエビアンを取り出して一気に飲み干した。冷たい水が顎を伝って流れ落ち、凍えるような刺激に思わず眉をひそめたが、少しだけ気が晴れた。田中仁は使用人に合図して書を額装させながら、三井鈴に尋ねた。「何かあったのか?」三井鈴はノートパソコンを開き、「大崎家」と入力した。「大崎家の現在の当主は大崎雅。四十歳、まだ独身らしいわ」田中仁はちらりと目をやり、「会った」と一言。三井鈴の顔色は冴えなかった。「私を責め立てるように文句ばかり。まるで彼女の不幸が全部、私が大崎家に連絡したせいだって言わんばかりだった」怒りで呼吸が荒くなり、胸が上下に波打っていた。田中仁は小さく笑いながら彼女を膝の上に引き寄せた。「大崎家には息子がいない。娘が二人だけで、長女の大崎沙耶は縁談を嫌がって安田家に嫁ぎ、難産で亡くなった。そのことで家の評判も落ちて、妹の大崎雅が一人で背負うことになった。誰も縁談を持ってこないのも無理はない。恨み言の一つも出るさ」三井鈴は納得がいかないように問い返した。「女って、結婚しなきゃいけないの?」「家の期待、世間の噂、何年にもわたる孤独と陰口、それが彼女を潰したんだ」「彼女は大崎沙耶の分まで背負ってるつもりなんでしょ」三井鈴はまだ腑に落ちていない様子だった。「だったら、安田家の件、本気で向き合うのかな」「再審がうまくいけば栄原グループにとっても得になる。だから動いてる。でなきゃ、あれだけ君を目の敵にしてるのに、わざわ

Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status